迫害された魔法士、孤児院の院長に。

神百合RAKIHA

プロローグ

── 呼吸が止まる。


一瞬にして、なにもかもが変わった。

肌寒かった気温が、春のような暖かさになり、背中に感じていた砂利の硬さが、柔らかい春草の感触に。

先ほどまでいた環境とは、真逆のような場所にいた。


だが、ディエルはそんな変化に意識を向けることはなかった。


──なぜなら、眼前のものに意識の大部分を集中していたから。



それは、美しい女性だった。

否 ── 少女と言った方が適当かもしれない。


陽の光を浴び、輝く銀髪をなびかせながら、こちらをジッと見つめている。その蒼い双眸も、全てを引きつけるが如き美しさ。

自らと同じ世界に生きているのを、不思議に思うほど。



「ああ、やっと会えました」



少女が感極まったように呟く。目尻にうっすらと涙を浮かべ、両手を胸の前で組む。



── 女神 ──



そう形容してもおかしくない姿だ。未だ嘗て、これ程暖かく、優しみのある笑顔を見たことはない。



「── 君は、一体……」



呆然と言葉を漏らし、少女に尋ねる。


視線が交差し、否応なく心拍数が上昇する。


この非日常的な出会いから、ディエルの日常は大きく変わることになった。






どの世界、どの時代にも、差別や迫害は存在するものである。

要因は様々。目や肌の色、人種、はたまた特別な何か。周囲と違う何かというのは、それだけで対象になることがある。



「はぁ……」



ディエルは大きなため息をつきながら帰宅し、ベッドの上に身を投じた。

彼もまた、人々から差別され、迫害を受けている人物である。



「銀貨2枚……か……」


ディエルは本日の収入を呟きながら、枕に顔を埋めた。家の中に入ってくる隙間風が、この家のボロボロさを実感させる。


彼が迫害を受けている原因 ── それは、髪と目の色である。

人間族にはおよそいないであろう銀の髪と蒼の瞳。

この容姿は、人間族の間で魔族の象徴とされる特徴だ。


人間族と魔族は長らく敵対関係にある。人間が忌み嫌う容姿をしていて、受け入れてもらえるはずがなかった。



「どうして俺がこんな目に……」



ディエルは泣き言のように、掠れた声で呟いた。心身共に疲弊しきっているのだ。

どれだけ貴重な素材を手に入れても、よくて通常の4分の1ほどの金額。無論、店などには入れてもらえるはずがない。



「もういっそ……自殺でもした方が」



生きていくことへの絶望を口にした。そして、ディエルは死ぬことを怖いとは思っていないのだ。


死 ── それ即ち、解放。

生きていくことは、死ぬことよりも辛いことなのかもしれない。死ねば、この生の苦しみから解放されることができる。

死の苦しみは一瞬。生の苦しみは一生。この違いから、ディエルは死の誘惑に負けそうになっていた。



「………」


無言で起き上がり、部屋に置いていあった調理用ナイフを手に取る。

そして、その切っ先を首元に突きつける。そのまま、銀色の刃はディエルの首に深々と突き刺さる ──



「 ──── 」



寸前で止まった。ナイフは手から零れ落ち、垂直に床へと突き刺さった。

── 静寂。外で鳴いている鳥の声が、やけにうるさく感じた。



「なにやってんだ俺は」



一瞬でも、死の誘惑に負けそうになった自分に嫌気がさした。

ディエルはため息をつくと、ふらっと扉を開け、外に出て行った。




外は既に日が沈み、辺りは闇が支配していた。肌寒い季節。呼吸をする度に、その口から白い煙がうっすらと立ち込める。



「はは。綺麗だな」



ディエルは頭上の空を見上げ、眼前の光景に笑いを零した。視界に映るのは、数多の星々。自らの存在を主張するかのように、光を放ち続けている。



「……これが見れなくなるのは残念だ」



ディエルは呟き、先ほどまで自らがしようとしていたことを馬鹿馬鹿しく思った。今この時、ディエルはほんきでこの光景を見るためだけに生きていると思っている。逆を言えば、これくらいしか楽しみがないわけなのだが……。



