第41話 足跡


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 待ち合わせ場所の喫茶店に少し遅れて彼女はやって来た。

 もはや見慣れたスーツのパンツルックに、後ろで細くまとめた鳶色とびいろがかった黒髪。鋭い目つきが自分ぼくを捉える。


 女性の名は祇遥ぎよう射牒いちょう。誡の師匠であり、先日レーゾン・デートルと知己であったと判明した女性だ。


「待たせたな。では始めるか」


 ろくな挨拶もなしに射牒さんはカバンからファイルを取り出した。


「お前らから依頼されていた、伊神いがみ依琥乃いこのの交友関係と行動範囲をまとめたものだ」


 渡されたのはプリントの束だ。数枚に渡って人名が記されている。残りは地図だ。所々線が引っ張られ、ふせんに日時が記されている。目撃情報というやつだろうか。


「更科の考えていた通り、伊神依琥乃は広い交友関係とコネクションを持っていた。そして、そのほとんどの人間からすでに存在を忘れられている。名前を告げても思い出せない人間が半数以上だった。おかげで調査に手間取ったぞ」


 進展がないと言っていた射牒さんに自分ぼくは言ったのだ。『本人たちも、もう忘れているのかもしれない』と。


「やはり、例の館の老人と漆賢悟にはしっかり接触している記録があった。その周囲の人間にも伊神は会っている。いずれもを支えてやってくれ、というようなことを言っていたらしい。誰も聞く耳を持たず、忠告されたことすら忘れた結果がアレのようだが」


「そうですか」


 新しく運ばれてきたコーヒーを受け取って言う射牒さんに、自分ぼくは生返事を返した。


 依琥乃の行動記録、その中に菊池病院があった。数日間入院している。行った覚えがあるはずだ。自分ぼくも見舞いに行ったのだから。


 あれはたしか入院の初日。依琥乃と話し込んでいるうちに面会時間を過ぎてしまって、慌てて帰ったのを覚えている。そういえばあの時、数分間居眠りしてしまった記憶がある。時間までは覚えてないけど、あれが噂の『眠らせ病院』のことだったのか。確かにあの程度なら大きな話題にはならないのだろう。


 自分ぼくが記憶を掘り起こしていると、射牒さんはコーヒーを飲み干し核心に触れた。


「ここまで調査してもやはり疑問は拭えない。更科、お前はどうして伊神依琥乃の死に疑問を持った」


「それは、どういう……?」


 言葉の意味を掴みかねていると、射牒さんはため息をついて続けた。


「検死は確かに行われていなかった。だが伊神依琥乃が死んだとき、家には誰もおらず人が侵入した形跡もなかった。

 そもそもこの女は首の動脈を自分で切り裂き出血多量で死んでいるんだ。部屋は密室、荒らされた形跡もなし、両親に向けた遺書だって見つかってる。これでどうして自殺でないと言い切れるんだ」


 喫茶店の中だからか。少し声を潜めて射牒さんは言う。彼女の言葉には自分ぼくおおむね賛成だ。だが少し認識のズレがあった。


「違いますよ射牒さん」


「なに?」


自分ぼくは、依琥乃が自殺したことに疑問を抱いているわけじゃありません。自分ぼくはどうして依琥乃が自分ぼくという点が分からないんです」


 四月五日。それは依琥乃が自殺した日であり、自分ぼくの生まれた日でもあった。


 言葉を失った射牒さんの目を見ながら、自分ぼくはグラスの結露けつろを紙ナプキンで軽くぬぐった。


「殺されたというなら、まあ、日付は関係ないでしょう。でも自殺なら日付は選べるはずだ。あえて四月五日に死んだのには、なにか理由があるはずなんです」


 依琥乃の残した遺書は完全に両親に向けたものだった。自殺の理由は書かれておらず、他の人間に向けたメッセージは、なにもなかったという。


 射牒さんに依琥乃の交友関係を調べてもらったのも、誰か依琥乃から伝言かなにかを託されてはいないかと考えからだった。この報告を見る限り、どうやらそんなことはなかったようだけど。


「なぜ――――」

「それに」


 射牒さんを遮りメニュー表を渡す。おかわりはどうかと示すが、まだいいと首を振られた。なのでメニューを下げまた喋り始める。


「そもそも依琥乃の寿命はもう尽きかけてたんです。依琥乃はずっと言っていた。十九歳の四月七日。それが命日になりそうだって」


「自分の寿命を正しく把握していたということか? それにしても細かすぎる。医者でもそんな特定はできないだろう」


「はい。医者の判断じゃありません。依琥乃自身の所見です。たぶん医者より正確でしょう」


 だからなおさら不思議なのだ。依琥乃が死ぬまであと二日あった。なのに、どうして依琥乃はそれより先に死を選んだ。


「絶望なんて依琥乃に似合わない。絶望するくらいなら不敵に笑うのがあの女の子です。依琥乃の死は何かに追い詰められた結果じゃない。だからこれは、思惑あっての自殺であるはずなんです」


