7.邪魔者は排除しよう
ターシャの目の前に、トンと木製のボゥルが置かれた。
いい匂いにつられて中を覗き込むと、分厚いベーコンと、なにやら小さな丸いものが入ったいた。
「うまそうだろ? ベーコンとかぶのクリーム煮だ。今朝、多めにミルクを買っておいたんだ」
「かぶ? この白くて小さい丸い物がかぶなの? まるごと入れるなんて、硬いんじゃない?」
「俺がそんな失敗するわけないだろう。スプーンで割ってみろって」
言われるがままにスプーンでかぶをつつくと、簡単に割れた。
ターシャは、その横にベーコンを器用に乗せると、大きく口を開ける。
「あっっ……つ!」
「あああ、いきなりそんな一気にいくから!」
グリードは水差しから急いでグラスに水を注ぐと、テーブルに置いた。
これは以前、散乱した荷物の中に埋もれていた水差しだ。あの後しっかりと洗って、今では現役に復帰している。
だが、ターシャはグラスに手を伸ばすことなく、口をハフハフさせながら、なんとかかぶとベーコンを飲み込んだ。
「ターシャ、大丈夫か? 口の中火傷しなかったか?」
「うん、大丈夫。これ、かぶに味が染み込んでいてすごく美味しい! ベーコンはこんのり香ばしいわ」
「ああ。先に少し焼いているから」
「後で煮込んじゃうのに、焼くの?」
「そう。ベーコンの食感が良くなるのと、香ばしさが増すのと、あとはベーコンから出た脂が煮込んだ時、味わい深くなるんだ。少し粗挽きコショウを入れてるのが、またいいだろ?」
「あ、この後味が少しピリッとするのはコショウなのね?」
このコショウの強さが、チーズを乗せたパンに合う。
ターシャは朝からパンを三枚も平らげてしまった。
グリードは、この村の商店で買える限られた食材でも、同じようなメニューが続かないよう、工夫して作っているようだ。料理が得意とは聞いていたが、まさかこんなにもレパートリーがあるなんて思っていなかった。
このところのターシャの食べっぷりは、自分でも驚く程だった。これまで食にあまり興味がなかったものだから、歯止めが利かない。
(確実に太っちゃうわね……)
まさかこんなにも毎日、メニューを変えてくれるとは思っていなかった。
だが、こんなにも料理に力を入れるのには
チラリとグリードを見ると、彼は神妙な顔つきでターシャを見ていた。
「ターシャ、まだ怒ってるのか?」
その機嫌を伺うような表情からして、狼の姿だったら、耳を伏せているのではないかと思えるほどだ。
グリードは、数日前の湖の件を言っている。
ターシャが水浴びをしているタイミングだったのと、会った時のグリードの慌てように、誤解が生じてしまったものの、グリードが覗きをしていたとは本気で思っているわけではない。
ただ、ターシャ自身も薄い肌着姿だったことが気恥ずかしかったのと、グリードの謝罪を素直に受け入れられずにいた。
ターシャとしても、どこかいいタイミングで仲直りしたいのだが、こういうのは慣れていない。そこで、いつもひとりで行っている場所に、グリードを誘ってみることにした。
「グリード、ちょっと出かけようか」
「え? 今日は仕事じゃないのか?」
「いいの。今日は占い屋だけが臨時休業よ。グリード、持っている服の中でも一番上等なのを着てね」
「え? あ、ああ」
わかった――と返事はしたものの、上等な物など買っていないグリードとしては、比較的新しい服に袖を通し、部屋から出て来た。すると、いつも生地が柔らかくこなれたワンピースばかり着ているターシャが、襟と袖にレースが付き、ウエストをリボンで絞った若草色のワンピースを着て待っていた。いつものおさげも、緩い三つ編みにし、ワンピースと同じ若草色のリボンで結っている。
「ターシャ、可愛い! すごく似合うよ!」
「……ありがとう。でも、グリードはやり直しね」
「ええっ!」
照れたようにはにかんだターシャだったが、グリードの恰好を見ると、服選びを手伝い始めた。
ベッドの下のカゴを取り出し、あれこれとグリードの身体にあてては、あーでもないこーでもないと、ブツブツ呟く。
グリードが村で買った服は元々そんなに多くないが、その全てが却下された。
「うちに来た時はガリガリに痩せていたものねぇ……」
今持っている服は、全て村に来た時に買ったものだった。その時の体型に合わせて買ったものだから、ちゃんと食事を摂り、適度に身体を動かすようになって、その服も合わなくなってきていた。
「そうね……。うん、ちょっと待ってて」
