第20話 空に浮かんだ風船

「次の目的地は~」


 遊園地行きの電車に乗った僕らは、ボックス席に向かい合って座り、心地良い1/fゆらぎを感じていた。目の前で気持ちよそうに眠る五十嵐を視界の端に捉えつつ、流れる車窓の景色を眺めていると、次の駅を知らせるアナウンスが流れ、あと十分ほどで目的地に着くことに気付く。

 小さく上下する胸と閉じた瞼。

 柔らかな朝日に照らされた顔を見ていると、起こすのを躊躇してしまう。 


「おーい、起きろ。五十嵐、もうそろそろだぞ」


 前のめりになり、五十嵐へと身体を近づけ肩を小さく揺する。そっと触れた肩の小ささに驚きながら、名前を呼び続けると微かな振動が手に伝わってきた。

 電車の揺れにかき消されそうな小さな声。


「ん、んぁ……しの」

「はいはい、篠崎ですよ。もうすぐ着くから起きろ」

「あれ……もうそんな時間なの。ごめんなさい、眠っちゃったわ」

「朝早かったんだし気にするなって。それに、五十嵐の寝顔っていう珍しいものが見れたし」

「それは忘れて。今すぐ忘れて」


 片手で顔を覆いながら呟く五十嵐。

 数分前まで眺めていた寝顔を思い出し、「やっぱり忘れるのは無理だな」と笑いながら僕は荷物をまとめ降りる準備を進めていた。

 その最中、どこかの席から聞こえた「ねえねえ。遊園地、見えてきたよ」という子供の声に、僕と五十嵐は窓の引き寄せられるように外をのぞき込む。


「遊園地だって、見える?」

「ええ。たぶん、あれじゃないかな。あれよ」


 子供みたいなお互いの反応に、小さく笑いつつ窓から顔を離す。

 二人で覗き込んだ景色には家を出るときと比べ、どこまでも青く明るくなった空が、遠くに見える遊園地の上まで広がっていた。車内に広がる楽しそうな声を乗せ、電車は駅へと吸い込まれて行く。




 駅の改札を抜けると、人の波が一本の川のように、ある一点へと流れている。駅から直接繋がるように続くアーケード。これが向かう先は遊園地に違いない。


「うわ、人多い。それにしても、駅からこんなに近いんだな。もうエントランスが見えるんだけど」

「本当ね、こんなに近かったかしら。久しぶりすぎて、すごく新鮮」

「だよな。何年ぶりに来たんだろう、めちゃくちゃ懐かしい。って行くか、はぐれるなよ」

「子供じゃないんだから、はぐれないわよ。篠崎くんこそ、迷子にならないでよ」


 そう言いつつ僕らは、肩が触れるほど近くに並びながら人の波に身を任せ、遊園地のエントランスまで流されていた。エントランス付近には、綺麗に整えられたレンガ調の花壇が道に沿って並び、エントランスの向こうから漏れるように聞こえるBGMと共に風に揺れている。

 至る所から溢れだす非日常に、一気に現実から引き離されてしまった。


「そうだ、この辺りで待ち合わせよね。美菜と一ノ瀬くん探さないと」

「もう二人とも着いてるみたいだけど、どこにいるんだ? 五十嵐、分かるか」

「美菜の服なら昨日一緒に選んだから分かるわ……あ、たぶんあの二人。手を振ってみる?」

「そうだな、手を振ってみるか」

「うーん、こっち見ないわね。二人とも楽しそうに喋ってるけど」

「これ、いつ気付くかな」


 アーケード状のエントランス前に立つ僕らは、数メートル離れた焦げ茶色の大きな柱の前に並ぶ一ノ瀬たちに、無言で手を振る。傍から見るととてもシュールな光景だろう、出来れば早く気付いて欲しいと思ってしまう。

 それならただ、声を掛ければ良いだけなのだけれど。


「あ、やっと気付いたみたい。こっちに来るわ」

「どうする逃げるか?」

「それも良いかも、走って逃げる?」

「いやいや、何で逃げるんだよ!」

「お、一ノ瀬。こんなところで会うなんて奇遇だな」

「美菜も奇遇だね。一ノ瀬君と一緒に来てるの?」

「いやいや、あんなに手を振っといて白々しいわ! それにしても二人とも息ぴったりだな、いつから二人とも仲良くなったんだよ」

「おはよう。ふふ、紫苑君と朱音ちゃん、今日は楽しそうだね」


 一人、二人と入園する楽しそうな姿を尻目に、テンションの高さを隠しきれていない僕と五十嵐。一條たちに指摘されるまで気付かなかったが、すごく楽しそうにしているらしい。


