花咲く日々

moes

花咲く日々

「タカー、いくよぉ?」

 開け放たれたドアから、振り返るようにしてのぞくメイコに答える。

「今行くー」

 ドアから差し込む光に埃がきらきらと反射して妙に幻想的に見える物置部屋に、なんとか空きスペースを探し出し持っていた箱を下ろす。

 人ひとりがなんとか通れる程度のスペースを残して雑然と置かれているさまざまなガラクタに足をとられないように気をつけながら出口に向かう。

 っ、

 メイコめ。さっさと部屋を出たと思ったら適当すぎだろ。通路になってる場所に半分はみ出すようにして転がっている、メイコの持ってきた箱に躓きかけて軽く舌打ちをする。

 転ばなくてよかった。転んだ拍子に周囲のものが雪崩れてきたらしゃれにならない。

 足でぐいぐいとその箱を押し、ほんの少し奥に追いやって通り道を作る。

「メイコー、もうちょっと考えて片しなよー」

「だってさぁ、その部屋、怖いんだよ。幽霊出るって。奥まで入っちゃうタカがおかしーの」

 再度ちょっと顔をのぞかせてメイコは渋い声を出す。

「え? それ知らない」

「タカ、疎すぎ。先生も人選的確だよねぇ。ほかの子に頼んだら絶対イヤだって言うだろうし。そのウワサ知ってて、タカに付き合ってあげる私って人が良すぎ。びっくり」

 自分で言えるメイコにびっくりだよ。

 ふーん。でも、そっかぁ。

 振りかえって部屋を見回してみる。

 白いカーテンの引かれた元教室に、大きな振り子時計(何で学校にこんなものが)とか、昭和五十七年度進路調査書(個人情報満載?)と書かれたダンボールとか、折れた指示棒(捨てれば良いのに)とか……改めて見ると幻想的でもなんでもないな。

「タカぁ?」

 いつまでも何やってるんだ、と言わんばかりに軽く不機嫌な呼びかけ。

「ゴメン。今行く…………ぇ?」

「なにって?」

 小さく漏らした声を聞き逃さず、メイコは部屋を覗き込んでくる。

「うん。なんか人影があったような気がしてたんだけど」

「えっ、ゆうれい?」

 微妙にうれしそうにも聞こえる声。でも、顔はしかめてるから怖いのだろうか。

「ちがう。鏡。たぶん、自分が映ったのがそう見えただけ」

 古めかしい、木製の装飾枠に縁取られた姿見。

 手を振ってみると振りかえされる。もちろん、映った自分の手だ。

「なんだぁ。おどかさないでよ」

 ほぅ。と、大きく息をつく。

「だって、メイコが幽霊が出るなんていうからさ」

 つい、先入観で。

 ドアを閉めるついでにもう一度、鏡に目をやる。

 何か、影が映った気がしたのはきっと、目の錯覚。



「錯覚じゃなかった」

 三日後。

 再度、物置部屋に不用品を持ち込んだついでにと、鏡をきちんと眺めてため息をつく。

 鏡には自分自身と重なるように制服姿の男子が映ってる。

「ちょうど良いところに。悪いけど、カーテン開けてくれない?」

 鏡の中の男子に、ごく平然とにこやかな笑顔付きで頼まれ、思わず言われたとおりにカーテンを開ける。

「ありがとう。やっぱり、こんな天気の良い日にカーテン締め切ってるってのはないよね?」

 差し込んだ陽射しに男子は気持ち良さそうに目を細める。

 うん。それは確かにそう思うけどさ。

「あのさ、ええと。……幽霊?」

「幽霊? …………さぁ?」

 さぁ? ってナニ。

 不満げなこちらを察したのか、鏡の中で座り込んだ男子はこちらを見上げながらぼやく。

「おれは死んだつもりはないし。ただ、気付いたら鏡の中にいたってだけで」

 それって、気付かないうちに死んで、成仏できてないんじゃないかなぁ?

