第44話 罪と、罰と……


         7


 伊神依琥乃という人間を一言で言い表すのは難しい。だが彼女の抱える問題については、深く切り込まなければ比較的簡単に説明できる。


「依琥乃は、あらゆる知識を獲得することができました。その代償として死後、誰からも忘れられやすい体質になっていた。忘れられるというより、認識されづらくなるということらしいですが」


 それが、自分ぼくが知っている依琥乃の秘密だった。約束したから他の誰にも話したことはない。それは誡にすら秘密だったということで、話すのは射牒さんが初めてだ。

 この事実について知っているのは、おそらく自分ぼくとレゾンだけだろう。


「それは、伊神依琥乃から教えられたことなのか」


 神妙な顔をした射牒さんがそう訊いてくる。自分ぼくは身体が動くようになったことを確認して頷いた。こうなったら隠していても意味はない。というか口が勝手に動いて止まらない。情報共有と割り切るしかないだろう。


「はい。といっても簡単にしか聞いてません。詳しくはなにも。自分ぼくが知っていることを大まかに説明するなら、これで全部です」


 そう正直に話す。下手な見栄を張るのは良くないと以前誡に注意されたことがあるからだ。誡はなんというか達観しているというか、言うことが基本客観的だ。感情の薄さゆえに判断が主観になりにくいのかもしれない。


 自分ぼくの言葉を聞いて、射牒さんは眉間を押さえ大きく息を吐いた。いったいなにを言われるのだろうとビクビクしていると、おもむろに天を仰いだ彼女が苦笑を漏らした。


「はは、なるほどそういうことか。合点がいった」


「なにか分かったんですか?」


 訊くと、ああと答えた射牒さんが、紙ナプキンとボールペンを取り出した。


「伊神依琥乃は全知不全能におかされた魂の所有者だ」


「不全……? 全知全能ではなくですか?」


「違う。……やはり知らされていないか。私も昔レゾンから一度聴いたことがあるだけだが、まあ、説明してやろう」


 仕方ないという風にボールペンを回す。レゾンといい、彼女といい。実は説明大好きなんじゃないか?


「全知不全能とは、元々は神の力だった。正確には“全知”が伊神依琥乃の魂に与えられた力、“不全能”はその副作用にあたる」


「どうしてそんなものが?」


 確かに全知全能の神とは言う。だが、どうして依琥乃にそんな力が与えられたんだ?


 そういえば昔、教会を見つめる依琥乃にどうしたの? と聞いたとき、「神なんてろくなもんじゃないわ」とすごい顔で返されたことがある。あれと関係があるのか?


「そこを説明するには原始にまで時を遡らなくてはならない。原始の時代には、神の怒りに触れた人間が七人いたんだ。

 神の罪を、その美徳によって糾弾した人間たち。伊神依琥乃の魂の最初の人生――具体的には違うが、仮に前世と言っておくか――は、その内の一人だったと思われる」


 射牒さんが七枚のペーパーナプキンにそれぞれペンを走らせていく。


『傲慢―謙譲』

『色欲―純潔』

『暴食―節制』

『憤怒―慈悲』

『怠惰―勤勉』

『嫉妬―忍耐』

『強欲―救恤きゅうじゅつ


 七枚にそれぞれ一つずつ書かれた、七つの罪とそれに対応する七つの言葉。それはキリスト教で語られる人間の大罪と美徳であった。


「聖書にかれるそれと、実際のこれは少し内実が違う。罪を犯したのが神であり、それをいささとしたのが人間だ。そうして神の逆鱗に触れた人間は、その魂に神の力を押し付けられた」


「つまり、えっと最後のこれで例えれば、強欲の罪を犯した神様に、人間が救恤きゅうじゅつを説いたってことですか」


 “救恤きゅうじゅつ”、たしか困っている人に施しを与えることだったか。


「そうなるな。詳しいことまでは私も聴いていないが」


 射牒さんは七枚全てひっくり返し、裏にも何かを書いていく。


『全知・不全能』

『起行・不見』

『不老・不死』

『起見・不動』

『全能・不全知』

『分解・不分離』

『創造・不産出』


「神は自分の神たる力を七つに分け、人に押し付けた。もちろん人間の魂が力の大きさに耐えられるわけがない。それで反作用のようなものが生まれた。それがそれぞれ後ろに書いてあるものだ。伊神依琥乃はおそらく“全知・不全能”だろう。全てを知ることができる代わりに、あらゆることを成し得ない」


