紙飛行機に乗せる世界

まるめぐ

第1話

「ねえ、雨の本当にホントの最初の一滴ってどこに落ちてくるのかな?」


 曇天の下、学校の屋上で、先輩は両手を広げて無邪気にくるくると回った。

 シャンプーのCMみたいな綺麗な長い黒髪がふわりと靡く。


「いつも雨雲を見ると思うんだ。その初めの一滴がこうやって伸ばした掌に落ちてきたら、それはもう奇跡だよねって」


 開いていた手を握り込んで、まるでその一滴が魔法の種とかアイテムみたいな言い方で微笑む。

 俺にはわからなかったが、もしかしたら雨雲からその手の中に何かが落ちてきたのかもしれない。


「それってきっと初恋も似てるよね」


 俺の方に手を差し出す先輩。


「自分に初めて落ちてきた、恋の奇跡の一滴ひとしずく……なんちゃって?」


 今屋上には俺たちしかいない。


 清楚に色づいた唇をにんまりとさせ得意気な彼女。

 日が射しているわけでもないのに目を細める俺。

 何かを催促するように先輩は突き出した掌を揺らした。

 俺は無言で自分の腕を恭しく持ち上げ、至宝を献上する臣下のようにその手にそっと手を重ねた。


「見てて、世界を変えるから」

「はい、先輩」


 手繋ぎなんかじゃない。

 掌と掌の間には、まるで俺たちを隔てるみたいに紙飛行機が挟み込まれている。

 折り紙で折ったごくごく普通の何の変哲もない紙飛行機が。

 けれどそれは先輩のためのたった一つの変革アイテム。

 俺はただ何も言わず彼女を見据えた。

 彼女がその紙飛行機を飛ばしたら……。


 ――ああ、これできっと彼女の世界は終わる。


 そして俺はそれを望んでいる。






 高校一年。初夏。


 桜はとうに散って葉桜と新緑の季節。

 そんな生命に溢れる空気の中、俺は今日もわけもなく辛気臭い顔で教室に入る。

 互いに気付いて挨拶する友達は数人。

 高校からの付き合いで各自部活もバラバラ、まだ余り交友の深い友人たちじゃない。

 けれどまあ一緒にいて楽しいからこの先も付き合っていくんだろう。


 名字が円田えんだなので幸運にも席が窓際最後尾だった俺は、その日の古典の授業を頬杖をついて何となく聞き流しながら、窓外と板書とノートへ視線を往復させていた。

 空は快晴。

 まだ真夏ほどには濃い印象はなく、清々しいきれいな水色。


 一年生は全クラス校舎四階に教室がある。

 二年三年と学年を上がるにつれ階は下がる。

 教室までの労力は掛かるが、眺めのいい四階を存分に味わえる一年間は特別なのかもしれなかった。

 校舎は縦棒が長い「コ」の字型をしている。

 その縦棒の一画に位置する俺の教室からは、見事に中庭とその先の広い校庭、そして街並みが見える。もちろん全ての上には青空が。


 そんな中、外を見やっていた俺はどこからともなくやってきた白い紙飛行機が、ひらりひらりと風に流される様を見つけた。


 何気なく目で追っていると、それは校庭に程近い中庭端の植え込みに落ちた。

 クラスの誰も気付いていないようだった。

 どうせ他のクラスの誰かがふざけて飛ばしたんだろう。

 いまひとつ真面目に授業を聞く気にもなれずその後も外を見ていたが、その日はとうとう俺の知る限り再び紙飛行機が飛ぶ事はなかった。


 それから一週間が過ぎ、俺は相変わらず授業中に外を眺める時間が多かった。

 そしてやっぱり紙飛行機を見かける事はなかった。

 だからその存在も記憶からほとんど消えかけていたこの日、


 ――あ。


 俺は目に飛び込んで来た物にやや驚いた。

 白い紙飛行機だ。

 ただ、この前とは違いそれは風に乗ることもなくすぐに中庭の木立の間に落ちて見えなくなった。


 同じ人が飛ばしたんだろうか。


 俺は何となく気になって、落ちただろう辺りをしばらくじっと見つめていた。





 放課後、バスケ部帰りでもまだ明るいこの季節。


 学校指定のジャージを着てそのまま下校予定の俺は、教室に忘れ物をしたと適当な嘘を言って部活仲間と別れた。

 そのまま中庭へと直行する。

 どうにも昼間の紙飛行機が気になっていた。

 制服とマイシューズの入ったショルダーバッグを担ぐ俺は、昼間見た辺りに近付いて、茂みに目を凝らす。


「うーん、落ちたならたぶんこの辺りだと思うんだけど、やっぱ見つからないか」


 ここぞとばかりに勢いよく生長している中庭の植物は、小さな紙飛行機なんてぺろりと呑み込んでしまうのか、見当たらなかった。

 或いは飛ばし主が回収していったのかもしれない。


「帰ろ……」


 どこか残念なような拍子抜けしたような心地で俺は顔を上げ、踵を返し数歩歩いたその時だった。


 かさり、と俺の足元に、奇跡の確率のように一つの紙飛行機が着陸した。


 まるで魔法のように俺の足元に横付けされたそれは、当然の事ながら中から小人が出て来るわけでもなく、俺の視界の中で沈黙している。


「え……どっから?」


 拾って思わず見上げた俺の視界に入ったのは、屋上の人影。


 学年まではわからないが、ロングの髪にスカートだから女子生徒だろう。

 その人は、普段立ち入り禁止の屋上の手摺てすりを掴んで、俺の方を見下ろして何やら焦ったようにしている。


「ごめん君! それ今取りに行くからそこ動かないで、お願い! ってああ図々しいかな、そこに置いててもらってもいいから!」


 必死な様子に俺は内心で首を傾げた。

 一見ただの紙飛行機にしか見えないこれがそんなに大事な物なのか?

 俺の返答を聞く前に相手は手摺りから引っ込もうとする。


「あ、待って! 俺がそっちに行きますから!」


 屋上の彼女は姿勢を戻し「え?」という驚きと戸惑いの表情を浮かべたけれど、俺は彼女の返答を聞く前にバスケ部らしい俊敏な脚力で中庭を突っ切って、校舎の屋根の下へと潜った。


 紙飛行機を飛ばしていた相手の正体を知りたかった。

 昼間のも、もっと以前のも、彼女の仕業なのか訊いてみたかった。


 何となく。

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