第9話 その料理は誰の為に
身体測定が終わり、教室へと戻る。今日の日程はこれで終了らしく、教室内からは解放感が溢れていた。半日の日程は今日までで、明日からは本格的に授業が始まる。さようなら安寧の日々、こんにちは波乱の日々。
帰りのホームルームが始まるまで、もう少しだけ時間があるようだ。賑やかな廊下のほうを向きながら机に伏せ、体の力を抜いていると一ノ瀬が席に戻ってくる。
「篠崎、身体測定の結果どうだった」
「身長は170ちょっと。お前はどうだったんだ」
「俺は173だな。勝ったね」
「うるせ。来年には越してやるよ」
因みに、170ちょっとではなく、170ちょうどだった。とっさに、小さな小さな見栄を張ってしまったが、それでも背の高さは負けている。あぁ、羨ましい限りだ。
「そういえば篠崎。朝言ってたけどさ、彼女いらないってどうしてさ」
「ん? そんなところ憶えてたのか。そのまんまだよ。いらないっていうか、なんていうか……面倒だなって」
「勿体ないな、じゃあ気になる人とかもいないの」
「いないいない。んー、唯一いるとしたら初恋の人くらい?」
「ははっ、なにそれ面白いな」
「っていうか何で男二人でこんな話をしてるんだよ。ほら先生きたぞ」
タイミングよく教室に入ってきた担任のほうへ意識を向けることで、なんとか話題を逸らすことに成功した。一ノ瀬との会話を切り上げると同時に、ホームルームが始まり、明日からの授業に関する話や、今後の予定が伝えられる。先生の説明の仕方が適当だったり、生徒との距離が近かったりと、中学までとは違う高校生らしさを実感する。
話を聞きつつ窓の外を眺めると、青空に一直線の飛行機雲が出来ていた。どこまでも真っすぐな白い線。その綺麗さに惹かれている自分がいた。
「はい、ホームルームはこれで終わり。また明日」
終わりを告げる一言で、静かだった教室が一気に華やかになる。すぐに鞄を持ち教室を出る人、隣の席の友達と話し始める人、ゆっくりと帰り支度をする人。
そんな中、僕は背もたれに体を預け、ぼうっと天井を見ていた。続々と動き出すクラスメイトの気配を感じながら、下駄箱に人が少なくなったら帰ろうと考える。
「篠崎は部活に入らないんだよな」
視界に広がっていた天井が、突然人の顔に変わった。うわ、なんだ。幸い、驚きのあまり声すら出ず、肩をビクッと震わすだけで済んだ。
ぼやけていた景色のピントが徐々に合い、顔の輪郭がはっきりしてくると一ノ瀬と一條が顔を覗き込んでいるのが分かった。
「楽しい楽しい帰宅部だ。一ノ瀬はこれから部活か?」
「ああ、今から部活に行こうと思ってな。昨日、その場の流れで部活の奴らと昼を食べる約束しちゃったんだよな」
「なんで残念そうなんだよ。そうだ、一條は昨日、部活に行ってなかったけど、どこかに入るの」
「写真部だよ! 圭も部活行くみたいだし、私も、もう行こうかなって。コイツ、一緒にお弁当でも食べようかって誘ったら断るんだよ。酷いでしょ!」
なるほど、一ノ瀬が残念そうな理由はこれか。
一ノ瀬の鞄を大きく揺すりながら文句を言う一條だが、言葉とは裏腹に楽しそうな様子。この二人は本当、仲良いな。
それにしても写真部か、確かに写真が好きそうだったしなと昨日の様子を思い出して納得する。
「一ノ瀬が酷いのは今に始まったことじゃないだろ」
「うんうん、そういえばそうだね! よし、圭にフラれた私は寂しく一人でお弁当を食べることにするよ」
「フッてないからな!? そうだ、明日。明日は一緒に食べよう」
「おいおい必死だな」
「仕方ないなあ、明日ね。みんなで食べよっか」
しっかりと、昼の約束を取り付ける辺りはさすがだなと思うが、その必死さに見ているこっちは笑いをこらえるのが大変だ。
「一人って言ってたけど、五十嵐とは食べないのか」
「朱音ちゃんも部活に入らないから、お弁当無いんだって」
隣の席で退屈そうにしていた五十嵐も部活に入らないようだ。意外……でもないか。
「もしかして、五十嵐も玄関辺りの人が少なるのを待っているのか」
「うん、人が多いとうるさいし、歩きにくいし。落ち着くまで待とうかなって。そっちも同じ?」
「一緒。人が多いと色々面倒だからな」
「そうね、分かるよ。ところで二人は、部活行かなくてもいいの?」