 でも、おどろおどろしさとか、そういうのはない。

 別に、普通に、クラスの男子と話してると変わらない感じ。

「大変だね」

「とりあえず、それはすごく変な返答だと思う。っていうか、変わってるよなぁ。普通、怖がって逃げると思うんだけど」

 変なヤツ。って呟く。

 失礼だなぁ。だいたい、そっちがカーテン開けろとかって声かけてきたんじゃないか。

「見た目、血みどろとかだったら、さすがに怖いけど。普通に制服だし。鏡から出られないんじゃ、何にも出来ないじゃない、どうせ」

「うわ。すごい役立たずみたいに言われた」

 いや、別にそういうつもりじゃないんだけど。

「害意がなければ、良いかなって思ったんだってば」

 へこんだ表情の相手をあわててフォローする。

「じょーだんだよ。今更、そんなこと本気で思ったりしないって」

 笑いながら鏡の中でぱたぱたと手を振る。

 カンベンしてよね。

 大きくため息をつくと、笑い声が引っ込む。

「ゴメンって。かわりに良いコト教えてあげるから」

「なに?」

 やわらかな表情を、興味津々で見つめる。

「そこまで期待されるとちょっと困るんだけど。この教室、桜がすごくきれいに見えるんだ。ちょっと穴場だよ」

 窓から外を見ると、大きく広がったくろい枝にぽつぽつと濃いぴんくのつぼみ。

 校内じゃない。隣のお寺の敷地にある桜だ。背の高い塀の向こう側だから、こんな立派な樹があるなんて気付かなかった。

「今はまだ早いけどね、満開になると、ほんとにスゴイから……また、来れば良いよ」

 また、来てって、言ってる気がして、素直にうなずいた。



「うわー。満開」

 くろい枝が淡いピンクで覆いかくされて、柔らかにゆれる。

 昼休みや、放課後や、ちょっとした時間を見つけて、徐々に咲いていく桜を楽しんでいたけれど。満開はまた格別。

 上から見下ろす桜も良いなぁ。

「良いねぇ、春だねー」

 鏡の中から嬉しそうな声。

 男子が桜見て嬉しそうなのって、なんていうか。ちょっとかわいい。

「和むよねぇ」

 新学期早々、進路調査票が配られてブルーになった気分も吹き飛ぶ気がする。

「このあとすぐ散っちゃうのが、ちょっとさみしいけどね」

「でも、ずっとわさわさ咲いてたら、きっと飽きちゃうから。それに、しばらくは良い天気みたいだから、楽しめるよ」

「だと良いけど。天気予報、アテにならないからなぁ」

 苦笑いまじりのぼやきにうなずく。確かにね。



「散っちゃうね」

 ピンク色は残り少なく、雨にぬれてよりいっそうくろい枝が目立つ。

「また来年、だな」

「でも、また来年が楽しみだよ。いい場所教えてもらえて良かった」

 これから葉桜になって、紅葉して、葉っぱが散って、そしてつぼみがついて、ふくらんで、また咲く。

「じゃあね」

 昼休みが終わってしまう。

「あぁ。じゃ、また来年」

 その言葉にびっくりしてふり返る。

「は? なんで来年?」

 毎日は来れないかもしれないけれど。でも来年はない。それか、来年までくるな、ジャマくさいってことか?

