仮想会議室
天音川そら
第1話
ポンッ。
メッセージの受信音が脳に響いた。ツカサの体内を巡るナノマシンが活性化していき、ぼんやりとしていた意識が徐々に覚醒していった。覚醒していく意識の中で、ツカサはどこか懐かしい夢を見ていたような気がした。
ツカサが時刻を問い合わせると、ナノマシンは直ちに今が13時を告げた。少しばかりの昼寝のつもりがぐっすりと眠ってしまったらしい。体に疲れは感じないが、まだどこか眠気が残るといった感じだ。
ツカサがメッセージの送り主を確認すると、妹のイノリからだった。ツカサは小さな溜め息をひとつ吐くと、メッセージを表示させた。『兄さん、レポートのことで相談があるのだけれども、今暇ですよね?』
メッセージには仮想会議室のリンクが添付されていた。ツカサは気が進まなかったが、このまま放置しておくわけにもいかない。彼は自身の<仲介者>を準備してから仮想会議室へと入室した。
仮想会議室の初期内装はホストのイメージに沿って任意に設定できる。当然、この場合のホストはイノリである。したがって、彼女のイメージが反映されている。高い木々に囲まれた空間、その中心は開けており、円形のテーブルとふたつの椅子が向かい合うように設けられていた。その一方にイノリの<仲介者>が座っていた。
イノリ本人に似せて作られた<仲介者>は、優雅に紅茶を飲んでいた。木々の間を抜ける風が彼女の長い髪を揺らした。しばらくして、彼女はツカサの<仲介者>に気が付いた。「遅かったですね。珍しく忙しかったのですか?」彼女は不思議そうに首を傾げた。ツカサは肩を落として、溜め息を吐いた。「昼寝をしていただけだよ」
「そうでしょうね。兄さんが忙しいわけないもの」
彼女の<仲介者>はそう言うと、ティーカップを置いた。
「あのな、イノリ。僕も一応社会人なんだよ。仕事もしているし、忙しい時だってあるさ」ツカサの<仲介者>が言った。しかし、イノリの<仲介者>はじっと彼の目を見つめ、不思議そうにいった。
「兄さん、今休暇を取っているそうですね。しかも、A国に渡っているとか。さぞ、独り旅を楽しんでいることでしょうね」
どこか嫌味を含んだ彼女の言葉に、ツカサの<仲介者>は顔を引きつった。彼が休暇を取っているのは確かだが、イノリにそのことを伝えた覚えはなかった。「イノリ、どうしてそれを?」
「ミカさんから聞きましたわ」彼女の<仲介者>は即答した。
あの旧人類……と、ツカサは内心で悪態を吐いた。ミカとはツカサの職場の同僚である。今では珍しい、インプラント非投入者のひとり。両親が反技術主義者であるが、本人はそれほど技術に批判的ではない。むしろ、それを弄ることを生き甲斐にしている節がある。
「別に休暇を取っても良いだろう? 休むことも仕事のうちだ」ツカサの<仲介者>が言った。
イノリの<仲介者>は疑わしそうな目を向けつつ言った。「そうね。働き過ぎるのもよくありませんし。お土産、期待していますわ」彼女は再び紅茶を口にした。
ツカサは小さく息を吐いた。知られてしまった以上、妹の機嫌をとるためにもお土産は買わなければならないだろう。イノリの言葉から察する限り、ミカにも買わないと面倒なことになりそうではある。
ツカサの<仲介者>は気持ち的な意味で、重たくなった体を空いていた椅子に下した。彼が座ったのを見たイノリの<仲介者>が紅茶を差し出した。「兄さんも飲みますか?」しかし、ツカサの<仲介者>は首を横に振った。
「遠慮しておくよ。ここでの錯覚には慣れたくない」
「また兄さんはそう言って。古臭い考えに従い続けるのだから」イノリの<仲介者>がつまらなさそうな顔をした。
実際のところ、体内を巡るナノマシンの働きにより、仮想会議室でも痛覚や味覚を感じることはできる。もしツカサがここで紅茶を口にしたのであれば、彼はその味覚を感じることができる。しかし、それは実際にツカサの体内に入るわけではない。それはナノマシンが脳に働きかけることによって感じることのできる錯覚の一つに過ぎない。
そのような錯覚はツカサの好みではない。この会話も実際に行っているように感じているだけであって、現実の体はベッドの上で眠っている。慣れている人は現実の体を動かしながら参加できるそうだが、ツカサはそうではない。
