他人の腕【 百目奇譚 四谷怪談 】

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 それは 、蒸し暑くじっとりした空気が肌に纏わりつく、ある夏の日の午後だった。

 古い日本家屋の民家の仏間で私はゴロゴロしていた、この家にはクーラーもなく開け放たれた戸の外には夏の日差しに焼き付けられた庭先が眩しく見えている。が、対象的に室内はどんよりと薄暗く陰鬱とした影を落とす。

 いつもならうるさ過ぎるくらいにクマゼミの鳴き声が聞こえているのだが、どうした訳か今日はピタリと聞こえない、暑すぎて蝉どもも鳴く気力を失ったのだろうか。さすがにあの日差しの下に身を晒すのは自殺行為であろう。

 私は外の明るさを避け、反対の廊下側の閉ざされた障子の脇に横たわっていた。障子の下側には50センチほどのすりガラスがはめ込まれている。

 冷んやりとした畳の感触もいつしか生温かいものへと変わっていた、私はぼんやりと天井を意味もなく見つめていた。木の板を張り合わせた天井には所々 人の手形やら足形らしきものが黒く浮き上がっている、この家は戦前からあると聞く、相当昔に建てられた物だ、あの手形やら足形は当時の大工たちのものが年月を経て浮かび上がってきたのだろうか、それとも違うのか、違うのなら誰のものなのだろう。

 どうやら私は いつの間にかうつらうつらしていたようだ。どれ位時が経ったのだろう、ザワザワと気配を感じる。

 少し離れていたはずなのだが障子のま下にいた、気配は障子の向こうの廊下からだ、はめ込まれたすりガラスの向こうに何やら複数の動くものがある、何か言っている、話し声なのか 聞き取れないが確かにひそひそと話している。今日は夜までこの家には私一人のはずなのだが。

 妙な汗が身体をつたう、暑さのせいだけでは無いようだ。なんだか胸が苦しい、いや苦しいと言うよりも重たい、何者かに胸を押さえつけられているような感覚だ、私はたまらず胸の上にあるものを掴んで押し退けた。

 咄嗟に私は覚醒した、私は今 掴んではいけないものを掴んでしまった。それはじっとりと冷たく生々しく柔らかいものだった。

 とその時、押し退けたものが私の胸の上にドンと落ちてきた。

 それは見たことのない冷たい他人の腕だった。


( 百目奇譚夏号 特集百目怪談 『 他人の腕 』より )





 天井に緑色の1センチほどの物体が見える。いつからだろうか、定かではない、ここ最近のことなのか、それともかなり以前からなのか。

 この1Kのマンションに越してから一年ほど経つが意識したのはつい最近なのでやはり最近のことなのだろう。

 それは緑色のカメ虫だった。


「 店長 聞いて下さい 」

 ここは都内の外れに位置するコンビニエンスストア ”セブンスマート” の店内である。私の名前は鳥迫月夜とりさこつくよ19才 フリーター 彼氏ナシ である。えっへん。


「 どうした月夜つくよ君 聞いてやるよ 」

 そしてこの男性は … 店長だ。ちょっと見 メタルバンドにいそうな出で立ちをした長髪野郎だがそんなことはない。ただの店長だ。


「 天井にカメ虫がいるんです 」

「 死んでんの 」

「 なっ なっ 何でわかるんですか 私はただカメ虫がいるって言っただけですよねぇ 死んでるなんて一言も言ってないですよ あなたエスパーですか それとも私のお部屋をこっそり監視しているストーカーさんですか 訴えますよ 」

「 あのねぇ 」

「もしかして今日の下着の色とかチェックしてないでしょうね 」

「 今日は薄紫のかわいいやつ 」

「 へ へ へ 変態野郎 」

「 だってさっきブラ紐見えてたじゃん それとも見せてたのかな月夜君 」

「 最低 最低 最低ですね 最低ですよ 本当にあんた最低だ 薄々感づいてましたがやっぱり最低だったんですね 」

「 そこまで言わなくったっていいじゃないか 月夜君だってこの前ユキ君の黒のブラが透けてるの見て興奮してたじゃんか 」

「 こ こぉ 興奮してねぇよ あれは店長がユキちゃんに下着セクシーだね なんてドストレートに言うから思わず興奮しただけだし 」

「 興奮してんじゃん 」

「 あッ じゃなくって えっとぉ 何の話してたんだっけ 」

「 カメ虫だよ 」

「 そうそう 何で死んでると思ったんですか 」

「 だって月夜君はカメ虫が いた じゃなくって いる って言ったろう いるって事は今現在もいるんだろうから死んでる可能性が大きいじゃないか 生きてたら動いていなくなるはずだ 」