「桜咲いてなきゃ、来る意味ないだろ?」

 アタリマエ、みたいな感じで。

「……そんなのこっちの勝手でしょ。じゃ、また明日」

 なんとなくだらだらってしゃべったり、話さなくても居心地良かったり。

 桜見るのも楽しみだったけど、それだけだったら毎日通ったりしない。満開になる頃、見計らってくればいいだけなのに。

 わかってない。

「ばーか」

 ドアを閉めて、ドアに向かって吐き出した。



「今年も咲いたね」

 キレイに満開。

「今年は受験だねー」

「サイテー」

 人が良い気分になってるのに。

 春休みにやった模試の結果を忘れようとしてるのに。

「ま、がんばれ」

 返事をせずに窓の外を眺める。

 あたりまえだけど、来年の桜はここでもう見られない。

 大学に合格しようがしまいが、さすがに卒業は出来てるはずだ。

 だから、あと一年。会えるのは。

「何へこたれてるんだよ。そんなに模試の結果悪かったのか?」

「うーるさいっ。人がせっかく桜堪能してるのに」

 ふり返ると、笑ってる。

「怒るってことは図星だろ」

「そーだけどっ。良いの。どうせ、記念受験みたいな学校ばっかりだし」

 完全無理なところとか、適当に書いたし。

「がんばれよ」

 静かな声にうなずく。

「うん」



「…………ぇえと。まだ、二次募集もあるだろ? それに一年くらい浪人したって別に良いんだし」

 まだ硬く閉じたままのつぼみをつけた桜を眺めて、背中にその声を聞く。

「っていうか、まだ全部発表されたわけじゃないだろ? そんな落ち込むなよ」

 必死でなぐさめようとしてくれてる。やさしい。

 勉強だって、わからないトコ一緒に考えてくれたし。

 自分は、ここから出られないくせに。

「受かったよ。本命」

 振り返り言うと、鏡の中でしゃがみこむ。

「なんだよー。おどかすなよ。っていうか、ならもっと嬉しそうな顔して入って来いよなぁ」

 だって。

「オメデト。頑張ってたもんなー。良かったよ」

 顔をあげて笑ってくれる。やさしいなぁ。

「……でも、さみしい」

「だな」

 微笑って、同意する。

 ホントは、ずっとそっちのがさみしいはずなのに。

「そんな顔するなよ。おれは大丈夫。今までどおり、桜を眺めて、たまに生徒をおどかして、そうやっているから」

「ごめん」

「……楽しかったよ」

 握手は出来ないから、鏡でお互いの手を合わせる。

 またね、なんてウソ言える訳もなくて。でも、バイバイっていうのもなんかイヤで。

 やさしい沈黙のなか、部屋を後にした。



 散り始めの桜。

 入学式のあと、高校の隣のお寺に参詣者を装って入り込む。

 上から眺めていた桜を、今日は下から見上げる。

 はらはらと、雪のように花びらが降り積もる。

 今日も、見てるかな? あの窓から。

 こんな風に散る桜、一緒に見られたら良かった。

「絶景ー」

 唐突な声に思わずふり返るとスーツ姿の男子と目が合う。

 照れくさそうに目を逸らし、小さく頭を下げて行ってしまうその背中に思わず呼び止める。

「あのっ……、桜、好きですか?」

 びっくりしたようにふり返る。その顔が。やっぱり、似ている。

「うん。ふつーに」

 声、というかしゃべり方も。

「高校は、西山高?」

 壁の向こうを指差し、おそるおそる尋ねる。

「……あぁ、兄貴の知り合いですか?」

 静かな微笑。伏せられた目線の先。手もとには花と、水桶。

 そうか。

 沈黙を肯定と判断したらしい。

「良かったら、一緒に。兄も、よろこびます」

 ほんの少しだけ、こちらを見てから先に歩き出す。

 お墓の前に座ると、水をかけ、花を換え、手を合わせる。

 少し後ろにしゃがみ、その姿を眺める。

 ここにはいないのに。

「あの、……変なこと、言うんですけど。……来て欲しいんです。……今から、時間ありますか?」

 立ち上がった背中に、必死に声を掛ける。

 怪訝そうに振り返った顔に、深く頭を下げる。

「良い、けど」

「ありがとうございます」

――。

 職員室にちょっと顔を出して、ひとこと挨拶してから物置部屋に向かう。

 弟氏は一言も、理由を聞かずについてきてくれる。良い人だ。

 物置部屋のドアを開ける前に立ち止まる。

「私、この春までこの学校の生徒でした。そして、ここでお兄さんに会いました」

 なにも答えない背後を見ないまま部屋に入る。

 慣れた埃っぽさ。なつかしい。

 閉められてしまっているカーテンを開ける。

「あれ? どうした? 忘れものかぁ?」

 のんびりした、ちょっと眠そうな声。

「うん。下から桜、見てきた」

 振り返り、鏡の中の姿に言う。

「……な、んだ。これ」



 弟氏が鏡とむきあう。

 鏡の中で並ぶ二人は良く似ているけど、やっぱりちょっと違う。

「兄、貴?」

 かすれた声。

「藤紀、か?」

 鏡の中の顔が笑う。そしてその姿が消える。弟氏に溶け込むように。

 いなくなって、しまった。

「今の、なんだったんだ? あれは、おれじゃない」

「桜が、好きだって。ここ、穴場だって教えてくれた。気がついたら鏡の中にいたって言ってた。…………死んだ記憶はないって。だから幽霊じゃないって」

 答えになってない。ただ、思いついたことを、とりとめなく呟く。

「じゃあ、苦しまなかったのかな」

 深い深いため息。

 思わず顔をあげると苦笑いに似た微笑を浮かべる。

「別に身体が弱いとか、そういうコトはなかったはずなんだけど。びっくりするくらい急に逝ってしまったから。……そっか。こんなところに」

 そっと鏡に手を触れる。見つめ合ってるみたいにみえる。

 鏡の中の顔、やっぱり良く似ていた。

 なんとなく見ているのが申し訳なくて、窓の外に目を移す。

 桜を見下ろす。もう、会えない。

 卒業して、会えなくなることはわかってて。でも、思いがけずもう一回会えたんだから、良かったはずなのに。

 ……でも、もうぜったいに会えない。

「ありがとう」

 背後、すぐ近くからの声に、良く似た声に思わず固まる。

 何に対する言葉かを、聞き返すより先に気配が遠ざかった。



「偶然、だね」

 落ち着かない雰囲気でざわめく大講義室。

 オリエンテーションの開始をぼんやりと待っていたところに唐突に、聞きなれた声、に良く似た声。

 反射的に顔をあげると、困ったような微笑がこちらに向けられる。

 なつかしくて、でも似てるだけ。わかってる。本人じゃない。弟氏だ。

 同級生だったのか、とか。同じ大学だったのか、とか。そういえば名前なんだっけ、とか。

 いろいろ頭にうかんで、言葉にならずに。

 何とか微笑みかえす。

 今度は、きっと時間があるから。ゆっくり。

 眼の奥の、このにじむ痛みがなじむころには、きっと。

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