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今から二十数年前、一九九六年五月のある日、村山晃一は滑走路から飛び立つボーイング747をぼんやりと眺めていた。平日昼間のカフェテリアは、彼のほかに数人の客がいるだけで、閑散としていた。
よくあんな巨大なものが飛び上がるものだ。
大型旅客機が飛び立つところを見るたびに、村山はいつも『ブルース・ブラザーズ』という映画に出てくる、ジョン・ベルーシという俳優のことを思い出す。
映画の中で、ベルーシはその太った体からは想像もつかない軽やかなステップを踏み、さらに後転とび、いわゆるバック転を連続して決めるという、信じられない光景を見せてくれるからだ。一九八十年の映画だから、もちろんCGなんかじゃない。本人がやっているのだ。
その日、彼は当時の結婚相手がフランスへ旅立つのを見送りに来ていた。そこに至るまでに彼女と村山との間には色々な出来事があったのだけれど、それはここではあまり重要ではない。彼女を乗せた機体が飛び立ったあとも、村山はぼんやりと離陸する機体を眺めていた。
ふと、人の気配を感じてふり返ると、そばにサングラスをかけた女性が立っていた。
「村山君?」
「ええ。そうですけど」
彼は答えながら、必死で記憶の糸をたぐり寄せていた。でも、誰なのか思い出せなかった。
その女性は彼の向かいの席にすべり込むように座ると、サングラス越しにじっと村山を見つめた。
これ以上色あせることは不可能だと思われるくらい着古したGジャンに黒いスパッツ、ブリーチした髪の毛は一度もブラシを入れたことがないみたいにぼさぼさだった。まるでデビュー当時のマドンナだ。
数秒間の沈黙のあと、村山が尋ねようとする前に彼女が口を開いた。
「あの子の代わりに来たの?」
村山は「はい?」と間抜けな言葉を返すしかなかった。自分のことは知っているみたいだけど、彼女の方になにか誤解があることは明らかだった。またしばらく沈黙が続いた。
「あの、失礼ですけど……」
村山がそういいかけたとき、彼女がびくっと体を震わせた。自分の言葉に反応してそうなったのだと思って、村山はそれ以上言葉をつなぐことができなかった。でも、そうではなかった。彼女はもう一度びくっと体を震わせて、「ごめんなさい」といってサングラスをはずした。
それでも、村山は彼女のことを思い出すのに数秒かかった。彼は一度会った人の顔はよく覚えているほうだ。彼女のことをなかなか思い出せなかったのは、彼が知っていた頃の姿から、今の彼女があまりにも変わってしまっていたからだった。
このとき村山は二十九歳で、彼女も同い年のはずなのに、彼女はどう見ても四十歳前後にしか見えなかった。彼の周囲で当時これほど老けている人間はいなかったし、これほど疲れきっているように見える人間もいなかった。村山の表情から察したのだろう、彼女は「思い出した?」と尋ねた。
彼は頷いた。「石川さん」
彼女も頷いた。「久しぶりね」
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