「 やっぱり死んでるんですかねぇ 」

「 なんだ 怖いのか なら僕が取ってやろうか 」

「 マジですか って女の子のお部屋に入り込んで盗聴器や盗撮カメラ仕掛けるつもりだろう 変態マニア野郎 」

「 じゃあやめた 」

「 別にカメ虫は怖くないです ただ手が届かないかなって 」

「 じゃあその時は僕の出番だ 」

「はい でも本当に死んでると思います 」

「 いつからそこにいるんだい 」

「 わかりません 気がついたらいました もう1週間くらいです 」

「 冬場ならいざ知らず 暖かいこの季節に1週間動かないって事はないだろう 多分死んでるよ 」

「 でもでも天井にとまってじっとしたまま死ぬなんてなんかマヌケじゃないですか とりあえずひっくり返って死ねよって思っちゃいます 」

「 地面以外で生活する虫はだいたい死んだら落っこちちゃうからね ひっくり返って死んでるように見えるだけだよ カメ虫みたく小さくて軽いやつは落っこちにくいだけだよ 人間だってそうそうひっくり返て死んだりしないだろ 自然死ならたいがい寝たまんまだ 」

「 えぇぇっ 私は死ぬ時はお餅を詰まらせてひっくり返って死んでやる 」

「 おいおい 月夜君 あんまり迷惑な死に方するなよ 正月そうそう大変じゃないか 」

「 記録より記憶に残るプレーが大切です 」

「 ニュースにはなるし笑い者にはなるし両方残っちゃうじゃん 家族としては当たり障りない時期に自然死して欲しいだろ あと交通事故に遭うとか あれなら金が貰えるから家族は喜ぶぞ 」

「 死んで喜ばれるくらいなら 迷惑な死を選びます 」

「 我が儘だなぁ月夜君は でもそれならそのカメ虫もある意味迷惑な死を選択してるぞ 本来なら誰にも気づかれない虫ケラの死なのに君の記憶には残ってるじゃないか 月夜君への単なる嫌がらせなのかもしれないし 」

「 なんで私がカメ虫から嫌がらせされながら死なれなきゃなんないんですか 別に怨まれるような事してませんよ 」

「 前世でそのカメ虫となんかあったのかもよ 」

「 やめてくださいよ ベッドの真上なんですよ 眠れなくなっちゃうじゃないですか カメ虫にうなされたら店長のせいですよ あッ そうだ 店長なんか怪談話知りません 」

「 唐突だなぁ 怪談ってお岩さん的なのかい 」

「 バイト先の百目奇譚ひゃくめきたんで次の号は怪談特集するから集めてこいって言われてるんですよ 」

 百目奇譚とは私のもう一つのバイト先でオカルト雑誌の出版社百目堂書房から刊行されてるオカルト誌の名前である。実を言うと百目堂書房は私の祖父 トリオイ製薬現会長 鳥迫秀一とりさこひでいちの経営する出版社でもあり、副編集長の三刀小夜みとうさやとは幼少期より見知った仲なのだ。


「 怪談か うらめしや的なやつだよね 」

「 お岩さんって四谷怪談とか言うやつでしょ あれ実話なんですか 」

「 さあね 実際に起きた元の事件があるのかは知らないけど江戸時代の有名な歌舞伎や落語の演目の1つだよ 昔は幽霊と言えばたいてい片目が腫れたお岩さんだったからね それぐらい庶民にも浸透してたんじゃないか なかなかよく出来た怪談話だよ 」

「 奥さんを毒殺しちゃうんでしたっけ 」

「 毒では死んでないんじゃないか 確か髪が抜け落ちて目蓋が腫れ上がるんだよ その後斬り殺したんじゃなかったっけ まあ身内の殺人事件なんてたいていおどろおどろしいものだよ そして化けて出る 」

