♯202 死闘の結末(魔王の憂鬱30)



 握り締めた拳を力一杯に振り抜く。


 大きく前へと踏み込む足が、深く沈み込む。


 キリキリと体重を支える膝が軋み、太股から腰元へと捻れ上がる力が全身の筋肉を極限まで絞り上げる。


 背中から肩へ、肩から真っ直ぐに伸びた腕の先へと伝わる力の全てを、スンラの顔面へと叩き込んだ。


 ヤツの鼻先へと叩き込まれた拳が、止まる。


 感触として返す手応えが、あまりも軽い。


 まともに拳を顔面で受けたスンラはそこから僅かたりとも動く事なく、歪な笑みに瞳孔を濁らせた。


「がっ!?」


 ぶちかました右手を下げるよりも早く、視界の外から叩きつけられたのであろう強烈な衝撃に、身体を真横に吹き飛ばされた。


 辛うじて形を残していた大理石の柱の残骸に叩きつけられ、崩れてきた瓦礫に飲み込まれる。


 積み重なるダメージに身体の自由が束縛される。


 瓦礫を押し退けて立ち上がると目の前にスンラが迫っていた。組んだ両手が高々と振り上げられ、大岩が直撃したかのような衝撃を叩き込まれた。


「がふっ」


 地面に叩き付けられてバウンドした所で、後ろ首を掴まれて力任せに引き上げられる。


「どうした。だいぶ疲労がたまってきたようだが、すでに拳を振り抜く力さえも尽きてきたか」


「……うるせぇっ!」


 両腕でヤツの手首を力任せに引き剥がして地面へとしゃがみこみ、飛び上がる反動をつけて目障りな顔面へと頭突きをぶちかました。


「があぁぁっ!?」


 一瞬だけ目の前が暗くなり、乱れた平行感覚が耳元でグラリと大きく揺らぎを示す。


 弾かれるようにして地面へと放り投げられたまま堪える事も出来ず、うつ伏せに倒れ込んでしまった。


 力の消耗が思ったよりも激しい。


 全力でやり合っていた所為か、大きすぎる力の反動で身体中のあちこちが、洒落にならない悲鳴をあげ続けていた。


「……このっ、クソがぁっ!」

 

