第2話 (2年前)

 あれは、私が夫と結婚する前、息子が産まれる2年前のことだった。


 その頃の私は、付き合って4年が経つ彼との将来について、つまりは彼との結婚について、真剣に考える時間が増えていた。自分の今後の人生について想像すると、彼が横に寄り添ってくれている様を容易に想像できたし、ずっと横にいてほしい、という強い気持ちがあった。日々、その気持ちは膨らんでいき、彼は私の横にいてくれるはずだ、と最早確固たる自信のようなものを、勝手に持ち始めてもいた。

 ある時、その気持ちを抑えきれなくなり、彼といつもの店で飲んでいるとき、それとなく私たちの将来について話を振ってみたのだ。

 彼の返答はもうはっきりとは覚えていないが、当時の私が期待していたような返事とは程遠いものだったのは間違いない。まだ彼が何も具体的にイメージできていないことを知り、当時の私はひどく自分勝手に大きなショックを受けた。

 ジョッキに残っていたビールを一息に飲み干すと、テーブルにやや手荒に置いて、帰る、と一言告げ、ぽかんとする彼を一人残して私は店を出た。


 ショックやら恥ずかしさやらアルコールやらでぐるぐるする頭を抱えて一人アパートへ向かって歩いていると、途中の寂れた商店街で声を掛けられた。

「こんばんは、お姉さん。良かったら話聞くよ」

 すわナンパか変質者か、と身構えたが、見ると、小さな机一つとそれを挟んで向かい合う形で置かれたイスが2つ、その片方に座っていた人間の声だった。どうやら必要最低限のスペースを使った占いの店らしい、ということがなんとなく察せられた。

 私に声をかけた占い師らしき人物は、髪は肩までの長さがあるが化粧っけがなく、髪を伸ばした男性にも見えるが、声は少し低めの女性のようにも聞こえる、ようは性別がよく分からない人だった。

 占い師はニコニコしながら自分の前に置かれたイスを手で示し、どーぞと勧めた。

 分かりやすく怪しいやつだと思ったが、今すぐさっき彼との間にあったことを、この気持ちを、誰かにぶつけて聞かせたいと思っていた私は、少し悩んだものの、勧められるままに席に着いた。

「お姉さん、さっきものすごい顔して歩いてたけど、何かあったの?」

 占い師が、私が聞いてほしいことをさっそく聞いたものだから、待ってましたとばかりに先程あったことを矢継ぎ早に話して聞かせた。お酒が入っていたこともあってか、一度話し出すと堰を切ったように止まらなかった。どうせ行きずりの人だ、と思うと口も軽くなる。気づくと彼との出会いから好きなところまで、全てぶちまけていた。占い師は適切なタイミングで適度な相槌やリアクションをとり、私に共感してくれた。その絶妙な合いの手が、私の舌の動きをさらに滑らかにさせた。"彼"ではなく"彼女"だとすると、まるで女子会だ。


 一通り喋って少し気持ちが落ち着くと、ふう、と息をつき、礼を言った。

「いえいえ、これが仕事ですから。で、どーする?」

 占い師がニコニコと細めていた目を開いて、私の目をじっと見て聞く。

「何か占う?」

 気持ちは落ち着いてきてはいたが、こんなに話を聞いてもらっておいて何も占ってもらわないのは申し訳ない、という気持ちと、まだこの占い師と話していたいという気持ちから、私は、お願いします、と頷いた。

 机の上には布がかけられているだけで道具も何も出されていなかったので、どうやって占うのかと思っていたら、占い師は机の中から紙と鉛筆を取り出し、私の名前、生年月日、出身地、好きなもの、嫌いなもの、寝相の良し悪し、よくみる夢、それから両親や彼の名前と生年月日等、ありとあらゆることを私に質問しては答えたことを書き留めていった。どうやらこれらの情報から占うらしい。

「りょーかい。じゃあまずは君と彼の未来を占うね」

 そういうと占い師は、メモした紙の余白を使って何か数字を書き付けて計算したり、指折り何かを数えたり、腕を組み何かを考え込んだりしていた。

 しばらく顎に手をあて、ふむふむと何か呟いていたかと思うと、パッと顔を上げて言った。

「安心して。君と彼は結婚するよ。それも近いうちにね」

 一瞬呆けてしまってから、段々と顔がにやけていくのを感じ、私は顔を俯かせながら、ありがとうございます、と礼を述べた。占い師が、良かったねーと私の肩をポンポンと叩いた。どんどん顔が熱くなるのを感じた。


 それから占い師は、様々な私の未来を教えてくれた。彼との間に子どもを授かること。子どもは二人以上産まれ、その中には男の子が一人は含まれていること。子ども達は私が生きている間は大きな病気もせずに元気に育つこと。ただし子どもの内1人の反抗期がそれなりに激しいこと。この頃に旦那の仕事の風向きも変わってきて家庭内が大変になってくるので、家族全員でしっかりと支えあうこと。もし難しいようなら、短距離でも良いので北東へと引っ越すと良いこと。私の親が心臓を悪くするので、気をつけること。また、その後は私自身の病気にも注意すること。平凡だが平和な人生を歩むこと。