「あまり長居はしたくないな。手短に済ませよう」ツカサの<仲介者>がいった。
「それもまた、兄さんなりの”機械に化かされない”ための努力? あんまり機械に懐疑的な態度をしても仕方ないでしょう?」イノリの<仲介者>がいった。
ツカサの<仲介者>が笑った。「違うよ。この後、予定があるんだ。悪いな」
彼は嘘は言っていない。元々、A国へ渡ってきたのもそのためであった。
「今日は兄さんにとって珍しいことばかりですね。兄さんが予定を入れているなんて」
イノリの<仲介者>の発する言葉はどこか機嫌が悪そうではあった。「兄さんの手を煩わせるわけにもいきません。早速、本題の方に入りましょう」彼女の<仲介者>はティーカップをソーサに乗せると、画面を表示させた。それはイノリの<仲介者>の前だけでなく、ツカサの<仲介者>の正面にも同じように表示された。「おそらく、口で説明するより、見てもらった方が早いと思いますわ」
表示された画面にはレポートの課題内容が記されていた。「兄さん、こういうの得意でしょう?」イノリの<仲介者>が言った。それはあながち間違いではないと思った。
”社会インプラント投入者は依然として人と呼べるか? 自分の意見を述べよ.”
体内へナノマシンを投与し、人の神経系へ作用させる技術であるインプラント。その中でも、社会インプラントは現代の人々の生活の基盤を支えている。社会保障や医療、個人認証など、あらゆる面で生活をサポートする役目を担っている。分かりやすい例が、社会インプラント投与者は旧来のパソコンやタブレット端末を必要としない。政府が管理するネットワークの圏内であれば、常にインターネットへアクセスすることができる。言い換えると、インプラントを投与した人は電子端末を必要としない。研究者やサーバーの管理人でもない限り、パソコンや計算機などに触れる機会はないだろう。
この国で社会インプラントが導入されたのは、ツカサやイノリが生まれるずっと以前の話だ。彼らが生まれる頃にはインプラント技術は当たり前の物として社会に普及していた。ツカサやイノリも例外ではなく、生まれて間もない頃に社会インプラントを投与された。以来、今日まで自らの体内を巡るインプラントと共に生活をしてきた。それは単なる機械というより、もはや自分の体の一部であると言っても過言ではない。
しかしながら、神経系に働きかけるナノマシン技術を快く思っていない人も決して少なくはない。ミカの両親がその良い例だろう。
「これはどういう答えを望んでいるのかな?」ツカサの<仲介者>がいった。「この国の法律に則るのであれば、社会インプラント投与者も人と呼んで差し支えないだろう。それに社会インプラントを導入しているのはこの国だけじゃないさ。いわゆる、先進国と呼ばれる国はずっと以前から導入している」
ツカサは言ってから、この結論は正しくないと思った。インプラント投入後も人と見做すか、厳密な議論を終えるよりも先に、利便性を求めた人々は新たな技術に手を染めた。大した代償がなければ、人は便利な方へと動く傾向にある。もっとも、利便性の欠片もないような技術が流行ることはない。慣れ、という例外を除いては。
イノリの<仲介者>は難しい顔をした。「それは結論を出したとは言えませんわ。法律とはシステムによって確立された世界に合わせて整備されるものでしょう? それに大抵の法律は権力者の都合によって整備されるわ。インプラントが人として認識されないのであれば、普及させたい人達からすれば障害でしかないわ」
「それは否定しないよ」ツカサの<仲介者>がいった。
それは多くの反技術主義者が述べる意見である。”社会インプラントは資本主義が生みだした悪魔の技術である”、と。だからと言って、それら反技術主義者が対抗策や人と認識できない証拠を示すことは少ない。多くの場合、反社会的な意見を述べる者とは、一方的に反論するだけの存在である。自分に都合の良い意見を通そうと喚くだけの存在だ。とはいえ、敬虔な技術主義者も似たところがある。後者に関しては単なるミーハー気質な部分は否定できない。