 気合いを込め、地面を殴り付けるようにして叩き付けた右腕で体重を支え、根性で立ち上がる。


 受けたダメージがどんどん洒落にならないレベルで積み重なっていく。激しい疲労が手足から戦う力を奪い去る。


 だがスンラは、殴るたび、ダメージを刻み込むたびに再生を繰り返し、戦闘の始めから全く勢いに変化が見られなかった。


 再生するたび、回復するたびに叩き潰す。


 何が何だろうとそのつもりではいたが、自身の力の減衰率は正直予想以上のものだった。


 でかい力にはそれだけの反動もありえる。

 それがまさか、ここまでのものだったとは。


 苦しさを覚え始めた戦いの中、ふと、ヤツの鼻っ柱が歪んだままでいる事に気がついた。


 一瞬で回復し続けていたヤツへのダメージが、リセットされていない事に覚える、違和感。


 遅れてその事に気付いたスンラに、明らかな動揺が走る。


「……馬鹿なっ、ありえんっ!? っぐ!?」


「ぜりゃぁぁああああああっ!」


 隙を逃さずに気力を振り絞って一撃を放つ。


 受け止めようとしたヤツの左腕が脆く砕けた。


「がぁぁあああああっ!?」


 踏ん張りが利かずにそのまま倒れ込みそうになっている所に、無様としか言い様のない悲鳴が轟く。


 スンラの様子が急変した瞬間だった。


「何故だっ!? ありえぬっ、ありえんだろぉおおっ!」


 砕けた左腕を抱え、急に狼狽の色を強めていく。


 鼻っ柱だけじゃない。その砕けた左腕でさえもまた、回復が行われてないようにしか見えない。


「何故だっ!? 何故急にこんなっ!?」


 何かが起きたのは分かった。

 だが、一体ヤツに何が起きたのか。


「……まさか、アイツかっ!? 器の娘かっ! 闇の女神とつるんで何をしやがったんだ一体っ!」


「器の、……娘?」


「嘘だっ! ありえんっ! ありえんだろこんなのっ! 何をしやがったっ!? 一体何をどうすればこんな事になるんだっ!? っちくしょぉぉおおおおーっ!」


 目も当てられない程の狼狽ぶりだった。


 器の娘。たしか最奥の賢者闇の女神もまた、レフィアの事をそう呼んでいた事を思い出す。確かに最奥の賢者闇の女神は、レフィアの事をそう呼んでいた。


 ……レフィアだ。


 間違いなくアイツが、何かをしたんだ。


 一体どこで何をしたのかまでは分からない。分からないが、アイツならどこで何を仕出かしていたとしても可笑しくはない。


 むしろレフィアだからこそ、何かをやらかしたに違い無いとさえ思えてしまえる。


 何をしても悪びれないその表情をふと思い浮かべると、不思議とどこか、肩の力が抜けていくのが分かった。


 アイツの事を思う、ただそれだけで。

 尽きかけていた力が込み上げてくるのが分かった。


 もしアイツの所為で、そのお陰で、スンラの再生能力が上手く効果を発揮出来ないでいるのだとしたら。もし、本当にそうだったとしたら。


「……すげぇな、アイツは」


 多分俺は、一生アイツには勝てないかもしれない。


「おい」


「っががぼぉおおぅっふ!?」


 困惑を深めるスンラに近寄り声をかける。

 振り向いたその顔を有無を言わさず蹴り抜いた。


 再生能力だけじゃない。

 強大でツギハギだらけだった歪な魔力もまた、影も形も無い位に霧散してしまっている。


 明らかに弱体化してやがる。


「待てっ! やめだっ! やめろっ、やめろぉおっ!」


 無様に後退りしながらスンラが叫ぶ。

 その有り様はこれ以上ない位に惨めに思えた。


 無言のまま、スンラとの距離を詰めていく。


「分かったっ! 俺の負けだっ! 俺が悪かったっ! 俺の負けでいいからっ! もうやめろっ!」


 実際、こっちの体力も限界に近い。

 討ち損ねでもしたら多分、次は難しいだろう。


「お、俺じゃない。俺はただ、ただ指示された通りに動いていただけなんだっ、俺の意思じゃなかったっ! 光の女神だっ! 光の女神が全部仕組んだんだっ!」


 無様に喚くスンラの元へと近寄り、足を止める。


 情けない。


 他者から力を奪い続けた者の末路として、自ら積み上げてきた力ではなく、ただ奪い続けてきた者の末路として、その姿はあまりにも惨めに過ぎた。


 所詮は偽りの力でしかないのだと、強く思い知らされる。


 しゃがみ込むスンラに手を差し出した。


「ひぃぃっ!?」


 怯えて強張るその手を引いて、力任せにその場へと立たせる。


 何を思ったのか、そこでスンラの表情に喜色が浮かび上がった。


「そ、そうだ。俺と手を組めっ! 俺とお前が手を組めば、光の女神を倒す事だって夢じゃないっ! アイツはまだ諦めてないんだっ! 必ずまた、何か仕掛けてくるっ! その為にも俺と、俺と手を組めっ!」


「うるせぇ。黙れ」


「……なっ!? げふっ!?」


 立たせたのは心臓を間違いなく貫く為。


 取りこぼす事無くただの一撃で持って、間違いなくとどめを刺す為。この虚しい戦いに幕を下ろす為でしかない。


 スンラの身体に拳を深くめり込ませ、確実にその心臓をぶち抜く。


 これで、終わらせる。

 ここで、終わらせてしまいたい。


 意思を持って更に深く拳をめり込ませると、ヤツの身体が大きくビクンッと反応を返した。


「……嫌だ。消えるのは嫌だ。消えたくない。消えるのは、……嫌だ」


 最後にそう呟くと、スンラの身体から力が抜けていった。


 力の抜けた身体に引き摺られ、体勢が崩れる。


 ギリギリまで削られた体力は、意思の消えた身体を支える事さえも出来ない位に消耗が酷かった。


 決して気を緩めた訳ではない。

 ただ、反応を返すだけの余力が尽きていた。


 だから、としか言い様が無い。


 スンラの身体から飛び出てきた指先程の肉塊に対して、即座に反応する事が出来なかった。


 避けるにはあまりにも、近寄り過ぎてしまっていた。


「がっ!? ……ぐっ!」


 力尽きたかのように見えたスンラの身体から、まるで蛭のような肉塊が飛び出し、心臓へと突き刺さる。


(このまま消えてたまるかっ! 俺は消えないっ! 何があろとも必ず生き延びてやるっ!)


