四季≒

東和中波

補箋

流水花

一 「一男」


卯の花腐しの降る頃、市女笠を深く着て、歩みて参る。継ぐ筈であった一男の失踪以来、わらべらの遊ぶ高台には近付かなく、鬱葱とあしの繁る水辺の墓場になっていた。草履の足形も泥に紛れている。

屍櫃からひつに一男の遺留品として納められた皿が僅かに緑の蛍と瑠璃色を帯びたのを、小花おばなは忘れられずに居た。ただの光の屈折やも知れぬし、狐狸火やも知れぬ。

参り終わり、燗鍋を用意しに帰らうとして、数歩、数歩とあどけなき草履の足形を残していった。不意に閑古鳥の聲がして小花は憂き自らを呼ばれた気がした。「あっ…」と思わず聲を発した。

一男の人影で、確かに納められた皿を持っていた。旧都に居る役人の背格好をして、消え消えと白色の素足を泥に浸けた。泥に浸けた音が充分に聞き負ふ小花、手を折るように泣き響むなり。「伴ふことは出来ませぬか、夢合ふまで、人々にまねぶ」と一男の人影に云うと、一男は「ともしぶや、ともしぶことをさせるなかれ」と云って払った。覚めると同じ夢にだもと小花は吼える葉の音を聞かずにそのまま、まどふ。小花は残しおかじと反故を破り棄つる。「遣りもゆきて、禍とあらむ」とやはらに尼僧となり、長やかなる髪を断つ。

後年、墓は取り壊されたと云う。小花は一男の姿になった天魔波旬に結ばれたと流らふ沫雪あわゆきの言振る霊となりけり。


                                 〈終〉


二 「夜叉淵にて、流水花りゅうすいか


紅葉に霜降り、唐紅に水を染む頃、思ひの寄る辺非ず人に無気の言の葉を告がれ、風しも吹かぬ心となっては、月のさやけきも知らぬ。七つ足りてはおるものの、「八つ足りぬ、八足りぬ」と忘我となりけり。

「何やかやむつかし云ひ給ふ、汝妹なにもは何なり。」となびなびと音曲おんきょくの幽玄なるべしと男は尋ねた。女童、生防がしげに思ひていらふるにもなかなかいみじう艶かしきさまなり。

夜鷹よたかに言葉を習へども、心の習はしまで行き交ふ事にはならず、明日に死に夕べに生まるる水に似ず。「水など流れでて、沫に生り出ず身に汝兄はありげに見えゆ」と白きのなよびかさを足に包む和膚にきはだも衣寒らになりけり。

似げ無きものの、花となりうるを厭う。濁り無き心にせよと抱き起こし、川のあぶくを失くせと思へば、照る月をにこやかなる表情で見るのは、にくげなる。

生業の修羅と成せよと気分を変えに淵に来る度に聞こえてしまうのだが、紅葉丹もみじにつらふ顔となる。

或る日に、紅葉の行楽に鳰鳥におどりが一羽沈み、それとなく尋ねてみたのだが、女童はつらそうに「人となりゆく汝兄に、匂ひも何とも覚えなず。」と云った。彼は「匂はす萩の野の如く、月影にたなびきたる。」と返した。何度も聞いている言葉を女童は他の女に云っているのを覚えていたので、再び淵の方に行った。甘い記憶の波が寄せては返り、波と化していた。

淵の聲は告げ、「忘我となる女童や、手の鳴る方へ」と云った。女童は手が鳴っている方へ、歩みて参る。痴人に愛は授けられた。

女童は求めても、求めても流るる水の泡となれず、また「足らぬ、何の為か。」と呻吟によふ己の姿がおぼろになりたり。

汝兄なる男は後年、斯くして語ったと云ふ。「あはれ人非人や。」と。


                                 〈終〉

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四季≒ 東和中波 @nakanami

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