6.悪夢

 何だろう、とても気持ちがいい。

 少しして、それが誰かの手だと気づく。そっと、優しく、髪を梳くように撫でられている。

 誰だろう…? 親父……?

 目を開けて確認したいのに、瞼がひどく重く、それさえも億劫おっくうだ。

「う…」

「大丈夫だ、怖くない。親父さんも俺も、そばにいるよ」

「ん…」

 そうか、親父がそばにいるのか。

 だったら良かった。

 安心したら、また意識が沈んでいく。


 ☆ ★ ☆ ★


「おはよう、目が覚めた?」

 どれくらい経ったのか。目が覚めて辺りを見回した時、窓からはカーテン越しに明るい光が差していた。

「おはよう…」

「うん、おはよう」

 挨拶してくれたのは、森で犬のそばにいた彼だった。

 こげ茶色の髪と瞳。やはりとても大きいけれど、声も目も、とても優しい。

 思わずほっと息を吐く俺に、彼は微笑みながら、そっと腕を伸ばす。

 何だろう、と一瞬身構えたが、彼の大きな掌は俺の額に触れた。

「うん、熱も下がったね。良かった」

「え…熱…?」

 滅多に発熱なんてしないのに。


「随分とストレスを受けていたみたいだからね。四十度近くあって心配したけど、一日で下がって良かった。薬が効いたのかな」

 四十度と聞いて驚いたが、薬なんて飲んだ覚えがない。

 そう言えば、手首から管が繋がっている。点滴を受けていたのか。きっと薬もその中に入っていたのだろう。

「君のお父さん、カエデさん、彼は君よりも重症だったんだ。まだ意識も戻っていないけど、運び込まれた時よりもかなり良くなってるそうだ」

「そうですか…」

 意識が戻っていないのは心配だが、良くなっているなら少しは気が楽だ。

「お父さんの事は心配だろうけど、まずは君が元気にならないとね。お粥を食べてみるかい?」

「あ、お願いします…」

 ぺこりと頭を下げると、彼はホッとしたような表情で微笑み、「すぐに持ってくるよ」と部屋を出て行く。


 一人になった途端ぼうっとして、よく親父に作っていた、卵とネギのお粥を思い出した。食欲がない時も、あれを出すと親父は大喜びだった。

「親父…」

 すぐに様子を見に行きたくなって、上半身を起こした。いつもより体が重いのは、熱があったせいだろう。布団から抜け出そうとして、親父がどこの病室にいるのか知らない事に気がついた。

