♯225 光の女神(ラストバトル)



 眩い光が視界を白一色に染め上げた。


「レフィアさっ……っ!?」


 次いで訪れる激しい震動と轟音に、叫びかけたリーンシェイドの声は飲み込まれてしまう。


 天地が揺らぎ、水平を失う。


 足元の感覚でさえも喪失してしまう程の目眩いを覚え、五感が狂う。


 まるで遥か上空から地の底へと叩きつけられたかのような、あるいは深い水底から連なる山々の頂きへと打ち上げられたかのような感覚に、認識が大きく振り回された。


 場違いな程の圧力が空間を飲み込んでいく。場を、圧倒していく。


 抗う事さえ、許されなかった。


 意識が彼方へと飛ばされていく中で、リーンシェイドは確かにその姿を目にしていた。


 近づくことさえ敵わない光の柱のその中にあって、一度は膝をつきながらも自力で立ち上がり、しっかりと顔を上げて睨みつけていた、その姿を。


 その光の柱をなぞるかのように、天から途方もない程の力の塊がレフィアに目掛けて降り立ち、レフィアの姿が眩い光の中に飲み込まれていくその様を。


 そして。


 レフィアが立ち上がったその一瞬。


 強い意思の力を宿した眼差しがしっかりと、リーンシェイドに向けられたのを。


(……レフィア様っ)


 毅然とした態度で挑むその姿を。

 力の限りにその名を叫んだ声を。


 光が、全てを飲み込んでいく。


 眼差しが向けられた瞬間、レフィアの意思がまっすぐに伝わってきた。


 何を考えているのか。

 彼女が、何をしようとしているのか。


 マリエルを救う為。

 聖都を、ここにいる者達を救う為。


 レフィアは女神を受け入れる事を選んだのだ。


 女神の降臨がすでに止められないのなら、マリエルの代わりに自身が女神を受け入れ、意思で抗うつもりなのだと。


 この途方も無い程の力の塊を前にして、決して怯む事なく一人、立ち向かう事を選んだのだと。


 ――止めなくてはいけない。

 彼女にそれを、選ばせてはいけない。


 意識が、光に飲み込まれていく。


 自分勝手で、いつも一人で決めてしまう。

 いつも一人で勝手に覚悟を決めて、背負い込んでしまう。


(あなたとっ、……いう人はっ!)


 届かなかった指先を力の限りに握りしめる。

 激しい後悔と憤りに、全身が震える。


 今度ばかりは許せない。

 今度ばかりは、許す訳にはいかない。


 それを選んでしまう本人の身勝手さも。

 それを選ばせてしまった自身の不甲斐なさも。


 また一人で背負わせてしまう。

 また一人に、背負わせてしまった。


 今度ばかりは、許せない。


 だから必ず、必ず助けてみせると。


 必ず、取り戻してみせると強く、リーンシェイドは身が引き千切られてしまうかのような後悔の中で強く、自身に誓った。


 それがあの眼差しの意味なのだと分かったから。


 女神と意地の張り合いを仕掛ける。

 女神を受け入れ、自身の意思の力で女神の意思を乗り越える。


 そしてもし、自身が女神の意思に飲まれてしまったその時の事を、彼女はリーンシェイドに託したのだと。


(……本当にどこまでもっ、身勝手な事をっ!)


 そして世界が、色彩を取り戻した。


 白い闇に染め上げられていた世界が、その本来の色と形を取り戻していく。


 途方も無い魔力と存在の力の圧力差に混乱していた感覚が、正常さを取り戻す。


 静かな、どこか静謐とした張り詰めた静寂が落ちる。


 ひんやりとした床石の感触を頬に感じて、リーンシェイドは意識を取り戻した。そこで初めて、自分が床に伏せて倒れ込んでしまっているのだと分かった。


 重い瞼をこじ開けながら、痺れの残る両手を床面に押し付け、上体を起こす。


 身体が鉛のように重い。けれどもどこかに、大きな傷や打撲があるという訳ではなかった。


 酩酊状態からの目覚めによく似ている。

 体力的な疲労よりも精神的な疲労によるものだと、そう判断出来た。


 霞みのかかる意識を振り払い、探すべきもの、見つけるべきものを求めて、朧気な視線がさ迷う。


 床面は瓦礫の欠片が散乱していた。


 先程の激しい震動で天井の一部が崩れ落ちたのか、薄暗い空間の中に散らばる瓦礫の欠片が、細く差し込む光にその無情な有り様を晒していた。


 崩れ落ちそうになる身体を支え、更に周りを見渡すと、探していた人物の姿をそこに見つける事が出来た。


 先程までの震動と光の奔流が、まるで嘘のように静まり返った空間の中、崩れた天井の隙間から差し込む陽光が中央の祭壇に、一際大きな光の筋を落とす。


 亜麻色の髪が陽光に照らされて、淡く輝く。


 どこか幻想的な雰囲気すら感じさせる光景の中で、レフィアは両目を閉じ、祭壇の上に立ち尽くしていた。


 衝撃で吹き飛ばされてしまったのか、身につけていたハズの軽鎧は見当たらず、千切れてズタボロになった衣服が身に、辛うじて残っている。


 大きく露出してしまっている白い肌にはそのどこにも、怪我らしいものは見受けられなかった。


「レフィ、ア、……さまっ」


 リーンシェイドは少しずつ感覚を取り戻しつつある身体を引き摺るようにして、祭壇へと意識を向ける。


 微かに呼び掛けた声が届いたのか、祭壇の上のレフィアの瞼がゆっくりと開く。その視線が、リーンシェイドへ向けられた。 

 

