第25話 パラリンピックはやめる!?

秋田家のリビングー。

一部のスポーツ選手がインタビューで好んで使う『感動を与える』というフレーズが嫌いだ。観客側が使う言葉で、選手側が発するのはどこか傲慢に映る。感動に限らず“与えられる”のは決して気分のいいことではない。どこか偉そうなのよね…。世界のトップレベルで戦う選手たちの精一杯のプレーには、相当の集中力が必要だろう。人に何かを与える余裕なんてあるのかな。どんな優秀な選手でも、もし“感動を与えよう”なんて考えながら競技しているとしたら、観客にとっては興醒めだ。勝ち負けを問わず、そのパフォーマンスの中に見ている者の心を動かす何かがあるから、初めて勇気や元気をもらうことができる。同じように、選手が自ら“アスリート・ファースト”って言うのも何かなって。競技団体の関係者も同じ。都知事や国民の第三者が選手の活躍を期待して使う言葉でしょ。あのフーテンの寅さんだって『自分で言っちゃおしまいよ』って言うに違いない。何も『感動していただければ本望』まで謙(へりくだ)る必要はないが、『感動してもらえたら嬉しい。喜んでもらえたら』くらいの言い回しはお願いしたいな-。父親がお気に入りのスポーツ雑誌をめくりながら、秋田千穂はソファに腰を下ろして漠然と考えていた。

「千穂、手伝ってくれるの、くれないの? ほら、いつまでもボーっとしてないで」

響子の声で我に返った。秋田家のリビング。学校から帰宅した千穂はまだ着替ていない。勉強部屋に戻って部屋着に着替えると、慣れた手つきでリビングの椅子の背に掛けてあったエプロンを被った。

「私ね、4年後の東京オリンピックとパラリンピックのことが心配になってきたんだけど」

「何? 心配って。会場のこと? それともメダルの数?」

キッチンに立った千穂は、母親の響子と一緒に夕食の支度に取りかかる。特段珍しいことではない。料理は嫌いではないし、千穂にとっては勉強の合間の気分転換にもなった。リオ・デ・ジャネイロで開かれたオリンピックで日本は、過去最高の41個のメダルを獲得した。41個というのは競技、種目別の数である。体操の男子団体や陸上の400メートルリレー、シンクロナイズド・スイミング、卓球の男女団体、競泳の男子400メートルメドレーリレー、そしてバドミントン女子の高橋・松友ペア。実際に持ち帰ったメダルの数は60個を超える。熱気と余韻をそのままに舞台はパラリンピックへと続く。

「もう、涙が出てきたわ」

「心配の涙じゃなくて、あんたの涙の訳はタマネギのみじん切りのせいでしょ」

母親の響子の冗談に千穂は一瞬、包丁を握る手を止めた。怒ったわけではない。単なるポーズに過ぎない。みじん切りしたタマネギは、黒毛和牛と黒豚の合い挽きミンチと合わせてこねる。本日のメインはハンバーグ。しかも、いつもよりちょっとリッチだ。ふわふわ食感と歯応えを出すために、すり下ろした山芋とレンコンのみじん切りを入れるのも秋田家流。肉汁を閉じ込めるために寒天を使う時もあるが、生憎きょうは切らしていた。

「新国立競技場の杜撰な見積もりが発覚してから1年以上も経つのよ。まだまだ不透明な大会の予算も心配だし、リオ以上にメダルを獲得できるかしらって心配も確かにあるわ。でも、もっと心配なのがパラリンピック」

「パラリンピック?」

「そう、パラリンピック。障害を持つアスリートにとってのオリンピックよ。1964年の東京オリンピックの時から同じ都市での開催になったらしいけど、パラリンピックが始まって以来、4年に一度のスポーツの祭典はオリンピックとパラリンピックの2本立てになったの」

「そうね。ほら、2020年の東京大会のエンブレムもオリンピックとパラリンピック両方併記になっているものね」

響子はまな板の下に敷いた新聞を指差した。東京大会の公式スポンサーの広告。日本の伝統である市松模様をモチーフにした両大会のエンブレムが並ぶ。デザインの盗作疑惑から紆余曲折はあったが、すっかり馴染んだ感もある。

