これから時代を築くかも
種牡馬になるためには主に2つの条件のいずれかをクリアしなければなりません。
競走成績が非常に優秀か、それとも血統か能力がとても魅力的なものか。
どちらも兼ね備えていれば一時代を築く種牡馬になれる可能性がありますが、どちらかだけだとあまり人気を集めるに至らないことも珍しくありません。
特に後者の条件しかない場合、かなり苦戦を強いられることもよくあることで。
それでも、厳しい条件の中から逆転劇を見せる馬もいるわけで。
真夏の札幌競馬場。
当時は旧年齢表示だったので、4歳の未勝利戦。ダートの1700メートル。
このレースで一頭の牡馬がデビューしました。
サンデーサイレンスを父に持つ彼は、アッミラーレと名付けられていました。
4歳の夏までデビュー出来ないのには訳があったのでしょうけど、このときの彼にわたしは目が釘付けになってしまいました。
500キロを超える馬体はがっしりとしていて、まるで馬車馬のよう。
見るからにパワーがありそうで、これならデビュー戦でも十分やれるだろう。
周りの評価も同じようで、彼は経験馬を向こうに回して一番人気。
ここで勝たなきゃこの先の未勝利戦は抽選で除外も大いにあることだし、なんとか勝ってほしいなと、単勝馬券を買いました。
ゲートが開いて、彼はすっと先行ポジションにつけました。
そして4コーナーを抜けると前を行く馬を交わし、力強い走りでゴールまで一直線。
経験馬たちに2馬身半の差をつけての圧勝でした。
こりゃあすげえのが出て来たなあ……と、わたしは感心し、彼を追いかけようと決めました。
1ヶ月後に出てきた条件戦では不良馬場でまったく良いところがなく11着。そして彼はそのまま休養に入ってしまいました。
休養明けの彼は5歳になっていました。迎える場面は冬の小倉競馬場。デビュー戦と同じダート1700メートル。
一回り大きくなった彼は、気持ちよさそうにパドックを回っていました。
これなら問題ないねと馬券を買ったわたしは大人しくレースを見ることに。
ゲートが開くと、彼はすっと前に出ます。
馬群を率いた彼は気持ちよさそうに走ってます。そしてそのまま先頭でゴール。
やっぱ休養明けでも強いんだねえと感心したわたし。
配当を見てあまりの安さにびっくり。どうやら周りもみんな彼を買っていたようでした。
彼は次のレースも勝ち、その次のレースも勝ち、さらに次のレースも勝ちました。
3連勝で一気にオープン入りを果たした彼は、府中のダート1400メートルに駒を進めて来ました。
これまではずっと1700メートル戦しか経験していない彼がこの距離でどうなのか、わたしは心配になって来ました。
しかも相手を見ればかなり手強い相手ばかり。彼は連勝のおかげで一番人気になっているとはいえ、二番人気の外国産馬サウスヴィグラスも強そうです。
人気なのに、だんだんと心配だけがつのります。
ゲートが開いて、彼は先行集団のすぐ後ろへ。
4コーナーまで我慢した彼は直線に入ると一気にスパート。周りの馬が止まって見えるような末脚を見せ、後続に2馬身の差をつけてゴール。オープンでも十分にやれるところを見せてくれました。
いや、オープンの上の方まで行ける。今の充実ぶりを考えたらもっと勝てるはずだし、重賞のひとつやふたつだって行けるはず。
いやいや、もしかしたらこれからのダート界を背負って立つ存在にだってなれるかもしれない。
わたしはこれから来るであろう展開に興奮を隠せずにいました。
彼はそれから12月のダート2300メートルのオープン戦でも勝ち、距離の問題がないことも示してくれました。
年が明けたら充実のシーズンが待っている。順調にいけば2月のGIだって……。
そして、年が明けて彼は開幕初日の金杯にいました。ダートが主戦場なのに芝のレースに出てきたことに不思議な気がしましたが、目標のレースまでに使える適当なところがなかったのでしょう。
ここの大敗は仕方ないと切り替え、続く根岸ステークス。並み居る強豪を抑えて一番人気に推された彼でしたが、結果は4着。しかし相手はオープンでも一線級でしたし、大健闘だと思えたものでした。
