第27話 始まる準備と優しい期待
朱音との生活も残り数時間。
テレビに映る「21:00」というデジタル時計が、カレンダーの黒い数字が目前にまで迫ってきていることを知らせてくる。ゴールデンウィークもそろそろ終わろうとしている。
最終日だからと言って、特別なことはせずただ家でゆっくりするだけの一日を過ごした。今年のゴールデンウィークは色々ありすぎて、一日中だらけるのも久しぶりだ。
ソファーに座る朱音にチョコレートアイスを手渡しながら、隣に座る。ゆっくりと沈むソファーに身体を預けつつ、ぼんやりと一週間を振り返ると、この座る距離が少し縮まった気がする。数ミリ、数センチくらいの差だし、気のせいだと思うけれど。
「あっと言う間だったな、この生活」
「そうね、色々ありすぎて」
本当に、色々あったな。
一緒に食材を買いに行ってご飯を作って、ぎこちなく「ただいま」を言い合って、遊園地に行ったり課題を進めたり、一日の密度が濃かったな。
すれ違いもあって、互いに傷つけ傷ついたけれど、それでも今、こうやって隣に並べているから、あの痛みも悪くなかった気がする。
「そういえば、朱音も夕食は一人なんだっけ」
「いつもではないけれど、多いわね。でも、それは紫苑もでしょ」
「一人で食べる方が多いな。だからさ、時々で良いから一緒に夕食たべないか? ほら、一緒に食べた方が食費が安くなるし、一人分も二人分も作るの変わらないし......って違う。ほら、誰かと一緒の方が美味しくなるっているか、寂しくないっていうか」
「本当に良いの? そんなこと言われたら週三は夕食に誘うわよ、迷惑じゃない?」
「大丈夫、どうせ暇だし」
「ありがとう」
アイスが溶けるように、時間もあっという間に過ぎていく。
「そういえば、私が泊めさせてもらってる部屋に、紫苑の小学校と中学校の卒アルがあったんだけど、ついに今朝読んじゃった」
「何でそんなところに。というか、読んだの?」
「読んだわ。小学生の紫苑は可愛いかったわね。いつからこんな、怠そうな目付きになちゃったのか」
残念そうな声色で、顔を覗き込んでくる朱音から視線を逸らし、テレビを見る。テレビでは帰省ラッシュの報道が、慌ただしさと焦燥感を煽るように流されていた。
「とりあえず忘れて。恥ずかしい」
「残念だけど、それは無理ね。もう忘れられないわ」
忘れるように願いを込めて朱音の肩を揺すっていると、無機質な玄関のインターホンが鳴り響き、朱音との共同生活の終わりを告げた。
玄関を開けると、両手に色とりどりな袋を抱えた母さんと結衣さんが並んで立っていた。どことなく出発時よりもリラックスしているような二人。
一言二言挨拶を交わし、朱音と結衣さんが家へ戻るのを見送り、部屋に戻る。もう眠ろう。
休みの間の詳しい話は、また後日聞き出すらしく、別れ際の笑顔に嫌な予感を憶えた。何を言われるのだろうと、ぐるぐる回る思い出を頭から追い出し、布団を頭まで被って目を閉じた。
翌日は朱音の声ではなく、聴き飽きて嫌悪感すら抱いている目覚ましの音で目を覚ました。
リビングには、母さんが朝食を作っていて、カレンダーの数字は黒くなっていた。今日から、また学校だ。久しぶりに着た制服の、固く身動きのとりにくさに若干の憂鬱と、緊張感を持って家を出る。ああ、もう少し眠っていたかった。
教室に入ると、休み明けの気だるい空気に混ざって楽しげな会話が、そこら中から聞こえてくる。旅行に行った話や、何もしなかったという話が大半を占めるなか、「おはよう」と色んな方から声が届く。こうやって、雨宮や委員長と挨拶を交わすのも久しぶりだ。
自分の席に着くと、周りにはいつもの景色が広がった。
「よう、今日も時間ギリギリだったな篠崎。今日こそは休みかと心配した」
「寧ろ、休み明けもいつも通りで安心しただろ? こっちとしては一ノ瀬が課題を忘れてないか心配だけどな」
「ああ、昨日急いで終わらせたわ。......美菜から連絡なかったら危なかったけど」
「なんだ、終わらせたのか、惜しかったな」
「え、酷くないか!?」
いつも通りの会話をしていると、音を立てて扉が開き先生が入ってくる。それと同時に、立ち話をしていた皆が一斉に席へと戻り始めた。
また学校が始まっちゃうな。
小さく溜息をつき、机の上に置いたままの鞄を床に下ろした。
午後の授業が始まるチャイムを聞きつつ教室で眠気を堪えていると、委員長の葉山と副委員長の川口さんが、黒板の前に立っているのが目に入ってきた。二人は手に持ったプリントの束を、列ごとに配っていた。
整った字で黒板に書かれている文字は『学園祭・模擬店』、その横には品目や役割など見出しだけが書き並べられている。なるほど、学園祭の出店内容を決めるのか。