ツカサの<仲介者>は小さな溜め息を漏らした。では、誰が社会インプラントを肯定し、普及させようとしたか。その答えは口にするまでもない、大企業やそれらをまとめ上げる団体連合だ。彼らが求めた利便性は、反技術主義者の謂う”悪魔の技術”に近い何かを感じさせられる。
現実の問題として、この国の社会人は勤め先に合わせて社会インプラントを調整している。正確には勤め先や仕事の内容に合わせて、自らの体に働きかけるようにインプラントをプログラムしている。実際、ある程度の簡単な作業であれば、社会インプラントに備わっている動作補助システムによって行うことができる。見方を変えて終えば、新人教育の手間とコストを省いているだけである。
しかしながら、人とは奇妙な生き物だ。’心’とかいう謎の物に価値を見出してしまう。彼らは機械による大量生産ではなく、インプラントを用いた生産品に価値を見出してしまった。本質的に、それらが行っていることは変わらないというのに。ツカサはそのような人の物の見方に疑問を抱いていた。
多くの人はそれがどう作られたかではなく、人と呼ばれる何かが作った物に価値を見出してしまうのかもしれない。そのような観点から見ると、社会インプラントを投与した人を人として扱うことは、商業的にとても都合の良いことである。
「イノリはどう考えているんだい?」ツカサの<仲介者>がいった。「これは君の意見をまとめる課題だろう?」
イノリの<仲介者>は考える素振りを見せた。彼らを取り巻く木々が微かに揺れた。ツカサの<仲介者>が風の流れを感じた。ほんのりと漂う草の香りが、彼の嗅覚を刺激した。心地の良い香りであるが、少しばかしツカサの<仲介者>は嫌そうな表情を浮かべた。
「正直、私は人間だと思いたいわ」イノリの<仲介者>がいった。「もし、それを否定してしまったら、私は人ではない何かになってしまうわ」
彼女−−イノリは決して、技術に従順なわけではないだろう。しかし、ツカサの中に宿る程の懐疑心も抱いていない様子であった。技術と社会に中立な姿勢で対象を眺めた上で、自らが人であって欲しいという願望を抱いている。
「イノリは人でないことが怖いのかい?」ツカサの<仲介者>が不思議そうに尋ねた。
「当然よ。私は兄さんほど狂ってはいないわ」彼女の<仲介者>が即座に否定した。「信じていた事実が引っ繰り返ることほど怖いものはないでしょう?」
イノリの中では課題に対する主張は定まっているのかもしれない。しかし、それは根拠を持たない、己の願望でしかない。彼女は自分が人であって欲しいと願っている。ツカサはそれを否定する気は毛頭ない。それはイノリ自身の考えであり、彼に否定する資格はないだろう。
しかし、感情や願望は正常な判断を鈍らせる、とツカサは考えていた。
「確かに、イノリは人だよ。大衆的な目で見てしまえば、君は人だ。君が人であることを疑う必要は何処にもない」ツカサの<仲介者>がいった。「でもね、イノリ。君が人でいられるのは、社会の認識によるものだ」
ツカサは学生時代にカフェテリアで交わした議論の数々を思い返した。似たような議論を何度となく繰り返してきた覚えがあった。そんなとりとめのない話題を振ってくるのはいつの日だって、シグレという一人の学生であった。今のツカサの考えの根底にあるものは、彼女と繰り返した議論ための議論、その数々によるものであった。
対象が人であるか。それを決めることは問われた本人、つまり対象自身に決定できるものではない。かつて、彼女が言っていたように主張するだけなら、機械にも可能だ。しかし、認めさせることは難しい。
結果として、対象が人であるか。その決定権は周囲を取り巻く人、すなわちは社会が決めることである。
「どういう意味ですか?」イノリの<仲介者>が首を傾げた。
「”あなたは人間ですか?” と、聞かれたとき、イノリはどう答える?」
彼女の<仲介者>は頷いた。「私は人間だわ」
しかし、ツカサの<仲介者>は首を横に振った。「そう応えるだけなら、機械にだってできるよ」イノリは彼の言っていることが上手く飲み込めないのか、不思議そうに首を傾げた。
ツカサの<仲介者>は笑った。「難しく考える必要はないよ。この質問は問われた人には結論を見出せない。説得することはできるけどね」
