第25話 56分以内でお願いします

防衛省、事務官である野村忠治氏が現れたのは、予告された時間ぴったりの午後12時8分だった。


「仕事がありますので、お話は食事も含めて56分以内でお願いします」


昔ながらの喫茶店ランチ、薄暗い店内と重厚な木のテーブルに肘掛け椅子、宮下氏が、すかさずスマホのタイマーを56分にセットして机上に置くと、高橋氏は腕組みをして野村氏を見下ろした。


「防衛省は時間にも厳しいんですかね、うちはそこまで言われませんけど、仕事での裁量は比較的自由でしてね」


俺は、翔大の資料を取りだす。


「これが、NASAから送られてきた資料です」


「NASA? アースガードセンターといえば、確かNORADと関係が?」


「そうです、正確にはNORADからの連絡ということになります」


「北アメリカ連合防空軍と言えば、コロラド州ですよね、ロッキー山脈、行ったことありますか? 僕はありますけどね、いいところですよ」


「うわ~、本当ですか!? いいなぁ~!」


「アメリカ空軍がなにか」


「空軍が問題なんではないんです。日本でも、ミサイルの発射を検討していただきたい」


「国防として、ですか?」


「おいおい、杉山くん、いきなりそんなお願いは通じないよ、いくら彼が防衛省の事

 務官とはいえ、文民統制、やっぱり内閣府の許可がないと。最高指揮官は内閣総理大臣であって、最終決定権はやっぱり内閣府にあるんだよ」


「ですよねぇ~」


「最悪、アメリカの協力は得られると思っています。ですが、最大の被害を被るであろう、日本の政府が動かないことには、アメリカの支持も得られません」


「外交問題は外務省の権限であって、防衛省にはないんだよ、もちろん、内閣府から外務省に指示することは可能だと思うけどね、内閣府だから」


「やっぱり、そういう仕組みですよね!」


「高橋さんのおっしゃる通りです。私たちは、命令されれば動くだけですから」


「そうだよ、内閣府総理大臣が、最高指揮官なんだから」


「いよっ! 総理大臣!」


「その指示は、高橋さんが取ってくれます」


俺が高橋氏を振り返ると、彼は眉をしかめた。


「そんなに簡単にお願いされても、そう単純に返事はできるもんじゃないよ」


「ですよねぇ」


「防衛省としては、内閣府の指示がないと動けません」


「まぁ、国民の安全のためになら、全力で働くつもりですけどね!」


高橋氏が高らかに笑い声を上げると、宮下氏も一緒に笑った。


「ですので、私からは、これ以上なにもお返事することが出来ません。私は一介の事務官ですから」


「まぁ、そんなにご自分を卑下なさることはございませんよ、十分立派なお立場ですから、防衛省の事務官と言えば! ま、俺は内閣府詰めですけどね!」


「そうですよねぇ、やっぱすごいなぁ!」


本日の日替わりランチが運ばれてきた。全く同じものが4人分。


スマホのタイマーは、残り42分。


「僕が、防衛省の幹部と会って、お話することはできませんか? この資料を野村さんに本日全てお渡しするとして、上の説得は可能ですか?」


「説得も何も、内閣府を説得すれば、いくらでも防衛省は動きますよ。そういう組織図なんだから」


野村氏は、翔大の資料を手に取った。


「私はこれを受け取り、中の人間にお話するだけです。それだけです」


「僕が、直接お話することは?」


俺は、みそ汁をすする野村氏を見上げた。彼は何一つ動じなかった。


「必要があれば、連絡します」


「あぁ、僕の連絡先は分かりますよね、そう言えば名刺の交換もまだでした」


高橋氏が名刺を取り出そうとするのを、野村氏は手の平で制した。


「必要があれば、こちらから連絡します」


「あ、僕、高橋さんの名刺、もう一枚いただきたいと思ってたんですよ、よろしかったら、いただいちゃっても、いいですかぁ?」


「はは、仕方ないな、あんまり、あちこち配るなよ」


宮下氏は、行き場のなくなった高橋氏の名刺をありがたく受け取った。


「翔大の詳細なデータは、こちらからお送りします。ミサイルの発射のタイミングと、その計算を、ぜひアースガードセンターと連携していきたいんです」


「あなたのお気持ちはお預かりいたしました。報告はしておきます」


「日本の総人口の、約45%の命がかかっています。国民の財産と生命を守るのが、防衛省の勤めでは?」


「あなたのお気持ちはお預かりいたしました。報告はしておきます」


皿に盛られたナポリタンスパゲティの、半分が既に無くなっていた。


残り23分。


「我々は、ロケットの打ち上げは出来ても、ミサイルは撃てません。ぎりぎりになっ

 てから、やっぱり協力は出来ないと言われるのが、一番困ります。

 ミサイル発射技術と、ロケット発射技術と、どちらで翔大の粉砕が可能とお考えで

 すか?」


野村氏の、サラダを口に運ぶ箸の動きが止まった。


「おいおい、いくらなんでもそれは言いすぎじゃないのかな? 君たちの所属は、あくまで内閣府、文科省、なのであって、内閣府、防衛省、の、防衛省を刺激するもんじゃないよ、あくまで、内閣府の指示がないと、君たちは結局、何にも出来ないんだからね」


「ですよねぇ」


「だから俺がここに来て、わざわざ橋渡しをしてやってるんじゃないか」


「恐れ入ります」


俺の代わりに宮下氏が頭を下げた。残り13分。


食後のコーヒーが運ばれてきた。


「地球は自転しています。日本が1発目、ヨーロッパで2発目、アメリカで3発目、もしかしたら、他の国の天文学者が動いてくれれば、もっと協力が得られるかもしれません。これは、人類が初めて世界的に協力して立ち向かう、一大事業になるかもしれないんですよ」


野村氏は、コーヒーにたっぷりの砂糖とミルクを加えると、一気に飲み干した。


「そこに参加するのは、僕たちアースガードセンターの、衛星打ち上げ用小型ロケッ

 トですか? それとも、自衛隊の弾道ミサイルですか?」


「だから、自衛隊の最高指揮官は、内閣総理大臣だって言ってるじゃないか、内閣府

 の指示があれば、防衛省は動くんだよ」


「分かってないですねぇ、やっぱり彼は」


野村氏は立ち上がって、伝票の金額を確認する。


彼は、財布から額面通りの金額をテーブルの上に置いた。


「あなたのお気持ちはお預かりいたしました。報告はしておきます」


俺が用意した翔大の資料を手に、彼は店の扉を開けた。


扉につけられた鈴が、カラカラと音を鳴らすと同時に、テーブルのスマホが56分を経過したことを知らせるアラームを鳴らす。


俺は、大きく息を吐いて、固い肘掛け椅子に体を沈めた。


「おいおい君たち、何にも口にしていないじゃないか、早く食べなさい」


高橋氏に言われてテーブルを見ると、舐めたようにきれいに食事を済ませてた野村氏のお盆と、ほぼ食事を終えた高橋氏のお盆が並んでた。


「じゃ、俺たちもいただきましょうか」


宮下さんがそう言って、にこっと笑って初めて自分の箸を手に取った。


「そうですね、食べちゃいましょう」


やるべきことはやった。後は、連絡を待つのみ。


ナポリタンスパゲティは、何の味もしなかった。

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