第31話 小さな違和感



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「これでいい」

 そう言って化け物は立ち上がった。そうしてそのまま立ち去ろうとする。

 ボクは急いで男に走り寄り、その足にしがみついた。

「っは? これはいったいどういうことだ?」

 まるで死体が動いたとでも言いたげに眉を吊り上げた男は、再び屈み、ボクの眼を覗き込む。

「失敗したというのか。この俺が」

 そのままぶつぶつと意味の分からないことを呟き続けている。

 相手の思考が終わるまで待とうかとも思ったが、そもそもボクはこいつに遠慮する必要はないのではないだろうか。うん。じゃあ手早く要件を伝えよう。

「行き場がない。せめて連れていけ、責任取れ」

「は?」

 集まっていた親類縁者を全て喰われたボクにろくな未来は用意されていないだろう。このままでは明日を生きるのも難しい。そう考えての発言だったが、男はそもそもボクの話など聞いていなかったらしい。

「なんだこいつは。記憶抹消が効いていない? いや、そもそもさっきから――――まさか、こいつ、か?」

 そのまま体のあちこちをベタベタと触られる。おかげで男の手についていた血がボクの服にもついてしまった。ほっぺたのヌメヌメを服の袖で拭いていると、男は一人納得したようで頷いて立ち上がった。

 そしてボクを見下ろして言う。

「いいだろう。責任を果たそうではないか。ただし、一つ交換条件がある」

 人の身内をこの世から消し去った男は理不尽にもそう宣言し、ボクに手を差し伸べた。

 その手を取る以外、生きる道はない。そう信じていたボクは男に頷き、白くて大きな骨ばったその手を取ったのだった。


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 少年の素性が分かったと誡から連絡があった。


 うるし賢悟けんご、十七歳。県内の県立高校に通う男子生徒だった。彼の両親とその親類縁者は漆少年が五歳の頃に謎の事件に巻き込まれ、今も死体すら見つかっていないらしい。射牒いちょうさんは「未解決事件だ」と多くを語らなかったという。


 少年はその事件のあと一週間ほど行方不明となり、深夜の公園にて血まみれの姿で発見された。血は全て、彼の親類縁者のものだった。

 事件は少年の心に大きな傷を負わせたんだろう。行方不明になっていた間のことは少年が語らないため誰にも分からない。あるいは当人も覚えていないのかもしれない。

 精神鑑定の結果、身寄りの無い漆賢悟は精神疾患の児童を受け入れている養護施設へと預けられた。成長後に数か月ほど、カウンセリングとして例の病院にも通っていたらしい。湯苅部ゆかりべ仕種しぐさが少年を見たのはその時だろうとのことだった。



「精神分裂病――今は統合失調症と言うんだったか。漆少年はとにかくそれらしい。近親者の死を間近で見たことによる慢性的な心因性精神障害、もしくは内因精神障害としての区分の精神分裂病だな。

 普段は比較的軽度だったが、何かの拍子で精神病レベルまで陥ることがあったという。こういうのを、確か境界例レベルというんだったか? まあ、正確なことまではわからない。臨床心理はかじっただけの素人だからな。正直カルテを見てもちんぷんかんぷんだよ。

 ――そこでだ。当局はいまだ犯人を坂野有巻ありまきと断定して捜索を行っている。私は別件を思い出した。だからお前たちに少しお使いを頼まれて欲しいんだ。それで、お前たちが誰かを匿っていることに関してはチャラにしてやる。

 一緒に添付してあるのが漆賢悟が住んでいる施設の住所だ。漆は現在捜索願が出されていて不在だ。だから、失踪前の詳しい近況を聴きに行ってもらえないか。できれば上の奴らを説得できる程度の情報を持ち帰ってもらえると助かる。よろしく頼むよ」




「……というわけです」


 いきなりタクシーに乗せられ何処どこへ連れていかれるかと思えば、それは見知らぬ建物だった。木々に囲まれた二階建てのどこにでもある外見の建物。特にこれといった特徴も無く、表札には蔦が絡まり文字が読み取れない。ここが漆少年の居た施設なのだろうか。


 タクシーを降りた誡は自分ぼくうながし建物の入り口へと向かう。


 自分ぼくも慌てて後を追った。重たい両開きの扉を開け中に入る。正面玄関からすぐにリビングがあり、右手には階段とトイレがあった。リビングの奥にはいくつかの扉があって、奥に向かって廊下が続いている。


 自分ぼくらのことは射牒さんが事前に話をつけておいてくれたらしい。施設の職員とおぼしき老婦人は年若く身分不詳の自分ぼくらを特に警戒するでもなく、普通に中を案内してくれた。


 説明によれば、右手の廊下の奥と二階は引き取った子供たちの居住区であるらしい。誡が漆少年の部屋が見たいと言うと、二階へと案内された。


 収容者の過ごす部屋は二人で一部屋が原則らしいが、漆少年の同室の子供は現在出かけていた。入室の許可は事前にとってあるとのこと。


 スライド式の扉を開けて中に入る。六畳ほどの広さの空間にベッドと机があり、本棚が二つずつ左右対称に設置されている。机の上には教科書や学校の荷物が乱雑に散らかっていた。漆少年の相部屋はどうやら小学生の男子らしい。机の上にランドセルが置かれていた。