「つまり、兄さんは、私が人であるっていうのは周囲にそう思い込まされている、と言いたいの?」イノリの<仲介者>が訪ねた。
「その発想はいいね」と、ツカサの<仲介者>は頷いた。「確かに人の考えなんて、社会の認識による刷り込みによって成り立っているからね。僕が人であるのも、イノリが人であるのも、全ては社会がそう認めた、一種の錯覚に過ぎないと僕は思っている」
社会は−−世界は−−多くの刷り込みという錯覚の連鎖によって成立している。ツカサはそう思っている。錯覚の連鎖が社会を築き、”心”や”魂”といった知覚できない概念を生み出す。評価のしようのない倫理観というものも、結局は社会が創り出した認識の刷り込みを強要させているようなものだ。
だからなのか、ツカサは社会という考えを好む気にはなれない。人は測ることの出来ない価値観を測ったつもりになっている。彼の目にはそんな風に社会は映っている。彼にとってまともな社会など、合理的な人のコミュニティでしかありえない。
「周囲が私を人だと言い続ければ、私は人になる、と?」
イノリが受け入れられない。そう言いたげに言葉を紡いでいた。「それは裏を返せば、周囲が認めなければ、私は人ではない、ってことになるわ」
「正直、僕はそう思っている。社会を構成する者が認めないものは正しくない。それが社会という構造だと思わないかい?」
ツカサの<仲介者>はいったが、イノリの<仲介者>はしきりに首を横に振っていた。「認めたくないわ。そんな冷たい考え方」と、ツカサの考えを否定していた。
「そう思うなら、イノリなりの答えを見つければいいさ」ツカサの<仲介者>がいった。「人とは何か、その答えをイノリなりに考えることが、この課題の目的じゃないのかい」
今までのはあくまでツカサの考えでしかない。それを受け入れるかどうかは、イノリに委ねられる。正直、ツカサは全否定されても構わないと持っていた。彼自身、自分の意見は極論を言っていると思う節がある。
ツカサは視界の端に表示された時刻を確認した。約束の時間が迫っていた。そろそろ、話の切り上げ時を作らなければならない。彼がそう思っている時、イノリが一つの問いを投げてきた。
「では、兄さんにとっての人とは何ですか?」
問われたとき、ツカサの脳裏にはシグレの顔が浮かんだ。きっと彼女なら、”記憶”と即答するだろう。では、ツカサは−−
あらかじめ、答えはツカサの中にあった。
その答えは彼女の−−シグレの影響を受けていることは疑うことのない事実であった。
「僕は人を定めるファクターは二つあれば十分だと思っている。”記憶”ともう一つは”思考”」
ツカサの<仲介者>がいった。「記憶は人が持つユニークな情報だからね。そして、記憶は人に許された最高のツールだと僕は思っている。正直な話、考えることを止めた時点で僕の中でそれはもう人ではない。いや、人とは思いたくもない」
いまどき、社会インプラントに身を委ねてしまえば、人は思考を必要とすることなく日々を送ることができる。日常において、思考はなくとも生きることへの支障をきたすことはない。だが、それは生きるために最適化された一種のアルゴリズムに従っているだけであり、控えめに言って’知’を有する生命体の行うものではない。
では、”記憶”とは−−。”思考”とは−−。ツカサの中に明確な答えは、まだない。
「つまり、兄さんは機械には記憶がない、と言いたいのですか?」イノリの<仲介者>がいった。「履歴に対応するものは存在しても、それは記憶ではないよ。記憶は未来を予測することができるが、履歴にそんな力はないさ」
似たようなことをシグレが口にしていた。
「もし機械が記憶を持っていたら、兄さんはそれを人として認識するのですか?」
「それが記憶にアクセスしているのであれば、そして、その機械が思考をしているのであれば、僕は人として認めるしかない。でも、機械が記憶をシミュレートしているだけならば、僕はそれを認めないだろう」ツカサの<仲介者>がいった。
正直、アクセスしているのか、シミュレートしているのか、その区別をどうつけるのか、ツカサには分からなかった。そこを判別できないのであれば、ツカサにとってはその二つが現れた時、否定する理由も肯定する理由も生まれなくなる。
