工藤流布子の葛藤

蜜海ぷりゃは

工藤流布子の葛藤

そのクトゥルフの、柔らかく硬い口から伸びる何本もの触手を、私は砂糖醤油に漬けたくて仕方がなかった。


漬け込んだら、軽く天日干しにして、すべてをあまさず喰んでしまいたくて仕方がなかった。


噛みちぎってしまわないように、大事に大事に、口の中で舌を上手に使って、いつまでも転がしていたかったのだった。


この世で最も甘く、塩辛い口づけになるだろうと、私は確信していた。


本人に直接相談するために、わざわざ登山ショップで買い揃えた、ゴワゴワするコスチュームを身にまとい、濃すぎないメイクを顔にのせて、わざわざ狂気山脈へ赴いたのに、しかし彼は取り合ってはくれなかったのであった。


私はすこしだけ憤慨したが、そういう冷たいところも好きだったことを思い出して、すぐに惚れ直した。


彼はいつも、私の想像どおりのレシーヴをくれるから、きっと運命の王子様であるに間違いないし、夜の相性に至っても、きっと必ず、お互いが満足のいく愛の工作~ラヴ・クラフト~ができるに違いないのだ。


私は来る日も来る日もゴワゴワしたコスチュームを着込み、濃すぎないメイクを施し、狂気山脈へ赴き、登り、彼を求めた。


一方で、彼は来る日も来る日もゴワゴワしたコスチュームを着込み、濃すぎないメイクを施し、狂気山脈へ赴き、登り、求めてくる私を突き放した。


その度に私は彼のことがもっと好きになったが、彼は私にうんざりしていたのだろうか。


完璧な彼に非はない。


ともすれば、問題があるのは明らかにこちらの方で、それは何かと足りない頭で考えた。


1890分と1937秒ほど考えたのち、意外にもあっさりと答えは出た。


彼はゴワゴワしたコスチュームが気に入らないのだ。


至極当然であった。


彼は体に軟体動物の成分が何%か持ち合わせているので、硬くてゴワゴワしているものが苦手に違いないのだ。


それに気がついた私は、自分をほめてあげたくなり、手が頭に伸びかけたが、居ても立ってもいられなくなり、丑三つ時を少し過ぎた時分であったのにも関わらず、狂気山脈へと歩みを進めた。


私は何年も着古し、透け透けのもはや霞のようになった下着だけを、粗末な身にあてがい、そしてまた濃すぎないメイクを施し、狂気山脈へ赴き、登り、彼を求めた。


そこからの記憶はあまりない。


緑色のような、紫色のような、艶やかな何十本もの触手に抱かれ、幾度もの絶頂を迎えたような気がする。


生来冷え性である自分を恨んだが、今となっては取り返しがつかない。


宇宙悪夢的に芳醇な香りを放つ砂糖醤油に頭まで浸かりながら、今までの人生を省みた。

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工藤流布子の葛藤 蜜海ぷりゃは @spoohnge

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