♯182 決死の逃走劇(傭兵王の逡巡5)
ダルマルクから南に10キロ程離れたゆるやかな丘陵地帯を、中隊規模の騎馬隊を連れて駆け抜ける。
最初に報告が上がったのは三日前だった。
激しい爆音と何者かによる破壊の痕跡。
いっそ近くにドラゴンでも現れたのかと思えば、ただ原因も分からぬままに、破壊の痕跡だけが次から次へと報告に上がってくる。
得体の知れない何かが起きている。
しかもそれが、東の方から弧を描くようにしてダルマルクへと近づいてきているとあっては、黙って見過ごす訳にもいかない。
四日前にはガハックの南域方面軍が聖都城門前で、アリステアに手酷い敗北を喫したとの報告も受けている。
たった二万の軍勢で十万にも及ぶガハックを見事打ち破ってみせたアリステア。……確かに、猪突猛進な突撃馬鹿のガハックを手玉に取るのは容易い。だが、聖女と勇者、その両方を欠いたアリステアがそれを成し得た事には正直、驚かされた。
戦闘の内容に関しては、その結果を押さえる事しか出来ず詳細が今一つ伝わってこない。
戦場に巨人の大群が出現しただの、炎の嵐が吹き荒れただの、……幻影にしてやられた事は確かなようだが、あまりにも荒唐無稽な情報が錯綜していて、その真偽の確認に困難を極めている。
ミリアルド法主は、一体何をやってくれたのか。
そこに来てのこの薄気味の悪い報告だ。
聖都城門前で起こった事と、全く無関係であるとも思えなかった。南の次にこちらへ仕掛けてくる。……それは、十分に考えられる事でもある。
「ヴォルド様。そろそろです」
考え事をしながら馬を走らせていると、副官のワインズが馬首を並べて声をかけてきた。
一つ、大きく頷きを返す。
寄せられた報告から破壊跡を辿り、予想される進路の先へと向かう一団の間にも、緊張が高まる。
ドラゴンでは無い。だがそれは、ドラゴンにも匹敵するような破壊の痕跡を残しながら、着実に近づいてきているのだ。
得体の知れない何か。
何それ、めっちゃ怖い。
出来れば目を瞑って耳を塞ぎながら、ユリフェルナとの仲を深く進める方法を考えていたい。
危ない事はしたくない。痛い事も大嫌いだ。
楽しくて気持ちいい事の方が大好きなハズだってのに。
……くそっ、正直帰りたい。
損な役回りにウンザリする。
小高い丘の上へと駆け上がり、周辺を一望する。
眼下の平野部には背の低い森林が、まばらに広がっていた。
まだ、……か。
その穏やかな光景を見下ろしながら、そう簡単に遭遇するもんでもないと気を緩めた瞬間。突然、遠方に赤黒い火柱が轟々と立ち上った。
「……なっ、なんだありゃ!?」
まだ相当な距離があるというのに、その火柱はどこまでも高く、太く、赤黒い炎を螺旋状に巻き上げているのがはっきりと確認できる程だった。
遠雷のように響く音が遅れて耳に届き、大気が緊張の色を深めていく。眼下の森から次々と鳥達が群れを成して飛び立ち視界を狭める中、大地が微かに震動を伝える。
赤黒い火柱は最初の一つが立ち上ると、二つ目、三つ目と続け様に連なっていく。
「ヴォルド様っ」
「……ちっ。セルハとモズはそれぞれに隊を率いて左右から挟み込めっ! 残りはこのまま最短距離でアレに向かうっ! いいか、まだ勝手に手は出すなよっ!」
騎馬隊を三つに分け、斜面を駆け下りて森の中へと突っ込んでいく。幸いにしてその森は木々も細く、さほど深い訳でもない。騎乗したままでも十分疾走出来る。
更に爆音が木霊し、その音のする方へと馬首を向けて手綱を強く握りしめる。
胸中に不気味さが増していく。