「お、食欲あるみたいだね!」

 茶髪の彼が、お盆を手に戻ってきてそう言った。俺が起き上がっているのを見て、食べる気満々だと勘違いしたらしい。


「あの、食事が終わったら親父のところに行けますか?」

「もちろん。でもその前に、食べたらひと眠りした方がいいよ。お医者さんも、そう仰っていたからね」

「でも俺…」

「さっきも言っただろ? まずは君が元気にならなきゃ。今は薬で熱も下がっているけど、無理をしたらまた高くなるかもしれないし」

 何だか親父と会わないように仕向けられているような気もしたが、しかし彼の言う事は確かにそうでもあるので、俺はとりあえず頷いた。

 ここは言う事を聞いておいて、もしもまた会う事を先延ばしにされたら、その時に親父を探しに行こう。

 そこまで考えて、ふっと不吉な予感が脳裏をよぎる。


「――親父は、生きているんですよね?」

「生きてるよ」

「でも、意識は戻っていない」

「そうだ」

「では、一体何をもって良くなっていると言えるんですか?」

「呼びかけに若干の反応があるんだ。意識までは戻っていないけど、体は反応している。だから意識が戻るのもそう遠くないだろうと聞いてるよ」

「本当ですね?」

「もちろんだよ」

「分かりました。それなら、食事をしてひと眠りしたら、親父に会わせてもらえますよね?」

「うん、もちろん」

 彼はすぐさまそう返事をしたが、その表情が微かに曇ったのを、俺は見逃さなかった。


「今、嘘をつきませんでしたか?」

「えっ、どうして?!」

 驚いているところを見ると、どうやら図星のようだ。

「親父は生きているけど、会わせてはもらえない。違いますか?」

「そ、それはっ……」

 彼が言葉に詰まった時、コンコンとドアをノックする音が響き、オリーヴァが入ってきた。

「ハラン、目が覚めて良かった。体調はどうだ?」

 微笑みかけられ、俺は多少毒気が抜けて息をついた。茶髪の彼は、あからさまにホッとしている。分かりやすい人だ。

「体がいつもより重いですが、もう起きれます」

 茶髪の彼よりも上司であるオリーヴァに話をつけるべきだと判断し、俺はそう言った。


「そうか、それは良かった。ジェームズ、突っ立ってないでハランがお粥を食べられるように用意しろ」

「あっ、すみません!」

 彼はそう言って手にしたお盆をいったんサイドテーブルに置き、ベッド用のテーブルを移動させてセットした。その上にお盆を置き、ニッコリと微笑みかけてくる。

「ジェームズって、犬と同じ名前ですか?」

「あ、気づいたんだ? 実はそうなんだ。たまたまだけどね」

 ハハハ、と笑い声を上げるが、多少大袈裟で、オリーヴァが眉をひそめる。

「どうしたジェームズ。何を動揺している?」

「ど、動揺なんてしてませんよ先輩! やだなぁ」

「やっぱり動揺しているな。ハラン、何かあったのか?」

「え、そこで俺じゃなくてハラン君に訊いちゃいます?」

「お前はどうせはぐらかすだろう」

 オリーヴァはぴしゃりと言って、俺の顔をじっと見つめる。


「親父に会わせてもらえない理由は何ですか?」

 俺の問いに、オリーヴァは驚いた顔をした。それからジェームズの方を向き、「まだ話すなと言っただろう」と厳しい声を出す。

「えっと…」

「すみません、俺が問い詰めたんです。彼を叱らないでやって下さい」

 俺の言葉に、オリーヴァとジェームズが同時にこちらを向き、まじまじと見つめてきた。

「ハランお前、いくつだ?」

「十六です」

「十六……」

 二人同時に呟いて、何やら考えている表情を浮かべる。


「俺、すごく子どもだと思われていましたか?」

「すごく……ではないが、十歳くらいだと体格から判断した。それにしてはしっかりした子だと思ったが…十六か」

「髪の色も黒いし、あの森にいた。やっぱりこれは、どうしても報告がいきますね」

「……そうだな」

 二人の表情が暗く沈むが、俺は訳が分からない。

「あの、何か問題でもあるんですか?」

「その話は、お粥を食べてからにしないか?」

「話を聞かない限り、何も食いません」

「じゃあこうしよう。ハランが粥を食い始めたら、俺も話をする。どうだ?」

「分かりました。いただきます」

 合掌してスプーンを取り、お粥を掬う。粥と言うより重湯だ。


 口にしたそれは、塩気がかなり薄く感じられた。親父だったら文句を言って食べなさそうだ。

「これ、病人用に塩薄くしてあります?」

「ああ、そうかもしれないな。不味いか?」

「そうではないですけど、俺の味覚がおかしいのか、元々味が薄いのか、どっちだろうと思って」

「さあ、分からないが我慢して食ってくれ。完食できたら次からはスープも出るそうだ」

「そうですか」

 相槌を打って二口目を食べるが、二人は黙って俺を見ている。

「話してくれないんですか?」

「もちろん話す。やれやれ…」

 オリーヴァは俺の隣に丸椅子を持ってきて腰を下ろした。ジェームズは少し離れて心配そうな表情を浮かべている。そんなに話しづらい内容なのだろうか。


「ハラン、落ち着いて聞いてくれ」

「はい、どうぞ」

「………親父さんの意識が戻っていないというのは嘘だ」

「……は?」

 俺は重湯を掬ったまま動きを止めた。

「親父さんは……一度目を覚ました。ここに運び込まれた時、寝台に二人並んで寝かされたが、君はずっと彼の手を握っていた。それで――彼は一度、目を覚ましたんだ」

「……それで?」

 だったらどうして、嘘をついたのか。疑問はあるが、先を促す。

「それで…彼はじっと君を見ていた。俺達に気づくと、驚いたような顔をして、『こいつだけは助けてくれ』と懇願した。『俺はどこに売られてもいい、だがこいつだけは見逃してくれ』と」

