第29話 「スポーツ喫茶語り亭」

「いやぁ。びっくりしたよ。オリンピックとパラリンピックの統合のアイデア。日頃からマスターに『常識を疑え、先入観にとらわれるな』って言われてるけど、本領発揮って感じ。マジ目からウロコ」

「幹太クン、いつからあなたのお目目は龍になったんですか。もしかして、目の下には逆鱗もあるのかしら?」

広海が幹太をからかう。秋田家のリビングが賑やかな笑いに包まれる。二人が秋田家に到着したのは午後9時過ぎ。こんな時、二人の“足”は、いつもなら幹太のバイクだが、去年の事故のこともある。秋田夫妻に心配を掛けないよう電車でやって来た。

「最近では、公共施設を中心にバリアフリーの取り組みが進んでいるのは確かなんだけど、使いやすいかどうかっていうと正直分らないんだよね。ここに来る時、駅の階段を使わずにエレベーターとスロープを使ってみたんだけど、場所とか傾斜とかはこれでいいのかなって。設備はあっても、俺ら実際にあまり使う立場じゃないからさ」

幹太はJRや地下鉄の駅構内や商業施設、イベントホールなどをイメージして言った。最近では、実際に車椅子に乗って障害者の立場で施設の利便性を考えたり、重りを使った高齢者や妊婦の負担を経験する体験イベントなど、バリアフリーの定着に向けての取り組みもなくはない。しかし、催しは散発的で、参加者も極々一部に限られているのが現状だ。

「目指しているのは障害や年齢に関わらず、みんなが利用しやすいユニバーサル社会。要は使い勝手の問題だね」

正博の指摘を受けて、響子が具体的な例を挙げた。

「手すりやスロープなんかは、あればいいって話じゃないの。高齢者や車椅子の利用者がストレスなく使えないと意味がないでしょ。妊婦さんも含めて」

手すりの高さや持ち手の大きさにも配慮が必要だ。スロープの傾斜だってあまり急勾配だと車椅子で登れない。距離が長過ぎても利用者に負担が掛かる。

「動線の問題も重要だよね。設計段階から自由にデザインできる新しい施設はともかく、古い施設を改装する場合はどうしても後付けになってしまうから、バリアフリー部分が最優先というわけにはいかないもの」

「駅にエレベーターはあるけど、改札から結構遠かったりね。さっきの駅みたいに」

広海の意見に幹太も続く。

「せっかく視覚障害者用のブロックを敷いた歩道を整備しても、自転車の違法駐輪で塞がっていたら何にもならないし」

千穂自身には点字ブロックの上に何気に駐輪してしまった苦い経験がある。視覚障害者とは出会わなかったが、待ち合わせた母の響子に珍しく叱責された。悪気のない軽率な行動とはいえ、所詮は言い訳だ。悪気のあるなしに関わらず、心ない行動と言われてもエクスキューズの余地はない。ハンディを持った側の立場にならないと理解できないことは社会には意外と多い。

「オリンピックとパラリンピックの統合のアイデアって、テレビのお陰なんだって。確かにリオ・オリンピックが終わった途端に、あれだけ大はしゃぎしていたテレビの中継が減ったもんね。民放はニュースや情報番組でサラリと扱う程度で中継はなし。NHKの地上波とBS任せ。パラリンピックは日本人選手がメダルを獲って初めてニュースになるくらい。陸上にしても、競泳にしても同じ競技会場で開かれているのにね。オリンピックもパラリンピックも」

広海が今夜のテーマに流れを変えた。

「そう、そう」

「柔道やレスリングなんかの対人競技では男女別はもちろん、体重別とか障害の程度別に分かれてるだけで、試合を行う畳やマットは同じわけだから、よく考えたら大会自体を分ける必要はないってことさ。ユニバーサル社会ってサックリ言えば、いろんな立場の人が入り混じって共存することだから、健常者と障害者が一緒にいたっておかしくはない。っていうか、よく考えたら別々の方が変じゃね、ってね」