どうせ出店するなら、美味しくてしっかり稼げるものが良いよな。ついでに手間がかからないもの。そんな風に考えていると、プリントを配り終わった委員長が喋り始めた。教室の後ろまでしっかり届く力強いが繊細な声に、ざわついていた教室が水を打ったようになる。
「プリントを見て貰えれば分かると思うんだけど、六月末の学園祭まであと二か月も無いので、今から模擬店の内容と大まかな役割を決めたいと思います。そうだ、六月には中間試験もあるから、更に二週間も準備期間が減ると思っていてください。まずは、何を販売するかってことだけど」
前の席から回ってきたプリントに目を通す。そこには、模擬店の候補として飲み物と焼きそば、そしてクレープの三つが候補に挙がっていた。
この中だと、クレープかな。準備期間中に失敗作のクレープを食べられそうだし。
「候補は三つだけど、利益とか自分たちが作りたいものとかオリジナル性とかを考慮して、どれを選ぶかをみんなに決めて欲しい。あと、模擬店の利益の七割はクラスの打ち上げ費に使って良いんですよね、先生」
「そうだな、だから毎年打ち上げは差が出るんだよ。沢山稼いで美味しいものを食べような。手伝えることがあるなら私も全力をだすから、折角だ、売り上げ学年一位を目指すぞ!」
「と言うことで、みんな意見をお願いします。どんなことでも良いから、言って貰えると嬉しい」
打ち上げの話、先生のやる気、学園祭というお祭りへの期待が入り混じり、クラス全体の熱気が上がった......ように感じた。僕としては、プリントに書かれている試験期間の文字の方が気になる。憂鬱だな。二学期制のこの高校は、試験の回数は少ないけど、一回の試験の範囲は広くなるって話だし。試験か、嫌だな。
一人、試験に対して悶々と悩んでいる間にも、コツコツとチョークの音を忙しなく鳴らしながら、次々と出された意見が黒板に並べられていく。
ざっと目を通して纏めると、
「飲み物だけだとつまらないけど、利益は出しやすい」
「焼きそばは売れる、作りやすい。でも、熱い」
「クレープはオリジナルのものが作れる、凄く利益が出るかは微妙」
こんな感じだろうか。一長一短って奴だな。
「さて、これくらいで出揃ったかな。多数決で決めたいけど良いですか? 反対意見がなければ、このまま進めちゃうけど」
反対意見は出ず、多数決が実行された。結果としては、焼きそばと僅差でクレープに決定。もちろん僕も、クレープに投票した。どんなクレープを作るのか、気付けば試験のことは忘れ始めていた。なんだかんだ、行事ごとは楽しみだったりするわけで。
「クレープで決定ですね。みんな、よろしくお願いします。よし、たくさん売るぞ!」
委員長の気合を入れる様な声に、クラスがさらに盛り上がる。そんな熱気に中てられて、僕も少しだけ盛り上がりに加わった。そうだな、今はどんなクレープが食べられるのか楽しみだ。
「さて、ここからは役割について決めていこうと思うんだけど、川口さんよろしくね」
「うん、任せて。次は準備期間の役割を決めます。基本的には、役割という枠に捕らわれないでみんなで協力したいんだけど、部活の展示なんかもあると思うので、ある程度進行状況を把握できる人が居てくれると良いなってことで、小道具や調理関係のリーダーを決めたいんだけど、良いですか? もし良ければ、立候補してくれると嬉しいです。出来ればリーダーだけは部活の展示に忙しくない人にお願いしたいかな。もちろん、私たちも手伝うので。まずは小道具のリーダーだけど」
リーダー決めの話が出ると、さっきまでの盛り上がりから一転し、再びクラスが静まる。黒板の前では、川口さんが何かを言おうとしては止めるのを繰り返し、不安そうな表情でクラスを見渡していた。
部活展示に忙しくないって帰宅部の事だろうなと、思いつつ立候補をする勇気はなく、ただただ他の誰かが手を上げる事を願っていた。隣から、小声で「篠崎がやれば良いんじゃね」と囁いてくる一ノ瀬の横腹を小突きながら、戸惑う川口さんを眺める。川口さんの心配そうな目と目が合うと、ちょっとした罪悪感に駆られ、心の中で小さく謝る。
「立候補が無いようなら、推薦したいんですけど、大丈夫ですか?」
その言葉に気まずい雰囲気から、緊張感を含んだ空気へと変わる。
もちろん僕も緊張している。だって、帰宅部って候補が少ないし、さっきから川口さんと何回も目が合っているのが気になる。こういう予感だけは良く当たるんだよな。
「私としては、篠崎君にお願いしたい。どうですか」
「俺からも篠崎に頼みたい。ダメかな」
ほら。
こんなの、断れないよな。クラス中の視線が自分に集まるのを感じながら、川口さんに小さく手を振り覚悟を決める。
「やりますよ」
安心した表情を見れて良かったが、自分に出来るか不安になる。そんなに特別なことは無いって話だけど。
その後のサブリーダー決めは、立候補者が多く想像以上にスムーズに進行していった。リーダーも立候補してくれれば良かったのにな。
