♯194 わんしゃの勝ちだがね(骸姫の迷走9)
大気の余韻が、緩やかに広がる。
先程までの荒々しい状況とはうってかわり、澄み晴れた空間は静けさに満ちていた。
「……何故、魔族のお前が、……それを」
驚愕を顕にしたスンラが、戸惑いをこぼす。
魔族に神聖魔法は使えせん。
例えその構築式を知っていたとしても、そもそも魔族とは闇の女神の祝福を受けて生まれた存在。光の女神からの祝福が発動に必要な神聖魔法とは、存在の根幹から互いに反発しあっとらっせる。
『
本来であればどんなに頑張ったとしても、魔族に神聖魔法の発動は出来せん。けどそれは、直接発動しようとすればの話。
出来ないのなら、しなければ良い。
複雑な手順を特殊な図形と模様に書き換え、適性や能力に関わらず、魔力を込めるだけで誰にでも魔法陣として使用出来るものにする。
それは『
構築式の詳細さえ分かれば、可能となる技術。
けれど『治療』や『浄化』といった初歩的な神聖魔法ならまだしも、最上位の、しかも聖女固有の魔法である『聖域結界』の構築式は秘中の秘。
その『
押し込まれた結界が軋み、ひび割れる。
その覚悟のお陰で一矢報いる事が出来た。
そうも思えば、その決断に感謝と敬意を抱かずにもおられせん。
パリンッと、乾いた音を立てて、帯留めの呪符と同時に結界が砕け散る。
結界を割ったスンラの抜手を軽くいなしながら、その耳元へと囁きを残し、身体を入れ替えた。
「日頃の行い、……だがね」
スンラの後方へとすり抜け、左手を肩に掲げる。
左手の指先に最後に一本だけ残った魔力糸を絡め、それをゆっくりと引っ張りあげた。
おかあちゃんの骸凶兵は他の骸兵達とは違い、ある一つの目的の為に作られた、特別な傀儡。
鋭く尖った針状の両手は、相手の体内にまでその刃を深く貫き通す為のもの。例えどんなに堅固な相手であってもその外郭を突き破り、内部へと奥深く、刃を抉り込ませる為のもの。
魔力糸に意思を込め、指示を送る。
相手の身体をぶち抜き、内部で自爆する為の骸兵。
それがおかあちゃんの、『骸凶兵』。
「……ぐっ!? ごぶっ」
深く突き刺さった刃に込められた魔力が、膨れ上がる。
背中の向こう側で無様で醜い破裂音を立てながら、スンラの身体が、内側から激しく弾け飛んだ。
振り向かぬままそっと、瞼を閉じる。
どうにか一矢報いる事が出来やあせた。
傀儡師としての意地を、見せる事が出来やあせた。
指先から伸びる魔力糸が、消える。
大気の中に溶け込むようにほつれ、消えていく。
もう欠片も、余力が残っとらせん。
崩れ落ちそうになる身体をようやっと保つ。
ただ立っている事だけで、精一杯だった。
まともに喰らった攻撃は一つもあらせんかった。
一撃でもまともに喰らえば、それで終わってまう。
攻撃を喰らった訳でもないのに。その余波と急激な制動に揺さぶられた身体は、手足の先までボロボロになっとらせる。
とことん、虚弱な身体が恨めしい。
けれどそれでも、何とか堪えてみせた。
自身の役割を十全に果たし得た充足感に、満たされる。
「……見事だ。実に見事なものだ」
背後で再び、爆散した魔力が集っていく。
億劫に感じながらも振り返り、忌々しい声の主を、視界の中へと捉える。
激しく弾け飛んだハズの肉片が集う。
肉片の一つ一つが、引き付けられるかのように集っていく。
おぞましいばかりの光景を見せながら、集った肉片が一つの塊となり、元の姿へと戻っていく。
死なずの身体。
身体を内側から爆散させたにも関わらず、その存在感と魔力は些かも損なわれてはおらせんかった。まだ死んでない事は分かっとったが、その様子を目視すればゲンナリともしてしまう。
本当に心底、厄介なヤツだがね。
「これほどまでにしてやられたのは実に久しい。アスラの王でさえ、この俺をここまで追い詰めるのには自らの命と引き換えだったのだからな」
肉塊が人の形を取り、砕け欠けた鎧がその身体へと戻っていく。身体の表面を覆った鎧の欠片が合わさり、元の通りに繋ぎ合わさっていく。
「惜しいものよな。これが13年前であったのなら、お前の勝ちで終わっていたものを。……だが俺も、無駄に時を過ごしてきた訳ではないのでな」
あっという間に、すっかりと元通りの姿へと復活したスンラが不敵な笑みを浮かべる。
その傲慢な、下卑たる笑みからは嫌悪感しか感じない。
「……選べ。我が下にひれ伏すか、我が力となるか。それだけの慈悲はくれてやる」
「……たーけか」
勝手に勝利を確信しての事か、大仰に構えての物言いに対して鼻の先で呆れを返す。
「わんしゃの勝ちだと、言ったハズでやあす。選べもクソもありやあすか。そのどちらも、……ありえせんがね」
霞む視界の奥で、スンラの表情が曇った。
こうして立っているだけでやっとではあっても、どこか満たされた感覚に、心がほぐれる。
「ならば、……消えろ」
低く言い放たれた言葉と共に、スンラが左腕を前へと振り上げる。振り上げられた腕が黒く大きく膨れ上がった。
黒く膨れ上がった左腕から赤黒い炎が迸り、細長い触手のようなものが放射状に広がりを見せる。
けれど赤黒い炎に包まれた触手が身体の届くよりも早く体力の限界が訪れ、膝が崩れ落ちてまう。
もう一寸たりとて動く事が出来やせん。
地面に引き寄せられるままに崩れ落ちる身体に、スンラの触手が迫る。
そして。漆黒の斬撃が、凪ぎ払われた。
強大で逞しく、側にいるだけでどこか安心出来るような魔力の波動を持った漆黒の斬撃が、走る。
近くに迫っていた事は、伝わる魔力の波動で感じていた。
だからこそ得た、勝利の確信。
迫る触手が全て凪ぎ払われ、崩れ落ちていた身体が、その優しくて暖かな波動に抱き止められる。
抱き締められた肩に温もりが広がり、銀の嘶きが届く。
レフィアがバサシバジルと呼んでいるスヴァジルファリが、聖都に向かって行ったのは分かっとった。聖都に応援を呼びに行ったのだと。
そして神速の六本足の神馬は、その役目をしっかりと果たし、連れてきてくれた。
これ以上ない、
……。
……。
……一目惚れでやあした。
圧倒的なまでに強大で激しくもありながら、どこか憂いを含んだ、ふんわりとした優しさを感じる魔力。
一目見た時から、ずっと。
けれどこれは、叶わぬ想い。
どんなに焦がれようとも、届かぬ想いなのだと。
初めて深く抱き締められ、自身の中でそう、……納得する。
「……よく持たせた。ベルアドネ」
凛とした声に名前を呼ばれ、満たされた想いが、込み上げる。
……分かっとる。
これは叶わぬ想いなのだと、十分に分かっとる。
見上げた視界が霞む中、凛とした、優しげな双眸が自身に注がれる。
ただそれでも。
……今だけは。
こんなご褒美があっても良いのだと。
懐に深く抱き締められながらそっと、感じる温もりの中で意識が途切れていく。
あとは、……お任せいたします。
……。
……。
我らが、……陛下。
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