♯217 蜂起(勇者の挑戦6)



 どこか遠くで、鐘の音が響く。


 春草の匂いを含んだなだらかな風が、礼拝堂の鐘楼にかかる雲を青空の向こうへと吹き流していく。


 陽光を浴びて、返す色に揺れる草花。聖都を一望出来るその丘の上には、心地好い時間がゆったりと流れていた。


「……いい所だな。ここは」


 サラリとした短めの黒髪が風に流れ、その下にある端正な形をした薄い唇が緩み、呟きがもれる。


「俺が見つけた場所なんだから当たり前だ。……ったく。ノコノコついてきやがって」


 自分が良いと思ったものと同じものを良いと思ってくれる。少し嬉しくも思う反面、多少の照れ臭さを認めたくなくてつい、顔を逸らしてしまう。


 視界の端で、オルオレーナが目を細めて笑うのが見えた。


 男装を好んではいるが、その端正な顔立ちと凛とした振る舞いには心ならずもドキリとさせられる。頬が赤らむのが一層悔しくて、ついには身体ごと背を向けてしまう。それが、いつもの事だった。


「そうじゃなくてさ。……聖都が一望出来るこの場所も確かにいい所だけどね。それだけじゃなくてこの国が、良い所だなってさ」


「俺の国だ。良いに決まってる」


「ははっ。そうだね。その通りだと思う」


 抜けるような白い肌に綻ぶ笑顔が、眩しく映える。


 最初に会った時は岩に表情を掘り込んだかのようなヤツだったのに。最近では、随分自然に笑えるようになってきた。それだけこの国の空気にも慣れてきたのだろう。そう思うと、何かが嬉しいような気もしてくる。


「この国には自由がある。誰もが皆、自由の中で選び、選んだ事に対しての責任を持ち、……自信を持って生きている」


「なんだそりゃ。自分で決めた事なんだから当たり前だろ。それを誰かの所為にしてどうすんだ」


「それを当たり前と言ってしまえるキミが、僕は羨ましい」


「……意味が分からん。ラダレストからわざわざ勇者に嫁ぎにきた奴が何言ってんだか。お前こそ皆に羨ましがられてんだろが」


「キミの自由さは、救いだよ」


「……けっ。知らねぇよ」


 オルオレーナと話しているといつもそうだった。


 どこかこそばゆくて、落ち着かなくて。


 勇者ファシアスからはいつも落ち着きが無いと叱られてはいたけれど、それでもやっぱり、その異国から来た男装の麗人の生真面目さと、たまに見せる自信無さげな表情にはいつもどこかソワソワしたものを感じていた。