 そう言い切ると、射牒さんが頭を抱えてしまった。無理もない。ただの自殺で済むはずの事件。だがそれだけでは終わらない。伊神依琥乃という人間性がそれを許さない。


「伊神依琥乃とは……なんなんだ」


 呟きが聞こえる。それに自分ぼくは頷いた。


自分ぼくにも、いまだにそれは謎ですよ。だから自分ぼくは、この図像を解き明かさなくちゃならないんです」


 これは依琥乃の置き土産だ。さぁ、理由を考えてみて? と、そういう。


 自分ぼくは、絶対にことの真相に辿り付かなくちゃならない。彼女が何を考えてこの謎を残したのか。それはきっと、自分ぼくや誡に関わることのはずだから。


 内心で決意を新たにしていると、しかし射牒さんは冷ややかな目で自分ぼくを見上げた。


「ああ、ようやく合点がいったよ。やはりお前は、伊神依琥乃のことで何か、隠していることがあるんじゃないか?」


 それは偽証を許さない、得物を捉えたような鋭い視線だった。


         -5


 ――――その村は龍神を信仰していた。

 四方を山に囲まれ、周囲の村々とは特に親交のない、孤立した村だった。

 故にこの村のことは、全て村の中で処理されるのがならわしである。

 村の池にはかつて龍神が住んでいたとされている。しかし龍神は、今はもういない。どこかに行ってしまったというわけではない。龍神の骨は池の底に今もあるという。

 つまりは死んでしまったのだ。

 正確には食べられてしまったのだ、人間に。

 それでも龍神の加護は消えてはいない。生まれ変わり続けるその大罪人の腹の中から、村を今も見守っているという。

 そんなくだらない話がこの村では長らく信仰されてきたのだ。

 その信仰の大本が村に一つだけある神社だった。ここにいる代々龍神に仕えてきた神主が村の代表のようなものだった。村の集会も神社で行われる。

 私の両親もこの神社の分家の出であり、龍神を真摯に信仰していた。

 ――――私は龍神など、信じてはいなかったけれど。


         4


 ふと気が付くと私は病院の廊下に立っていた。いつの間に病室から出たのかと考え、おかしなことに気が付く。

 風景はたしかに、さきほどまで居た菊池病院となんら変わりない。しかしおかしいのだ。


 まず、病院内は真っ暗だった。足元の非常灯だけが点灯し、他の全ての電気は切れている。

 そして次に、ここには人の気配が一切ない。さっきまで動き回っていた職員はおろか、入院しているはずの患者の気配すらしなかった。


 直感で気が付く。ここは今まで居た場所ではない。よく似た何処どこかであると。


 とりあえず歩きながら、私は自分の状態を確認した。受け身も取れずに倒れたわり痛みはなく怪我もない。服にも汚れはなかった。


 わけが分からず自分の手の平を見て、自分が眼帯をつけていないことに気が付いた。それどころか、見えないはずの右目の視力が戻っている。


 これはどうしたことだ。

 いったい何が起こっている。


 というか随分と歩いているのに、廊下の端に辿り付かない。向こう側は暗くなって見えないが、この病院にそこまでの広さはなかったはずだが。


 歩いてみる。……まだ端につかない。

 小走りしてみる。……まだ端につかない。


「なぜ…………」


 今度は、右手の病室のナンバープレ―トを見ながら走る。


 312号室、311号室、310、308、316、315,314、313、312……


「……戻ってきた?」


 しばらく走ると、最初にいた312号室の前に私はいた。部屋の並びなど正確に覚えてはいないが、これはおかしいだろう。というか、途中にあるはずのナースステーションはどこに消えた。


