第26話 決死攻防


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 目前で繰り広げられる激戦に、奏繁は思わず後ずさった。鉄と鉄のぶつかり合う音。少ない明かりの中、散る火花と刀身の残像だけが鮮やかだ。


 端的に言えば、誡は防戦一方だった。


 素人目から見ても仕種の動きは達人の域に達している。動作が素早く的確に相手の動きを捉え瞬時にやいばが襲い掛かる。


 よほど体幹がしっかりしているのか刀の重さに振り回されることもない。いや、刀身の重さや遠心力も利用して刀を操っている。時に回転し、時に突進してくるその姿は、優雅に踊っているようにすら見える。


 誡はそれを紙一重で躱し続けながら良く逃げていた。どうしても避けきれない刃を銃の側面で受け流しながら、距離の長短をない交ぜにするかのように細かく動く。


 全体的に圧倒されているように感じるが、どうにか俊敏さだけは誡のほうが上らしい。小柄な体躯も有利に働いているのだろう。


 だが攻防が始まって早三分。すでに誡の息は上がっていた。誡は前言の通り反撃らしい反撃もしていない。ひたすら動き回って仕種の追撃を避けるのみだ。対する仕種はまだまだ余力があるらしく、口元に微笑みすら浮かんでいる。


 持久戦では誡が不利だ。稀癌によって避けるべき場所がわかっても、時間が経つごとに身体がその動きについてこれなくなっていく。


 上段から振り下ろされた斬撃が誡を捉えた。瞬時に反応し掲げた拳銃で刃を受け止める。衝撃で誡の顔が微かに苦痛に歪む。足の筋肉からぎしぎしと悲鳴があがるのを感じながらも歯を食いしばって耐えた。


 つばぜり合いは一瞬。誡が後方に跳び、勢い余った刀が打ち付けられコンクリートをわずかに削る。


 振り下ろされる一撃一撃が骨を断つほどに重く鋭い。誡の脳裏に被害者の遺体がちらつく。この太刀筋ならばあの死に方にも納得がいく。


「あはは、それ硬っいわねぇ! なにオリハルコン?」


「――――っ。……師匠からいただいたので、よく、知りませんっ」


 そんな伝説の素材は使用されていないだろうが、幾度目かの打ち合いにも関わらず拳銃には傷一つついていない。誡は初めて、頑丈な武器を与えてくれた師に感謝した。生半可な強度の銃ならあっという間に真っ二つにされていたことだろう。


(それに、射牒さんにアドバイスを受けていてよかった。そうでなければもう二度は死んでいるっ)


 日本刀は身の内に入ってしまえば引き戻すのに一瞬のスキができる。十分な距離を保てないならいっそ懐に飛び込め。相手の正面はもちろん利き手側にも近寄るな。腕の動きだけを見ずに足さばきにも注視しろ、等々。


 対日本刀戦で生き延びるために注意することを、射牒は電話越しに懇切丁寧に説明してくれた。師の教えがこれほどすぐに役立ったことは他にない。


 といっても教えられただけで実践できる誡の戦闘センスも大概だ。普段の訓練がすでに動きの土壌を作っていたのである。


 いつもの過剰な特訓が功を奏した稀有な場面だった。


 そうは言っても実力差は明白。いつまでもこんな付け焼刃の誤魔化しが通じるはずもない。

 少しずつ、誡の動きに刀身が追いついてくる。


「っ、――――くぅっ」


 肉を切られるほどではない。しかし幾度と剣戟を避けるうち、薄皮を切り裂かれるようになった。表面だけといえども裂けたのは確か。傷口の浅さに関わらず斬られる度にぱっと薄い血飛沫ちしぶきが飛ぶ。


 白いパーカーに赤い染みがにじみ、至るところが切り裂かれ服はもうズタボロになってしまっている。


「言うほどでもないわねぇ。なんだか顔色も良くないし。体調不良? どっちにせよ期待外れね。十分準備してきたんだと思ってたのに。

 ほんと、誡ちゃんが何考えてんのかぜーんぜんわかんない。こんな状況でどうしてそこまで無表情でいられるのかなぁ」


「…………これは、生まれつきです。貴女こそ、……っ、殺すために、皆さんに近づいたのですか」


「そんなわけないじゃん」


 楽しげだった仕種の表情が、唐突に真顔に変わった。人を底冷えさせる鋭い目つき。誡には見覚えがあった。それは、自分が無意識に他人の地雷を踏み抜いてしまった時の顔だった。