「なあ、そろそろ入る?」

「その前に、まずはフリーパスを買わないとな。俺が買ってくるよ、ここで待ってて」

「それなら私も行くわ」


 チケットブースへと向かう二人を眺めていると、いつの間にか僕の前に回り込んでいた一條が、いたずらっぽさを含んだ笑みを浮かべながら下から覗き込んでくる。


「紫苑君、今日の服装どう思った?」

「ん? 一條のイメージにぴったりで可愛いと思うけど。スカートの裾のフワッとした感じとか、パステル系の色合いとか似合ってるな」


 どう思うかと言われても上手く答えられず、見たままの感想を言う。服の種類とか全然わからないし、流行なんてわからないから……。


「ありがとう。ふふ、褒められると恥ずかしいなあ。でも私のことじゃなくて、朱音ちゃんのこと」

「ああ、五十嵐の」

「そうそう、どう思った。似合ってるでしょ」

「うん、似合ってる。大人っぽい雰囲気だし、いつも思うけどセンス良いよな」

「でしょ! 実は昨日ね、一緒に選んだんだよ。褒めてくれて良かったよ」


 一條との話のせいで、チケットブースから戻ってくる姿を意識してしまう。五十嵐を眺める僕と、それを見て隣でクスリと笑う一條に、五十嵐は怪訝そうな表情を示す。


「何? どうかしたの」

「いや、別になんでもない」

「ふふふ。朱音ちゃんの洋服が似合ってるって、紫苑君が言ってたよ」

「内緒にしてくれないんだな。うん、まあ何だ。その……似合ってる」

「えっと……ありがとう。うん、素直に嬉しいわ」

「はいはい、二人して照れるなよ。見てるこっちが恥ずかしくなるだろうが。ほら、これが二人分のフリーパス。早く入ろうぜ」

「ありがと! よしさっそく行こう、楽しみだな。ほら、二人とも早く。置いていっちゃうよ」


 一ノ瀬からパスを受け取り、恥ずかしさで無言になった僕らは、先を歩く一條たちの後を静かに追って入園ゲートへと向かった。

 パスをゲートへ通し、腰の高さにあるレバーを奥へと押しながら進む。ガ、ガ、ガ、ガチャンというレバーが回転する音が、日常と非日常を綺麗に分けた。




 一歩足を踏み出すと、そこは別世界。

 包み込むポップコーンの甘い香り。行き交う家族やカップルの笑い声。海外のような建物。

 目に見えるものが、聞こえるものが、香りが僕の子供の記憶を呼び起こしていた。どこか懐かしい景色と新鮮な気持ち。

 アトラクションに向かって歩く子供たちの手には、大きく色鮮やかな風船が握られている。

 幸せが詰め込まれ綺麗に膨らんだ風船を持つ顔はみんな幸せそうで、風船を持たない僕にとっては羨ましかった。


「どうしたの、さっきからあの家族をじっと見て……もしかして、風船欲しいの?」

「いや、別にそういうことじゃなくてさ、みんな幸せそうだなって。……それに、僕は風船をすぐに手離しちゃうから、要らないよ」

「ふふ、なにそれ。ほら、あっちで二人が待ってるから」

「そうだな、行こう」


 先を歩いていた一ノ瀬達が振り返り、手を振っている。僕と五十嵐は一緒に歩きだした。


「二人とも最初はジェットコースターだからな」

「しかも三連続。圭と私にアトラクション決めを任せたことを後悔しないようにね」

「大丈夫、今日は一條たちに任せるから。最初のジェットコースターってあれか?」


 目の前に広がる曲がりくねった鉄のレールが、お城に絡みつく茨のように複雑に絡み合っていた。所々、錐揉みするように歪んでいる。

 楽しそうな悲鳴が風を切る音と共に響ていた。

 そんな光景を見ながら列に並んでいると、いつの間にか僕らの番になった。最初は、一ノ瀬と一緒に座席に乗り込む。前では、五十嵐と一條の頭がシートからチラッと見えては消え、その向こうに先の見えないレールが空高く昇っていた。

