♯213 手折れぬ花



 出兵が決まってから先は早かった。


 マオリが戻ってくる。その報せは噂よりも早く各方面へと伝わり、魔王軍は再び以前の統率を取り戻した。


 あれよあれよという間に編成から兵站の準備、行軍日程の調整やら各種指揮系統やらと、見事なまでに整えられていく様は見事というより他は無い。


 もちろん私は蚊帳の外。


 専門外もいい所なので致し方もなし。


 事務処理においては八面六臂の活躍をするばるるんを中心に各種族の長達による協力の下、魔王軍の整備は順調且つ速やかに進んでいる。


 その意外な程の変り身には正直驚きもする。


 あれほど意見の統一に難航してた事がまるで嘘だったかのように、皆が皆、マオリを頂点とした組織図の中での統率を見せている。


 身も蓋も無いと言ってしまえばそれまでだけど、それだけ魔の国でのマオリの存在が大きいという事で、魔の国における魔王というものの重要さが、なんとなく分かったような気がした。


 だからこそ、その存在が失われた時にはあれだけの混乱と、大きな不安に飲み込まれてしまうのだという事も。


 その大きすぎる重責をずっと背負い続け、応え続けてきたマオリには、改めて尊敬の念を覚えずにはいられなかった。


 一つ年下の幼馴染を思う。


 生意気で、いつも不貞腐れてて。

 文句ばっかりぶーたれてるくせに、それでも変わらずにずっと側にいた、女の子みたいな顔をしていた幼馴染の事を。


「……いつの間にか、大きくなってからに」


 いつの間にか背も伸びてしまって。

 顔つきも体つきも、男の人っぽくなって。


 ……スケベで。


 いつの間にか、それだけのものを背負うような、そんな大きな存在になっているのだと。


 好きだと自覚してからは、その思いに迷いは無い。


 好きなもんは好きなんだから、今更どう足掻いたって何がどうなる訳でもないし、どうかしたい訳でもない。


 ただ自分に、そんなマオリから求められるだけの価値があるかどうかを問えば、正直疑問に思わないでもない。


 分不相応な事は分かっている。

 でもそれで身を引くつもりは毛頭無い。


 魔王の隣に並べるように、私も気合いを入れなくてはいけない。……うん。やってやるともさ。


 吹き抜ける風が髪を押し撫でていく。


 スンラとの戦いの余波で魔王城の城壁は至る所が崩れ、随分と風通しがよくなってしまった。


 城門に近かった南側の、この兵舎と尖塔に囲まれていた中庭も、見るも無惨に崩れてしまっている。


 ここに植えられていた花壇と共に。


「今晩早々に発たれるとお聞きしました。先遣隊に志願されたそうで。代理殿がやきもきしておられました」


 ごく自然に、一歩離れた後ろからかけられた声にゆっくりと頷きを返す。待ち合わせた訳じゃないけど、ここにいればきっと、来てくれるような、そんな気がしてたから。


「いてもたっても、いられなかったので」


「本当に、おかわりなく」


 穏やかな物腰に対して少しはにかみながら、照れ臭さを笑って誤魔化してみる。


 あくまで控えめに慎ましく、場の空気を壊さぬように話すセルアザムさんの、大人な落ち着いた雰囲気はやっぱり好ましくも思う。


「一日かけて国境まで行って、夜を待って岩荒野をつっきるんだそうです。少人数とはいえ、なるだけめだたないように」


 聖都との繋ぎを取る為の先遣隊への志願には、相当周りからも難色を示された。アドルファスなんかには魔王城に残っているようにと面と向かって言われもしたけど、そんなの聞ける訳も無い。


 どうせ繋ぎを取るなら、聖都に知り合いのいる私がいかなくてどうするんだと、押しの一手で押し通した。


 実際に知り合いがいるかどうかは関係ない。大切なのは勢いと熱意と誤魔化しだ。うん。


「あまり無理は、なさらぬようにお願い申し上げます」


 もちろん、無理なんかしません。

 安全第一。隠形一番。


 心地よい空気を一つ吸い込んで、目を閉じる。


「……本当は、聞きたい事がいっぱいあります。聞かなければいけない事が、たくさん」


 込み上げる思いを押さえ、視線をあげる。


「悪魔王の事。スンラの事。イワナガ様の事やアリシアさんの事。コノハナサクヤの事に、……マオリの事も」


 数えてみれば、本当にたくさんある。


 そのどれもみんな、セルアザムさんが関わっている。セルアザムさんが関わっているのにどれ一つとして、それを今まで教えてはくれなかった事。


 セルアザムさんが今まで一人で全部抱えてきた、それらすべての事を。


「いつかまた、どこかで。ちゃんと聞けば、教えてくれますか」


「特に、……お話しするような事ではないのです」


 努めて明るく問い掛けた言葉に、申し訳なさそうな声音が返る。


「未熟さ故に憤りに我を忘れ、激情のままに数多くの命を奪い、光の女神に敗れ、聖女アリシアに救われた。ただそれだけの事なのです」


 千年の過ち。遠い昔の、遺恨。


「気がつけば、自分の仕出かした事には何の意味も無かったのだと。虐げられていた者達の無念を、無意味に散らされる命に憤り人に戦いを挑みはしたものの、私の残したものは千年に続く怨嗟と、大切にしたかった者を失った空虚な生のみ。ただ、それだけでした」


「……だからその、贖罪の為に?」


「戦い敗れた後にそれでも、虐げられていた魔族をまとめ、救おうとした者達がいました。彼らは私とは違い、弱き者達をまとめ、ともに守り合う事で戦おうとしたのです。そんな彼らが名乗ったのが、『魔王』でした」