 身震いで一瞬呼吸が止まる。それでなくても肩で息をしていたのに、酸素の補給が間に合っていない。おかげで誡は仕種へ言葉を投げかける瞬間を逃した。


 仕種は刀についた血糊を払って、一歩一歩と誡へ迫る。


「殺したいわけないじゃない。友達なのよ? いつだってあたしは、殺したくなんてなかった。だから祈っていたの。『死なないで』って。けど、誰もあたしの期待に応えてくれなかった。ただそれだけ。結果がそうなってしまっただけ!」


 二人の距離が半分にまで縮まる。誡は立とうとするが、利き足から力が抜け膝をついた。一度動きを止めたことで誤魔化していた体力の限界がついに追いついてしまったのだ。


 逃げることはできない。死は、すぐ目の前にやって来る。


「誡ちゃん、あたしね、どうしても何かを壊したくなる時があるんだ。仲の良い人と一緒に遊んだあとはその首を掻き切ってあげたくなるし、親しくしてくれる人と出会うと、その腕を切り落としたくなっちゃう。

 いつもは感じないし、むしろみんなを大切にしたい。でも、やっぱりその衝動はあたしの中にちゃんとあって、ふいに鎌首もたげて現れる。まるであたしがあたしでないみたい。

 でも、そいつもやっぱりあたしなんだよ。否定なんてできない。だって、そいつを否定したら、あたしの全てを否定するみたいだから。だからあたしはこのあたしを誰かに受け入れてもらいたかった。でも駄目。そのくらいわかるよ。普通の人はこのあたしを拒絶する。だからね、あたしと同じ、狂ったことのある人間なら、あたしを受け入れてくれるかもしれないって思ったの。でもやっぱり駄目だった。みんな私を恐れて否定した。殺したくなかったけど、あたしは一度このあたしになったら止まれないから殺すしかなかった。失いたくない、大切な友人だったのは確かなのに。誰もあたしの親友にはなってくれない。

 だから、あたしはきっと誡ちゃんのことも殺すわ。だって、欲しいと願ってしまった。私はまた同じことを繰り返す。そうして友達を殺し続けるしかないの」


 もう、これを隠し続けるのには、疲れ切ってしまったから。


 そう呟いて、仕種が誡の前で立ち止まる。足元の少女を見下ろしながら、仕種は両手で静かに刀を振りかぶった。


 小さな殺意と、少しの期待。そして自身の衝動に任せ興奮に染まった目が誡を貫く。


 どうにかこの危機的状況から抜け出さなくては。誡が身じろぎしたその時だった。


 仕種の後方でガンっと大きな音がした。


「ん?」

「――――なっ」


 二人が同時に音の出所を見る。その先には険しい表情をした一人の少年の姿があった。それは紛れもなく、今まで白いバンの後ろに隠れていた、更科奏繁だった。


 未だなにか呟き続ける少年は右手で上空を指さす。突然の乱入者に思考の継続が緩んだ仕種が、つられて上を見た。しかしそこには何もない。ただ月を隠す分厚い雲があるだけ。


 仕種が再び少年に目を向けなおす。その時にはすでに、奏繁の口は動きを止めていた。こうして仕種の意識が誡から逸れたのはほんの数秒。


 しかし、その最後の数秒こそが必要な決め手だった。


 仕種が足を奏繁へと向けるその前に、奏繁は上げていた手を振り下ろし、人差し指と中指を伸ばして仕種を指し示す。


 そして告げる。


「――――神ならざる御業みわざにてうたぐり申す!」


「――――――――えっ?」


 それこそは奇跡を冒涜する箴言しんげん。異常を消し去る魔法のトリガーとなる言葉。


 卵のひび割れるような音が辺りに響いた。


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 仕種の身体から力が抜けた。

 今まで自分を保全し突き動かしてきた何かが、ごっそりと消失してしまった感覚。


 突如として襲われた喪失感に、仕種は振り上げていた刀も保持できず項垂うなだれるように脇へ下ろしてしまった。


 暫時、場の時間が止まったかのようだった。


 更科奏繁の発動した魔法は正常に機能した。誡はそう確信する。日本刀を覆っていた黒い靄は奏繁の言葉と共に消失した。もはやあれは通常の刀剣と同じ危険性しか孕まない普通の日本刀だ。