そう言って部屋を出ていったターシャは、一着の服を持って戻ってきた。
それは見るからに丁寧な縫製の服だった。
生成りのシャツは柔らかく肌に馴染む。同じ生地で作った濃い茶色のベストとズボンは、ほつれがひとつもなく、裾の始末も丁寧だった。少し光沢のある同系色のボウタイまである。
「さすがに靴はないの。靴は今履いている物でいいかしら」
「ターシャ……。これ、どうしたの?」
「これ、ルーシアが遺してくれたものなの。ルーシアは以前仕立て屋をしていたのよ。私が今着ているのも、ルーシアが作ってくれた物なの。数は少ないけど、男物も作って遺してくれていたのよ」
「誰のための服なの?」
グリードの質問に、ターシャは少しだけ言葉を詰まらせた。
「誰って……誰でもないの。その、いつか私にいい人が出来たらって……。ええと、グリードはそういうの気にしなくていいのよ。とにかく、今ある服はサイズが合わないから、ちょっとこれを着てみたらどうかしらって、思っただけ。それだけ」
「いいの?」
「いいの。これも合うかはわからないし。着てみて」
勧められて袖を通してみると、それは驚くほどグリードにピッタリだった。
しっかりと身体に添って包み込むのに、腕を上げても肩を回してもスムーズに動ける。ズボンもちょうどくるぶしを隠す長さで、少し絞られた膝の高さまで丁度だった。
「すごい、ピッタリじゃない」
「ああ……。すごく着心地がいい。ビックリだよ」
「じゃあ、行きましょうか」
どこに、と言わないターシャについて家を出る。そのまま商店街を歩くと、ターシャは花屋に立ち寄った。
「サビアおばさん。花束を見繕ってほしいんだけれど」
「ああ、いいよ。今日はデートかい?」
「違うわ。ルーシアの好きな花を入れてね」
「ああ、そうか。そうだね」
花屋のサビアは手早く花束を作ると、更に小さな花束をつけた。
「ごめんよ。すっかり忘れてて。これはあたしの気持ちさ。一緒に持って行ってくれるかい?」
「ありがとう、おばさん。じゃあ、これはグリードが持ってくれる?」
ターシャが向かったのは、村を見下ろす高台にある、小さな墓地だった。
一番隅の小さな石碑の前には、既に色とりどりの花束が置かれている。
ターシャはその花束を綺麗に並べると、持ってきた花束をその横に置いた。
「ここにルーシアが眠っているの。今日はルーシアの命日なのよ」
「そうなのか……」
グリードもターシャに倣い、サビアから渡された花束を置いた。そして、しゃがんだまま黙り込んだターシャに寄り添うように立つ。
花束の多さから、ルーシアという女性の人柄が偲ばれた。
流れる雲をいくつも見送った頃、やっとターシャが口を開いた。
「さっき、サビアおばさんが命日を忘れてたって言ってたでしょう」
「ああ」
「あれ、私もなの。このところ色々あって、昨日になって思い出したのよ」
「でも、思い出しだじゃないか」
忘れていた自分を責めた言葉かと思い、そう返したが、ターシャは首を振る。
「グリードが私の前に現れたのがルーシアの命日に近かったこと、もしかしたらだけど、私がひとりでいないようにっていう、ルーシアの計らいだったのかなって思ったの。こうしてふたりで来て欲しかったのかなって」
「ターシャ……」
「グリードがいつか、また旅に出るっていうのはわかってるわ。でもね、毎日美味しご飯作ってくれる事とか、家を綺麗にしてくれる事とか、ルーシアがいた時の、感覚が戻ってきたの。仕事以外にも、楽しみとか嬉しいとか、そういう事があるっていう感覚が。だからね、あの……ありがとう。それと、この前はごめんね。早とちりして、怒っちゃって……」
「ターシャ、許してくれるのか?」
ターシャはやっと、グリードの言葉に頷く事ができた。
* * *
数日後、ターシャが、店に連れて行ってくれることになった。
一緒に店に向かって歩く姿が狼だったなら、尻尾をブンブンと勢いよく振っていただろう。だが、グリードが機嫌よくいられたのも、昼までだった。
早い時間帯は客もおらず、ターシャとお喋りしながら店の中を掃除していたのだが、陽も高くなると、客は途絶えることなく続く。
先客がいても帰ろうとはせず、予約して外で時間を潰す客もいて、ターシャの占いの腕は相当なのだとわかった。それが知れたのはいいが、客がいると、当然グリードは店の中に入ることはできない。
仕方なく、壁や窓を洗い、草むしりをして客が帰るのを待った。
(俺、めちゃめちゃ健気じゃね?)