 身内で起こる殺人事件、そこにはどうゆう経緯で至るのだろうか、もはや正常ではないのであろうか、それとも 正常だからこそ、そこまで出来てしまうのだろうか。

「 やめてくださいよ なんか怖くなっちゃったじゃないですか 」

「 あのさぁ そりゃ怪談は怖いだろう 」

「 そうなんですけど 店長は幽霊信じる派ですか 」

「 いんや 信じる信じない以前に見たことないからね やっぱ見てみないとわからないよ 」

「 わからないって 見たら普通信じるでしょ 」

「 そうでもないよ 以前ね 夏のじっとりと暑い午後にすりガラスの引き戸の脇の畳の上で寝入ってしまってね 」

「 なんか始まった 」

「 そしたらうなされちゃってさぁ すりガラスの向こうで沢山の人がなんか喋ってるんだ 」

「 何勝手に始めてるんす 誰も居ないんですよねぇ 」

「 うん 向こう側は廊下だけど僕だけだよ そしたら胸が苦しくなってさぁ なんか重たいんだ 」

「 ちょいたんま 怖いのだったら 私 泣いちゃいますよ」

「 でね 無意識に胸の上の重たい物を片手で掴んではねのけたんだ そしたら じっとりと冷たくって柔らかく掴んではいけない生々しい感触が伝わってね 」

「 エロイムエッサエム エロイムエッサエム 我は求め訴える 」

「 さすがに意識が覚醒してさぁ そしたら今はねのけた物がドンって胸の上に落ちて来てさぁ 」

「 私は何も聞こえないし何も感じない そう月夜は道端の石ころなのよ 」

「 それが他人の腕なんだ 」

「 いゃァァァァァァ …

「 僕は今まで自分でも聞いた事無いような声出しちゃてさぁ 本当 死ぬほどビックリしたよ 」

「 …… で その後どうなったんです 」

「 それがさぁ 僕の腕だったんだ 」

「 へっ 」

「 なんか変てこな姿勢で寝てたみたいでさぁ 片腕が完全に痺れて胸の上に乗ってたんだ それが重たくって無意識にはねのけたら痺れて感覚がなくなって冷たくなった自分の腕だった 固まってたからはねのけても元の形に戻って胸の上に帰って来た それを居るはずのない他人の手だと思ってしまったって訳だよ 」

「 なんじゃそりゃ 店長 月夜の涙を返して下さい 」

「 でもね月夜君 僕がもしビックリしすぎて意識を失ってたらどうなってた 」

「 気絶してたらって事ですか そしたら次に目覚めた時はもう腕は痺れてないかもですね 」

「 そう その場合 僕の胸に落ちて来たのは他人の腕のままなんだ 自分の腕だと確認して無いからね 痺れた自分の腕だったなんて推理はなかなか出来ないだろう 」






「 ツク お前の怪談話 なかなかよかったぞ 好評じゃないか 」

 ここは都内のオフィスビルの一角にあるオカルト誌百目奇譚の編集室である。今話している超美人なお姉さんは三刀小夜副編集長である。隣にいるイケメン風男子はカメラマンの海乃大洋うみのたいよう君だ。

