第13話 二重人格という無個性


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 女性は湯苅部ゆかりべ仕種しぐさと名乗った。歳はほぼ二十。県内の女子大に通っているのだという。


 運ばれてきたホットコーヒーにミルクと砂糖を淹れながら、仕種さんは私にケーキ用のフォークをとってくれた。


「それで? 誡ちゃんは何しに来たの? ちなみに私は新入生歓迎会の買い出しよ」


 どうしてそんなことを聞くのかと思ったが、理由は単純だった。


「ほら、最近物騒だから」


 確かに殺人事件が続く中で中学生が一人、理由もなく外出するのもおかしいのかもしれない。


「……友人と待ち合わせをしていたのです」


 当たり障りのないことを伝える。まさか、当の殺人犯を探していますとは言えない。


「ええっ、それ大丈夫なの? お姉さんとお茶してる時間ある?」


「……待ち合わせは夜ですから」


「中学生が夜に待ち合わせ? もしかして誡ちゃんは不良なのかしら?」


 しまった。ケーキがおいしくて正直に話してしまった。


 誤魔化そうとも考えたが、仕種さんはそれほど気にしていない様子だった。話はすぐ次に移る。仕種さんの笑みは絶えない。


「でも、そうやって夜遊びできる友達がいるのって羨ましいかも。あたし友達は多いんだけど、本当に仲がいい人がどれだけいるかって言われたらほとんどいないのよね。それこそ親友なんて言えるほどの相手いたことないし」


「…………」


 今日の待ち合わせ相手は今日知り合ったばかりのよく知らない人です、なんて言えない。


 なんとなく浮かんだ出まかせを言ってお茶を濁す。


「……親友というのは、いつの間にかできているものだといいますから。……そんなに気にしなくてもいいのではないですか」


 コーヒーに三本目の砂糖を入れ空になった紙の袋をリボン結びする仕種さんは、そうかなぁと苦笑した。


「案外、作ろうと思って行動して、努力しないとできないと思うけどな。だって、相手の事を知って自分のことも分かってもらうなんて、思いのほか重労働じゃない? 教科書の丸暗記じゃないんだから、一夜漬けじゃどうしようもないし。

 どうしても労力が必要だと思うのよ。あたしなんて努力しても、なかなか想いに応えてくれる人見つからないし」


「……そんなに欲しいのですか、親友」


「まー、居ないとなるとね、けっこう欲しいよ。誡ちゃんも思わない? 自分を理解して、全てを受け止めてくれる人がいることがどれだけ幸福なことか。あっ、もういるんだっけ、親友」


「…………はい」


 親友ならいる。私を理解し、受け入れてくれる友人をそう呼ぶのなら、確かに一人。だから、たとえ仕種さんが思い浮かべているものと相違があったとしても、これは嘘ではなかった。


