第十七話『プリン』


「なぁ」

「……」

「ごめんって」

「…………」

「謝ってんだろ?」

「……………………」

「……っ、はぁ……」


 帰り道。

 茜色に染まる住宅街の道を歩きながら、黒衣は小走りにも近い速度で歩くアリスに付き従うようにして、帰路に就いていた。

 何故そのようなことをしているのかと言えば、それは簡単な話だ。

 単純に、機嫌を損ねてしまったからだ。

 このお姫さまにしてお嬢さまにの、ご機嫌を。


「悪かったって」

「…………」

「なぁ……。だから、少し止まってくれよ」

「…………」

「なぁ……」

「…………」

「っ~~~~……」


 これだ。まるで取りつく島がない。

 怒っているのもわかてちるし、何を怒っているのかもわかっている。

 詰まるところ、悪いのは全部自分なのだ。


 先の戦闘で俺は一連の騒ぎの大元であろう【妖精】『茨の魔女』と遭遇した。そこで俺は魔女の口車にまんまとハマり、あろうことか魔女の手を取ろうとしてしまっていた。

 もしあの場でアリスが現れていなければ、確実に俺はあの魔女の手を取っていたことだろう。

 杏が言うには、あれはあの魔女の持つ【魔法】の一種らしい。あの大男を操っていたものと同様の、精神に干渉する類いの魔法。それをあの魔女は俺に対して使用していたかもしれない。そう杏は言っていた。


 だが、そんなことは関係ない。

 おそらく、アリスもそう思っているだろう。

 いくら相手が【魔女】で、その魔法によって操られていたとしても、あの【魔女】の手を取ろうとしていたことは事実で、それは黒衣自身がよく覚えている。

 そもそも本当に黒衣が操られていたのか曖昧だ。【魔法】が発動しているなど黒衣にわかりはしない。ただ黒衣の中にあるのは、魔女の手を取ろうとしたという事実だけで、そこを偽る気はさらさらない。

 悪いのは自分。だからこそこうして平謝りを繰り返しているわけなのだが。まぁ見ての通り、一向に効果は現れない。

 怒った女の対処法、なんてものを黒衣は知らない。女だの男だの、惚れた腫れた云々の話はこれまでの黒衣の人生でこれぽっちも興味がなかったのだ。

 まさかこんな時に、それも今日会ったばかりの【妖精】を相手にそんなことを考える羽目になるとは。人生とはつくづくわからないものだ。


 などと年寄りくさいことを考えていても始まらない。

 と言っても、黒衣の知っている女性など八重と従姉弟の綺亜羅きあらくらいなものだ。

 とりあえず綺亜羅のことは置いておくとして、八重が怒ったときは確か――。


(…………)


 一瞬黒衣は立ち止まり、思い立ったように差し掛かった曲がり角を走り出すと、ズンズンと先に進んでいくアリスを置いてどこかへ行ってしまう。


「……………………、?」


 しかしすぐに黒衣は戻ってくる。何故か前方から、息を切らせて。


「はぁ、はぁ……」


 黒衣が前から来たことで、アリスは必然的に足を止める。


「…………」

「はぁ、はぁ……、…………これ」


 そう言って差し出してきたのは――、


「これは……プディング?」


 プディング。要はプリンだ。


「そこのコンビニで買ってきた。

「っ……、こ、こんなものでわたしの機嫌が良くなるとでも――」

「それでも……、俺には女の子が怒ったときどうすればいいかなんてわかんねぇから……。だから、とりあえず俺の幼馴染みに聞いた方法をやってみた」

「それが、これか」

「ああ」

「……………………はぁ」


 強く肯定の一言を述べる黒衣に根負けしたのか、アリスは呆れたようにため息を吐くと、黒衣のプリンを受け取る。


「まったく……。女子おなごの機嫌を直すため使うのがプディングとは……。――と、ここを開けるのか……、ん」


 アリスはぼそぼそと文句を垂れながらプリンの蓋を開けると、黒衣に向かって掌を向ける。


「ん」

「ん?」

「スプーン。まさか素手で食べろとは言わんだろうな?」

「あっ、ちょっと待っ……」


 がさがさと、慌ただしくプラスチック製のスプーンを取り出しアリスへ手渡す。


「安物っぽいスプーンだな。わたしの力でも折れてしまいそうだぞ。……まあよい」


 グチグチと文句の多いヤツだ。とは言わない。

 なんとなく、わかるから。


「……では。はむ――」


 一口。小さなスプーンに掬ったプリンを口に入れる。

 男の口では一欠片にも満たない極々少量のプリンを、アリスは少しの間咀嚼すると、コクリと呑み込んで一言――、


「……安物だな」


 と、そう呟いた。


「カスタードの甘みもカラメルの苦味も、質も味も見た目も、どれも、どれをとってもイマイチだ。姉さま方が作ったプディングの方がこの何倍も美味かったぞ」


 う……。黒衣は心の中で項垂れる。

 それは確かにそうだ。本場英国育ちのお嬢さまであるアリスからしてみれば、日本のコンビニで売っていた程度のプリンが口に合うはずがない。一応、コンビニのくせに五百円もする高級デザートを買ってきたのだが……。


「……だが、悪くはない」

「え?」

「悪くはないと言っただけだ! 別に美味かったわけではないぞ。さっきも言ったように、姉さま方のプディングに比べたら天と地ほどの差もある」


 なにやら頬を赤らめて、アリスは熱く抗議していらっしゃる。


「それでも、だ。美味しくなかったわけではない」


 その言葉だけはボソッと、付け加えるように呟いた。


「か、勘違いするなよ! 美味かったわけではないのだからな! この程度の味で、このわたしが満足するわけがないのだからな!」


 そう言って、フンッ、とそっぽを向く。

 うわ。こんな典型的なツンデレも珍しいものだ。

 いや、今はそうではなく――、


「さっきは悪かった」


 と、今度は深々と頭を下げる。

 精一杯の謝罪。何も出来はしないけれど、とにかくそれだけは伝えよう。


「……はぁ。もうよい、人間。わたしも、大人気おとなげがなかった」


 言われてそっと顔を上げてみれば、アリスの目は今までになく穏やかで。


「だからこそ聞かせろ」


 それでいて、凜々しい。


「お前の願いを。お前がわたしに告げた願いの――その真意を」


 だからこそ、黒衣は口を開く。



「少しだけ、長くなるけど……」



 今まで誰にも話したことのない、真実を。

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