第20話 帰さない

「風、次、下りるでしょう?」

 次はわたしの家の最寄り駅だ。なんとも言えない、どうしようもない気持ちになる。

「ほら、ペンギンもしまって」

 今日が終わってしまう。

「風? 起きてるよね?」

 覗き込んだ目と、目が合う。

「……わたしが送ってもいい?」

「……何を言ってるの?送るのはこっちの役目でしょう?」


 自分でも考えていることが全然、理にかなってないことはわかっていた。

「啓のこと、駅で見送って、そしたらちゃんと帰るから。もう少しだけ、一緒にいたい」

「風。もう遅いよ。ひとりで帰らせるわけには行かないでしょう?」


 小清水くんはわたしの頭をよしよし、と撫でた。わたしは泣きたくなってきた。やってることはめちゃくちゃだし、心の中は言うことを聞いてくれないし。


「今日、初めてのわがままだな。困らせたいんでしょう?」

 首を横に振る。彼の声がいっとうやさしくなる。

「オレも気持ちは同じだよ。……ていうか、むしろ、オレは24時間一緒にいたいくらいだし。我慢してるからなぁ」


 次の停車駅のアナウンスが聞こえる。わたしの下りるべき駅は目前だ。

 小清水くんは、ひとつため息をついた。

「じゃあさ、ちょっと遅くなっちゃうけどお茶していく? お腹すいてる?」

「……」

「ほら、捨てられたネコみたいな顔しない。捨ててないし」

「……いいの?」

「いいよ」

 彼の手をぎゅっと、気持ちを込めて握った。


 駅ナカにカフェがあるちょっと大きな駅まで出て、サンドイッチとハンバーガーを夕食替わりにお茶をした。人波はみな一様いちように家に向かっていた。ガラス越しに、それを見ていた。


「少しは落ち着いた?」

「うん、困らせてごめんなさい」

「お腹すいたよね、ここのバーガー美味しいな」

「サンドイッチも美味しいよ、……食べる?」

「一口だけ」

 彼は大きな口を開けて、パクッとサンドイッチを口にした。そして満足そうな顔をした。


「あのさ、言っておきたいことがあるんだけど」

「ん?」

 わたしは次の言葉を待った。彼は頭の中で言葉を整理しているようだった。


「あのさ……つき合ってほしいって言った時にも話したけど……いや、なかなか上手くはできてない気がするんだけどね……」

「うん」

「オレは、風ちゃんを大切にしたい、と思ってるんだよ、本当に」

「されてるよ、いつも」

 彼はわたしに、「わかってない」という顔をした。


「んー、すきだからこうしたいなぁって自然になるんだけど。でも、やっぱり『ここは』って決めてるとこがあるから」

 よくわからない。

「つまりね、……こういうときは、あんなこと言われちゃうと『お持ち帰り』したくなっちゃうからダメ」

 彼は頭を抱えてしまった。お持ち帰り……。


「あ、なんか、すごくごめんなさい」

 急に頭の回路がくるくると回り始めて、彼の言わんとするところが飲み込めた。頭を抱える彼の顔を覗くと、真っ赤になっている。


「あー、やだ! 自分がやだ! どうして紳士的になれないんだろう」

「そんなことないよ、紳士的にしてもらってるし」

「風は、オレの頭の中は見えないから! くっそカッコ悪い……」

 本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。だって、彼は混乱しまくってるし。それは、わたしがわがまま言ったせいだから。


 今度はわたしがそっと、彼の頭を撫でた。さらっとした髪の感触。

「……タイミングとかよくわからないけど、そういうのがお互いに合うまでは、そういうことは……オレ、我慢するからね」

「はい……」


 つき合うことに有頂天になっていたわたしは、カレカノになったら避けて通れないところをほとんど考えてなかった。ロマンチックな展開にいつも心ときめかせて、そういう現実的なことを深く考えてこなかったことを反省する。


「何も考えなしでごめんなさい。考えるべきだったよね……。わたしは、啓だったら、いいと思うんだけど……。確かに、タイミングはあるよね?」


「だーかーらー! 何にもわかってないね、オレの気持ち。そんなことを言われたらね、お持ち帰りしちゃうんだぞ。うちはすぐそこだし、帰さない。帰さないんだよ? オレならいいとかさ、ダメダメ、絶対帰さない」

「帰さない?」

「帰さない。ちょっとじゃなくて、朝まで帰さないよ」


 すごく真剣な目でそう言われると、心が怯んだ。でもそれがいけないことなのか、判断がつかなくなってきている。悩んでしまう。

「風が、帰りたくなかったように、オレだって帰りたくなかったし、帰したくないよ」

 言っていることにひとつも嘘はないんだ、という顔を彼はしていた。


 わたしが手を出す暇もなく、彼はトレイを片づけてしまった。

 お店も閉店近い雰囲気だ。

「行くよ」

 繋いだ手が微妙に汗ばんで、心が落ち着かない。いろんな考えが頭を駆け巡るけど、彼に火をつけたのはわたしだし、いつかそういう日が来るわけだし、とにかくそういうものなんだろう。


 不意に、彼が振り返る。

「明日、予定ある?」

「明日はないよ」

 あってもないって言ってしまったかもしれない。

 彼は空いた駅構内を、強く手を引いて歩いていく。どんどんホームに向かって。


 始発電車が停まっていて、どうせ一駅で降りてしまうので閉まっている方のドアのところにふたりで立っていた。

 小清水くんは、いつもするように腕組みしてドアにもたれて考え事をしていた。難しい顔だ。


 でも、ここまで来たら……。

 心を決めるしかないので、彼に気づかれないよう、深呼吸した。

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