第二十四話『帳の校舎』


「どういうことだ!」


 開口一番、俺は電話の相手にそう怒鳴りつける。

 電話の相手は、満月。


『俺もさっき知ったとこだ。だから詳しいことはよくわからん。だが、園咲が姿を消したって情報は事実だ』

「だから! それがどういうことかってのを聞いて――」

『日が暮れてからのことだ」

「っ――」


 俺の怒鳴り声を遮るように、電話の向こうの満月は話し出す。


『気が付いたのは当直の用務員らしい。毎度十九時に行う定時巡回。それで体育館に向かった用務員は違和感に気が付いた』

「違和感?」

「ああ。誰一人、いなくなっていたらしい』

「誰一人? どういうことだ?」

『誰も彼もだ。体育館にいたはずのバレー部、顧問、観客、他校の生徒まで。その場にいた全員、人っ子一人残らずいなくなったって話だ』

「はぁ?! そんなん、何かの間違いじゃ――」

「事実だ。生徒の一人が証言している。用務員が確認するほんの十分ほど前まではまだ試合をしていたと。選手も観客も、そこにはまだ多くの人間がいたと、そう証言している』

「っ……」

『夏とは言え、日の沈む時間帯だ。特別なイベントがあっても、そう多くの生徒が残ってたってことはないだろう。いてもせいぜい百人が限度ってとこだ。だが、百人もの人間がたった十分程度で忽然と姿を消すなんてことはまずありえない』