「そうね。形の上では確かに併記になってる。オリンピック担当大臣や東京都知事も大会のことに触れる際には必ず、オリンピックとパラリンピックをセットにしてるわね。わざとらしいくらい。マスコミもそう」

「言われてみれば、確かにね。パラリンピックを差別しないっていうことなんでしょ。言葉の上のバリアフリーってことかしらね」

「その安易な考え方も気に入らないことのひとつ。両方並べてさえいれば問題ないでしょ、って言ってるみたいで」

「うーん」

バリアフリーを考える時に大切なのは本来気持ちの問題なのだが、気持ちを表すことは難しい。わざとらしくても言葉にする方が分り易いのだろう。

「でも私、そんな表面的なことはどうでもいいの」

「じゃあ、何?」

「呼び方はまあ百歩譲って、問題は扱い方ね」

「扱い方?」

「そう、扱い方。リオではオリンピックの余韻が冷めない中で、パラリンピックが始まったけど、テレビの中継なんてハッキリ言ってNHKだけじゃん。オリンピックの時には、全国ネットの民放も競技毎に分担を決めて朝となく夜となく一日中伝えていたのにね。4局が、4局とも。それが一転、パラリンピックはスポーツ・ニュースやバラエティ番組だけ」

「うーん、確かにそうね、ライブじゃない再放送のダイジェスト的なのも含めて。放送に携わっていた人間としてもその点は反論できないわね。スポンサーがつきにくいのと、視聴率が取れないと思っているのが主な原因なんだけど」

響子はかつて放送局の局アナだった。

「オリンピックではメダルを獲ったら、現地の特設スタジオにメダリストを順番に呼んで競技の映像を振り返るでしょ。流れ作業で。どの局も判で押したような決まりきった芸のないインタビューをしていたじゃない。あの光景、パラリンピックでは見ないでしょ」

千穂の醒めた指摘を響子も否定しない。恐らく民放各局は特設スタジオも撤収し、オリンピック中継で起用した名前の売れたゲストのコメンテーターも帰国させているのだろう。建て前で何だかんだ言っても、オリンピックとパラリンピックでは扱いに大きな差があるのが現実だ。

「ただいま」

父親の正博が帰ってきた。

「いい匂いがするね。今夜はハンバーグか」

正博はお笑い芸人でスピードワゴンの井戸田潤を真似て「バー」の部分を必要以上に延ばして言った。

「さむー」

昔から慣れているのだろう。連れあいの務めと思っているのか、妻の響子は優しく反応した。千穂にはそんな務めも義理もない。父親のギャグもあっさりスルー。

「パラリンピックの扱いか。耳が痛いな。確かにオリンピックに比べたらマスコミの取り上げ方が小さいのは明らかだな」

スーツを脱いでジャージに着替えた正博。冷凍庫でキンキンに凍らせたグラスを取り出すと、冷えたビールを注ぎながら親子談義に加わる。

「でしょ」

「オリンピックが終われば、民放のスポーツ番組最大の関心事はさしずめサッカーのワードカップ最終予選。初戦に敗れて、2戦目以降の成績によっては監督の去就も取り沙汰するいつもの風景だね。監督を交代したら、本選に勝ち進めるって幻想でもあるのかな。可能性は続投する場合よりも低いだろうね。不振に陥ったチームが監督を更迭するのは、海外サッカーでは半ば常識なんだけど、そんなシステムを無理に“輸入”する必要はないと思うんだけどな。第一、応急なチーム建て直しに監督交代が最善策とは思えない。」

ビールを傾けているせいか、いつもより饒舌だ。正博もスポーツを語り出すと止まらない体育会系熱血男子の部類だ。

「もうひとつはテニスの錦織圭。USオープンの準優勝で日本人初の四大大会初制覇が現実味を帯びて来たこともあって、過剰と言えるくらいの報道が続いている。本当に彼の活躍を応援する気持ちがあるのなら、個人的には少しそっとしてあげたい気もするんだがね」

その後、錦織は右手首を痛めながらも世界ランクを守るようにツアー参戦を続けた。勝ち負けと途中棄権を繰り返しながら。成熟したマスコミなら将来のある錦織に助言するべきだった、と正博は考

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