「ああ、そうだった部活行かないと。って、その前に五十嵐さん、連絡先交換しない? ついでに篠崎も」
「えぇ、いいよ」
おっ、僕はついでなのか。そうなのね。目の前で連絡先を交換するのを見ながら、少し愚痴る。五十嵐と連絡先を交換し、満足そうな顔をしながら、ついでに僕の方へスマホを差し出してくる一ノ瀬。仕方なく、クッションの様に抱えていた鞄からスマホを取り出す。
「はいはい、交換ね。ほら、早く部活に行くんだろ」
「よし、連絡先受け取った。じゃあ、行ってくるわ。そうだ、今度、みんなで遊びに行こうな」
「じゃあね、二人とも。部活行ってくるよ。紫苑君、ちゃんと朱音ちゃんを送ってあげてね」
「送る必要があるのかな。いいや、いってらっしゃい」
「うん、必要ないわね。部活楽しんできてね、また明日」
楽しそうに教室を出ていく二人の姿を見ながら、辺りをぐるっと見渡す。いつの間にか人が少なくなっていた。教室の端で談笑する小さなグループと、机の上に置かれたままの鞄がいくつかある程度だった。
「そろそろ帰るか。五十嵐はどうする」
「私も帰るわ」
「そう。じゃあ行くか」
鞄を手に取り重い腰を上げる。椅子を引く音がやけに大きく響いた。
五十嵐と二人で玄関まで歩くも会話はなく、教室から漏れる声や廊下を歩く靴音だけが聞こえてくる。やっぱり二人きりになると無言になってしまうが、気まずい空気ではないのが助かる。
靴に履き替え玄関を出ようとするとき、やっと会話が生まれた。
「篠崎君は私と一緒に帰っても良いの?」
「それはこっちの台詞だ。無理して一緒に帰らなくても良いんだけどな」
「別に無理してないわよ。篠崎君は喋らなくても良いタイプの人だから楽ってだけ」
「そりゃどうも。まあ、喋らなくても良いってのは同感。……もしかしたらこれから毎日、帰りはこんな感じになるのかな」
「お互い帰る相手がいなければそうなりそうね」
「だな。はやく一緒に帰る友達作れよ」
「余計なお世話よ」
そんな軽口を叩きあいながら、玄関を出る。日差しの眩しさに目を細めた。部活前なのだろうか、外でお弁当を食べている生徒を横目で見つつ校門へと歩を進めた。
カシャ、と重いカメラの音。誰かが思い出を切り取る音が聞こえた。
二人並んで、平日の静かな公園を横切る。芝生は青々と輝き、噴水が小さな虹を作りだしていた。長閑だ。
ベンチでお弁当を広げている老夫婦の「こんにちは」という声に挨拶を返す。その優しそうな夫婦の前を通り過ぎると、背中の方から「若いって良いわね」と朗らかな声が聞こえる。
「何か勘違いされてそうだな」
「そうね。周りからはそれっぽく見えてるのかしら」
「どうなんだろうな。いっそのこと、手でも繋いでみるか?」
「ふふ、嫌よ。それに、それはポケットに手を入れたまま言う台詞なのかしら」
デートっぽく見えているのか、それとも、あの夫婦が若かりし頃の学生生活を振り返っているのか、どちらかは分からない。隣を歩く五十嵐を見ながら考えるが、やっぱり答えは出なかった。気付けば公園を抜け、マンションも目と鼻の先。
あぁ、そうだ。
「そんなことよりも、お腹空いたな」
「もうお昼過ぎてるからね。篠崎君はどこかに食べに行くの」
「いや、今日は家で作るよ」
「え、料理するの?」
「そんな疑うような目で見るなよ、僕だって料理ぐらいするさ。子供のころから作ったりしてたからな。五十嵐は料理しないのか?」
「ここ五、六年かな、時々だけど料理するようになったわ。私も今日は作る予定よ」
「そっか。お互い美味しく出来ると良いな」
「そうね。そこが肝心なのよね」
少し意外だったが、五十嵐も料理をするっていうことで、ほんのりと親近感を抱いていると、もう部屋の前だ。やっぱり、隣の部屋まで一緒に帰るっていうのは、不思議な感じ。
「じゃあな、また」
「えぇ、また明日」
そんな短いやり取りをし、玄関を開ける。昼食の献立を考えながら、冷蔵庫を確認する。今日は何を作ろうか。冷蔵庫の冷気を浴びながら物思いに耽った。
そういえば、二人とも今日は昼食を作るという話だったのに、お互いに一言も「一緒に食べようか」とは言わなかったな。
相手の懐に一歩を踏み込もうとしない感じが、僕ら似ているのかもしれない。
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