 そう一瞬考えた。だが見落としていた。強大過ぎる刀の脅威に気を取られ、その使用者の状態を確認するのが遅れた。


 これで終わりか? そんな奏繁の期待はすぐに裏切られる。


 時間にしておよそ数秒。すぐさま柄を握り直した仕種は、足元で息も絶え絶えになっている誡ではなく、少し離れた場所に突っ立っている奏繁へ視線を向けた。


 奏繁の背筋に冷たいものが走る。自身を貫くその眼光に一切の衰えはなかった。


 突如、踵を返した仕種が奏繁に向かって走り出す。先ほどまで軽々と振り回していた刀を重たそうに引きずりながら。しかし動きの素早さだけは変わらない。


 それが自身に向けられた殺気でなかったために仕種の行動を予測できなかった誡は、疲弊した身体に鞭打って仕種の後を追った。


「――――くっ」


 普通に止めに入っては間に合わない。


 そう考えた誡は走る仕種を僅差で追い越し、奏繁の傍に立っていた電灯を握り軸にして折り返す。そうしてちょうど目の前に迫っていた仕種の腹部に、走って来たスピードと遠心力を乗せた全力の膝蹴りを喰らわせた。


「がっ! ――ごほっ」


 仕種の口から吐血に近い呻きが漏れる。高威力の衝撃に宙へ浮かんだ仕種の身体に、誡はそのまま回し蹴りを叩き込んだ。


 追撃に感づいた仕種が舌打ちを漏らしながら自ら後方へ跳ぶ。そうして蹴りの威力を緩和したが、結果、誡と奏繁からは数メートル離れてしまった。続く鈍痛にくずおれながら自分の顔が腹部の痛みと奇襲が失敗した悔しさに歪むのを仕種は感じた。


 背後に奏繁を匿うように立つ小さな少女の身体が、今の仕種にはあまりに遠い。


 誡は息を整えながら仕種の挙動を監視している。疲労こそ消えないが、奏繁が刀を無力化したおかげで稀癌による体の不調は消えた。まだ動ける。そう無理やりにでも自身を鼓舞する。


「……更科君、無事ですか」

「お、おかげさまで」

「…………なら良し」


 振り向きもせず確認を済ませた誡は、追い打ちをかけるように仕種へと駆けだした。

 

 あまり仕種を傷つけたくはないが、奏繁から彼女を引き離すのが先だ。


 仕種が迎撃しようと刀を構える。しかしあきらかに体幹が先ほどまでよりもブレている。日本刀が纏っていた呪いが消え、刀に蓄積されていた戦闘技術の恩恵を受けられなくなったからだ。


「ごほっ。――ねぇそこの少年、あたしになにしたの?」

「……仕種さんには、なにも手出しはしていません」

「へぇ、そう」


 荒っぽい太刀筋を避け、誡が銃のグリップで殴りかかる。仕種は後退しながらそれを刀でいなす。


 誡が疲弊しているため、突然技術のほとんどを無くした仕種でも対応ができてしまっているのだ。それに、打ち合いを重ねるごとに仕種の動きがあきらかによくなってきている。


 十分に奏繁から距離を取ったことを確認して、誡は一度仕種から離れた。


 自身の頬を汗が伝うのがわかる。時間を掛ければかけるほど、疲労がより強い誡のほうが不利になる。


 仕種は勘を取り戻し始めていた。ついさっきまでは動けていたのだ。刀を完全に手放した時とはまた条件が違う。狂乱と興奮をそのまま引き継いでいるのだ。猿真似程度ならば元のセンスがあればこなせる。


 そして、すでに身体の限界が来ている誡にはその猿真似相手でも再び追い詰められかねない。


 今度は仕種が距離を詰める。


 打ち合いを続けながら仕種は冷静だった。刀のブーストを失いその剣技に精彩を欠くものの、長身から繰り出される素早い斬撃はそれだけで脅威だ。


 動きの鈍い誡はそれでも仕種に必要以上の追撃を加えることをしない。


 命を奪うでも、逃げるでもない微妙な動き。それが仕種には不思議でたまらない。

 だからその疑問は、気が付けば口をついて出ていた。


「ねぇ、誡ちゃん。この期に及んで君がなにしようとしてるか、あたしには分かんない。誡ちゃんはあたしが殺した人たちの友達だったの? あたしに恨みがあるの? それとも、やっぱり警察の関係者? あたしの足止めしてれば警察が包囲を終わらせるとかかな。