「……」

『異常な事態が起きてるってことだ。現時点じゃ詳しいことは何もわからんが、ただ一つ言えるのは、その行方を眩ませた百人の中に、園咲もいたってことだ』



「っ……」

 苦虫を噛みつぶした方が、幾分マシだ。


「確かなのか……」

『家には既に連絡を取ってあるそうだ。まだ帰ってはいないらしい。それに、さっき証言したって生徒ってのも、直前まで試合に出ている園咲の姿をはっきりと見ている』

「……」

『これが「みんなでカラオケに行ってました」なんて話じゃないのは、お前ならわかるだろ』

「……ああ」

『俺は情報を集める。終盤まで体育館にいた連中に、何か異変がなかったかを聞いて回る。お前はどうする?」

「俺は――、」


 決まってる。


「俺は――、学校へ行く」


『……そうか』


 妙な間が少し気になったが、今はこうしている時間すら惜しい。


『あんまり深い追いはするなよ』

「ああ。――と言いたいところだが、今回ばかりはそういうわけにはいきそうにない」

『だろうな』


 最後の返事は少し笑い混じりに、満月は答える。


「なあ満月」

『なんだ?』

「お前は……、何か関係があるのか?」


 傍から聞いても、その質問が何を意味するのかはわからないだろう。

 だが満月は、即答はせず、


「あー……。まあ、そのうちわかるだろ』


 と曖昧に濁し、一方的に電話を切ってしまう。

 通話の切れた携帯を少しだけ眺めて、俺は顔を上げる。


「善は急げだ。まずはアリスを――」


 そこにはいつからいたのか、バスタオルを体に巻いた黄金色の少女が存在感を撒き散らしながら立っていて。


「行くのか」


 ただそれだけを、問うてくる。


「ああ。行く――」



   *******



 夜の住宅街を、二つの影が疾駆する。

 一つは黒髪に着崩した学生服の少年――黒衣。

 そしてもう一つは、黄金色の髪にエプロンドレスをはためかせる少女――アリス。


「現状は?」

「わからん。わかってるのは、消えたのは八重だけじゃなく他の大勢の人間も一緒ってことだけだ」

「情報はほぼ皆無、ということか」

「ああ。状況は後手後手だ。相手より有利な点が何一つない」


 黒衣は悔しげに奥歯を噛み締める。

 時間はあったはずだ。だが何もできていなかった。

 その歯痒さが黒衣の焦りを駆り立てる。


「それは違うぞ、人間」


 だが、アリスはそれを否定する。


「何が……?」

「わたしだ」


 それを聞いて、黒衣は目を丸くする。


「わたしがいる限り、万に一つの敗北もありはしない」

「……は」


 堂々と、そう言ってのけるアリスを見て、黒衣は思わず笑みがこぼれる。

 根拠なんてない。あるのは自信だけ。相手の強さも、今がどのような状況にあるのかもわからない。

 だがアリスは言う。大丈夫だと。何があっても負けはしないのだと。

 そうアリスは宣言する。

 そんななんの根拠もない自信を、黒衣は妙に納得してしまう。

 無論、そこにも根拠なんてないのだが。


「ああ、そうだな」


 ただそれだけで、信頼に足ると確信してしまう。

 そうしてしばらく突き進んだ頃。



「やっと来たわね」



 聞き覚えのある声が聞こえて立ち止まる。

 結わえた黒髪を一房揺らし現れたのは、図書委員会会長『本の鬼』こと鬼瀬杏だ。杏は昼間と変わらぬ制服姿で二人の前に現れる。


「昼と違って、案外早かったのね。黒衣くん」

「杏先輩……。じゃあ先輩も」

「ええ。とある情報筋からね。にしても、これは随分とまぁ大胆なことをしたものね」


 杏は意味深にそう言って、我らが母校を仰ぎ見る。

 しかし校舎に変わった様子は一切なく、夜の帳に佇む静かな校舎があるばかり。


「? 大胆って何が――」

「結界。それも、相当おっきなやつを張ってるみたいね」

「結界?」


 ゲームや漫画でしか聞かぬその単語に疑問を浮かべる。


「何も……ないですけど」

「見た目はね。でも、校舎全体を丸々包み込むだけの大規模な結界が展開されているわ。決して中から逃げられないようにする高度な、ね。要は牢獄よ」


 牢獄。その不穏な単語に黒衣は息を呑む。


「でも妙ね。これだけ大規模な結界なのに、外にかけられているのは人払いの魔術だけみたい」

「人払い?」


 夜だからだとばかり思っていたが、学校の周りに誰もいないのはそういうことなのだろうか。


「ええ。あたしたちみたいに【妖精】に関わった人間はある程度耐性みたいなものができるから平気よ。だけど妙なのは、どうもこの結界には掛けられてるのはその人払いと、中から出ないってことだけ」

「つまり……、外から入れる?」

「ええ。どうも、そうみたいね」


 神妙に杏は肯定する。


「誘われている、ってことかしら」


 相手は【魔女】。【妖精】の中でも特に恐れられる存在。どのような考えでそのようなことをしているのかわからない。だが――、


「先輩」


 ここで止まる理由にはならない。


「――いいわ。行くわよ」


 そうして三人は、結界の中へと歩みを進める。




 入った先は、学園第一グラウンド。

 二カ所ある運動場のうち、こちらは『広い方のグラウンド』と生徒から呼ばれる、主として用いられる運動場だ。体育の授業ではもっぱらこちらが使われるため、運動部に所属していない生徒にとっては最も馴染みの深い運動場となっている。


 だが、その馴染みの部会運動場も、今ではとても見慣れぬ光景へと変わっていた。

 広大な敷地も、青澄み渡る晴天の空もそこになく、あるのは歪なまでの、『何か』。


 それを見た印象を、黒衣は『樹』だと思った。

 グラウンドの中心にデカデカとその巨影を主張させる、一本の大樹。枝葉などはなく、ぐねぐねと異様な螺旋を描いて夜天へと伸びるその様は、魔界に立つとされる邪悪の樹を連想させる。


 三人は変わり果てた既知の空間を慎重に進み入る。

 空には星も月もなく、まるで暗幕がかけられたかのようにゆったりと、静かだ。

 だが決して暗くはなく。その理由を黒衣が探ると、それはすぐに見つかる。

 何もない夜空よりも下。校舎二階ほどの高さの場所に、大きなホタルのような光球がポツポツと中空を点在していた。

 それが何なのか、黒衣にはわからない。ただ、それが巨木のすぐ下――グラウンドの中心にいる【妖精】によるものであろうことは、容易に理解できていた。


「~~~~~~~~」


 【妖精】――『茨の魔女』は口を開き、まるで何かを紡ぐように一つ一つゆっくりと唱えている。まるで歌にも聞こえるそれは、英語のようにも聞こえ、フランス語のようにも聞こえ、ドイツ語のようにも中国語のようにも、はたまた日本語のようにすら聞こえる言葉。おそらくどの国の言葉でもない、【妖精】の言葉なのだろう。

 魔女がその言葉を一つを口にする度、中空で光が一つ、また一つと増えていく。


「~~~~……、来たか」


 三人がある程度近づくと、魔女は詠唱を中断させ、こちらへと振り返る。


「茨の魔女っ……」


 杏が呻くように呟く。

 互いの距離はおよそ三十メートル。遠距離攻撃を持つアリスと杏にとっても、その距離はさほど問題にはならない。だが、それは相手にとっても同様。どころか、相手の力は未だ未知数。魔女の魔法を把握できていない現状では、今すぐ手を出すには決定打に欠けている。