「……ユーシス。ありがとう」


 だから、という訳ではなかった。


 だからという訳ではなかったけれど、そんな中で時折見せる無垢なまでの真っ直ぐな視線が、照れ臭さかった。


 照れ臭くて恥ずかしくて、まともに受け止める事が出来なかった。


 その真っ直ぐさが眩しくて。

 ただ居たたまれなくて。


 どこか遠くで、鐘の音が響く。


 その鐘の音に重なるように、呼ぶ声がする。


 いつかの光景。

 いつか呼ばれた声が、重なる。


「……ユーシスっ、ユーシスっ!」


 酷く朧気な意識の中、視界の輪郭が霞む。


 低く燻るさざ波のような耳鳴りが続く中で、確かに自分を呼ぶ声に、記憶の中のアイツが重なって見えた。


「ユーシス……っ、目を覚ましたっ、……よかった」


 ……オルオレーナ。


 目が覚めた事を自覚した瞬間、今まで自分が夢を見ていた事に気がついた。


 遠い過去。いつかの場所での、アイツ。


 次第に輪郭を取り戻していく世界の中で、不安げな表情のリディア教皇が、間近に顔を近づけているのが分かった。


 最高位の法衣に身を包んだリディア教皇に深く、抱き上げられている。


「……くっ。そうか、俺はっ!」


 オハラを追いかけようとして、壇上で『働き蜂カラブローネ』の一人が自爆したのに巻き込まれた事を思い出す。不意をつかれて気を失っていたらしい。


 慌てて身を起こしてリディア教皇から離れる。


「オハラはっ!? ……俺はどれだけ気を失っていた?」


「数十秒程度です。ですがオハラはすでに」


「……くそっ」


 見れば壇上は一部が吹き飛んでいるだけで、それほど大きな被害があるようには見えなかった。ある地点を境にして不自然な程、爆発の影響が見られない。


「法主が咄嗟に『神聖防壁ホーリーウォール』を。それでもいくらかの爆風は防ぎきれなかったのでしょう。一番まともに受けていたのが勇者ユーシス、貴方でした」


「すまない。……情けない所を見せた」


 オハラの姿はすでに広場から消え失せていた。


 逃さぬようにとタイミングを見計らって事を起こしておいてのこの様とは、情けないにも程がある。法主やヴォルドのようにはいかないらしい。ツメの甘さが悔やまれる。


「いいえ。貴方には深く感謝しています。……あの子の事でも」


「……違います。俺は、アイツに何もしてやる事は出来なかった。俺は……っ」


 言いかけた言葉が、途中で強い視線に遮られた。


 浅い否定が凛とした声とともに返される。


「貴方があの子の友人でいてくれた事で、どれだけあの子が救われた事か。……身内の不始末を押し付けてしまうようで申し訳ありません。オハラを、お願いします」


 一つ、大きく頷いて壇上へと飛び乗る。


「法主と教皇を中央神殿にっ!」


 断頭台に突き刺さった大剣を引抜きながら、場に残る仲間達へと指示を飛ばす。


「バゼラット騎士団長はリディア教皇と協力して聖都内の残存兵の制圧をっ! 俺はこのままオハラを追うっ!」


「勇者様っ! オハラは旧市街の方へっ!」


「ああっ、ヤツは聖地だっ! 降臨の儀を終える前に何としてでも捕まえてやるさっ!」


 オハラの目的は聖女マリエルへの、女神の強制降臨。


 実に女神への狂信者らしい行動だが、聖女マリエルには福音がない。福音がなくても女神が降ろせるのかどうかは分からないが、少なくともそれで聖女マリエルが無事に済むとも到底思えない。


「勇者ユーシスっ! マリエルをっ、あの子を頼むっ!」


「その為の勇者だっ! 任せろっ!」


 法主の懇願を受け取り、広場を後にする。


 『身体フィジカル強化エンチャント』を自身にかけて、そのまま旧市街の中心にある聖地、フィリアーノ修道院跡地を目指して駆け抜ける。

 

 聖都で生まれ、旧市街を親代わりに育ってきた。


「ここで好き勝手はっ、させねぇよっ!」


 途中で何度も襲いかかってくる『働き蜂カラブローネ』を斬りふせ、ひたすらに聖地への道を走り抜ける。


 あっちもあっちで相当追い込まれているからなのか、襲いかかってくる『働き蜂カラブローネ』の数がやたらと多い。手持ちの総戦力をここぞとばかりに投入してやがる。


 対応に手間取ればそれだけオハラとの距離が開いてしまうというのに、ヤツの残した肉の壁が次から次へと邪魔をしてくる。


「……くそっ、埒があかねぇっ!」


 襲いかかってくるヤツは斬りふせればそれで終わるが、そもそもが自身の命さえ惜しまないヤツラだ。数が多ければそれだけ対処にも時間がかかってしまう。


「どけぇぇええっ! 邪魔をするなぁーっ!」


 細い路地を抜けた所でその集団を弾き飛ばした時、南の空に一筋の赤煙が伸びていくのが見えた。


 都の南側、聖錠門からの合図だ。


 その煙矢が残す軌跡を仰ぎ見て、背筋に冷たいものが走った。


「……なっ、早すぎんだろっ!?」


 聖錠門からの赤煙の合図は門が開いた事を示すもの。それは聖都内部の制圧が完了してオハラを捕らえた後だったハズ。未だ外で陣を残す王国連合軍と対する為に、ロシディアをはじめとした東域方面軍を内部に入れる為のものだったハズなのに。