 でも無理だよ。あたしは止まらない。死ぬか、目的を果たすかしない限り、絶対止まれない。なにが目的か分かんないけど、死にたくなかったら、邪魔をしないで!」


 息を切らしながら、始めて仕種が怒声を上げた。しかし誡は怯まない。怯むわけがないのだ。


 一見しびれを切らして怒ったようにみせても、やはり仕種から感じる脅威は変わらない。彼女から発せられる殺気は、もともとそう多くはないのだから。


 殺したくないと、そう言っていた仕種の言葉は本当なんだと、誡はようやく心底から理解した。


 この人はどこまでも他人を傷つけたくなんかなくって、けれど自身の願いから目を逸らせずに苦しんでいる。


 だから衝動と理性の狭間で、仕種は誡に手を伸ばした。


 他の誰でもよかったのかもしれない。たまたま見かけたのが、自分だったのかもしれない。


 けれど、ここに立っているのは誡だ。彼女の考えに気づき、仕種を止めようとしたのは誡だけだ。ならば自分にしかできないことを、自分なりのやり方で貫き通す。


 ――頭の中を先ほどの仕種の言葉が廻り続けている。それは彼女が誡を正しく見ていない証明で、誡には特に不快だった。気づかぬうちに眉をひそめてしまうくらいには。


 そうして繰り返される打ち合い。

 幾合目かのつばぜり合いで二人が固まった。


「……なんですか、それ」


 身体が小さく仕種に覆いかぶされるようにしていた誡が、仕種をはじき返した。そしてとっさにリボルバーの銃口をその顔に向ける。中に弾丸が入っていないと思っていても、やはり警戒しているのだろう、仕種は大きく飛んで、誡から距離を取った。


 引き金が引かれ、かちりと、空虚な音が聞こえてくる。


 傍から見ているだけの奏繁は知っていた。これまでの戦闘中、誡は幾度か同じように空の引き金を引いていた。これで五度目。威嚇にしてもやりすぎではないだろうか。


「……さっきから聞いていれば何なのですか。よそ見なんてしないで、私だけ見ていればいいでしょう」


 言って、誡が仕種へと距離を詰める。仕種は一瞬呆気にとられたように見えたが、すぐさま手首を返して振り上げられたグリップを弾いた。


 再び打ち合いが始まる。


 持久力では負けるだろうという誡の予想は的中していたようで、誡の息は再び上がってきている。それでも誡は、途切れ途切れでも言葉を紡ぐ。


「……貴女が望むなら、ずっと貴女の斬撃を受け続けましょう。いつまででも、こうして衝動を受け入れ続けますから。だから――」


 誡がひと際大きく刀を弾く。仕種の目はどうしてか大きく見開かれ、どこか放心した様子だ。動きもいつの間にか鈍くなっている。


「――――――“次”なんか考えて、浮気しないでくださいよ、仕種さんっ」


 再度銃口が向けられる、

 そして今度こそ弾丸が打ち出された。爆発音にも似た轟音と共に、仕種がそのまま後方へ倒れる。


 誡がリボルバーから全ての弾丸を抜いたように見せたのは相手の油断を誘うためだった。一発だけ入れたままにしておいた弾丸。それを発射させるために、回転弾倉を五度回す必要があった。