 左側を確かめながら走っても結果は同じだった。そして、食堂・談話室も消えている。

 一つだけわかったのは、ここは、果てしなく病室のループする廊下であるということだけだった。


「――――――――」


 混乱だけが脳内を占める。出口はない。階段やエレベーターも消えていた。


 とりあえず、このまま廊下を廻り続けても大して成果はないだろう。

 私は手近な病室に入ってみることにした。


 慎重に扉に手をかけ、そのままスライドさせて開く。


 驚いたことに部屋の中は電気がついていた。そのまま中に入る。この病室は二人部屋のようだ。奥のベッドは、レースが閉まっている。


「……誰かいますか」


 なんとなく、そう呼びかける。

 果たして――――答えはあった。


「あら? 今の声は」


 奥のベッドから鈴の鳴るような少女の声音。どこか聞いたことがあるような気がして近づくと、ふいにレースが開いた。


「ああ、やっぱり誡だったのね」


 そう言って親し気に微笑むのは、十四,五歳の少女だった。猫っぽいつり目に、細い眉。綺麗な顔立ちだ。艶やかな黒髪が腰まで伸び、細い身体に病院着をまとっている。


 記憶の中にあるそれより幾らか幼いものの、彼女は間違いなく――


「…………いこ、の」


 名を思い出すよりも先に、口が動いていた。


 そう、この少女は伊神依琥乃。すでに死んだはずの、私の親友だった。


「なんだ、まだ覚えていてくれたのね」


 微笑みを深めた依琥乃は、そのままなぜかキラッと輝く笑顔を浮かべた。


「そう、私こそはすでに死んでる系ヒロイン、伊神依琥乃! ちなみにトゥルーエンドは救い切れずに心中エンドよ!」


「バッドのハードルが高いっ」


 いつか二人でやったギャルゲー大会の中でもそこまで悲惨な話はなかったのだが。


 ……あれはつらかった。ギャルゲーニ本持ってこられて、『全ルート回収するまで眠らないわよ!』と言い出したのだ。依琥乃は時々そういった急な思いつきに私や更科君を巻き込みがちだった。


「……いえ、死んでいるならどうしてここにいるのです。というかその姿は」


 私が最後に見た依琥乃は、十九歳の少女だったはずだが。


「取り込まれたのがこの年齢のときだったからね。霊体じゃ成長はしないわよ」


「……ああ、なるほど霊体――――霊体って、どういう」


 つまり、この目の前にいる依琥乃は幽霊だというのか。それにしては以前見た幽霊たちに比べて姿がはっきりしすぎているというか、むしろ幼いだけで依琥乃そのものなのだが。


「ふふ、詳しい説明は後よ。そろそろアレも出て来るでしょうから、一旦部屋を出ましょう」


 笑みを崩さない小さな依琥乃に押され、部屋を出る。


「……アレとはいったい」


 質問しようとして、ぞくりと、臓物をひっくり返すような怖気が走る。


 振り向くと暗闇の向こうで何かが光った。嫌でもわかる。あれはよくないものだ。

 遠くから地鳴りのような音が近づいてくる。


「さぁ誡、走って!」

「なっ―――――」


 迫って来たのは泥でできた顔のようなものだった。大きく口を開けた巨大な顔が床を押し上げるようにして迫ってくる。音の正体は間違いなくあれだ。


 言われるままに走り出す。前方に向かって全力疾走だ。


「そうそう、その調子」


「……依琥乃、よくついてこれ――浮いてる」


 依琥乃の足では私に付いてくることは難しいだろう。そう考えて彼女を窺うと、依琥乃は浮いたまま私の横を並走していた。走ってすらない。飛んでいる。その様子はいつか見た幽霊と同じだった。


 やはりこの依琥乃は、生きていないのだ。


「……というか、あれはいったいなんなのですか」


 走りながら隣に呼びかける。しかし依琥乃は耳に手を当て、パードゥン? と聞き返してくる。確かに響く轟音はうるさい。だが依琥乃はにやにやとかんに障る表情を張り付けている。


「……あの追いかけて来る化け物はなんですかっ」


「聴こえなーい」


 コイツ、わざとだ。


 私の中でなにかがはじけた。


「だから! あの化け物はなんなんだって訊いているんですっ!!」


 精一杯の大声を出すと、依琥乃はなにやら満足した様子で頷き、私の前へ先行した。そして扉の空いた部屋を指す。


「とりあえず、こっち!」


 私が示された部屋に飛び込むと、化け物はそのまま廊下を通過していった。依琥乃が即座に扉を閉める。音はだんだん遠ざかり聞こえなくなった。これでひとまず危機は去ったのだろうか。

 この部屋は電気がついていない。肩で息をしている私と対称的に、依琥乃はケロッとしてスイッチをいれた。数度の瞬きのあと、電気がともる。


 小さい依琥乃が前へ回り私の顔を覗き込む。数秒見つめられたあと、急に笑顔になった依琥乃がゆっくり口を開いた。


「ようこそ誡。ここは鏡に映った虚像の世界。そして私は依琥乃であって、依琥乃ではない、影のような存在よ。そうね、享年きょうねんより幼いから、小さい依琥乃で依小乃いこのと呼んでくれていいわ」


 …………ごめんなさい、まったく意味がわかりません。


 依琥乃改め依小乃なる少女に、私は困惑することしかできなかった。



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