「く……」

 聞いているジェームズが苦しそうな声を出す。一体何があったと言うんだ。


「彼は混乱していた。俺達は人買いではないと説明したが、そこへ医者がやって来た。……ここは国の経営する秘密病院で、一般の患者が来る事はない。医者も、国から直接雇われている形だ。だから決して、上からの命令に背く事はできない。それがどんなに、受け入れがたい事だったとしても」

「まさか……」

 先程の、嫌な感覚を思い出す。心臓がドクリとして、背中を冷汗が伝う。

「違う!命を奪われる事はない。むしろ、必ず助けようとするはずだ!」

 俺が何を考えているのか察したらしいジェームズが、叫ぶようにそう言った。今にも泣きそうな表情で、命は助けてもらえたとしても、相応の代償があると目の前に突き付けられたような感覚に陥る。

「ジェームズ、落ち着け。お前が取り乱してどうする!」

「す、すみませんっ」

「……いいですよ、話して下さい。殺されるよりはマシでしょう」

「ハランお前…」

 オリーヴァは悲しそうな苦しそうな表情を浮かべ、一度目を閉じた。話すのにも覚悟がいるような事なのか。俺も覚悟するべきなのだと悟り、同じように目を閉じる。


「――この国にも近隣の国にも、髪と目が黒い人種はいない。それどころか、現時点で確認できている国のどこにも、そんな人間はいないんだ。だからカエデは――」

「……そういう事か…」

 俺は目を開けて、オリーヴァを見た。

「親父は……自ら受け入れたんだな」

「うっ…」

 ジェームズが嗚咽を漏らしそうになり、慌てて手で口を覆うのが見えた。

「モルモットになる事を、受け入れたんだな」

「そ、そんな言い方!」

「やめろジェームズ!」

「だって、辛すぎますよ!ハラン君っ、そんな言い方するなよ!自分でそんな言い方して、ますます辛くなるじゃないかっ!」


「だったら、黙ってれば辛くないとでも?! ふざけんな、俺はここがどこかだって知らねぇんだよ! それをいきなり、『珍しい人種だから』って理由で引き離されて、もう二度と会えないだと?! それならいっそ、俺を連れてけよ! 人体実験でも何でも、俺ですればいいだろうが! 親父は病気なんだぞ!」

「ハラン!」

「親父は言ってた、もう先が長くないかもしれないって! だから借金取りからも一人で逃げろって、だけど俺にはそんな事できなかった! あの人がいなかったら、俺はいなかった! 必死で背負って逃げて来たんだ、助けてくれるって約束したのに、もう二度と会えないとかふざけんな!」

「ハラン!」

「親父に会わせろ!モルモットなんて絶対に――」

「ハラン、ハラン!」

 ガクガクと体を揺すられ、俺はすーっと意識が遠のいた。



「ハラン、どうした?! ジェームズ、医者を呼んで来い!」

 オリーヴァの取り乱した声や、はいっ!と大慌てて飛び出して行く物音がして、俺は混乱した。

「ハラン、どうした?! 親父さんならここにいるぞ!」

「えっ!」

 親父がそこにいる?!

 俺の意識は一気に覚醒し、気がつくと跳ねるように起きていた。

「ハラン!」

「親父! うっ……」

 慌てて親父のところへ駆けつけようとして、頭がクラリと揺れた。なんとなく胸も苦しいような気がする。


「ハラン、ゆっくり息をするんだ。落ち着いて…」

 オリーヴァが優しく抱きしめ、あやすようにゆっくりと背中をさすってくれる。温かい手にホッとして、俺はゆっくりと息を吸い、またゆっくりと吐き出した。

「大丈夫か…?」

 見上げると、心配そうなオリーヴァの、綺麗なオリーブグリーンの瞳とぶつかった。彼に安心してほしくて、俺は小さく頷いて見せる。

「怖い夢を見たのか…? だいぶうなされていた」

「夢……か。そっか、良かった…。すごく怖かったんだ」


 突然、親父と引き離されたのだ。今までに経験した事がないくらい、怖かった。親父を背負って逃げていた時を暗いトンネルの中とすれば、その先に出口があると信じていたのに壁に突き当たり、帰り道も塞がれて一生暗闇の中をさまよわなければならない、そんな事実を目前に突き付けられたかのように、絶望的で、恐怖だった。