しかし、このレースで彼は再び休養に入ってしまいます。大きな馬体ですしどこかで無理をしていたのでしょう。リフレッシュして来たらまた強い競馬を見せてくれるはずだと、さして気にもしていませんでした。
休養明けの彼は7月の函館にいました。オープンでもメンバーの手頃なレースで一番人気に推された彼でしたが、まさかの11着と大敗。
続く札幌のエルムステークスでも13着と良いところがありません。
大井競馬場へ遠征した臨んだ東京盃でも勝ち馬とはずいぶんと差をつけられての9着。
どこか怪我でもしてるんじゃなかろうかと戻りを待ってたわたしの前を彼が通り過ぎます。
その顔はとても苦しそうで、今にも倒れそうにも見えました。
それを見たわたし、全身の血の気が引いていくのが自分でもわかりました。
お前、まさか……。
このレースの後、彼はまた休養に入ってしまいます。
それからしばらくして、先輩から電話が入りました。
「お前の推してるアッミラーレ、ノド鳴りだったってさ。手術はしたみたいだけど……」
前のレースで苦しそうな顔を見ていたからか、驚きはしませんでした。
「ただな、ノド鳴りって手術で治るものと治らないものがあるんだよ。こればかりは走ってみないとわからないんだ。どっちに転んでも覚悟はしとけよ」
ええ、わかってます……。
返事に力が入らないのは仕方ありません。もし治らなければ引退ということになるでしょう。
血統はいいし能力の高さは知られてるはずですが、これで引退では種牡馬になれるかどうかは微妙なところです。
なんとか治っていればいいんだがと、電話を切って天井を見上げてしまいました。
これから時代を築くかもしれなかったのにな……。
手術の休養を終えた彼は、翌年の初夏に戻ってきました。
ですが、4レース走ってすべて後方のまま。やはりノド鳴りは治らなかったようでした。
そうしてるうちに彼の引退が発表になりました。
同時に、能力の高さを惜しんだ関係者の尽力により、彼は種牡馬になれることになりました。
この報せを喜び半分、不安も半分で聞いていたわたし。
この成績じゃ相手を集めるのにも苦労しかねないよな。なんとかいい仔を出してくれないと……。
そう思ったことは言うまでもありません。
彼の子供は少ないながらも世に出てきてくれました。その少ない子供たちが地方競馬の重賞を勝つようになり、少しホッとしました。
そうしてるうちに、彼の代表産駒になるハッピースプリントが出てきてくれました。
ハッピースプリントは2歳から父譲りのパワフルな走りで連勝を続けて全日本2歳優駿を制し、同世代の頂点に立ちました。
連勝は翌年も続き、6連勝で東京ダービーを制してしまったのです。
その後古馬になっても浦和記念を勝ち、7歳になった今年は長期休養明けのホッカイドウ競馬で復帰戦を圧勝してみせました。
他の子供たちも中央競馬での重賞勝ちこそありませんが、子供たちは確かに地方競馬で時代を築いてくれたようです。
そして、アッミラーレ自身は先月から青森へ移り、種牡馬生活を続けて行くことになったとのこと。
引っ越しのその日に報せを聞いたわたしが大喜びしたことは言うまでもありません。
それからしばらく経って、わたしは彼に会いに行くことが出来ました。
22歳になった彼はいくらか年齢を感じさせるところはあるものの、馬車馬みたいにがっしりした体つきは昔のまま。
同じ厩舎にいる1歳や2歳が騒がしいのに目を向けたり、窓から外を見たりとあまりのんびりした様子は見られませんでしたが、とても元気だと伺って一安心。
同時に、現在の種付け頭数と受胎率も伺ったのですが、往時よりぐっと少なくなった数字に、少し寂しさも感じてしまいました……。
それでも、まだ現役ですし、少ないながらも受胎した牝馬がいると聞いて、胸をなでおろしたのです。
願わくば再来年、青森で生まれた子供たちからも時代を築くような馬が出てきてほしいと、心から願っています。
できれば、彼のように連勝で一気に駆け上がるような子供が出てきてくれたら……。
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