そんなことを思いながらも、なぜか上機嫌のグリードが鼻歌を歌いながら店の裏で草むしりをしていると、ドアが開く音がした。
午前の客はこれで最後のはずだ。
「よっしゃー。やっと休憩時間――ん?」
いそいそと立ち上がったグリードだったが、嫌な匂いに鼻をひくつかせ、顔を顰める。
この匂いには、覚えがあった。
「アジルめ……。まだしつこくターシャを狙ってるのか……」
裏からそっと通りを伺うと、そわそわと落ち着かない様子のアジルが、店の中を窺っていた。そして、中に客がいないことを確認すると、窓ガラスで身だしなみを確認する。
グリードの手により、綺麗に吹き上げられた窓ガラスを見ながら髪を撫でつける様子に、グリードは「お前のために窓を綺麗にしたんじゃねえんだよ!」と、心の中で悪態をついた。
だが、勿論そんなことに気づかないアジルは、最後に笑顔の確認をすると、満足げに頷く。
アジルはドアノブに手をかけ、大きく深呼吸すると、一気にドアを開けた。
「よう、ターシャ。なんだよ、今日も昼抜きか? なんなら、俺が奢ってやってもいいぞ」
素直に食事に誘えばいいものを、アジルはそれができないらしい。
言葉通りにしか受け取れない男心に鈍いターシャは、その言葉に対して、心底迷惑そうにため息をついた。
「い ら な い」
「そう言うなって。隣町のメインストリートに、最近美味い店ができたんだ。ちょっと値が張るけどよ。ま、俺がいるから大丈夫さ。行こうぜ」
このやり取りで、なぜ行く前提で話が進むのかわからない。
この男は、一体どうしたらちょっかいをかけるのを止めてくれるのか、わからない。
ターシャはほとほと困り果てていた。
アジルは尊敬する村長の息子だ。金持ちであることを鼻にかける以外は、まぁ、我慢できない程ではない。
むしろ、周りの同年代の女性たちはそんな自慢すらも、快く受け止めている者も多く、彼に好意を持っている者もいるらしい。ならばいっそ、その女性たちにちょっかいを出せばいいものを、なぜこんな村の外れの小さな店にまでやって来るのだろう。
いつもなら客を理由に断るのだが、残念ながら次の予約は昼過ぎだ。
さて、どう断ろうかと考えていると、タイミング悪く、腹の虫が空腹を主張した。
「ほら、腹減ってんだろ? 行こうぜ」
「いや……。だからね、私は――」
最悪だ。なぜこのタイミングで腹が鳴るのだ。
ターシャは両手を腹にあてるが、勿論、止まってくれない。
最悪だ。
こんな軽い自慢男となんて、出かけたくない。
どう断ったらこの男に通じるだろう……そう思いながら言葉を探していると、再びドアが開いた。
「ターシャ。そろそろ、弁当にしないか?」
「あっ」
「ああん? なんだお前」
一瞬、三人の間で沈黙が流れる。
グリードはアジルがどう出てくるのかを待ち、アジルは目の前の男が何者なのか、処理しきれないようだ。そして、ターシャはというと、綺麗さっぱりグリードの存在を忘れていた。
「そういえば、いたんだっけ」
「ひでーな、アリーシャ。朝、一緒に家を出たろ?」
「はっ?」
勿論、同じ家から来たというのは、わざと言ったのだ。
アジルはそれに簡単にひっかかった。
「おい、お前……! 誰かわからんが、とにかくお前! ちょっと表出ろ。お前に言って聞かせたいことがある!」
「いいけど。手短にしてくれるか? ターシャ、テーブル片付けておいてくれ」
「え? あー、うん」
テーブルを片付けると言っても、広げてある布を外すだけだ。それよりも、グリードの言った“弁当”が気になった。ターシャは認めないだろうが、ターシャはグリードにより、すっかり胃袋を掴まれている。その証拠に、ターシャは、いそいそと布を外して綺麗に畳んだ。
*
「おい、お前一体何者だ? 最近ターシャの周りに、やけに男前なやつがうろついてるとは聞いたが……」