 聖都内部の制圧は半ば終わっているとはいえ、肝心のオハラはまだ捕らえていない。


 だとすれば考えられる可能性はもう一つ。


「ヴォルドのヤツ、押さえきれなかったかっ……」


 内部で蜂起している間に外にいるヤツラはヴォルドが押さえ込む。その手筈だったハズだが、兵力差に隔たりがあればそれも難しい。その場合は速やかに聖都内部で立て籠る事にはなっていたが、……タイミング的にやや早すぎる気がしなくもない。


「……くそっ、上手くいかねぇもんだな、実際はっ!」


 とにかく。聖錠門が開いてしまった。

 外にいる王国連合軍が再び聖都へ詰め掛けるのも最早時間の問題だった。


 その前に、オハラを捕らえて聖女マリエルを助けなればこちらが詰んでしまう。


 焦燥にかられて先を急ごうとすると、再び行く手を遮るようにして神殿騎士達が立ち塞がった。『働き蜂カラブローネ』どもだ。次から次へと本当に容赦がない。


「舌打ちしてる時間も惜しいってなっ!」


 それは明らかにオハラを逃がす為だけの時間稼ぎにしか過ぎず、その為だけに命を投げ出す狂信ぶりに一層の苛立ちが募る。


 大剣を掲げてヤツラに肉薄する寸前、周りの壁の影から飛び出して来た何者かが、怒声を上げて飛びかかっていった。


「っざけんじゃねぇぞっ、コラァっ!?」


「ここで好き勝手されてたまるかっ!」


 旧市街の住人達だった。


 旧市街の住人達が徒党を組んで、手にハンマーや棍棒を振りかぶりながら『働き蜂カラブローネ』達に襲いかかっていく。


 数の暴力で次々と押さえ込んでいく旧市街の住人達。その中には見知った顔もあった。


「ダウドっ、……お前らっ!?」

 

「こ、ここは俺達の街ですっ! じ、自分達の街ぐらい自分達で守ってみせますっ!」


 奥歯を震わせながら精一杯の見栄を張るその姿から、知らず、言い知れぬ程の心強さが伝わってくる。


 ……本当に、いい所だよ。ここは。


 記憶に残る端正な笑顔に心の中で答えを返す。


 だからこそこんな俺でも、ここでなら勇者なんて柄にも無い事をずっと、続けてられるのだと。


「勇者様は先へっ!」


「助かるっ!」


 旧市街の住民達が開いてくれた道筋を進もうとして、振り返った視界の中で影が動いた。


 こちらに顔を向けているダウドの背後で、その影が迫り、高々と抜剣した白刃を振りかぶる。


「ダウドーッ! 後ろだーっ!」


「……え?」


 ぎこちない表情を唖然とさせて、ダウドがゆっくりと背後へと振り返る。


 感情の伴わない冷淡な視線が見つめる先、ダウドの首元へと容赦の無い白刃が吸い込まれていく。


 間に合わない。


 絶望的な瞬間がそこにあった。


 自身に何が起きようとしているのか理解が及んでいないのか、棒立ちのまま、白刃を迎え入れようとしている。


「ダウドォォォオオオオオオーッ!?」


 ダウドの頭と身体が切り離されようとした瞬間だった。


「ぜりゃぁぁぁあああああああっ!」


 視界の外から飛び込んで来た銀色の騎影が、凶果を示さんとしていた刃を、それを振りかざしていた者ごと大きく弾き飛ばした。


「……ひ、ひゃあーっ!?」


 勢いに気圧されてダウドが後ろに倒れ込み、地面に尻もちをつきながら必死で後ずさる。


 まるで流星のように飛び込んで来たきた銀色の馬体は、更に勢いをつけて、残る狂信者どもを瞬く間に蹴散らした。


「勇者様っ!」


 銀色の毛並みの馬。六本足の銀色の神馬の馬上からかけられる声に、視線を上げる。


 亜麻色の髪が陽光に煌めく。


 そこに、眩しいまでの光が、差し込んでいた。





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