「 似た体験とか まったく同じ体験した事あるってツイートが結構来てるっスよ ツクヨちゃん 」

 海乃が続ける。

「 他人の腕子さんッて都市伝説もネットで広まりつつあります 班長 商標登録しときますか 」

「 そうだな海乃 アニメ化 映画化になったらガッポリだぞ ツクでかしたぞ 」

「 あはは はは ははは ……

 痛む、心が痛むぞ月夜ちゃん。

 結局、大した怪談話は集まらず、店長から聞いた話をほんのちょっぴりだけアレンジして原稿にしたのだ。もちろん店長には無許可で。

 別に嘘はついてないもん、ただ最後の部分をほんの少しだけ割愛しただけだし、店長にはあの場面で気絶してもらう事にしただけだし、わわわわ私は悪くない。

 だいたい腕子さんって誰だよ、何で女性に特定されてんだよ、同じ体験ってどんだけみんな腕痺れてんだよ、アニメ化?映画化?やめてください。お願いします。


 その夜、小夜と夕食を外で済ませた。マンションに帰りグダグダしてから灯りを点けたままベッドに入る。

 何かが違う、何が違う、天井だ、天井のカメ虫がいない。この何ヵ月間か天井の緑色のワンポイントと化していたカメ虫がいなくなってる。

 何回か店長に言ってとってもらおうと決意した事もあったが結局言えないままに時を費やしてしまった。

 私はベッドから跳ね起き布団をめくる、落ちたならベッドの上である、1枚、2枚、シーツもめくる、敷き布団もマットもパイプベッドも、なのにいない。どこだ。

 私はパジャマも脱いでバサバサする、髪も徹底的に調べた。どこにもいない。

 生きていたのか、そんなはずはないはずだ。きっとどこかにいるはずだ。

 それから部屋中隈なく探した。だが見つからない。

 夜半過ぎに下着一丁でカメ虫を探し回る自身の姿の映り込んだ点いていないテレビの画面を見て我に返った。

 もう寝よ。


 そして夢を見た。

 天井にとまったカメ虫の背中が割れて中から何かが垂れ下がる。白いそれはどんどん膨れ上がってゆく、そしてそれは形を成す、白く冷たい人の腕へと。

 ぼとり、他人の腕は私の胸へと落下した。






「 雑誌みたよ 」

「 ギクっ 」

「 ネットで話題らしいじゃないか 」

「 はてさて なんのことやら 」

「 イタ飯デートで手を打とう もちろん月夜君の奢りで 原稿料入ったろう 」

「 い い いっ 板前飯ですか 」

「 じゃあ回転寿司でいいよ 」

「 守秘義務は守ってもらいますよ 」

「 わかった 」

「 ところで店長 カメ虫さんがいなくなりました 」

「 カメ虫っていつの話だよ あれ相当前だろ 僕はいつ部屋に呼んでくれるのかずっと待ってたのに 」

「 なっ なっ 何言ってるのかな 」

「 … で 死体は 」

「 見つかりません どこにもいないんです やっぱり実は生きてて自分でどっか行ったんすかねぇ 」

「 それはないだろう 何ヵ月も動いてなかったんだろ あんな小さな虫 水分が抜けたらからからの木の葉とかわらんよ 風にでも飛ばされたんだよ それかなんかに食べられたとか 」

「 何に食べられるんすか そっちの方が怖いですよ 」

「 そりゃ何だって食べるさ 部屋の中なんて知らないだけで結構色々いるんだよ 1匹でも見慣れない虫を目撃したらそこで繁殖してる可能性は充分あるからね とくに羽根のない奴 」

「 やめてくださいよ 怖いじゃないですか 」

「 ダニが内側からゆっくり食べてたかもしれないしね からからの虫なんてホコリと大差ないだろう 有機体なんていずれ分解され消滅する定めなのさ 」

「 なんか納得できません 」

「 月夜君の他人の腕子さんと同じだよ 」

「何が同じなんです 」

「 肝心要の最後の何行かが抜けている 世の中の不思議な話なんてだいたいそんなものさ カメ虫も最後の何行かを月夜君が知らないだけなんだよ 」

「 それってなんか淋しいですね 」

「 そんなもんだと割り切るしかないよ 今度 天井のカメ虫さんってゆう怪談を書けばいいじゃないか 」

「 それなら最後の数行は今度は私が付け加えます 」

「 なんて書くんだい 」

「 カメ虫さんは転生して私のストーカーさんになるんです そして陰ながら私を見守り続けるんです 」

「 なんか怖いよ 」

「 ここのストーカーさんは私を見守ってくれないんですか 」

「 もちろん 今日のブラはピンクのかわいいやつだ 」

「 へ へっ 変態野郎 なんで知ってるんですか 」

「 さっきしゃがんだ時 上から見えたから 」

「 最低 最低 最低です どうして最低なの 最低じゃなきゃダメなんですか 」

「 しょうがないだろ 見えたんだから 」


「 おつかれさまです 」

 突然一人の美少女が現れた。私の同僚の八島やしまユキちゃんだ。

「 あれ ユキちゃん いつ来たの 全然気づかなかったんだけど 」

「 ツクさんと店長が見つめ合って楽しそうにお喋りに夢中になってる最中によ 」

「 いやいや ユキちゃん 何言ってるのやら さっぱり それより聞いて このド変態ストーカー野郎が私の下着をエスパーするんだよ 」

「 ツクさんのサイクル的には今日はピンクの可愛いやつね 」

「 えっとぉ 私のサイクルって何 」

「 紫のちょいセクシーなやつも似合ってるわよ 興奮するわ 」

「 えっとぉ …

 その時、ユキの体から何かがポトリと落ちた。それは小さな緑色のカメ虫だった。だがそれからは硬質な金属音がしたのだった。









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