一ノ瀬が「よろしくな、リーダー」と、笑いながら絡んできて鬱陶しい。笑いすぎてお腹が痛いなんて言っているから、再び脇腹を小突き黙らせようとするけど、止まらない。
このままずっと笑い続けているんじゃないかと心配になるが、もう放っておくことにして、次は左を向く。
こっちでは、朱音が笑いを堪えていた。本当に、どうして僕の周りはこんなにも優しくないのか。
「リーダーおめでとう、篠崎君。似合ってるわよ。羨ましいね。ほら、そんなに嫌そうな顔しないで」
「似合ってるなんて言われても、素直に喜べないから。リーダーになると嬉しくてこんな顔になるんだよ。あか......五十嵐もリーダーをすれば分かるさ」
勢いで「朱音」と名前で呼びそうになるのを飲み込みながら、朱音に言葉を返す。この気持ちは、リーダーになってみれば分かるさ。
こうして朱音と話している間に、クラスの話し合いは調理関係のリーダー決めへと進んでいた。
「調理関係は五人にお願いしたいです。当日のシフトの関係もあるので。それで、今回も立候補がいなければ推薦で」
調理のリーダーも推薦という形で指名されるようだ、リーダー候補が一人ずつ名前が呼ばれている。だれも拒否することなく順調に進んでいる。どうやら、帰宅部縛りは無いようで、調理部などを中心に選ばれているようだ。
調理部を中心にって言っても、別に部活を覚えている訳ではなく、一人ずつ一ノ瀬が教えてくれるから分かる。本当によく覚えているな、コイツ。
そして、最後の一人。
「それで五人目を五十嵐さんにお願いしたいと思っています」
「うそ」
驚きながら小さく呟く朱音に、思わず笑ってしまう。
綺麗に目を丸くしている。この表情は珍しくて面白い。
「はい。私で良ければ、やります」
朱音も断ることは無く、リーダーを引き受けていた。これで、準備に関しての役割は大体決まったのかな。
「良かった。それではとりあえず、二週間後の月曜日までにクレープの案を考えて欲しいんだけど大丈夫かな? 一般的なものからオリジナルのものまで、何でも良いので。調理のリーダー以外のみんなも案を出してくれると助かります。みんなで成功させよう」
川口さんの締めの言葉に、再びクラスの熱気が上がり、どんなクレープが良いかなどの相談が聞こえてくる。
美味しそうなクレープか、何かあるかな。まあ、今はそれよりも。
「五十嵐、憧れのリーダーおめでとう。料理上手いし、似合ってるな」
「このタイミングで料理褒められても、嬉しくないわよ。こんなことになるなら、篠崎君に優しくしておけば良かった。ごめん、さっきの謝るからクレープの案、一緒に考えて」
「良いよ、その代わり試食もさせてもらうけど」
「任せて」
まさか朱音もリーダーになるとは。お互いリーダーになろうとするタイプではないから、不安も感じるし、似合わなさに二人で笑ってしまう。
困り顔の朱音と週末にクレープ作りをする約束をしていると、一回目の学園祭の話し合いは終了した。
授業が終わり、気を抜くとどこかへ逃げ出しそうになる意識を必死に抑えていると、一條が嬉しそうにこちらを見ているのが目に入る。「どうしたんだ」と視線を送ると、
「まさか朱音ちゃんと紫苑君がリーダーとはね! うん、意外だけど、上手く行きそうな気がするよ。何かあったら手伝うからね」
一條は一條なりに気を遣ってくれているようだ。速攻で弄ってきた、一ノ瀬と朱音とは違うな。良いやつだよ。
「あ、でも、お互いリーダーだと一緒に作業が出来なくて寂しかったりする?」
「寂しくないわ」
こういうことを言わなければな。
一條と話していると、川口さんがリーダーをお願いした人へ、一人ずつ声を掛けているのが見える。あ、こっちに歩いてきた。なんか緊張するな。
「篠崎君と五十嵐さん、リーダー引き受けてくれてありがとう」
「僕は別に良いよ。出来るか心配だけど」
「私も、突然で驚いたけど、一人じゃないし何とかするわ」
「良かった。二人にはお願いしたかったんだよね。渡り廊下で助けてもらったときから、二人ならリーダー頼めるかなって思っていて。葉山君も同じ意見だったから、勢いで指名しちゃった」
「そういうことだったのか。それなら期待に応えないとな」
「そうね、私も頑張るよ」
川口さんの嬉しそうな顔を見て、こうやって期待されるのも悪くないかなと思った。たぶん、朱音も同じ気持ちだろう。朱音や川口さん、一條や一ノ瀬たちには、僕は何かあったら手を差し伸べるし、逆に何かあったら手を差し伸ばしてくれるだろう。
だから、精一杯やってみよう。今の全力を。
川口さんが期待してくれる、僕になるために。
そうだな、まずは朱音とのクレープ作りについて考えようか。
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