第30話

 アークは目を覚ました、が、体が動かない。最初は疲労によるものかと考えたが、どうにも感覚がおかしい。さも、床に縫い付けられているような。


「きゅうじゅごー、きゅうじゅろーく、きゅうじゅしーち」


 秒数を数えるにしてはあまりにも緩慢なカウントが聴覚を揺さぶった。

 ……人が死ぬ時に最後まで残る感覚は聴覚だという。


「うおああああっ!? 」


 アークは叫んだ。シンキの言葉に対して魂から咆哮したあの瞬間を越える程に。死の実感は例え吸血鬼であろうと克服出来ぬ恐怖であった。


「きゃあっ、やめてよびっくりするじゃない。あーもう、あとちょっとで100本だったのに」


 全身全霊で立ち上がったアークの全身は無数の剣に貫かれている。刺された位置に対応するように床にも大量の穴が空いていた。おぞましいことにリドルはアークの体に何本剣を刺せるか遊んでいたのである。


「よりにもよってお前の部屋で寝てしまっていたのか……!くそ、こんなになるまで気付かない私も私だな!」


 ズルズルザクザクグチャグチャとスプラッタな音を立てながら自分の体から剣を引き抜くアーク。床に血塗れの剣が落ちていき、アークの美しい銀髪が赤黒く染められていく光景は、セーラなどが見ればトラウマになるに違いない。


「おはようございますリドル様、お食事の用意が……ヒッ!」


 実際にトラウマになるようだった。セーラの瞳は大きく見開かれ、焦点が合わなくなる。血みどろの怪物が手に剣を持っている、というような断片的な情報しか入ってこない。全身から血の気が引いていく。気絶しなかったのは気丈だと褒めるべきか、災難だと哀れむべきか。目尻には涙が溜まり、全身は恐怖に硬直して動かなくなる。息が止まる、体の震えを止めようとして変に息を吸ってしまい、上ずった音が喉から漏れる。


「いや、いや、死にたくない、助けてご主人様……」


 そうなってしまった人間は最早尊厳など捨てて命乞いをするしかない。死にたくない、というフレーズが頭の中で閃光のように弾けては消える。逃げ出したいのに、目前の得体の知れない生き物に背を向けるという行為が出来ない。目を逸らしたいのに逸らせない。一挙一動を観察していなければ、恐怖は更に高まっていく。

 この化け物が動けば自分は死ぬ。死ぬ?どうして。何も悪いことはしていないのに。今日のような暖かい日差しに包まれた朝が明日もやってくると思っていたのに。こんな、天災のような出来事で、自分の短い人生は終わってしまうのか。


「いやぁ……!」


 最後に口から出たのは、何の救いにもなりはしない拒絶の言葉だった。


「おい待て落ち着けセーラ、私だ、アークだ。何も怖がることはない」


 目前の怪物が自分の知った声で話しかけてくる。その事実はセーラを更に混乱に陥れる。死を目前にして、肺が目一杯の空気を吐き出した。


「いやあああああああああああッ!!! 」


鼓膜をつんざかんばかりのその声を聞いて、1人の少女が半狂乱で駆けてくる。


「セーラあああああああッ!!?? 」


「ええい事態がややこしくなったな!? 」


 無論やってきたのはカールである。彼女は既に錬金術の行使準備を完了しており、一体どんな悪趣味なモノを錬成するか考えるだけでアークの背筋が凍った。カールが本気になればこの町全域を覆う硫酸の雨を降らすことすら可能だ。対象を1人に絞るなら、宿主のエネルギーを抵抗する間も無く食らいつくし成長と分裂を繰り返す細菌などもある。何にしろ多大な被害を及ぼすことに変わりは無い。早急に止める必要があった。


「ええい、何故こんなことに……! 」


 アークは人形を取り出す。泣いているセーラは後で宥めるとして、錬金術の発動だけはなんとしても阻止しなければならない。

 カールの目前に出現したのはピエロを模した小さな人形である。それがなんと小爆発を起こし、カールの錬金術を不発にさせた。


「こんな馬鹿馬鹿しいことに数体しかいない上に再生産に死ぬ程苦労する使い捨ての魔術行使阻害人形を使うハメになろうとはな! 」


 最早アークも半分ヤケである。発動寸前の魔術を妨害されたカールは反動で目を回し、セーラは未だに歯を鳴らして震えていた。


「朝から忙しいわねアーク、ちょっと落ち着いたら?」


「元を辿れば半分以上はお前が悪いと思うがな」


 リドルは覚えが無いとでも言いたげに首を傾げていた。

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