「ああ、それは俺だね。男前だなんて、照れるなぁ。……で? それを知ってるのに、まだターシャにちょっかいかけてんの? 懲りないな。しつこい男は嫌われるぞ?」
「う、うるせえ! そんなのは、単なる噂で、誰かが面白がって流したと思ってたんだ。第一、この村では俺に歯向かう男なんかいないからな!」
「あー、それで、ターシャに近づくなって他の男を牽制してた口か」
「な! なんでそれを……!」
「ターシャがあまりにも無防備で、全然自分の魅力に気づいてないからね。勿体ないな~って思って。でもまあ、礼を言うよ。俺の代わりに、他の男を遠ざけててくれて、ありがとう」
「お前のためじゃねえ! お、お前も近づくな! 大体、お前なんなんだよ!」
やけに落ち着いていて、脅しともとれる言葉にも余裕の笑みを返すグリードに、堪忍袋の緒が切れたアジルが、胸倉を掴んだ。だが、グリードはビクともしない。人狼にしては細いその身体も、ただの人間と較べようがないくらい、筋力が発達している。
掴みかかられていながらも、落ち着いた静かな視線で見下ろすグリードに、アジルはゴクリと喉を鳴らした。
「俺? 俺はねえ、人狼だよ」
「は?」
「人狼。つまり、狼男だ。……お前さぁ、最近この辺りで、狼を見なかったか?」
グリードは大きく口を開けて、ニッコリ笑う。
グリードの言葉が信用できず、アジルは胡乱気な目を向ける。だがその目の前で、グリードの口の中に変化が起きた。
綺麗に並んだ歯が、にょっきりと伸び、立派な犬歯が現れたのだ。
「ヒッ……」
アジルは湖で遭遇した大きな黒い狼を思い出し、力が抜けたように手を離した。そして、じり、じりと後ずさる。
「ガゥゥゥ!」
大げさに吠えてみせると、アジルは尻もちをついてしまった。前に投げ出した両足は、ブルブルと震えている。
情けないやつだ。こんなのがターシャを狙っていたかと思うと、反吐が出る。
心底軽蔑したような、冷たい目で見下ろす。
すっかり怯えたアジルは、泣きだしそうな目でグリードを見上げた。
「ターシャから離れるのは、お前の方だ。覗き魔アジル」
「ヒィィィィ!」
アジルは真っ青になると、震える足をもつれさせ、転びそうになりながらも、なんとか通りを走って行った。
「ばいば~い」
グリードはアジルの後ろ姿に手を振ると、「さてと」と掴まれた胸倉を直した。
歯はもう元に戻っている。
「あ~あ、これターシャがくれたシャツだぞ。クシャクシャじゃないか。まったく、野蛮なやつだな」
「あれ? アジルは?」
ドアを開けて顔を覗かせたターシャが尋ねた。
「帰ったよ。ターシャが迷惑がってるから、金輪際近づくな~!って言っといたぞ」
「ええっ? そんなんで帰ってくれたの?」
「ああ。案外、話のわかる男だった」
「ええ~。私の今までの苦労はなんだったのよ……」
ターシャは不満げに頬を膨らませる。よほど困っていたのだろう。
「それにさ、今日は弁当があるし、わざわざ隣町なんて、次の客が来るまでに食事が終わらないじゃないか」
「あ、そうそう! ねえ、お弁当ってなに? そんなのいつの間に用意したの?」
アジルがいなくなった今、ターシャにとっては彼の誘いなどどうでもいいらしい。
ターシャの頭は、グリードが持ってきたという弁当のことでいっぱいだ。
「朝詰めて来た。ほら、分厚いハムのサンドウィッチと、こっちはスライスしたイモを焼いたヤツだ。それとこっちはサラダに、木苺のジュース」
バスケットから次々出される食べ物に、ターシャは目を輝かせた。
「すごい! 美味しそう。食べていい?」
「ああ。食え食え」
「美味しい~!!」
ターシャは嬉しそうに口いっぱいに頬張っている。そんなターシャの様子に目を細めると、グリードも大きな口でサンドウィッチを頬張った。
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