第9話 「北条秀司による甲賀三郎言及」の調査結果

 大阪圭吉より一回り年上の演劇人・北条秀司氏にはいくつかの回顧録があります。そのなかには、甲賀三郎の死去当時に言及したものがある……そう仄聞しました。今回は『演劇太平記』(全6巻)と『わが歳月』の調査報告です。


 結論から言うと、大阪圭吉への直接の言及はありません。そして確かに言及はありますが、いずれも何か新しいものではありませんでした。ただ、読む人が読めば何らかのヒントになる可能性を考えて、以下、抜粋しておくことにします。



 (筆者註:甲賀三郎の)不慮の災死は昭和20年1月14日だった。学童疎開の緊急会議で九州へ出張された帰り途、超混雑の鈍行列車で発病され、その治療を受けようと深更の岡山駅に下車したまま客死されたのだった。急性肺炎を処理するための応急性注射液が手に入らなかったためと聞いたが、それは当時としてそれほど大変なハプニングではなかった。

  北条秀司『演劇太平記(6)』1991年刊、p34


 すべてを置いて岡山へ駆けつけた時、甲賀さんはもう息を引き取られていた。小病院の遮蔽灯の下に、これも東京から夢中で飛び乗ってきた次女の淑子ちゃんが暗く坐っていた。まだ働き盛りの偉丈夫がこんな所でただひとり……と思ったら涙がにじんだ。炭はもとより、パン切れ一つ手に入らない時だから、土地の新聞社長が供えてくれた甘くもなんともない干菓子を、一つ一つ失敬して夜を明かした。

 土地知人の心づくしで、ともかくも野辺の送りが行われ、何時間かかるかわからない鈍行で帰ることになった。   同、p36



付記:『わが歳月』の1945年にもほぼ同じ内容の記述があるものの、『演劇太平記』の方が仔細なためこちらの記述を引用した。

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