「ん……なんだか眠くなってきたな」



突然の睡魔。おそらく、一日の疲れが一気にでてきたのだろう。鳥の鳴き声が心地よく聞こえる。川のせせらぎが眠気を誘発させる。



「家に戻らないとな……」


眠気の抗いながら、ディエルはヨロヨロとした足取りで家の中へと戻る。


その頭上で、1つの流れ星が空を駆けていった。







翌日。ディエルは川で魚を捕っていた。付近の川で脂の乗った魚が取れるので、それを塩焼きにしていたのだ。



「もういいかな」



いい焼き加減になったところで、1匹を手に取り、一口かじる。



「うん。美味いな」


焼き加減、塩加減、魚本来の味、どれも文句なしの出来栄えだった。

そのままもう1匹を食べようと口を開く ── が、その時に見つけた。



「女の子?」



川の反対側。木の陰に、1人の少女が倒れていることに気がついた。しかも、瀕死の状態だ。身体からかなりの量の血を流し、意識もないように見える。


「た、助けなきゃ……」



ここで、ディエルに一瞬の迷いが生じた。それも当然だろう。今まで助けてもらえなかったのに、こちらが助けるのは不平等。それに、何か得があるわけでもない。



「 ── そうも言ってられないか!」


そんな迷いを切り捨て、ディエルは川を渡り少女を助けに向かった。





「生きてるよな?」


少女は身体中が傷だらけ。更に骨も何本か折れているようで、このままでは死んでもおかしくない。早急に治さねばならない。


完治ヒール


ディエルの手の内に魔法陣が展開され、そこから生まれた光が少女を包んでいく。

魔法というのものは、魔法陣を展開し、その中に記されている魔法式によって発動する。そして、ディエルはこの魔法式を全て自ら作り出しているのだ。

その効果は折り紙つき。少女の容体も、みるみるうちに治っていく。



「とりあえず、家に運んで……」


と、その時。少女の身体が微かに動いた。



「 ─── ん」


うっすらと目を開け、辺りを見渡す。赤い髪と瞳がとても目立つ少女だ。


「大丈夫か?」


「え……」


少女はこちらに首を回し、ディエルの顔を確認する。が、その瞬間に少女の顔は青ざめたものに変わった。


「ま、魔族……」


「待ってくれ。俺は魔族じゃない」


「え……でも……」


「君に危害を加えたりしない。というか、倒れている君を助けたのも俺なんだが?」


ディエルは渋面を作り、少女に訴える。助けた恩を感じるでもなく、ただ恐怖心を露骨に見せられるのは、やはり気持ちがいいものではないのだ。


「あ、ごめんなさい……」


「まぁ、慣れてるから大丈夫だ。それより、何か食べるか?回復したばかりだから、何か温かいものを ── 」


ディエルが立ち上がろうとした時だった。


”ドスッ”


腹部に鋭い痛みが走った。


「え……」


「え?」



ディエルも少女も、そんな間の抜けた声を漏らす。ゆっくりと自らの腹部を見ると、1本の矢が生えていた。


そして ──



”ドスッ””ドスッ””ドスッ””ドスッ””ドス””ドスッ””ドスッ”



次から次へと身体に矢が刺さる。全身を焼くような強烈な痛みが駆け巡る。辛うじて頭部を塞いでいるが、あちこちから鏃が顔をのぞかせている。



「ぐ、ぐふッ……」


吐血。口からだけではない。身体のありとあらゆる場所から夥しい量の血が溢れ出している。早く治療をしなければ、確実に死亡する出血量だ。



「やったか!」「女の子もいるぞ!」「襲われてたんだろうな。無事かお嬢ちゃん!」


野太い声がだんだんと近づいてくる。ディエルはこの場にいてはいけないと思い、治療を後にし離脱することを選択した。



「ワ、転移ワープ


唱えた瞬間、ディエルの身体は木の上へと転移した。そして、下の川岸から話し声が聞こえてくる。



「嬢ちゃん大丈夫だったか?」

「全くひでぇな。あの魔族め」

「こんなに小さい子に手を出すとは」



そんな、事実とは全く違うことを口々に言っている。だが、それも仕方ない。あの少女は一言も違うなどとは言わないからだ。


「は、はは」


力なく乾いた笑いがこみ上げてきた。これが普通。あの娘は助けるべきではなかったと、今更ながら後悔の念が湧いてきた。


人間を助ければ、こちらには仇となって帰ってくる。わかりきっていたこと。それなのに、ディエルは助けてしまったのだ。


「さすがにキツッ……がはッ!」



再び口から新鮮な血が吐き出された。吐血するたびに、喉の奥が焼けるような感覚に襲われる。

すぐに矢を取り除き、止血しないと死んでしまう。しかし、痛みと血を失ったせいで魔法式がうまく構築できず、時間だけが過ぎていく。

気がつくと、あの少女も男達もいなくなっていた。



「ぐっ ── 」


木から転落。その衝撃により、鏃が身体に深く刺さった。


「冷たいな……」


冷たく、硬い砂利の感触が背中から感じられる。だんだんと血だまりになっていく中、ディエルは朧げに今日までのことを振り返っていた。

もしかしたら、これが走馬灯というものなのかもしれない。


「くだらない……終わり方だ」


諦めの言葉を呟き、ゆっくりと目を閉じようとした ── その時だった。



─── 大丈夫 死なせない ───


「 ─── 」


頭に声が響く。ディエルはすでに声も出ないまでに疲弊しきっていたのだが、目を見開き困惑の表情を作る。


そして次の瞬間、ディエルは自らが光に包まれるのを霞む目で確認した。

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