何か巨大な生物がいたようには感じられなかった。確かにアレは、ドラゴンなんかじゃない。ドラゴンなんかよりももっと禍々しく、歪んだ何かの存在を強く感じる。
得体の知れない何か。
知らず感じとる不吉な予感に、全身から脂汗が滲み出てくるのが分かった。
本当は近づくべきではないのではないか。
アレに触れて、後悔するんじゃないのか。
生物としての本能的な部分が、自身にここで引き返せと警鐘を打ち鳴らす。
今すぐにでもそれに従ってしまいそうになる自分を理性で捩じ伏せ、手綱を強く握り込む。
「……だからこそ、それが何であるのかを確認せねばならないんだろうがっ。何も分からないままに怯えていて、それで許される訳でもねぇんだからよっ!」
自身の言葉で、強く自分に言い聞かせる。
誰よりも臆病で怠け者であるという自覚があるだけに、こうした独り言が癖にもなる。
木々枝々が途切れ、ぽっかりと開いた場所へと出た。
更に大きな爆音が轟き、すぐ目と鼻の先で赤黒い火柱が容赦なく立ち上り、衝撃が波紋を作って草地を這うようにして通り抜けた。
耳をつんざくような轟音と激しい地響きに、馬が暴れださないように必死で宥めながらも、その火柱の様子へと深く注意を向ける。
「なんなんだこりゃ。何が起きてやがる……」
膨大な密度の魔力をその火柱から感る。そこに含まれる禍々しさと毒々しさに、股間のイチモツが音を立てて縮み上がっていく。
「ヴォルド様っ! あれを! 上ですっ!」
上空に何かを見つけたワインズが叫んだ。
見上げる遥か上空には、その火柱に弾き飛ばされた木々の残骸と土の塊に紛れ、明らかに人影のようなものが見えた。
目を細めてその人影を注意深く観察する。
それは、確かに人のようにも見える。
遥か上空に弾き飛ばされた人影がゆっくりと、放物線を描きながら落ちてきている。
そこに見知った雰囲気を感じとり、傭兵としての勘と確信が、無意識の内に身体を突き動かした。
「ヴォルド様!? どこへっ!?」
「あれを受け止めるっ!」
「無茶ですっ!」
手綱を強く引っ張り、叫ぶワインズに後ろ背で応えて駆け出す。
無茶なのは百も承知の上。だが、あれはきっと、あそこにいやがるのは多分、……アイツだ。
遠目で判別などまるきっり出来なかった。
もしかしたら人影に見えるだけで、本当は砕けた木の根がただ飛んでいるだけなのかもしれない。
……だが、そうじゃないのかもしれない。
疾走する馬体のすぐ脇で、更に赤黒い火柱が炸裂した。
爆風に吹き飛ばされそうになりつつもどうにかバランスを保ち、落下してくる人影へと近付いていく。
火柱は明らかに、その人影を狙っていた。
「このっ、……クソッタレがっ!」
連なる火柱に翻弄され、暴風に舞う木の葉のように煽られる様を睨み付けながら、激しく揺れる草地の上を一心不乱に突き進んでいく。
距離がだんだんと縮まり、落下してくる影は確かに人であるのだと判別出来てしまった。嫌な予感ほどその通りになるもので、それは、自分のよく知っているソイツで間違いないのだと確信を得る。
馬足に気合いを込め、更に前へ前へと突き進む。
いくらアイツでも、あの高さから落ちて無事に済むとも思えない。ようやく見つけたこんな所で死なす訳には、……いかねぇだろ。
だが、どうにも距離があり過ぎる。
このままじゃ、……間に合わねぇっ!
「とどけぇぇぇぇええええええええっ!」
力なく身動ぎのしないその身体が、地表へと勢いを増して落ちてくる。このままじゃ、間に合わないまま地面へと激しく叩きつけられてしまう。
あと一足。あと数寸足らない。
……間に合わないっ!
