第5話 震災から5年… 花って咲いたの?
喫茶「じゃまあいいか」。小笠原広海たちは吊り下げ型のスピーカーから流れる楽曲に耳を傾けていた。
原子の灰が降った町にも
変わらぬように春は訪れ
もぬけの殻の寂しい町で
それでも草木は花を咲かせる
花は咲けども 花は咲けども
春を喜ぶ人はなし
毒を吐き出す土の上
うらめし くやしと 花は散る
店主の恭一がセットしたCD。いつものクラシックではない。
「あれ? CD間違えてません?」
きょろきょろと辺りに視線をやる大宮幹太。「じゃまあいいか」の雰囲気と違和感を感じた。
「どうしたんですか」
広海も不思議そうに恭一を見る。
「どうもしないさ。見れば分かるだろう」
と恭一。カウンターの奥の椅子に腰掛けてCDの歌詞に目をやっている。薄暗い照明に、いつものコーヒーの香り。広海は店内を見渡すが、いつもより客が少ないことを除けば、特に変わった様子はない。
「どうした、初めての店に迷い込んだような顔をして。豆鉄砲を食らったハトみたいだぞ」
いたずらっぽく微笑んで、恭一がジョークを飛ばす。昭和世代の範子にはウケたようだ。
「ううん、そうじゃないけど」
からかわれた広海が否定する。
「これですよ、これ」
幹太が指差したのは、天井から吊り下げられた小ぶりなスピーカー。
「うちの、ボウズが何か?」
まだ、とぼけている恭一。もちろん、天井から男児がぶらさがっているわけではない。第一、恭一に子供はいない。スピーカーのメーカーにかけたダジャレだ。ウケないコントのように広海と幹太がズッコケる。一呼吸置いて、恭一が立ち上がった。
「花は咲けども」
「えっ」
「だから『花は咲けども』。君たちが知りたがってるこの曲だよ。さすがの団長も級長も知らないか」
団長というのは広海のことだ。2年の春から剣橋(つるぎはし)高校の応援団長を務めている。もうすぐ引退だが、今のところ「じゃまあいいか」でのバイトと両立している。
「『花は咲けども』、ですか。『花は咲く』なら知ってますけど」
「ミー、トゥ」
幹太が英語で同調する。ボーズ製のスピーカーから流れる歌は、幹太も広海も聴いたことがなかった。
「バーカ」
普段は、気心の知れた高校生に向かってもバカ呼ばわりすることのない恭一が、二人をからかう。かなり機嫌が良いのだろう。
「『花は咲く』なら、総理大臣の名前を知らない高校生だって知っている。NHKで何年も流れているチャリティー・ソングだもんな。知らない人が多いと思うけど、『花は咲けども』は、言ってみれば『花は咲く』のアンサーソング」
「アンサーソング?」
語尾を上げて聞き返したのは、広海だ。
「あのさ、優等生だか劣等生だか知らないけれど、一々オウム返しに訊いてくるなよ。アンサーソングっていうのは、既存の楽曲の内容に応える形で発表される楽曲のこと。最近のラップ・ミュージックでは、元歌をディス・リスペクト、つまりディスって作るケースが多いらしいけどな。ほら」
恭一はCDの歌詞カードを広海に手渡すと、5人分のコーヒーを淹れ始めた。小さな歌詞カードを覗き込む3人に、恭一は説明を続ける。
「言うまでもなく『花は咲く』は身内や知人を亡くしたり、自宅や職場を失ったりした被災者を励ますためのチャリティー・ソングだ。津波に流されて荒れ果てた郷土も、放射能で汚染されて住むことができなくなった住まいも、時間が経てばいつか“花が咲く”って内容の。趣旨に賛同した多くのタレントやスポーツ選手が歌う映像もたくさん流れたから、子供だって歌える」
「最近は、いろんなアニメの主人公たちが勢揃いしたヴァージョンも流れて、話題になってますよね。著作権の問題もあるから難しいんだって、“ゴリン”から聞いたことがあります」
“ゴリン”というのは、同級生の長野護倫のことだ。幹太には知らない主人公も多いが、年代も放送局も越えてよくコラボできたものだと感心していた。