 すぐ耳元で、甲高い声が叫ぶ。


「ぐっ、それが、……お前の本体、か」


(油断したなっ! アスラよっ! このタイミングを待っていたっ! 貴様が警戒なく近付くこの瞬間をなっ!)


 動かなくなったスンラの身体から腕を引抜き、胸を押さえながら、ふらつきながらも後ずさる。


(肉体など、俺にとっては容れ物に過ぎんっ! すでに使えなくなったのなら、より強い身体に取り付けば良いだけの事よっ! 俺は消えんっ! 俺は決して、死なぬのだっ!)


「……だろうなとは、思ってたさ」


 明らかに様子を変えた時に感じた、違和感。

 あからさまに過ぎた、惨めな様子。


 すでに回復が見込めないと判断したその時からずっと、新しい身体へと乗り移るタイミングをコイツは狙っていたんだ。


 だからこそ、取り逃す訳にはいかなかった。


「13年前も、そうして、……魔王城から、逃げ延びた訳だ」

 

(あの時は大変だったんだぜ? まともな身体がなくてよ。人目につかぬようネズミやらカラスやらを渡り歩きながらなっ! だが今回は上手くいったぜ。おかげでこれ以上無い身体を手入れる事が出来たんだからなっ!)

 

 勝ち誇るかのようにペラペラとまくしたてる声を無視し、僅かに残った力を右手に込める。


 ここまで来て、みすみす見逃す訳が、……ねぇだろうが。


(……何のつもりだ。止めろっ、こうなった以上は最早俺を切り離す事など出来んっ! やめろっ!)


「がっ!? ……うぐっ」


 声には構わず右手を、自分の胸へと深く突き刺す。


 こうやって誰かの身体へと乗り移り、生き延びるのならやがてこの身体も、自由が利かなくなるのだろう。


 だったらその前に。

 まだ自由になる間に、ケリをつけるだけの事だ。


 突き刺った身体の内側で、自らの心臓を鷲掴みにする。


(やめろーっ! 止すんだっ! もう今更俺を切り離す事など出来んっ! 俺を殺せばお前も死ぬんだっ、馬鹿な事はやめろっ!)


「はぁはぁはぁ、……言ったハズだ。何が、……ぐっ、あろうとも、……お前を、許さないと」


(よせっ! やめろっ! やめろぉぉおおおおーっ!)


 自らの心臓を掴んだ右手に、更に力を込める。


 何があろうと必ず、必ずここで終わらせてみせる。

 ここで全てを、終わらせる為に。


 激痛に意識が霞む中、スンラの悲壮なまでの叫び声が、すぐ耳元で響き続けていた。


 ……。


 ……。


 ごめん。レフィア。


 約束は守れそうに、……ないや。


「がぁぁぁぁああああああああああああああっ!」


(やめろぉぉおおおおおおおおおおおおおーっ!)


 渾身の力を振り絞り、自らの心臓を自らの手で、身体の外へと引き出した。


 そして最後の力を、右手に込める。


「くた、……ばれっ」


 俺は自らの手で、自分の心臓を握り潰した。


(がぁぁぁぁあああああああああーっ!?)


 スンラの断末魔が耳元で轟く。


「マオリーっ!」


 薄れいく意識の中で遠く、レフィアの声が聞こえたような気がした。


 それが幻聴なのかどうかさえ、分からない。


 意識が、暗闇の底へと落ちていく。


 確かめることさえ、もう叶わない。

 例えそれが幻聴であったとしても構わなかった。


 最後にレフィアの声が耳に残ったまま逝けるのであれば、それで構わない。


 それでも構わないと、思えた。


 ごめん。


 またお前を、置いてきぼりにしてしまう俺には、ただ謝る事しか、……出来ない、よな。




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