第4話 聞いてません

俺の教育係と名乗るその女は、チビだが巨乳だ。


この狭くて古くさい、おっさんだらけの職場に、たった一人の女性の存在は、唯一の癒やし効果といってもよい。


解析に280時間かかるという、衝突惑星発見のための画像診断プログラムは、1日20時間をかけて14台のパソコンを駆使することで解決しているということを、後で知った。


「どうしてそういう嫌らしい新人イジメをするんですかね」


「説明しましたけど」


女はそう言って、初日に渡した研修日程の資料を突きつける。


確かに、その資料には、『全体の仕事の流れと、各部署との連携に関する説明』という記述があるが、実際に行われた内容に関する詳細な記録がない。


「証拠がありません」


「は?」


「ちゃんと説明が行われたという、証拠がありませんよね、それでどうしてそんなに自信満々でいられるのか、そっちの方が不思議です」


女の小さな顔が、じっと俺を見上げる。まぁ、確かに悪い顔のつくりではない。


「僕の記憶に残ってないってことは、僕が聞いてないってことなんじゃないんですか? そもそも、説明するにあたって、大切なことを、きちんと相手の印象に残るように説明がなされていないのも、教育係を自負するわりには、不手際だと思いますけど」


もしかしたら、聞いてるかもしれないけど、俺の記憶にないということは、聞いていないのと同じこと。


それは、説明の仕方が悪いのであって、俺の記憶が悪いのではない。


だって、俺は頭がいいんだから。


「私、この仕事を始めてから、初めて泣きそうな気分なんだけど」


「俺は、女性のそういうところが嫌いです」


言うべきことは、はっきり言っておかないとな。


大体、すぐに泣き落としで何とかしようとするから、女は嫌いなんだ。


それくらいで、なんでも男が言うこときくと思うなよ。


そもそも、この俺を教育できるとか、ハナからタカくくってんじゃねーぞ、逆にお前が教育されろ。


「おいおい、どうした?」


たまたま通りかかった、男の先輩が声をかけてきた。


「栗原さん! 聞いてください! こいつの頭が悪すぎて、ついていけません!」


そう言って女は、彼の胸に飛び込んだ。


飛び込んで来られた方は、すっごいびっくりして、激しく動揺していたけれども、そんなことを女に悟られないよう、彼は瞬時にその感情をねじ伏せた。


「頭悪すぎって、彼は優秀な人材じゃなかったの?」


女の肩に男の手が乗って、そっと体を引き離す。


だけどその手は乗せられたままだ。


職場恋愛ってやつか、うっとうしい。


「頭も悪いけど、根性と性格が最悪なんです!」


「根性と性格ね」


彼の、俺よりワンランク下の顔が、こっちを向いて、俺を笑っている。


だけど、この女のそっけなさと、男の慌てっぷりからいうと、まだそこまでの深い関係には至っていないようだ。


「そうやってすぐに泣き落としにかかる女性っていうのも、どうなんですかね」


この女自身に興味はないが、俺以外の男に目がいってるってのは、なんとなくシャクにサワる。


「女の涙が最強なんて、もう都市伝説もいいとこですよ?」


彼女の左足が、ガツンと俺の真横にあった机の引き出しにメガヒットした。


とにかく、その地雷スイッチの入り方が、俺には全く予想が出来ない。なぜだ?


「おい、私の顔が泣いてるように見えるか、杉山、どうだよ、ちゃんとこっちを見て答えろ」


ネクタイをつかんでぐいっと引き寄せられた、俺の顔の真ん前に、彼女の顔が並ぶ。


「はい、泣いてません、怒っています」


彼女の両目には、美しい涙ではなく、灼熱の炎が宿っているようだ。


「だろ? このクソボケ新人」


「あの、僕の名前はクソボケ新人ではありません、ちゃんと名前で呼んでください」


「はぁ?」


「そう思いますよね、常識じゃないですか、えっと、えー……、そこの男の先輩」


ネクタイで締められている首が、さらにきつく絞まった。


「おい、杉山」


「はい」


「杉山康平」


「聞こえてますけど」


近すぎる彼女の髪からは、なんだかとてもいいにおいがする。


これがシャンプーの香りってやつか。


「もしかしてお前、あたしの名前も覚えてないんじゃないだろーな」


「そんなことありませんよ」


俺の視線が探し当てるよりも先に、彼女の手が胸の名札を覆い隠した。


「だよな、真っ先に覚えなきゃいけない名前だよな、フツー」


「教えてもらう先輩なんだから、そんなの当然じゃないですか」


「おい、答えろや、杉山」


「はい」


「私の名前は、なんだ?」


えーっと、俺の教育係の女の名前だろ? 確か、く、とか、か、とか……。


「ちゃんと教えたよなぁ!」


「はい」


「知ってて、常識だよなぁ!」


「はい」


彼女の顔が、ぐっと近づいて、額と額がぶつかった。


「おい、さっさと答えろや、杉山」


「えっと、聞いてませんでした」


脳天に、強烈な痛みが走る。


普通、社会人にもなって、後輩に強烈な頭突きをかます教育係が、この世に存在する??


「三島香奈だ、ちゃんと覚えとけ!」


「はい、三島先輩」


今回の俺の行為は、確かに迂闊だったかもしれないが、このパワハラ行為は糾弾に値する。


「まぁまぁ、香奈ちゃんもそんなに怒らないで」


男の苗字は『栗原』だ。


名札にそう書いてある。今のうちに覚えておこう。


「ね、コイツ、最悪でしょ!」


「はは、本当だね」


そう言って彼は、両腕を広げた。


もう一度彼女に、胸に飛び込んでこいという合図のつもりだったのだろう。


だが彼女は、それに気づいたのか、気づかなかったのか、わざとなのか、天然なのか、それを軽く無視した。


彼は行き場をなくした自分の両腕を、体操しているフリをしてぶんぶん振り回している。


「香奈ちゃんと栗原さんって、お付き合いされてるんですか?」


彼女の足が、思いっきり俺の足を踏んだ。


「『先輩』をつけろよ、デコ助野郎!」


「香奈『先輩』」


「今度また余計な口を開いたら、お前を13次元の果てまで送り込んでやるからな!」


「はい」


栗原さんが、香奈先輩のご機嫌取りに走っている。


彼女のために椅子を用意し、お茶とお茶菓子を取りに走るとは、この二人、どうもつき合っているわけではなさそうだな。


だったら、俺にもチャンスはあるはず。


生意気な女は、嫌いじゃない。


確か、最新の量子力学、超弦理論、いわゆる超ひも理論によると、この世界は13次元ではなく、11次元だったはずだ。


そこは後で、きちんと訂正と確認をしておこう。

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