「よく来たな。今宵は、我が悲願の成就、その礎たる大いなる儀。その参列者として、お前たちを招いた次第だ。何の持て成しもできないが、とくと楽しんでいってくれ」


 昨日と同じように、まるで演劇のように大手を振るい、そんなことを語りかけてくる。

 あたかも、お前たちなど眼中にないと、そう言っているかのように。


「八重はどこだ」


 そんな魔女の言葉を無視して、黒衣は問いかける。


「はて……、何のことかわからぬが?」


 首を傾げる魔女に、黒衣はなおも続ける。


「とぼけるな。お前が連れ去った女の子のことだ。いいからさっさとどこにいるのか――」

「落ち着きなさい、黒衣くん。相手が誰だかわかって――」

「わかってますよ。でも、今はそんなことどうだっていい」


 必死に押さえて入るが、言葉の端々にはあからさまな怒りの感情が見えている。そんな黒衣を杏は宥めるが、黒衣の興奮は止まらない。


「……クク」


 だが聞こえてきたのは、囚われたお姫さまの居場所ではなく、擦れ漏れ出る小さな呼気。

 蒸し暑い夏の暗幕垂れるこの場には相応しくない、くつくつと押し殺す、魔女の嗤い声。


「何がおかしい……」

「……いや、クク……、いや、しまない。あまりにもな、クク……、あまりにもお前が滑稽でな」


 硝子細工が如き白き肌を紅潮させ嗤いを必死に堪えるその様は、一見するとあたかも少女のように可愛らしく映る。だがしかし、その細められたまなこだけは、純粋無垢な少女のそれとは違う。ともすればそれは、せせら笑う悪女が如き冷笑か。


「やえ……、ああそうだな。そのような名の小娘が、そういえば一人いたな」

「……やっぱり、お前が……」


 その言葉を聞き、黒衣は確信したとばかりに魔女を睨む。


「おお、おお、怖い怖い。そう睨むでない。恐ろしくて顔を上げられぬではないか」


 楽しそうに、心底楽しそうに魔女は言う。

 まだ何か、おかしくてたまらないものがあるかのように、腹に何かを抱えるように身を揺らし、黄色く笑う。

「はてはて。しかし今宵はよほど多くの供物を用意したものでな。せてどれがどれだったか……。お前は、覚えているかの?」


 その魔女の言葉で、三人はようやく魔女の後ろに人影が一つ立っていることに気が付く。

 真夏の夜にもかかわらず、全身を影色のローブで包んだその人影は、長身の魔女と比べると頭三つ分ほどの身長差がある。黒衣よりも低い、中学生くらいの背丈。

 しかし初めて見るはずのそのシルエットに、黒衣はふと見覚えを感じてしまう。

 目深に被ったフードの下は一切見えず、厚手のローブゆえ体の起伏も見えはしない。身長が低いこと以外、その影が男なのか女のかの判別もつかない。

 ただ。ただ、黒衣は、その人影を見たことがあると、そう思った。


 そう、思ってしまった。


 問われた人影は、ふるふると首を横に振り魔女に答える。


「そうかそうか知らぬか知らぬか。ああそういえば、お前の名は、なんと言ったかな?」


 自信の味方であるはずの影になぜそんなことを聞くのか、黒衣にはわからなかった。

 ただ、それがどんな意味を持つのかは理解できた。

 そしてそれは影の方も同様だったらしく、影はすっぽりと頭を覆うフードに手をかけ、その下を露わにする。


   *


 たぶん俺は、気付いてたんだと思う。

 今となってはなんとでも言えるし、確信があったわけでもない。

 それでも俺は、ずっとずっと気付いてたんだと思う。

 思えば機会はいつでもあった。

 最初図書館塔を訪れたとき。出会うことなかった昨日の学校。昨日の夜。そして、――


 今日の試合。


 気付けたはずだ。気付いていたはずだ。だけど俺はわかっていて、目を背けた。

 そんなはずはないと。そんなことあるはずないのだと、目の前の姿だけを見て、大丈夫だと思い込もうとしていた。大丈夫だと、自分に言い聞かせていた。

 これ以上失いたくないと、あたかも気付いていないフリをしていたんだ。

 ずっとずっと気付いていたはずなのに。

 消え去った時から、ではない。

 あの夏の日から――ずっと。

 なのに俺は見ようとしなかった。

 俺の前で笑うアイツを。

 俺の前で泣かなくなったアイツを。

 俺の前で必死に笑顔を見せるアイツを、俺は見ていなかった。

 その裏で、アイツがどんなに涙を呑んでいるのか、知っていたはずなのに。

 自分には何もできないと、諦めて。

 強く振る舞うアイツを見て、「ああ、大丈夫だ」なんて、思ってもないことを思って。

 そうして俺は見て見ぬ振りを続けていた。

 そのツケがこれだ。

 その結果がこれだ。

 だからこれは、俺の責任だ。

 あの夏の日から全てを放置してきた、俺の責任なんだ。


 なぁ――、


   *


「八重っ……」



 星々の見えぬ天蓋はその場にいる者に重くのしかかり、響く言葉は全て闇夜に消える。

 だがその嗚咽のような呟きだけは、いるはずのない少女の耳へと誘われ、彼女もまた、清廉なる吐息を零させる。


「――――――――クロ」


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