第23話 新国民“オシムニョン”(2)
ぼんやりとした意識の中で声が聞こえてきた。
“…いいか、よ~く聞け。俺は日本で一番有名な俳優なんだ。俺がいなくなったら、世間は大騒ぎさ。そしたら警察が動いてお前たちなんかすぐ捕まってしまうさ。日本の警察の検挙率は世界一なんだぞ…”
―どこかで聞いたことのある声…。あ、コメディアンのジンちゃんだ。先生は彼の演技はまだまだなんておっしゃっていたけど、今の演技は真に迫っているわ…。
コメディアンの声がするということは居間にいるのだろうか。テレビを見ながらねむってしまったようね。そろそろ起きなくては。
その時、何かが水に放り込まれた音がした。と同時に星香の意識は遠退いていった。
鉄扉が開く音と共に彼女は目を醒ました。
「気がついたようだな」
作業着を身につけた屈強な男が現われ声を掛けた。彼女は身体を起こした。幸い縛られてはいなかった。
「まもなく、この船は共和国へ到着する」
「キョウワコク?! そこは地獄ですか、天国ですか?」
予想外の応えに彼は内心おどろいた。
「う~ん、地上の楽園だな」
男が苦笑しながら答えると星香は
「そうですか」
と淡々とした口調で言った。男はその言葉を聞くと出て行った。
「大した娘だ!」
外に控えていた青年に男は言った。彼も作業着姿だ。
「はい、普通ですと大声で叫んだり、殴りかかったりするのですが」
「以前連れてきた少女などは泣き叫んでドアを叩き付けて手を血だらけにしたもんだがな」
二人は甲板に上っていった。
一人残された星香は壁に寄りかかって座っていた。
「やはり、私は平穏な生活をしてはいけないんだ」
彼女の脳裏に一年前の出来事が甦った。
あの日、全国高校生演劇大会本選に参加するため、星香が所属する演劇部のメンバーは東京にいた。地方予選の時から彼女の学校の作品の評判は良く入賞が予想されていた。また、星香については個人での受賞の可能性が高かった。
予想に違わず、彼女の高校は一位に選ばれ、星香は最優秀演技賞を受賞した。
仲間たちと晴れやかな気持ちで賞状を受け取った直後、彼女の耳に恐ろしい報せが届いた。
「今朝、家族全員が殺害されました…」
彼女は何と言われたのか分からなかった。呆然する星香に演劇部特別顧問をしていた蒜田監督が
「すぐに帰ろう。私がついて行く」
と言ってくれた。
ちょうど夏休みだったため、大会終了後は、東京見物と蒜田監督が所属している劇団でのワークショップが予定されていた。星香以外の生徒は、そのまま残ってスケジュールをこなしたが、やはり今ひとつ楽しめなかった。
地元に着いた二人はそのまま県警に行き、そこで変わり果てた姿の家族と対面した。
製パン店を経営していた星香の家は、その日もいつものように両親および障害を持つ姉の三人が開店準備をしていた。そこに若い男が乱入し、三人を次々と包丁で刺していった。すぐに警官が駆け付け、犯人はその場で逮捕された。
星香に一方的に思いを寄せていた男子高校生だった。彼女はその男子高生と面識が無かった。
―自分のせいで家族が殺されてしまった…。
家族の遺体を前に彼女は泣くことすら出来ないほど強い衝撃を受けていた。
そんな彼女の姿に監督は、警察と話し合って今日はこのまま帰してもらうようにした。詳細は明日改めてということになった。
彼女は監督の家に身を寄せた。
翌朝、監督と二人で県警に行くと追い討ちを掛けるような事態になっていた。犯人が自殺してしまったのである。事件の真相は分からないまま、彼女は自分自身を責め続けた。
星香は蒜田監督の家に身を寄せた。監督及び妻のはるこ女史、監督の家を訪れる劇団関係者たちは、星香を励ましてくれた。
2学期が始まり登校した彼女をクラスメートや先生方は暖かく迎えてくれた。
反面、世間には心無い言葉を投げつける者もいた。
「魔性の女子高生」
「清純そうな顔したあばずれ女」
等々。
こうした言葉が飛んでくるたびにクラスメートたちは抗議してくれた。
このように周囲が見守る中で、彼女は少しづつ心身ともに癒されていった。
監督夫妻は星香を養女にするつもりだった。それは女優として育てたいという欲心もあったが、彼女の境遇が悲惨すぎるためそのままにして置けなかったからである。
親代わりになってくれた監督夫妻のお陰で彼女は普通の高校生同様、将来の夢を描くことが出来るようになった。演劇が好きな彼女も女優を目指していたが、監督夫妻は若いうちは多くのことを学んだ方がいいと言って大学進学を勧めた。
「はるこさんは、実は薬剤師の資格を持っているんだよ」
進路について星香が監督夫婦と話している時、監督がこう言うと
「監督だって日商の簿記検定1級に合格しているのよ」
とはるこ女史は応えた。二人は星香に、役者馬鹿にならないように、広い視野を持つようにと助言したのだった。女優になるにしろ、別の道を歩むにしろ、このことは彼女の将来にプラスになるのだから。
星香はアドバイスに従い、社会系の学部を目指すことにした。
それに備え、大学に進学する他のクラスメートと一緒に受験勉強に励み、夏休みに行なわれた臨海補習学校にも参加申し込みをしたのだった。
「先生、はるこさん行ってきます」
「はい、いってらっしゃい。勉強も大切だけど、高校最後の夏休みだから楽しい思い出をたくさん作っておいで」
こう言いながら夫妻は、笑顔で発って行く娘に手をふって見送った。
「あれから一年経つが、辛かっただろうがよく立ち直ったなぁ」
「ええ。あの子がこれからの長い人生、幸福に送れるよう出来る限り支援していきましょう」
だが、その後数十年間、星香は二人の前に姿を見せなかった。
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