 奏繁が思わず息を飲む。しかし予想したように血がまき散らされることはない。暗闇の中、弱い電燈の明かりを頼りに目を凝らすと、仕種には怪我一つできてはいなかった。


 銃口が向けられたのは仕種にではなく、振り上げられたままだった刀身だったのだ。


 仕種がうまく受け身をとって尻餅をついたのと、破壊され宙を舞った刃の先が地に落ちたのとでは、少しの時間差があった。


 響いた金属音で刀身を見ずとも己の握る刀の先がどうなったか気づいたのだろう。仕種は握りしめていた手から刀を離し、そのまま地面に仰向けに倒れた。


 刹那の攻防に勝利したのは、誡だった。


 大の字に寝転ぶように倒れた仕種に誡がゆっくりと近づいていく。仕種の顔を覗き込もうとした瞬間、仕種が笑い出した。


「ふ、ふふ、ふへへへへへあはははははははは! 浮気! 浮気ときたかぁ。あはははは!」


 お腹を押さえて爆笑している。困惑するように、声をかけるべきかどうするべきかと手を彷徨わせる誡を、ひたすら笑い切って涙目になった仕種が見上げて微笑んだ。


「あーあ。負けちゃった。もう完全敗北だわ。これじゃ次なんて言えない。あたしの奮闘はこれで終わり」


 そしてゆっくりと気怠そうに立ち上がり、服についた汚れを払ってから。


「そもそも、あたしの目的はこれで果たされた。だからもう罪を償う時ね。自首するわ」


 潔く、きっぱりと宣言した。


 ほっとした奏繁がため息をつく一方、誡は言葉を発することができなかった。


 仕種を止めるために言わなくてはいけないことは全て言い切った。用意してきた言葉はもうなにも残っていない。誡には仕種に何と答えるのが正解なのかわからなかった。


 沈黙を受け取った仕種は一瞬悲しそうに目を伏せたが、すぐに首を振り、笑顔で誡に向き直った。


「誡ちゃん。何か言ってよ。勝者は敗者に何か声をかけるべきだわ」


「……なにか…………」


 ことり、と誡が無表情で首を傾げる。その様子に仕種は一つ笑ってから、楽しそうに指をくるくるとまわした。


「そうよ。そして敗者は敗者で、勝者にの一つもつける権利があるはずなのよね。じゃないと勝負なんて全部悲しいだけで終わっちゃうじゃん」


「……そう、でしょうか」


「そうだよぉ。命のやり取りなら特にそう。だから……なんでもいいよ? 何か言葉にしてくれなくちゃ、ちゃんと伝わらないもの」


 そこまで促され、ようやく誡は、一つだけ確認したいことを思いついた。


「……合格ということで、いいのでしょうか」


 仕種の親友として認められたのかと。誡はそう問う。


 対する仕種の答えは単純だった。


「それは……、あたしの決められることじゃないなぁ。だから、誡ちゃん。――――あたしの親友になってくれますか?」


 伸ばされる手。それを誡はおずおずと両手で取って、ぎゅっと包んだ。表情こそ変わらないものの、手にしたものを零したくないと、そう願うような手つきだった。


 誡の暖かな熱が自分の手に伝わるのを、仕種は心地よさそうに目を細めて握り返す。


「へへ。じゃあ、そろそろ帰ろうかな。今日はもう遅いし、自首は明日起きてからでいいや」


 誡の誠意に対し花咲くような笑顔を浮かべた仕種は、名残惜しそうに手を放し、全て終わったというように背伸びをした。


「それまでに適当な動機考えとかなくちゃね」

「…………ありのままでは、いけないのですか」

「んー? 駄目だよ」


 刀の残骸を鞘と袋に詰め始めながら仕種は目を伏せた。


「今回のあたしの動機は、ふつう誰にも共感されないものなの。というか、されちゃ駄目。『親友が欲しい。だから殺しました』なんて、誰もかれもあたしみたいな思考回路してたらこの世は地獄よ。

 なのに、時々そういう異常な思想に感化されて行動を起こしちゃう人間がいる。いい? 異常や異質に惹かれる人間は一定数存在するわ。その狂気が奇抜であればあるほど熱狂的なファンが必ず現れる。そしてその中の一部は、模倣犯に成り下がってしまうの」


 残骸を回収し終わり袋の口を堅く縛った仕種は、今度は誡が捨てた弾丸を拾い始めた。誡が駆け寄って一緒に集める。


「あたしはそんな奴らに共感なんてされたくないし、そんな奴らがあたしの気持ちを正しく理解できるとは思えない。絶対にただの真似っ子、お遊びに過ぎない。身勝手かもしれないけど、それで誰かが傷つくのは嫌。

 だからあたしは当たり障りの無い理由を考えてから自首して、それを貫き通すの。たとえそれで誤解され、誰かが非難されようと、ね」


 最初から、騒動の終わりにはそうすると決めていたのだろう。強い意志のこもった瞳で仕種は語る。社会に余計な影響を与えないようにという、自身の異質さを理解した者にしかできない発想だった。