「悪魔王に続く為の魔王、ですよね」


 答え合わせをするかのように問えば、セルアザムさんは静かに頷きを返してくれた。


「私のした事で、人と魔との対立は決定的なものになってしまいました。互いに憎み合い、殺し合うだけのものに。だからこそ私は守りたかったのです。新たに生れた『魔王』という存在を、魔族にとっての希望を、守りたかった」


 以前に疑問に思った事がある。

 初代聖女と悪魔王の戦いの結末について。


 人族ではそれは悪魔王が初代様に敗れたとされ、魔族では悪魔王と初代様は相討ったと伝わっている。その違いが、どこから来ているのか。


 今なら分かる。セルアザムさんは光の女神に敗れ、光の女神はアリシアさんの意思に敗れたのだと。光の女神は人族に自分が悪魔王を倒した事を伝え、セルアザムさんは戦いの結果、聖女も悪魔王という存在も両方いなくなった事を、後世に残したのだと。


 そしてセルアザムさんは魔族を守る存在になった。それと同時に、アリシアさんのように女神の降臨に耐えるだけの器を持つものを女神よりも先に探し出す為に、人族の世界に居続けもしたんだと。


「魔王を名乗る者の中には力に溺れ、弱者を顧みない者も確かにありました。けれども魔王である以上、私には手を出す事が躊躇われたのです。例えどのような者であっても魔王というものが魔族の希望である以上、私がそれを魔族から奪う事は許されなかったのです」


「それは、……スンラの事ですか」


 思い当たる節を直接問い掛けてみる。


 確かに、コノハナサクヤもそう言ってた気がする。セルアザムさんは魔王には手を出さないと。だからそれだけでも、スンラを魔王にする理由になると。


 セルアザムさんはゆっくりと肯定を示して、憂いを含んだ眼差しを足元へと落とした。


「今思えば、それもまた過ちだったのかもしれません。スンラの性質には最初から気付いておりました。けれどあの者が魔王である以上、それを私が手にかけてはならぬと」


 セルアザムさんは魔王である者には手を出さない。それをスンラは、そのスンラを操っていたコノハナサクヤは最大限に利用して、魔の国に深い傷痕を残した。


「それが故に私は、マオリ様のご両親とともにスンラと戦う事をしなかったのです。どうすれば良かったのか、今でも後悔に尽きません」

 

 セルアザムさんがスンラと戦っていたらどうなっていたのか。もしかしたら今と違う結果になっていたかもしれないし、そうではなかったかもしれない。


 そのどちらにしろ、しなかった後悔は出来なかった後悔よりもより深く、残り続けてしまう。


「どれだけ長い月日を生きていようとも過ちばかり、後悔ばかりが増えていく。……本当に、お恥ずかしいかぎりです」


 肩を落として力無さげに眉根を下げるセルアザムさんは、本当に哀しそうで、本当に辛そうで。本当に、申し訳なさそうで。


 でもそんなセルアザムさんが私は好きで、そんなセルおじさんから教わった事が今の私を作ってきたんだと。


 その事にとても感謝していると言いたくて。

 でも言葉にすると何だか取り繕っているみたいで。


 なんだか言葉が出なかった。


 視線を上げて、前を向く。


 風通しがよくなってしまった中庭に残るのは、崩れた城壁と潰れた花壇。散らばる瓦礫と、破壊の痕跡。


「花壇、残念です。……あんなに綺麗だったのに」


 セルアザムさんが育てていた、ピンクの濃い、初代様と同じ名前のスプレーバラ。陽春の風に揺れる姿は今でもしっかりと、記憶の中で彩りを讃えている。


「いつかは枯れるものにございます。惜しみはいたしますが、致し方ございません」


「色は匂えど散りぬるを」


 しょんぼりとするセルアザムさんに対して努めて明るく、ぴょんっと飛んで一歩横にずれる。


「ここに来て見つけたんです。花の命も結構強いんだなと」


「……それは」


 一つ横に飛んで、足元に隠していたものを見せる。


 それは瓦礫と瓦礫の隙間。潰れてしまった花壇からやや離れた所に生えた、一本の茎。


 残念ながらまだ蕾も何もないけれど、それは紛れもなく花壇にあったスプレーバラと同じもので、この荒れ果てた中庭にあってもまっすぐ、青々と空に向かって延び上がろうとしていた。


「凄いですよね。こんな目に合ってもまだ、ちゃんとこうして、生きようとしてるんです。花壇の子達だって、まだ全部が駄目になってしまった訳でもないんです」


 ぽっきりと根元から折れてしまったもの。根っ子から千切れてしまったものも確かにあるけれど、それでも、その中にあっても生き続けようとしている子達も、確かにそこにあるのだと。


「……命ある、限り」


 強さの意味。


 美しくあるという事の意味を、教わる。


「もうセルアザムさん一人じゃないです」


 千年の間、ずっと一人で背負い続け、戦い続けてきたセルアザムさん。多分その間には、想像も出来ない位の葛藤があって、数え切れない位の後悔があるんだと、そうも思うけど。


 もう、一人じゃない。


 一人になんて、させたくない。


「コノハナサクヤの思い通りになんて、させません。させてなんかやるもんですか。その為にみんなで戦うんです。徹底的にっ、抗ってみせますっ!」


 誰も信じず、誰とも一緒にいない。

 すがる思いを利用して、願いを踏みつける。


 そんな女神なんかには絶対、負けたくない。

 負けてなんかいられないから。


「……ありがとうございます」


 振り向かずに言った背中に、セルアザムさんの囁きが残る。


 それは、今にも消え入ってしまいそうな程に、とても小さな囁きだったけれど。込められた確かな思いが残り、風の中に、溶け込んでいく。


 荒れ果ててしまった中庭に生える一本のスプレーバラは変わらず、ただ風に吹かれて穏やかに、揺れ続けていた。





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