 オリーヴァの、頭を撫でてくれる手がとても優しくて、泣くつもりなんてないのにポロリと涙が零れてしまう。人前で涙を見せるなんて恥ずかしいはずなのに、オリーヴァの前で格好つけても仕方ない気がして、俺は泣いている事を隠しもせずに涙をすすった。


「よしよし、怖かったな。もう大丈夫だ。俺もジェームズもついてるし、親父さんもいる。ほら、そこに」

 オリーヴァはそう言って抱きしめていた腕を解くと、親父の方を向いた。俺も視線を移し、いくらか顔色の良くなった親父の寝顔に、ホッと安堵する。寝台は二つ並んでいて、そう遠くない距離に安心して、またじんわりと涙が出てきてしまう。

「夢で、親父と引き離されたんだ……」

「そうか……」

「俺達、ここでは珍しい人種なの…? それでモルモットにするって言われてっ……」

「……そうか、そんな夢を……」

「すごくリアルだった。まるで本当に言われたみたいだったっ…」

 そこでふと、不安になった。どこからが夢だった?

 ハッとしてベッドの上を見るが、先程セットしたはずのテーブルがない。意識が朦朧としたのは一瞬だったように思ったのに、あの時点ですでに夢だったのか……?


「先輩、先生を呼んで来ました!」

 ジェームズが駆け込んで来て、その後に医師が続く。

「落ち着いたようですね」

 医師もやはり背が高かった。年齢はいくつぐらいなのかよく分からないが、オリーヴァと似たり寄ったりに見える。

「悪夢にうなされたんだね?」

「はい…」

「とれもリアルだった?」

「そうです」

 俺が頷くと、医師は手元のカルテに忙しくデータを書き込んだ。


「薬の副作用ですね。体格に合わせて量は減らしましたが、体質に合わなかったのかもしれません。そういった場合、実にリアルな、現実のような悪夢を見る確率が高いと、学会で報告されています」

「薬の副作用で…」

「高熱の場合に使う薬です。もう熱は下がったようだし、ちょうどそろそろ交換ですね。通常の点滴に切り替えましょう」

 医師は残り少ない点滴のパックを確認すると、後から入って来た看護師の顔をチラリと見た。看護師は小さく頷き、点滴を新しいものに交換する。


「体調はどう?熱が高かったから良くないとは思うけど、今どんな感じ?」

「体が重いです」

「頭がぼうっとするとか、記憶に曖昧なところがあるとか、そういう事は?」

「頭は多少ぼうっとしてますけど、記憶がないとか、そういうのはないと思います。ただ、あまりにリアルな夢だったのでちょっと混乱気味ではあるかと」

「それは、時間が経てば落ち着いていくから大丈夫。今もこうして話せているし心配ないと思うけど、何かあったらまた教えて下さい。それから、今日はまだ点滴だけで、食事は我慢してもらうからね」

「お粥は食べないんですか?」

 先程の記憶は副作用による夢だったと聞かされてもなんだかまだしっくり来なくて、俺はそう聞いてみた。

「そうだね、明日になって調子が良かったら、お粥と野菜のスープを出そうか」

 医師の返答に、どんなにリアルに思えてもやはりあれは夢だったのだと、俺はとりあえず納得する事にした。デジャヴのようにそっくりそのまま同じ出来事が繰り返し起きたら不安にもなるが、そうではなかったからだ。


「分かりました。ところで、親父はどうですか」

 隣のベッドで眠っている親父の事を尋ねると、医師は「大丈夫、経過は悪くないよ」とニッコリ笑って見せた。

「悪くない、って事は良くもないんですか」

「まだハッキリした事は分からないが、君のお父さんはどうやら病気があるみたいなんだ」

「やっぱり…。腫瘍か何かでしょうか」

「触診してみた感じでは、腫瘍ではないようだ。君達は我々とは血液型が違うから、すぐに血液検査を進める事ができない。幸い、異人種の異なる血液でも検査できる方法が見つかっているから、検査自体はできるが、いつもより時間がかかってしまうんだ」

「成程、そうですか。分かりました」

「脈も安定しているし、顔色もだいぶ回復した。そのうち目が覚めるはずだ。そしたら、本人の自覚症状も聞きながら病気を絞り込めるはずだ」

「はい…」


 ここがどこかは知らないが、どうやら日本でもなければ外国でもないらしいここの人達と、俺達のかかる病気が必ずしも一致するとは限らない。ここにはない病気にかかっている確率も、ゼロではないだろう。