 拾い集めた弾丸を誡に手渡して、仕種は無言で刀の入った袋を背負った。このまま帰ろうとしているのだろう。紐を持つ仕種の手は、強く握りすぎて色を失っている。


 誡は掌に乗せられた冷たい感触を握りしめ、歩き出そうとする仕種の袖を引っ張った。予想外な阻害に仕種がちょっとつんのめる。


「誡ちゃん?」

「…………」


 自身の中にあるものをうまく形にできずにいる誡を仕種は黙って待った。短い付き合いだったが、自己表現の苦手な子なのだとなんとなく理解しているのだろう。見守るように優し気な視線でどうしたの? と問いかける。戦闘時に浮かべていた狂乱に満ちたそれとは違う、いつも通りの仕種の笑みだった。


 普段の優しさに溢れる大人びた姿も、何かを壊したい衝動に駆られる短絡的な姿も、両方彼女自身だ。


 ただ、彼女の根が善良で人当たりが良くて皆に優しくしてしまうから、隠した凶暴性が乖離して見えてしまうだけ。


 人というものは一面だけで語ることはできない。人間はみんな、人前でかぶる仮面と少し毛色の違う自分を、心の中に隠し住まわせているものだ。


 仕種の場合はその差が他人より大きく、安易に他人が受け入れることのできるほど、一般的ではなかったというだけ。


 だからどれほどの罪を犯そうと、仕種の優しさが嘘偽りであるということは決してない。


 長い沈黙のあと、ようやく思考を終えた誡が仕種の顔を見上げた。そこにあるのは慈悲すら滲ませた優しい表情。だから誡は、臆することなく言葉を投げかける。


「……罪にあたいするのは罰でなく、償いのはずです。……もし貴女が、自首以外の方法で己の罪を清算したいというなら、私は味方になります」


 真っすぐ、仕種から目を逸らすことなく告げた。それはやっぱりいつも通りの口調で、けれど仕種に感化されたように、少しだけ優しさが混じっていた。


 ひっそりと見守っていた奏繁は誡の言葉に少なからず驚愕を覚えた。誡の言い分を解釈するなら、結果的に罪を清算できるなら自首する必要性はないと言っているのだ。


 それは司法に身を任せないということで、つまり世間や被害者遺族の非難の声から背を向けることでもある。きっとそれは悪だ。自身の責任から逃げたと非難する人間もいるだろう。


 それでも別の道を探すことが彼女の意思ならば味方になろうと、誡は言う。生半可な覚悟ではそんなことは言えない。誡がどこまで分かって言っているのか疑問は残るが、誡はただ、仕種の親友として彼女のがわにいると決めたのだろう。


 けれど仕種は誡の頭を乱暴に撫でて、彼女に顔を見られないようにしながら目を閉じた。


「ううん。あたしはそこまで頭良くないから。大人しく自首するわ。これはあたしのしでかしたことだから、あたしの責任。お父さんでも、お姉ちゃんでも、ましてこの刀のせいでもない。あたしだけの罪だから。

 ……ありがとう。そこまで言ってくれて。やっぱり持つべきものは親友なんだねぇ。そっかぁ、これが親友かぁ。一人だけでも、受け入れてくれるってわかってる安心感、すごいなぁ」


 最後にちょっと照れくさそうに誤魔化して、仕種は誡に背を向けた。


 そうして右斜め前方にこそこそ隠れていた奏繁に目を止め、声をかける。


「へいっ、そこなボーイ!」

「は、はい!?」

「誡ちゃんのことよろしく」


 少年の名前も聞かず、それだけ言って歩き出す。


 お互いの表情が見えないくらい離れてから、仕種はちょっと振り返って軽く手を振った。


「じゃあ!」

「……はい、


 自分を殺し、他人を殺し、その全ての苦しみを背負う覚悟を持ったその女性は、もう決して振り返ることなく、ようやくできた親友に涙も見せず、一人で暗く寒い夜の道を帰って行く。


 けれどその心には、以前のような空虚は無かった。自首すれば十中八九こうして自由に歩き回ることはできなくなるだろう。それでも仕種は恐怖を感じなかった。


 だって、自分にはもう親友がいる。最大の理解者がいる。あの子はいつでも、どんなあたしでも否定せずにいてくれる。そうして自分が狂ってしまった時は、またこうして止めてくれるのだろう。


 胸に満ちる暖かな感情を抱きしめて、湯苅部仕種は夜の道を帰って行く。


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