♯212 謁見の間にて4



「……なっ!?」


 リーンシェイドの身体が大きく反応を示し、驚愕に満ちた顔を跳ね上げる。


 リーンシェイドだけじゃない。もちろん私だって、イワナガ様の言った言葉に自分の耳を疑う。


 マオリはまだ死んではいない。


 その言葉の意味を確かめようとするリーンシェイドに対して、イワナガ様はゆっくりと頷きを返す事で示した。


 その意味する所が理解出来ない。


 だってマオリは心臓も止まったまま、冷たい身体のまま、……固く瞼を閉じたままなのに。かすかな息吹きを返す事もなくただ静かに、横たわっているのに。ずっと側でその姿を見続けていたのに。


 なのに、それがどうして……。


 意味が分からず思考が混乱する。


 イワナガ様の言うアスラの子とはマオリの事で、それが何故、何を言って……。


 リーンシェイドに頷きを返したイワナガ様は次いで、私の方へと振り向いた。


「見事であった。お前が『完全蘇生リザレクション』の発動を成し得たからこそ、アスラの子は命を取りとめたのだ。……よくぞやりとげた」


 いや、……でも。


「……だって、でもマオリはっ」


「死んではおらぬよ」


「だったら、だったらなんでっ!?」


 マオリは息を吹き返さないのか。

 その鼓動を再び取り戻さないのか。


 傷一つ無い体のまま、朽ちる事の無いままであっても何故、目を覚まさないのか。


「……すまなかったな。本来ならもっと早くに知らせるつもりだったのだが、思いの外往生際が悪くてな。どうにか安定するまでは、離れる訳にいかなかったのだ」


「……なんで。どういう事ですか」


 知らず、手足が震えだしていた。

 手足が勝手に強張り、震えだす。


 往生際。安定。……離れるって、一体何が、何の事を言っているのか理解が出来ない。


 『完全蘇生リザレクション』は発動をみせた。けれどマオリは息を吹き返す事はなかった。……失敗したんだと。間に合わなかったのだと、……そういう事なんだと。


 なのにまだ死んでないって。


「お前の『完全蘇生リザレクション』はしっかりと発動し、その本来の効果をもってアスラの子を救った。欠落していた臓器は再生し、肉体と魂の器は完全なる再生を果たした。見事だったとしか言い様がない。だが同時に、アスラの子の心臓に突き刺さっていたものまでもを再生してしまっておったのだ」


「マオリの心臓に、……刺さっていた?」


「『ヒルコ』の分体の核、スンラの核であったものだ。今際の際にアスラの子の身体に取りついたのであろう。あのまま復活を許せば、少し面倒な事になりかねんかったのでな」


「スンラの、……核」


 『完全蘇生リザレクション』は成功していた。

 マオリはその命を、……取り止めて、いた?


「その場で魂を肉体から切り離し、スンラごと、アスラの子の魂を間の空間へと隔離したのだ。すでに幽体のレベルにまで侵食しておったのでな、他に手段がなかった。許せ」


 間の空間への隔離。


 だからあの時、イワナガ様はそれに気付いて、咄嗟に私の中から出ていった。


 間の空間にマオリの魂を隔離して、スンラに飲み込まれないようにその状態を保護していた?


 だからマオリの肉体は、仮死状態に近いままで、……目覚めなかった。


「……安定したって、さっき」


 身体に力が入らない。

 声が震えて、言葉にならない。


 どうにか絞り出した呟きが、掠れてしまう。


 イワナガ様がそっと微笑み、側をすれ違う。


「……アスラの子はスンラの精神に見事に打ち勝った。もうしばらくもすれば肉体にも戻ろう」


 優しく、そっと告げられる言葉が胸を打つ。


 すれ違い、背中を見せるイワナガ様に思わず振り返ると、再び深い頷きを返して見せてくれた。


 マオリが生きてる。


 マオリが、生きてる。


 マオリが、……戻ってくる。


「他の者達もよく聞けっ! アスラの子はまだ死んではおらぬ。お前達の魔王はスンラに打ち勝ったのだ。じきにお前達の元にも戻ろう。それをしかと、覚えておけっ!」


 イワナガ様は謁見の間に集う長に向かって、高らかに声をあげた。


「マオリが、……マオリが、生きてる」


 何をどう言っていいか分からない程に、頭と心の中で感情と思考が高鳴り渦を巻く。目の前が真っ白になりかけて膝から力が抜けそうになった所で、背中から誰かに強く抱き締められた。