 程なくしてゆっくりと動き出す。


「なあ、この天辺までゆっくりと進んでいる間って、ジェットコースターに乗った事を少し後悔しないか」

「どうした篠崎、怖いのか」

「そんなわけないだろ」

「ホントか? ……おっ、そろそろ来るぞ。来るぞ」


 隣から聞こえる楽しそうな声と共に、レールが視界から消えた。

 一瞬の空白、そして絶叫。

 浮遊感が体を包み、そして地面へと引っ張られていく。右も左も分からなくなるほど回転し、揺られる中で、一ノ瀬の叫び声が聞こえる。そして一條の大きな笑い声と、五十嵐の悲鳴が耳に届いた。




 ジェットコースターが終点に到着し、安全バーが上がる。ホッとするような、もう終わっちゃったのかというような寂しさが溢れだす。座席から立ち上がり、出口へと向かう。少しだけ足元がフワフワするような、揺れる様な感覚が心地良い。


「いやー、篠崎。お前、めちゃくちゃ笑ってたな」

「え、そんなに笑ってたか?」

「ああ、かなり。美菜と同じくらい」

「それは想像以上だ……。もしかしたら、スピードがあると笑っちゃうのかも」

「おっ、スピード狂か。はは、次はもっと速いのだから楽しみにしてろよ」

「本当に? もっと速いのあるのか、めちゃくちゃ楽しみなんだけど」


 出口では、先に向かっていた五十嵐たちが待っていた。スマホを片手に持つ一條と、その一條の腕に軽くしがみつくように立っている五十嵐。


「五十嵐、大丈夫だったか」

「ええ、大丈夫。思ってたより速くてびっくりしたけど」

「確かにびっくりしたよな。でも次のはもっと速いらしいよ」

「紫苑君、もう聞いたんだね。そうだよ、この遊園地で一番速いからね、朱音ちゃんも覚悟しておいてよ」

「一番速いのか」

「ええ、頑張るわ」

「良いね、二人とも乗り気だな。よっしゃ、じゃあ行くぞ」

「あ、圭、待って待って。写真撮ろう」


 一條がスマホを取り出して、僕ら四人がカメラに入るように手を伸ばす。ジェットコースターを背景にし、未だに一條の腕にしがみつく様に立っていた五十嵐の横へ並び、レンズを見つめる。

 笑えているかな。

 シャッター音と共にまた一枚、大切な思い出が形になった気がした。


「そうだ、篠崎君」


 五十嵐が僕にだけ聞こえるように小声で囁く。


「私、ちゃんとジェットコースターに乗ってたでしょ」

「ん……。はは、そういえばそんな話したな。うん、かなり悲鳴が聞こえた」


 どれくらい前だったか、イタリアンレストランで話した会話を思い出す。「ジェットコースターに無表情で乗ってそう」なんて言ったっけ。

 あれから、毎日会ったり一緒の家で生活したりする中で色んな表情を見て、今ではそんなことを思わなくはなった。

 ただ、無表情で乗ってたら面白いなとは思うけれど。


「無表情って言われるのは嫌だけど、悲鳴を聞かれるのも恥ずかしいわね」

「楽しんでる証拠で良いんじゃないか」

「それもそうかな。ふふ、お化け屋敷での反応楽しみにしてるわよ」

「任せとけって。でも、五十嵐みたいに悲鳴をあげるつもりはないからな」

「なにを二人で話してるの?」

「ん? 何でもないよ」

「ええ、何でもないわね」

「えー、なんか二人だけ仲良くなっていてズルいな。ねえ圭! 朱音ちゃんたちが内緒話してるんだけどー」

「本当に? いいなー、篠崎ー。教えろよー。お前ばかり五十嵐さんと仲良くなり過ぎだぞ」

「紫苑君ー。教えろよー」

「お前らは子供か。ほらほら、次のジェットコースターに行くんだろ。置いていくぞ」


 話の内容を聞きたがる二人を置いて、僕と五十嵐は歩き出す。純粋に笑いながら。

 後ろから追いかけてくる声を聞きつつ、たまにはこういうのも良いかもしれないと思い振り返る。右手に持ったスマホで、並んで歩く二人の写真をそっと撮った。




 空には風船が浮かんでいた。

 誰かの手から離れた風船。誰かの幸せ。

 もう一度僕は、幸せが詰まった風船を掴むことが出来るのかな。掴んで良いのかな。




 撮った写真を五十嵐に見せて笑いあう、今の僕にはそんな小さなことが幸せに思えるのだった。

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