 空になったお皿にフォークを置いて、しばらく仕種さんとたわいもないことを話した。


 年上の人間と会話することには慣れているけれど、それとは別に彼女は話しやすい女性だった。人の話を嬉しそうに聞き、自分のことも楽しそうに話す。

 まるで子供みたいだ。もしくは優しい親戚のお姉さんといった感じなのだろうか。親戚はいないから分からないけれど。


 私達の住んでいる町が同じだと知って、仕種さんはやはり嬉しそうだった。


 日が暮れてきて私たち以外の客がいなくった頃、私たちは連絡先を交換して店を出た。テーブルには冷たくなったコーヒーと、五つのリボンが残されていた。


 真新しい財布を仕舞って仕種さんは私の頭を撫でる。仕種さんの身長は私よりも三十センチものさし一つ分は高い。本当にお姉さんのようだ。


「それじゃあね。気をつけるのよ? 最近物騒だからさ」

「……善処します」

「あはは。ところでさ、誡ちゃん」

「……はい」

「小学生?」

「……中学生」


 二年生です、と言う代わりに指を二本立てる。


「あはははは、そっかぁ」


 伝わったのかどうか、仕種さんは笑いながら手をひらひら振って帰っていった。市電に乗るのだろう。ポニーテールを揺らして歩いていく。


 ……依琥乃と似ているような、けれど正反対のような。とにかく不思議な女性だ。


 私も歩き出そうと片足をあげた瞬間、鼻につく臭いが漂う。


 生臭く、鉄っぽい。

 血の匂いだ。


 けれど、肺に入る空気は新鮮なまま。つまりは危険察知クリエ。私の稀癌が何かを警告している。


 あたりを見渡す。周囲に人気は無い。角を曲がっただろう仕種さんの姿ももう見えない。


 感じたのは時間にしておよそ三秒ほど。すでに臭気は消えていた。集中しても危機の欠片も感じない。


 背筋が強張った。喉の辺りに飲み込み難い違和感が詰まる。己の周囲に安全が広がっていることが、むしろ不自然に私を緊張させる。


 初めてだった。


 自分を覆った危険が、なにも起こらずに消えてしまったのは。


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 最終バスに乗って市内へ向かう。明日が休日だからだろうか、時間が時間なのに他にもちらほらと乗客の姿がある。


 それでも自分ぼくと同じ年頃の人はいない。周囲は大人に囲まれている。身近で事件が起きていようと、被害者が全員十三~十六歳の子供だから自分たちには関係がないと思っているんだろうか。


 上通りの最寄りである通町筋とおりちょうすじの一つ前でバスを降りる。待ち合わせ場所は大通りから一つ裏に入った所にある神社だ。


 道に人気は無い。時間的に警察にでも見つかれば補導されてしまうから、人がいないのはありがたいのかもしれないけど、やっぱり薄暗い神社というのは不気味だ。誰もいない境内けいだいまつられているものが、自分に害を成すものじゃないことは分かってるはずなのに。


「……こんばんは」

「うひゃあ!」


 突然背後から声をかけられて石畳から足が数センチ浮いた。

 振り向くと、そこに居たのは小柄な少女だった。


 肩口まで伸びたさらさらな黒髪だけが自分ぼくの悲鳴に驚いたように跳ねる。万物に対して興味が薄すい眠たげな瞳が今は若干見開かれていた。


 電燈に照らされた美しい少女は場所も相まってか、なんだか近寄りがたい神聖な雰囲気を帯びている。本人が着ているのは巫女装束ではなく、灰色のパーカーだったけど。


 暗くて顔の造形までは見えないが、特徴からして彼女が陽苓ようれいかいで間違いないだろう。


「えっと、誡さん……だよね?」


 自信がなくて思わず確認してしまう。本当は失礼なことだけど仕方がない。


「そうです。…………あなたは誰でしょうか」

「えっ」


 まさかの切り返しっ。


「いや奏繁そうはんだよっ、更科さらしな奏繁! 待ち合わせしてたよね!?」


「…………言われてみればそうですね。ごめんなさい。あまり人の顔を覚えるのは苦手で。……できればもっと個性的な顔面を装備して来てくださいますか」


「ごめんね、人間の顔って、プラモみたいに着脱可能じゃないんだ……」


 真顔で失礼なことを言うから冗談なのか本気なのか区別がつかない。でも、人の顔を覚えるのが苦手なのは本当のようで、誡さんは自分ぼくの顔をしげしげと見つめてくる。なんだか気恥ずかしい。


 しばらくの間まるで標本かなにかのように観察された。そんなに自分ぼくって特徴ないかな? なんだか不安になってしまったけど、誡さんの考えは自分なんかには及びもつかないものだった。


「……更科君は人を覚えるのが苦手ですか」


 正面に立った誡さんが唐突にそう訊いた。


「……今日会ったばかりなのに、先ほど私かどうかの確認をとりましたよね。……私の顔を覚えていなかったのではありませんか」


 答えない自分ぼくへ重ねて訊く。他人に対してあまり興味を示さないものとばかり思ってたけど、案外細かいところに気が付く人だ。疑問を放置しないタイプなのかもしれない。


 なおも口を閉ざす自分ぼくを、誡さんは呆れもせずにじっと待っている。そんなふうに真っすぐ見られると適当に誤魔化す気も失せてしまう。つい忘れていたけど、そもそも彼女はあの依琥乃の親友なんだった。誤魔化しが通じるとは思えない。