「兄さんにとて、”思考”と”計算”は別物ですか?」イノリの<仲介者>が首を傾げた。
ツカサの<仲介者>は正直に答えた。「何とも言えない。僕もまだ、その答えを探している」彼の<仲介者>は続けた。「何なら、イノリがその答えを見つけてくれても構わない」
「私は兄さんほど、優秀ではないわ」イノリの<仲介者>は呆れたようにいった。「でも、その答えを見つけられたら必ず連絡するわ」
ツカサの<仲介者>が笑顔を浮かべた。「期待しているよ。あと、そろそろ時間だ」彼の<仲介者>は立ち上がった。
「兄さん、ありがとう。何とかレポートが書けそうだわ」イノリの<仲介者>も立ち上がった。
「あまり困っているようには見えなかったけど?」ツカサの<仲介者>がいった。しかし、彼女の<仲介者>は首を横に振った。「さっきも言ったでしょう? 私は兄さんほど優秀ではないわ。だから兄さんの意見が欲しかったの。それだけよ」
そう言うと、イノリの<仲介者>は仮想会議室から姿を消した。
ツカサもまた仮想会議室を後にした。全ての<仲介者>が居なくなった会議室は自動的に消去される。仮想会議室内で交わされた会話ログはお互いの履歴に記録される。ツカサは履歴を確認すると、随分と長い間話していた事を実感した。視界の隅に表示させていた時計は14時半を示していた。
ホテルのベッドで横になっていたツカサは深く息を吐いた。
人を決めるファクターは二つ、それは”記憶”と”思考”
ツカサは、今しがたイノリに対して言った言葉をもう一度、頭の中で繰り返した。それをもう一度……と、繰り返していくうちに、ツカサは自分の愚かさに気付かされてしまった。
人の認識は社会の刷り込みによるもの。と、自ら言っておきながらツカサもまたその刷り込みに流されてしまっている。彼の場合、その多くがシグレによって刷り込まれた価値観なのではないか、という疑念が生まれてしまった。
シグレの持つ独特の価値観に、ツカサは感化されてしまった。
今の彼の中にある価値観は本当にオリジナルの物なのだろうか。懐疑的でいたつもりが、単なる勘違いだったのではないか。そんな不安がツカサの中に根付き始めた。しかし、少なくとも盲信的ではない、という確証が彼の心を繋ぎとめた。
ツカサはナノマシンを操作して、先日送られてきたメッセージを呼び出した。それは、5年ぶりにシグレから送られてきたメッセージであった。
『あなたは人間ですか?』
たった一文。
5年ぶりに送られてきたメールはその一文しか記されていなかった。
それに対する応えは既にツカサの中にあった。しかし、その応えもツカサが導き出したものではなく、彼女が彼にそう言った一種の考え方だ。
メッセージをスクロールさせると、ツカサの送った返信が表示された。
『それを決めるのは僕じゃない、君だ』
ツカサはもう一度息を吐くとベッドから起き上がった。約束は15時から。ツカサが泊まっているホテルから目的地はそう遠くはいない。ホテルを出たツカサは大通りでタクシーを捕まえた。彼は乗り込むと運転システムに目的地を告げた。
車の椅子に全身を預け、ツカサは視界に表示させていたメッセージをスクロールした。
次に送られてきたメッセージをツカサは何度も読み返した。たったの一文しか記されていなかったが、ツカサの心に引っ掛かる何かを残していた。
『今の私は人間ですか?』
初めてそのメッセージが送られてきたとき、ツカサは正直、彼女が何を言っているのか分からなかった。意図を訪ねようと、文章を幾らか考えたが明確な文章を作り出すことができず、数日経ってからようやく送ったメールに対する返答は、彼に疑問だけを残すものであった。
『今度会いましょう』
彼女は明確な返答を与えないまま、一方的に連絡を絶った。最後のメッセージには、時間と場所の指定がされていた。御丁寧に、A国へ渡航するための航空券まで添付されていた。
ツカサは深い息を吐いた。深く考えたところで、これから会うのだから。ツカサはそう思うとメッセージ画面を閉じた。そして軽く目を閉じ、シグレと交わした議論を思い返した。
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