 しがみつくように腰にまわされた細い腕が、力無く小さく震えているのがすぐに分かった。


「……リーンシェイド」


 腰にまわされた腕に手を添え、背中に感じる温もりに思いを寄せる。ぐっと、微かな嗚咽を誤魔化すようにして押し付けられた背中が、暖かかった。


「魔王代理が皆の前でなんて、……泣いたら駄目だもんね」


「……鼻水です」


 お前もかい。


 本当に、どいつもこいつも素直じゃない。

 そこにはもちろん、自分も含めて。


 マオリが生きていた。


 マオリがまた、……戻ってくる。


「……いいんでしょうか」


 万感の思いを込めてその事実を胸の内で確めていると、嗚咽にまじってリーンシェイドがぼそりと呟いた。


「……願っていても、いいんでしょうか」


 リーンシェイドに背中を貸して背筋を伸ばすと、抱き締められた腕に更に力が込められていくのが伝わってくる。


「人族と魔族とが隣り合って暮らせる世界が、そんな日が来る事を私も、……私もマオリ様やレフィア様と一緒に願っても、いいんでしょうか」


「……リーンシェイド、それって」


「そんな日が来るのなら、もうはは様のような事が起こらなくなるのならっ」


 次第に涙まじりになる声を背中に受ける。


 すがりつくように抱き締められた腕から、必死で押し殺していたであろう思いの強さが伝わってきた。


 リーンシェイドのお母さん、鈴森御前。


 歪めて広められた過去の話の真実は、最果ての森で会った剣聖さんから聞いている。剣聖さんはずっと、その時の事を後悔し続けていた。ずっと忘れられないままでいた。


 それは当然、リーンシェイドだって同じなのだろう。


「どれだけ辛い日々の中にあっても忘れられない時間がありました。暗く厳しい日々の中にあっても楽しいと思えた時間が、あったんです。けれどあの人は私達の為に、私達を庇う為に自分のいるべき場所を失ってしまったんです」


 あの時、剣聖さんと思わぬ再会を果たしたリーンシェイドは、動揺を隠しながらも、剣聖さんに対して冷たく対応していた事を思い出す。


 普段からあまり感情を顕にしないリーンシェイドだからこそ、あの時はその事に気付く事が出来なかったけれど。


 剣聖さんと何があったのか、あの時はまだ知らなかったから気付けなかったけれど。


「はは様がそうしたように私も、あの人から遠く離れなければ、冷たく突き放さなければ、……あの人はどこにも戻る事が出来なくなってしまうからっ」


 一生懸命に必死で、無理をしていたんだと、今ならそれも分かる。無理をして憎んでる振りをする事で離れようとしていたんだと、……今なら分かるから。


「……でも、そんな日が来るのなら、願った日が来るのならもう一度会っても、いいんでしょうか」


 背中に涙を押しつけてすがり泣く声に、ゆっくりと深く、肯定を返す。目の前で泣かない所が何だかリーンシェイドっぽくて、必死で隠そうとしている所が愛しくて。


 小さい頃に目の前で両親を殺され、魔族を憎み、人族を憎みながらアドルファスと二人、必死で生き延びてきた一人の少女の願いに、深く頷きを返す。


「もう一度ちゃんと会って、あの人にちゃんと、『ありがとう』と伝えても、いいんでしょうか」


「当たり前、でしょ」


 声を噛み殺して泣くリーンシェイドを背中で感じながら、強く、その覚悟を決める。


 もうこれ以上、負けたりしない。


 絶対に私達は、光の女神に負けてはいけないのだと。


 その後、イワナガ様が空間を解いた後に再び話し合いの場が開かれた。マオリが再び戻ってくる事をイワナガ様より告げられた事で、リーンシェイドに反対する者達は声を潜めた。


 そして、魔王軍の再出兵が決定された。


 聖都奪還に向けて魔王軍が再び、動き出した。





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