「でも、震災直後から数多くのボランティアが、被災地に入っていち早く支援活動を続けたのとは対照的に、政府の被災地復興は遅々として進まない。政権が変わったことも原因のひとつだろう。個人や団体の支援と国の政策とでは規模が違うから、一緒くたにして責めるつもりはないけれど、5年も経つのにまだ仮設住宅で暮らさざるを得ない被災者も多いし、全国各地で家族離れ離れの避難生活を余儀なくされている人だって少なくない。特に原発の事故も重なってしまった福島では『花は咲く』の“神通力”も失せてきたんじゃないかな」
政府は震災の後、被災地に5年間で千本の苗木を植えたという。何の苗木を植えたのか分らないが、苗木の多くはすぐには花をつけない。植樹した苗が数十年後、立派に花をつける頃まで元気でいられない方も少なくないはず。しかも、『花は咲けども』の現状もある。だからこそ復興、復旧は急がなければならない。国は一体、どう考えているのか。
「『花は咲けども、春を喜ぶ人はなし。毒を吐き出す土の上、うらめしくやしと 花は散る』か。東日本大震災から5年が経って、春を迎えた荒れ果てた土地にも、草花は花を咲かせるようになったけれども、肝心の住民は戻れない。放射能漏れによる有害物質を除ききれない福島の土地では、せっかく咲いた花も人知れず枯れていく」
幹太は自身に言い聞かせるように、意味を噛み締めながら声に出して歌詞を読み上げた。
「言われてみれば、その通りですよね。被災者を元気づけるつもりで『花は咲く』を口ずさむ機会も少なくなかったけれど、改めて反論されると正直、自己嫌悪っていうか、返す言葉もないっていうか…」
範子も反省しなければと思いつつ、歌を聴いていた。
「オレなんかさ『花は咲く』を歌うことで、被災地や被災者を励ましていた気になっていたと思う。勘違いにもほどがあるよね」
幹太に限らず、思い当たる節がある人も多いのではないだろうか。
「どうやら聴いてもらった甲斐があったみたいだな。励ましの気持ちで『花は咲く』を歌うのは何も悪いことじゃないさ。ただ、当事者の側から5年の月日を感じることも忘れちゃいけないということだな、自分も含めて。ほい、キョーイチ」
恭一がコーヒーを注ぎ分け、それぞれの前へ。きょうはハワイのコナ・コーヒーだ。4人は香り立つコーヒーを一口。もちろんブラックで。慣れ親しんだいつもの“キョーイチ”のはずなのに、広海にはいつにも増してほろ苦く感じた。
「歌っているのは、山形県の影法師っていうフォークグループ。オッサン4人の編成で、うち2人は農業を営んでいるらしいよ。ホームページを見ると、決してプロにはならない叙事詩的アマチュア・フォークソング・グループだって。君たちが生まれる少し前、平成5年。西暦で言うと1993年。日本は天候不順のために平成の米騒動と言われる深刻な事態になった。緊急対策として、タイ米やカリフォルニア米を大量に輸入したんだけど不評でね。パラパラしている、粘り気がないって列島挙げて不味い、不味いの総スカンだった。その時、影法師は農家である自分たちとライバル関係にある輸入米の陰口ではなく、外米を批判する国内の世論を批判したのさ。作品の内容はどれも、魅力あふれるふるさと愛と、政府の農業政策をはじめとする筋の通らない政治に対する辛辣な批判が中心なんだ。けど、ギターとマンドリンの軽妙でほのぼのしたメロディーが辛口な歌詞を聴きやすくしているのかもしれない。今の政治に疑問を持って勉強している君たちにはピッタリじゃないか。しかも40年も前から活動している筋金入りと来ている。一度、路上ライブでコピーしてみたらどうだ」
幹太がスマホで『影法師』を検索してみた。
「えっ、『戦争やんだ!』だって・・・」
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