揺れる大地と爆風に煽られながらも懸命に馬を走らせ、その、予想される落下地点へと近付いていくにつれ、焦燥ともどかしさに深く脳天と肺奥を抉られる。
あと少しの所で間に合わず、遥か上空から地面へと目の前で、……叩きつけられる。
地面に激突してその身体が砕かれる様を幻視した瞬間。風の塊が突如として吹き乱れ、地面すれすれの所で落下してきた身体を優しく包み込み、抱き上げた。
そしてそこで、その落下してきた人物が誰であったのかがはっきりと、分かる。
「ユーシスっ!」
騎馬の速度を緩めないまま、大きく身体を馬体から外に出して傾け、ホバリングしている勇者の方へと手を伸ばす。
再び、赤黒い火柱が間近で炸裂した。
「くそがっ!」
今にも届きそうだった所で爆風に煽られ、大きく距離が離れる。鐙を強く踏みしめて馬腹を挟み、すぐさま体勢を立て直した。
ユーシスは風に守られているかのように爆風から逃れ、丁度馬の背の高さを保って飛び続けている。
続いて迫る火柱を避けながら速度を上げて、風に運ばれているユーシスの横へと並ぶ。一目で分かる程に全身がボロボロで、まさに満身創痍の瀕死状態だった。
「ユーシスっ! 俺だっ! しっかりしろっ!」
怒鳴るようにかける声にも反応がない。
意識が無いのか、反応するだけの余力が無いのか。
馬上に引き寄せようと手を伸ばすが、障害物の多い森の中では並走し続けるだけでも難しい。
何度目かの試みが失敗し、知らず舌打ちが出てしまう。
その間にもユーシスを狙って赤黒い火柱が何度も立ち上る。その度に吹き飛ばされ、距離が離れ、思うようにならない現状に苛立ちと焦りばかりが積み重なっていく。
唐突に木立が途切れた。
前方の視界が抜け、その先が空へと続いている。
その先は、切り立った崖になっていた。
「……嘘だろ、くそっ」
歯噛みしながら追走を諦めかけたその時、爆音の余韻で荒れる大気と蹄鉄が打ち鳴らす衝撃の合間に聞こえる別の音を、微かに耳が拾った。
崖っぷちの向こう側からだ。
その音に僅かな期待をこめて逡巡を押し込め、手綱を強く引き絞る。イチかバチかでも構わない。賭ける時に賭けなきゃ男が廃る。
短い助走距離を目一杯加速して駆け抜ける。
崖の先から飛び出していくユーシスの後を追って、高く、出来るだけ高く遠くへと馬を飛び上がらせた。
地面が視界から失せ、得も言えぬ浮遊感に包まれる。
「っせりゃぁぁぁあああああああっ!」
腹の底から大声を張り上げて恐怖を振り払う。
切り立った岩壁は思いの他高さがあった。
……。
……。
やべっ。
刹那の後悔が頭を過る。
勢いに任せて、少し考え足らずだったかと身の愚かさが思考と肝っ玉を冷やしはじめた時、先程聞こえた音が間近に大音量で轟いた。
大量の水が流れ落ちる瀑布の音。
岩壁の中腹からあふれでる大量の地下水が滝となり、眼下に広がる大きめの滝壺へと注がれていた。
「っしゃぁぁあああああっ!」
気を取り直して空中で手を伸ばし、それでも届かなかったので更に鞍に足をかけ、空中に浮かぶユーシスに向かって飛び付いた。
その腰元を両腕でしっかりと抱え込む。
ユーシスの身体へと取り付いたその瞬間、その身体を覆っていた風の力が霧散し、飛び付いた勢いのまま、滝壺の中へとまっ逆さまに飛び込んでいく。
ザパーッと初冬の凍えるような冷たさの水面が水柱を上げ、崖上から飛び込んできたおっさん二人をその冷やかな懐奥深くへと飲み込んだ。
手足が、耳が、露出している肌が痛い程に悴む冷たい水の中を、飛び込んだ勢いがなくなるまで深く、深く沈み込んでいく。
口の中一杯に空気を溜め込みながらユーシスをしっかりと抱え込み、凍える手足をバタつかせながら必死に光る水面を目指して泳ぎ進める。
今来てる鎧が蝋塗りの革鎧で助かった。
騎馬による斥候を目的としてい為、動き易さを重視していた事が功を奏したらしい。これなら比較的水の中でも動きやすくいられる。
「っぶはぁぁあああーっ!」
冷たい水面から勢い良く顔を出し、新鮮な空気を目一杯吸い込む。
「ユーシスっ、……くそっ」
抱き抱えて浮かび上がったユーシスは、呼吸が止まっていた。だが、冷たい水の中にあっても身体はまだ温もりを失ってはいない。飛び込んだ衝撃で呼吸が一時的に止まったか。
水に肺を侵されなかったのは幸いだったのかもしれないが、これで一層余裕が無くなったという事でもある。
「待ってろっ! すぐに……っ、なっ!?」
水際へ向かって泳ぎだそうとした時、周りの水が明らかに意思を持って集い、抱き抱えたユーシスごと二人分の身体を包み込んだ。
集った水はそのまま流れを作り、泳ぐ間もなく岸の方へと身体を速やかに押し流してくれていた。
「こりゃ、……一体」
ふと、ユーシスが風を纏って飛び続けていた光景を思い浮かべる。あれも確かに、風が集ってユーシスの身体を運んでいるようにも見えていた。風の次は、……水?