 なんだか高校の頃に遊びに行った寮生の部屋に似ている。未成年者が集団生活を送るならば、どこも同じような造りにならざるを得ないのだろうか。


「部屋の中って、一瞬間前から片付けたりはしてないんですか?」


「そうねぇ、少なくとも私達職員は誰も触っていないわ。そういうのすぐに気づいて神経質になってしまう子もいるから、原則子供たちの荷物には触らないようにしてるの」


「そうですか」


 一度質問されて気が緩んだのか、口数の少なかった女性職員は少しずつ自分ぼくらへ話しかけるようになった。


 自分ぼくが彼女の話を聞いている間、誡は漆少年の机や手荷物を手に取って眺めていた。机に広げられたノートをパラパラとめくる。無表情なので誡がなにを考えて漁っているのかは分からない。しかし少年の行方に関わりそうな情報を探しているのは間違いないだろう。


「つまり、ひと月ほど前から様子がおかしかったんですね」


 職員さんにそう相槌を打つと、彼女は頬に手を当てため息をついた。


「そうなのよ。賢悟君は確かに気性にムラのある子だったけど、基本的にはいつも安定してたわ。けどひと月ほど前から外出が減って、部屋の中に籠るようになったの。

 それだけならまだいいんだけど、ほら、年頃の男の子でしょう? そういうこともあるもの。けど、なんだか様子がおかしくて、いつもぶつぶつ何か呟いてて、誰もいない場所に向かって話しかけてることもあったわ」


 誡が小さな地球儀を回す。いやいや、まさか外国に高飛びなんてできないだろう。


「他に何か気が付いた点などありませんか?」


「そうねぇ。あ、これは私達じゃなくて、他の子が言ってたんだけどね。賢悟君、二週間くらい前から誰かを探すような挙動をしてたらしいの。それで彼の呟きに耳を澄ませてみたら、

『思い出せない。忘れてる。思い出せない』

 って、ずっと繰り返してたのよ。だから賢悟君が帰ってこなかったときも、私達は、ああ、誰かを探しにいったんだなって、納得してしまったというわけなの」


 思い出せない、忘れている……? いったいなにをだ? それが原因で漆少年は失踪したというのだろうか。


 ひと月前から疾患の症状が悪化しているのも気になる。その時なにかが彼の身に起こったのだろうか。でもそれなら、なぜひと月も間が空いていたんだ? それに誰かを探していたというのも引っかかる。

 いったい漆少年は何を考えて姿を消したんだろう。それが分かれば潜伏場所もある程度絞れると思うんだけど……。


 自分ぼくが考え込んでいると、誡が本棚の本を一冊ずつ手に取ってめくっているのが見えた。本棚には雑貨が多く置かれ書物の類は十数冊しかない。なにか挟まっていたり、書き込みが無いか確認しているのだろう。


 なんとなく彼女の動きを目で追いながら職員さんとそのまま会話をした。けれどそれ以上の情報は特になかった。


 そろそろ昼が近づいてきた。部屋の外を他の職員が慌ただしく歩き去っていくのが見える。この老婦人も仕事に戻らねばならないようだった。自分ぼくらはおいとまするべきだろう。


 帰ろうか、と誡に声を掛けようとして、一瞬、彼女の動きに違和感を感じた。一冊ずつ本を手にとっていた誡。けれどなぜか彼女は一冊飛ばして次の本を手に取った。飛ばしたのは分厚めのスケジュール帖のような装丁そうていの本だ。誡のことだ、まさか持ち主に遠慮したというわけじゃないだろう。


 少し疑問を覚えて、誡に近づいた。


「それは確認しなくていいの?」


 指差して問う。すると誡はほんの少し不思議そうにして自分ぼくを見返した。


「……全て確認しましたよ」


 彼女の瞳が、冗談ではないと告げて来る。


 実は最初に確認していて自分ぼくがそれに気が付かなかっただけ、ということだろうか。


 さらに自分ぼくは続けようとしたが、それは老婦人に遮られた。


「ごめんなさい、お二人さん。そろそろ人手が足りなくなるから、もういいかしら」


「あ、はい。すみません」


「…………」


 誡は何事もなかったように部屋を出ていく。なぜか自分ぼくはどうしても気になって、その小さめの分厚いスケジュール帖を抜き取って婦人を呼び止めた。


「あの、これお借りしてもいいですか?」


 職員としての管理義務があるのだろう。婦人は嫌な顔をしたが、自分ぼくが「責任はこちらで持ちますから」と言うと、渋々承諾してくれた。階段を下りながら借りた本をバッグに詰めて先を行く誡の後を追う。


 そうして自分ぼくらは誰にも見送られることなく、施設を後にした。


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