 向けられた眼差しの中に優しさが満ちる。


 狂気に満ちた優しさが、微笑む。


 どこか恍惚とした表情を浮かべ、レフィアは蕩けるような眼差しで愛しそうに、自身の身体を自らの両腕で抱き締めた。


「ふふっ、ふふふっ、ふはははっ」


 レフィアの口からレフィアの声で、けれども異質で妖艶な笑い声が、もれる。


 どこか淫靡にも響くその声色にリーンシェイドの意識が冷たく、凍りついていく。


 すでに感覚を取り戻しているハズの身体が強張り、思うように動かす事が出来ない。


「……レフィア、様」


 どうにか絞り出すようにして出した声が、掠れる。


 その弱々しい呼び掛けにレフィアは静かに振り向き、慈愛に満ちた微笑みを浮かべたまま、リーンシェイドを見下ろした。



 喜色に満ちた表情が、歪んでいく。


「私の前で存在を維持出来るなんて、本気で思ってたのかしら。もう跡形もなくあっさりと消えちゃったわ。……ふふっ。本当に馬鹿な子」


「……嘘」


 美しいハズの微笑みが、傲慢に歪む。


 レフィアの顔で、レフィアの姿のままで。

 見下す視線に嘲りの色を深めていく。


「……嫌、嘘だっ、そんなっ、嘘だっ!」


「本当に愚かで、愛しい子だ事。……ふふっ」


「そんなのっ、違うっ! ……嘘っ」


「ふははっ、ふはははっ、ふははははははっ!」


 狼狽を見せるリーンシェイドの姿を、歓喜に打ち震えながら見下ろす笑い声が、高々と響く。


 目の前にいる存在を即座に受け入れる事が出来ず、リーンシェイドの認識が硬直する。


「何を惚けとらせやすかっ!」


 空虚に響く高笑いをかき消すように、崩れかけた壁の外側から大きな影が、震動と共に飛び込んできた。


 角を生やした髑髏の連なる巨大な大蛇のようなそれは、崩れかけていた壁を容赦無くぶち抜きながらドーム内へと雪崩れ込む。


 骸連蛇。


 シキ・ヒサカ秘蔵の骸兵の一つである、巨大な傀儡。


 術者であるベルアドネに操られるままに、その巨大な傀儡がドームの床石を砕きながら、レフィアの周りを長い胴体でぐるりと取り囲む。


 笑い声を止め、それでも薄ら笑いを浮かべたままその状況を眺めているレフィアを中心にして、連なる髑髏達が周りを取り囲み大きく口を開いた。


 開いた口腔内から紫色の布のようなものがレフィアに向かって放たれ、その身体を包み込んでいく。


 それはベルアドネの魔力によって編み込まれた魔力布。より高位にある存在を押さえ込む為の、封印する為に編み出されたヒサカの秘術。


 魔力布でレフィアを絡め取った髑髏達はそこから時計回りに回転をはじめ、更に厚く固く、魔力布で巻き絞めていく。


 大気が震えて豪雷が轟く。


 一筋の雷光となって飛び込んできたクスハはすぐさま氷霊へと転身し、凍てつく冷気を周りに放った。


 魔力布で厚く巻き絞めたその上を、無数に生まれた氷の蕀が覆っていく。


「ふんっ、はーっ!」


 更に続くル・ゴーシュの強固な封印結界が、氷の蕀で覆い尽くされた上から施される。


 複雑な幾何学的模様を何重にも重ねたかのような結界が、魔力布と氷を更に強く固めていく。


 そしてそれを、暗い影がすっぽりと包み込んだ。


 全てを暗い影の中へと包み込んだそれは少しずつ、小さく縮められていく。


 崩れかけた入口から影を操るセルアザムが姿を見せ、床に座り込んだままのリーンシェイドの側まで歩み寄る。


 やがて人間大にまで圧縮されたそれは、黒い球体となって祭壇の上に居座ってみせた。


「……やはり、無理ですか」


 セルアザムに苦悶の表情が浮かぶ。


 三人の四魔大公とベルアドネによって全力で押さえ込まれたその黒い球体が、軋みを見せる。


 それぞれがそれぞれに、更に魔力を込めて封印を強化しようと試みるがまるでそれを嘲笑うかのように、黒い球体の表面に亀裂が走る。


 中心から縦に入った亀裂は瞬く間に表面を駆け巡り、呆気無いほどに脆く、砕け散った。


 砕け散った球体の内側から噎せ返るほどの甘い香りと共に、視界を覆い尽くす程の大量のうす紅色の花弁が溢れだし、広がっていく。


 その花弁の真ん中に、無傷のレフィアがいた。


 一糸纏わぬ姿のまま、その肌を白く輝かせながら、メリハリのある裸身がうす紅色の花弁の中に浮かび上がる。


 その身に、力が満たされていく。


 人に在らざる強大な力が器としてのレフィアの身体に満たされ、亜麻色の髪を桜色へと染め上げた。


 黄金に輝く双眸がゆっくりと開かれる。


「無駄な事を。……もう、諦めなさい」


 静かに、ただ、静かに。


 コノハナサクヤはその場にいる全ての者達にそっとそう、囁きかけた。





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