 七枚の中から『全知・不全能』と書かれた紙が、自分ぼくの前に押し出される。


 紙の表と裏は対応しているらしい。

 表が神と人との間に起こったこと。そして裏が、その人間が押し付けられた力とその副作用、というわけか。


「けど、押し付けられたってどういうことですか? 便利な力ですよね」


 字面を見ただけでは内容が掴めないものも多いが、神を構成していた力なら使い勝手はいいだろう。そう考えての質問だったのだが、


稀癌きがんにすら振り回されるお前がそれを言うのか?」

 と呆れられてしまった。返す言葉もない。


「更科よ、神の力は膨大なものだ。七つに区分されてもまだな。だから力を与えられた人間はすぐに死んだそうだ。そのうえ力が刻まれているのは魂だから、生まれ変わっても呪いのように付きまとう。せっかく生まれてきてもやはり短命だ。

 副作用を克服すれば力も弱まるというが、未だ完治には到達していないのだろう。伊神依琥乃が病弱だったというならば、その名残なごりなんだろうさ」


 神の暴虐をいさめた挙句あげく、力を押し付けられて命を縮めるなんて、そんなの酷すぎる。神はなんて心が狭いんだ。


 原始の時代が今からどれほど前の事かはわからない。訊いても正確な答えなんか返ってこないから。

 けれど、そんな悲劇を依琥乃の魂は繰り返してきたというのか。いや、依琥乃だけじゃない。他の六人もまた、大きすぎる力に翻弄されて、今も誰かとして生きている。


 なるほど。神なんてろくなもんじゃない。確かにそのとおりだよ、依琥乃。


「ん? じゃあ、力を全部他人に押し付けた神は、今どうしてるんだろう」


 力を失くして消滅したならまだ溜飲りゅういんも下がるけど。依琥乃があそこまで嫌悪をひけらかしていたんだ。今もお空の上に君臨していてもおかしくない気がする。


「いや、力を失くした神は死後、人間に生まれ変わったらしい。その後は知らないが」


「え、死んだんですか?」


「不老の力も捨てたからな。そりゃ死ぬだろ」


 そういうものなのか? なんかこう、神は神、人は人ってイメージだったんだけど。


 自分ぼくはなんだか複雑な心境で唸ることしかできない。射牒さんはペーパーナプキンを端にまとめてしまった。自分ぼくの前に置かれた“全知・不全能”だけを残して。


 薄い紙を、指でなでる。


 神の傲慢ごうまん謙譲けんじょうによって諫め、全知の力を押し付けられた、依琥乃の遥か昔の前世。依琥乃はその目で何を思って自分ぼくらを見ていたのだろうか。


 自分ぼくの感傷には興味もないらしい射牒さんは、ボールペンを仕舞い新たになにか注文すべくメニュー表を開いていた。


「詳しいことが知りたければレゾンにでも訊け。それにしても、これで伊神依琥乃の目的が分かってきたな」


「え? 今のでわかったんですか?」


「なんだ話を聞いていなかったのか?」


 突然の言葉に驚いて聞き返すと、射牒さんは逆に驚きを浮かべて自分ぼくを見つめ返す。


「言っただろう。副作用を克服すれば力は弱まると。伊神依琥乃の願いは、力からの解放ではないのか?」


 言葉の意味を脳が理解しない。全知の副作用とはなんだった? 不全能、あらゆることを成し得ないこと。そうだ、依琥乃は人々に忘れられやすい存在だった。


 つまりは。


「生前に出会った人間を扇動せんどうし、死後事件を起こさせる。そうして人々の記憶にできるだけ長く残る。――――それこそ、伊神依琥乃の狙いなんじゃないのか?」


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