 観念して真面目に答えるしかないってもんだろう。


「忘れてたんじゃないんだ。本当に知らなかったんだよ」


 自分ぼくの言葉に誡さんは微かに首を傾げる。


「……知らない……。どうしてですか」


「お昼に君と会ったのは、もう一人のほうの自分ぼくだから。自分ぼくは誡さんとは初対面なんだ」


 頭のおかしなことを言っていると自分でもわかってる。案の定、誡さんは黙り込んでしまった。


 あたりまえだ。いきなりこんな事言われても返しに困るだろ、普通。誰だって引いてしまう。当の自分ぼくだってこれを自覚するのにだいぶかかったのだから。


 やっぱり適当にごまかすべきだったかな。


「えっと、ごめん変なことを――――」


「……これは失礼しました。では、自己紹介から入るべきでしたか」


「――――え?」


「……えっ」


 固まる自分ぼくにつられて彼女も固まる。思考が追いつかない。もしかしてこの人は――。


「依琥乃から、自分ぼくが稀癌罹患者だって聞かされてたの?」


「……はい」


「稀癌の内容は知ってた?」


「……いいえ。依琥乃はそういうことを詳しく話しませんから」


「稀癌罹患者にはよく会うの?」


「……自分以外の罹患者には会うのは、更科君が初めてですね」


「………………そっかぁ」


 身体の中に溜まっていた緊張が空気と一緒にどっとこぼれる。

 なんというか、いろんなことを気にしていたのが馬鹿みたいだ。


 陽苓誡という女の子は、自分ぼくが感じたよりもよっぽど変だ。普通の子という印象は改めなきゃならないだろう。この子は十分、異常な変人だ。


「うん。二重人格の稀癌罹患者、更科奏繁です。よろしく誡さん」


「……はい。危険察知の稀癌罹患者、陽苓誡です。……あなたのことを何とお呼びすればいいのでしょうか」


「同じでいいよ。自分ぼくらだって、お互いを完全に区別できてるわけじゃない。ほとんど同一人物と言っていいくらいだし」


「……なるほど。ではよろしくお願いします、更科君」


 無表情で頭を下げる彼女には、何の動揺も感動も見受けられない。


 危険察知の稀癌罹患者。多すぎる感覚情報によっておよその感情が希薄になってしまった少女。人形のような整った顔と動かない表情が、彼女から人間らしさを奪っている。


「……二重人格なのに同一人物とは、どういうことですか」


 それでも、彼女は一個の人間らしい。自分ぼくなんかよりも、よっぽど。少なくとも自分ぼくにはそう見える。彼女はただ唯一の、陽苓誡という人間だ。


「うん、自分ぼくらはほとんど性格に違いがないし、一応記録を共有しているから、自分でもいつもう一人の自分と入れ替わって表に出ているのかわからないんだ。だから同一人物。どっちが身体を使っていても、お互いに違いがないから特に差異が現れない」


 お互いがお互いを自分だと認識していたから、別人なのに自分ぼくらは近しい。


 お互いの行動を監視して、おかしいところをおかしいと評価し、少しずつお互いの平均へと人格をならしてしまった自分ぼくらは、あらゆる人間から「普通」と評価される人間へと相成った。それを一切おかしいとも思わずに。


「……しかし、先ほど私の事を覚えていませんでしたよね」


「共有しているのはあくまで記録だから。記憶はないんだ。

 ――――えっと例えば、今日誡さんと会ったことは知っているし会話の内容も覚えているけど、自分ぼくには君と会った覚えはない。頭に映像が浮かばないっていうか、たぶん思い出が無いっていうのが一番正しいんだと思う。

 自分ぼくは、もう一人の自分が身体を使っている間のことを他人のこととしか感じないんだよ。別人なんだから当たり前かもしれないけどね。

 小説でも読まされた後の気分と言えばいいのかな。自分ぼくはさっきまで君の特徴は知っていても顔すら知らなかったんだから」


 拙い説明しかできない自分の語彙力の低さに焦りが出てくるほどだった。自分ぼくはいままで、自分の稀癌を説明なんてしたことがなかった。


 自分ぼくの稀癌のことを知っている人間は、自分ぼく以外には依琥乃しかいない。そして依琥乃は説明なんてしなくてもいつもすでに知っていたから。


 明らかに説明の経験値が足りていなかった。それで依琥乃を恨むのはお門違いだけど。


「小説……、なるほど。その例えは分かりやすいです」


 誡さんは自分のへたくそな説明でもなんとか理解してくれたようだった。たとえ相互理解に誤りがあったとしても特に問題無い。自分ぼくの稀癌なんて、それほど重要なものでもないんだから。


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