不思議な力に化かされたかのように唖然としてる内に、滝壺の水際まで届けられてしまっていた。
「っそぅりゃあっ!」
水を含んで重くなった身体を水から起こし、勢いと気合いを込めてユーシスの身体を岩の上へと引摺り上げる。
「はぁ、はぁ、はぁ、とんだ災難だ。ったく」
見る間にも顔色を土気色に変えていくユーシスの頬を叩いて反応を見るが、目を覚ます気配がない。
さすがに、このままじゃヤバいか。
軽く舌打ちをして腰元のポーチのロックを外し、中から硝子の小瓶を取り出す。ほんの少し躊躇いもするが、背に腹は代えられない。勢い良く封を破ってコルクの栓を開け、呼吸が止まったままのユーシスの口の中へソイツを流し込む。
「秘蔵のエクストラポーションだ。……後でぜってぇこの分の金は払わせるからな」
これ一本で何日酒場で綺麗処と飲める事か。
事が無事に済んだら必ずその分の金に色をつけて返させる事を心に強く誓い、涙を堪えて飲ませてやる。
嚥下した感覚が伝わり、一息の間にも、顔色に赤みが増していくのが分かった。
ユーシスは深く、穏やかな呼吸を取り戻す。
「しぶとくて良かったな。……これで助かる」
古い友人が息を吹き替えした事に一抹の安堵を覚え、むさ苦しい顔を憎々しく眺めながら息をつく。
その、次の瞬間だった。
おぞましい程に不快な殺気に抉られて身体が強張り、振り向く間もなく、背後で大音量を上げて水柱が立ち上った。
水滴が豪雨のように降り注ぐ中、警戒を最大に高めながら後ろを振り向く。
その嵐の海のように荒々しく水面が暴れ狂う滝壺の中心に、まるで何事でも無いかのように水面に立つ人影があった。
水飛沫が陽光を細かく散らしながら反す中、金色の豊かな髪が揺らいでいるのが印象的だった。
神殿騎士の鎧に身を包んだ端正な顔立ちの金髪の青年。その外見的特徴だけで言うのであれば、いっそどこかの絵物語から抜け出ててきた英雄のようでもある。
その表情が醜悪に歪んでさえいなければ、だが。
感じる威圧が普通じゃない。
それが何よりも、ソイツが、見た目通りの存在では無い事を物語っていた。
「まだ息があるのか。中々しぶといではないか」
警戒を強める中でソイツがゆっくりと口を開いた。
その声の響きが落ち着きのある優しげなものであった事があまりにもチグハグ過ぎて、得体の知れない気持ち悪さを伝える。
「……貴様は、何者だ。何故コイツを襲う」
低く、唸るようにしか出せなかった返答に対して、醜悪な表情に愉悦が浮かび上がった。そのいやらしい笑みに不快感が募る。
「それを聞いてどうする? どうにもできまい」
ソイツの右手が手の平を広げて、ゆっくりと前に差し出されていく。
ただ手を前に差し出す。それだけの動作であるハズにも関わらず、尋常じゃない程の魔力が練り上げられ、密度を深めて高まっていくのがありありと感じ取れた。
直感が、疑問を答えに導く。
コイツだ。
コイツこそが、得体の知れない何かなのだと。
得体の知れない、破壊の正体なのだと。
身構えようとするよりも早く、広げられた手の平が何かをもぎ取るようにして一気に握り締められる。
そして視界の全てを赤黒い火柱が、覆い尽くした。
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