 そんな不安が表情に出ていたのか、医師がぽんっと俺の頭に軽く手を載せた。

「大丈夫だよ、できる限りの事をするからね。あまり心配しないで、まずは君が元気にならないと」

 これはさっきも言われた言葉だよなと思いつつ、分かったと答える代わりに医師と視線を合わせた。優しく笑うそのダークグリーンの瞳の奥に嘘が隠れているようには思えず、とりあえずホッとする。


「ところで、君は年いくつ?」

「十六です」

「うん、やっぱりそれくらいだったか。どうやら体格の小さい人種みたいだから、そこまで幼くはないと思っていた」

「ここでこれくらいの体格だと、十歳児くらいなんでしょ?」

「そうだね。今日はゆっくり休んで、明日になったら食事をして、いくつか質問にも答えてもらう事になるよ。お父さんの治療の為にも必要だからね。いい?」

「はい、大丈夫です」

「うん、じゃあ今日はこれでおしまい。刑事さんがついててくれるから、何かあったら話すといいよ」

「はい、ありがとうございます」

 ペコリと頭を下げると、「礼儀正しい子だなぁ」と感心された。

「これが普通ですけど…」

「そうなのかい?じゃあ、また明日」

 医師はニコニコと明るい笑顔で出て行った。


「随分と明るいお医者さんでしたね」

 オリーヴァにそう言うと、「あまり偏屈だと国立病院には勤められないからな」と苦笑される。

「国立病院…」

「まぁ、少なくともいきなり親父さんと引き離されて変な施設に連れて行かれたりはしないから安心しろ」

「ふーん、でもデータとして必要な血液採取ぐらいはあるって事ですよね。唾液とかも取られるんですか?」

「唾液はどうだったか……」

「もしかして尿検査とかも?」

「分からない。俺達も慣れてる訳じゃないからな。そういう事は全部医者がするだろう?」

「そうですね。質問攻めにしてすみませんでした」

「いや……こちらとしては、説明する手間が省けたようだ。ハランがしっかり者のおかげで」

 どこか憮然としたようなオリーヴァの言葉に、俺は小さく吹き出してしまったのだった。


 ☆ ★ ☆ ★


「ノクチャ先生、どうでしたか」

 珍しい黒髪の親子の病室を出たノクチャは、静かな廊下の角で待ち構えるように立っていた若い医師に声をかけられた。

「息子の方は問題ない。父親は体力が低下し肝臓も弱っているようだが、あの薬が体に合いさえすれば回復するだろう」

「ええ、あの薬は万能薬ですからね。体質に合わないと拒否反応を起こすのが玉に瑕ですが、合いさえすれば多くの病気を治す事ができる。点滴に少しずつ混ぜて、合うかどうかを調べましょう」

「その予定だ」

「珍しい黒髪の親子、僕も早く会いたいなぁ。黒い髪と瞳なんて、見た事ありませんからね。それに、大人でも小学生みたいに小さいんですって?」


 目の前に大好きなおもちゃをぽんっと置かれた幼い子どものように瞳をきらめかせる若い医師に、ノクチャは軽く咳払いをした。

「今のところ担当医師以外は会う事を禁止されている。要するに、私だ。のぞき見しようなどとは考えないように」

「分かってますよ。だからこうして先生にお話を伺ってるんじゃないですか」

「こんな所で待ち伏せしていられる程、君は暇なのか?」

「暇ではありませんよ。ここへは無理矢理時間を作って来たんです。ではごきげんよう、ノクチャ先生」

 若い医師は慌てて両手を白衣のポケットに突っ込み、せかせかと歩いて曲がり角に消えた。


「興味深いのは分かるが、モルモットにされるのは防がなければ。あんなに素直な子が、気の毒だ」

 ノクチャの溜息は、静かに廊下の奥へと吸い込まれていった。


   -葉蘭万丈! 第一部 終わり-


 こんにちは、縞衣といいます。

 ここまでお読みくださいまして、ありがとうございました!

 第一部はここで終了となります。

 ブログに掲載しましたクリスマス特別短編を載せますので、こちらもぜひお楽しみ下さい。

 本編の前年のクリスマス風景を描いております。


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