離婚劇

@kounosu01111

第1話

 その前兆は、雪の降る晩の深夜から始まった。 

 

 その夜は、旧友の秋田との飲み会があった。

三年も前の冷たい深夜一時であった。私と秋田は、私の馴染みの居酒屋へ入り、二合トックリを七本飲んだ。

秋田は良いが、私は龍ヶ崎へ帰らなければならないので、早く帰ろうとしていた。


 秋田は、三度目の離婚をしていたばかりで、

「別れた後は演歌が響いてくるって本当だなぁ。」と言っていた。

 

 私と秋田は、中学生の時から友人になって三十年も過ぎていた。

 私はその秋田に借りがあると思っていた。私の店は当時東上野の二丁目にあって、開店するまでは不安で心が絶えず緊張し、頻脈症になり、不眠症にもなった。

己が神経科の病院へ行くなんて、考えられなかった。

 

 それは母親の縁にある。四十五歳で精神病院へ入院を繰り返して、十年もかかった。母は更年期障害の最上の症状であった。


 私が高校二年生で、妹が小学五年生であった。

その後私は浪人して、二年目は、我が家は暗かった。

妹には申し訳ないが、その間に家出して家にいなかった。高校もそうだったが、私は逃げてばかりの生涯だったように思っていた。

 その生活は埼玉の志木という小さな町だった。今ではその面影もないが、畑ばかりが一面の田舎だった。

 それと、今では大きな市になっている新座の凸版印刷と言う大きな会社で季節工員として働いた。


 今の人は、信じられないだろうが、携帯電話など全くなかった時代だ。

 私の家にも電話が引かれてからまだ十年という昔の話である。


 今でも私はパソコンが使えない。アナログの時代遅れの六十六歳の老兵になっている。

その上脳梗塞を患う片目の老人である。そんな私が行っているのが、朝一時間の散歩と小説書きだ。

 私は念願の小説化の仲間に入った。と思っているのは自分自身だけのようだ。


 五木寛之氏や毎月行われている、常陽銀行の主催する文芸サークルの筑波大学の教授の西田氏にも同じようなことを言っておられる。

老兵は文学界は必要としていないようだ。私は、これまで新潮社に五回ほど応募しているのだが、誰にも読まれず、ボツになっている。


 駄作なのは本人が一番良くわかっているつもりである。

そこで私は、インターネットで配信しようとして、アルバイターを雇うつもりで動いている。

 何せ、池澤に許してしまうと、二十万円も要求されてしまう。その池澤がデンマークへ行っている間の作戦だった。

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