幹太の言い分は正論だ。

「競技会場のメンテに答えがあるって主張もある」

正博が現実的な理由を挙げてみせた。

「メンテ?」

「そう、メンテナンス。パラリンピックの選手の多くは、障害の内容によって車椅子やギアと呼ばれる義足や義手を必要としているよね。競技用の車椅子や義足が、競技の舞台となるフィールドやコートの床を傷つける場合もある」

「そう言えば、テレビ・コマーシャルで車椅子バスケを観戦していた俳優のコメントで『タイヤが焼ける匂いがする』って言ってた。車椅子のタイヤが焼けるってことは、反対にコートの床も摩擦で焦げたり、削れたりするわけだ」

「車椅子ごと転倒するシーンもよく見るから、金具の部分で床が凹んだりもするかもね」

「車椅子ラグビーもそうだね。こっちは車椅子同士の衝突がタックルということで認められているから、ぶつかり合いはもっと激しい。まあ、通常のラグビーと違って室内競技だからコート自体を共用することはないけれど、床が傷むことは同じだね」

「水の中で行う競泳は基本、問題はないけど、陸上も金属製の義足でフィールドを傷つける可能性はある」

「そんなこと理由にならないわよ。マラソンなんてきっちりメンテナンスされた競技場のトラックじゃなくて一般の道路を走るのよ。ロンドン大会なんか古い市街地の狭い石畳だってコースに入っていたくらいなんだから、少しくらいの傷が気になるなんていちいちクレームつけたらレースにならないわ」

「でも、百メートル走をはじめとする多くのレースは、百分の一秒を競うからな。選手がナーバスになるのも分らないでもない」

「どんな競技も勝負に運不運はつきまとうものさ。スキーのジャンプ競技は最たるものだ。得点の調整はされるが、追い風と向かい風では条件が全く変わってしまう。サッカーやラグビーの場合は会場によって芝のコンディションが違うし、スパイクで荒れている場合も少なくない。でも、どんなコンディションでも対応する能力が求められるし、敵も味方もお互い様なので言い訳は出来ない。そういう意味では、床に少々傷がつくことくらいは大きな理由にしてはいけないと思うんだけどな」

正博は個人的な見解を述べた。

「でも、現実はそんなに甘くないみたいよ。日本パラリンピアンズ協会の調査によると、パラリンピックに出場した約2割の選手が、その障害を理由に練習施設の利用を断られた経験があるというもの。実際には、やっぱり差別はあるのよね。厳然と」

響子の発言は新聞記事で読んだ情報だ。ユニバーサル社会の実現やバリアフリー化の推進が声高に叫ばれハード面が充実しても、実際に運用に当たるソフト面、つまり人的な対応が追いついていないのが現状らしい。

「ハコだけ作っても、心がないっていうのはねぇ」

「それって、仏作って魂入れず、のパクリ?」

「あのね、パクリじゃなくて、引用よ引用。ものの喩え」

千穂の指摘を否定し、広海が意地を張る。

「でも、こういうのって直そうと思ったら直せる部分でしょ。機械的にマニュアルを変えればいいだけの話だから」

と響子。

「言いたいことは同じなんだからパクリか引用かは置いておいて、ボッチャって知ってる?」

幹太が話題を変えた。

「何よ急に。失礼ね、坊っちゃんくらい知ってるわよ。ソーセキでしょ、夏目漱石。『吾輩は猫である』と『坊っちゃん』くらいは読んでるわ」

最近は電子辞書にもデフォルトで日本を代表する有名な文学作品が数多く収録されている。きっと著作権がフリーになった影響だろう。しかし、広海が読んだのは文庫版である。

「あのね、『坊っちゃん』じゃなくてボッチャ。パラリンピックの話してんのに、いきなり漱石に話変えるほど、オレKYかよ。赤シャツとか山嵐が出てくる『坊っちゃん』じゃなくて、ボッチャだよボッチャ。断っておくけど、冬至に小豆と炊き込む緑黄色野菜じゃないからな」

広海と幹太のやりとりを、秋田夫妻が笑って聞いていた。

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