 一体私が伝えた情報だけでどうやって導いたのかと思うほど、占い師の口からは詳しく私の人生が語られた。私はそれを夢中で聞いた。自分の人生の行く末を聞くのは怖くはなく、むしろとても興味深かった。


 一通り私の未来について語り終えると、占い師は言った。

「今言ったことが外れても怒らないでね。さて、殆ど伝え終わったと思うけど、他に聞きたいことはある?」

 最初の一言は占い師としてどうなんだろうか、と思いつつ、占い師の口から淀みなく語られた私の未来に、すっかり興奮した私は、言った。

 私の人生の最期について教えてほしいと。

 占い師は驚いた様子だったので、私は、怖くはない、と告げた。むしろ教えてほしいのだ。別に、いつ、どこで、どのように、私の人生が終わるのかを聞いて、その予言を回避しようと思っている訳ではない。ただ、それまでの間に人生を思い切り生きようと思っているだけだ。そう告げた。

「……まあそれなら良いけど。珍しい人だねえ、君は。何を聞いても後悔しないでよ」

 占い師はそう言うと、再び鉛筆を持つのかと思いきや、いきなり両手で私の両手を包み込み、私の目をじっとのぞき込み、動かないで、と小さく告げた。私はその雰囲気に緊張し、思わず体を固くした。

 占い師の目を見つめ返す。瞳に私が映っている。少し怯えているように見えた。


 少しして、占い師が、うん、分かった、と呟いて私の手を離し、目を覗き込むために前に乗り出していた体を戻した。

 そして、ゆっくりと口を開いた。


「あなたは息子に殺される」



     *     *     *     *     *



 気づくと、私は自分のアパートの前に立っていた。

 記憶が飛んでいる訳ではないが、驚きのあまりずっとボーっとしていたのかもしれない。占い師の元を立ちさり、ここまで歩いてきた記憶はうっすらとあった。

 よく考えると、お金を払った記憶がなかったので、今度またあの占い師に会いに行ってみよう、と考えた。同じ時間同じ場所に行けば会えるだろうか。

 そんなことをぼんやりと考えながら階段を上がり、自分の部屋のある階へ上がると、廊下の先、私の部屋の前に人が立っていることに気がついた。数時間前に一方的に店に置いてきた彼だった。

 彼は私に気づくと、ひどくほっとした顔をした。そして私の所まで歩いてくると、私を抱きしめた。そのまま、彼は話し出した。

 私がさっさと店を出て行ってしまい、慌てて後を追ったが姿を見つけられず、部屋に戻ってきているかとここまで赴いたが、私がいないので、周辺を探し回った。店と私の部屋の間を様々なルートで何往復も探したが見つけられなかった。ショックのあまり遠くに行ってしまったのか、思いつめた行動をとっていないか、とてもとても心配した。

 そうして、少し体を離して、私の顔を見て、彼は言った。

 さっき、つれない返事をしてしまったことを謝りたい。実は最近、自分と君との将来についてよく考えていて、いつ、どこで、どんな状況で、君にこの気持ちを伝えようかとずっと悩んでいた。そんな折、君にその話題を振られて慌ててしまい、思わず何も考えていないかのような返事をしてしまった。君にサプライズでプロポーズをしたいと思っていたから、とっさに、バレてはいけない、と思って嘘をついてしまった。許してほしい。そして、出来ればこれから、二人の将来について一緒に話し合ってほしい。

 気づくと私は泣いていた。泣きながら何度も頷いた。彼が私と同じ気持ちでいてくれて、心の底から嬉しかった。私たちはもう一度抱きしめあった。私は何度もしゃくりあげる。

 抱きしめあったまま、私はあの占い師に、心の中で告げた。早速あなたの占いが当たったよ。でも、あなたの言う「近いうち」がこんなにすぐだとは思わなかった、と。



     *     *     *     *     *



 その数か月後、私と彼は籍を入れた。彼はしばらくの間、サプライズプロポーズを成功させたかったと残念がっていたが、私はその度に、そんなのはいらないと彼に笑って告げた。あのプロポーズを、私はとても気に入っていると。


 あの占い師に結婚の報告をしようと思ったが、様々な時間に何度あの場所を訪ねても、会えることはなかった。彼には何となく占いの話はしないまま、やがて占い師との再会は諦めた。


 それにしても、私にはいまだに不思議に思うことがある。

 私が占ってもらっていたあの商店街は、彼を置いて行ったあの店と私のアパートをつなぐ、もっともメインのルートにあたる。彼は私を探すために何度もあそこを通ったそうだが、私の姿は見つけられなかったという。

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