♯166 醜さと美しさ



 イワナガ様がフードを脱いだ。


 今までどんな体勢でも、どんな状況にあってもめくれる事が無かったフードを、いとも簡単に、ハラリと。


 すでに身体の一部かと思ってた。

 普通に考えたら、そんな訳もないやね。

 フードはあくまでフードでしかなかった。


 肩口から長い黒髪が流れる。

 そこには、人では無い容姿が晒されていた。


 どこか猫科の動物のようだと思った。

 でも違う。……違うようにも思う。


 獣の顔。


 ……でも、どの獣にも見覚えがない。

 獣人というには人に近く、人であるというには獣人に近い。どちらにも近くて、どちらとも違う。


 顔を含めた頭全体が首まで、闇色の艶やかな短い毛に覆われている。その中でも頭の後ろの方の毛足がタテガミのように長くなっていて、それが長い黒髪を流しているようにも見えていた。


 人の耳があるハズの場所には、ウサギのように広く長いものが左右に伏せて飛び出ているのが分かる。


 凛とした中にも優しさを感じる鳶色の瞳は、瞳孔が縦に細長い。湿った鼻先といい、目元鼻元だけであれば、まるで黒猫のようでもある。


 どこか違和感を感じるのはその口元。

 動物的なそれではなく、人の口のように唇があり、鼻先から飛び出ているようなヒゲも見当たらない。


 獣のようでいて、獣では無い。

 人のようでいて、人でも無い。


 どこか入り雑じった感覚を覚える。


「醜かろう。私の顔は、人のそれとは程遠い」


 凛としていた表情に、自嘲の笑みが浮かぶ。


「お前は簡単に私を受け入れると言う。……だが、このようにおぞましき姿をした私を、受け入れられるハズもなかろう。出来ぬ事は……」


「いえ。全然問題ありませんけど?」


 とりあえず否定を返しておく。


 さもそれが当然であるかのように、私がドン引きするみたいに言うけど、……ごめんなさい。今一つピンと来ない。


 おぞましき醜さ?


 ……どこが?


 確かに人の容姿とは違ってるけど、だからと言って特に、おぞましくも無いし、醜いとも思えない。

 むしろ闇色の毛並みと鳶色の瞳が綺麗だなと、つい、見惚れてしまいそうになった位なのだから。


「問題無いだと? ありえんだろ」


「いえ、大丈夫ですよ?」


「そんな訳がなかろうっ、この顔だぞ? さぞおぞましかろうっ、醜かろうっ! こんな私をその身に受け入れるのだぞ? 問題が無い訳が無いっ!」


「ありませんってば。全く全然、これっぽっちも」


 語尾を強めて、自らの容姿の醜さを主張するイワナガ様。何か、怒ってるようにも見える。


「むしろ逆に、綺麗だなぁとしか」


 神話の中において、醜い事が何よりのアイデンティティであるかのように語られるイワナガ様の容姿は、全くもって、醜くも何とも無いものだった。


 いや、まぁ……。

 確かに人の姿では無いけどさ……。


 それを醜いって表現するのはどうなんだろうと、正直、その価値観には納得しかねるものがある。


「お前は……。目が腐っておるのか?」


 ……失礼な。


「さもなくば美的センスが壊れておる」


「腐ってませんしっ、壊れてませんっ! 普通に私の側に転換しないで下さい」


 いやいやいやいや。


 ちょいと待って。


 思った反応と違うものを返した事で呆気に取られたのか、失礼千万な事をぬかすイワナガ様に待ったをかける。


 これ、コノハナサクヤが好き勝手ほざいてた時にもチラッと思ったけど、もしかしてもしかすると神様達の美的感覚って、……そういう事なのかもしれない。


「多分、なんですけど。確か神話の中で、人は古き神々に似せて創られたって、……そう言われてますよね?」


「その通りだ。人の姿は神々の姿を模して創られておる。……今更、それがどうかしたのか?」


 ……。


 ……。


 そういう事か。

 ちょっと、納得してしまった。


「神様の美的感覚ってもしかして、自分達に似てるかどうかでしか見てないんじゃないんですか?」


「当然であろう。それが美しさと言うものなのだから」


 当然じゃないってば、そんなの。


「……どんだけ自分大好き精神の塊なんですか」


 何だかどっと気が抜けてしまう。


 なんだそりゃ。

 なんなんじゃ、そりゃ。


 一つ大きく息を吐いて、かぶりを振る。


「それは、……どういう意味だ?」


 どういうも何も、そういう意味です。


 顔を上げて、訝しげに眉根をひそめるイワナガ様に、正面から向かい合う。


 これは多分、きっぱりはっきりと言わないと駄目なような気がする。間違った価値観を正面からどかっと否定しないといけないような、そんな気がしてきた。


「私は、野に咲く花を綺麗だと思います。夕焼けに染まる雲も、空の色も山々も、美しいと感じます」


 人の美醜は確かにあるのかもしれない。

 造形やバランスの良さとか、好みとか。


「山野を駆ける獣達にも凛とした美しさを感じますし、齢を重ねたご老人の歳月の深みを、美しいと感じます」


 けれどそれが一体何だと言うのか。


 そこにあるだけで感じる美しさ。

 生命の持つ美しさが、それで損なわれる訳ではない。


 少なくとも、私はそう思う。


「整然と区画が整えられた石造りの街並を美しいと思えば、生きる為に必死で集まった混沌とした街並もまた、美しいと思います。……美しさって、そういう事なんじゃないんですか?」


 少なくとも私とマオリは、そう思ってる。


「神様達と似てるから美しい、そうじゃなきゃ醜いなんて、いっそ馬鹿げてます。イワナガ様は綺麗です。凛とした美しさがあります。自分が醜いなんて卑下はしなくても良いと思います」


「……馬鹿げておると」


「イワナガ様は決して、おぞましくもなければ醜くくもありません」


 きっぱりはっきり言い切ってやる。

 そんな下らない価値観なんて、知ったこっちゃない。


 好み好き好きは確かに人それぞれかもしれない。けどそれをただ一つの価値観として、そうでないものを卑下するのであればそんなもの、私は知ったこっちゃない。


 どうでもいいさね、そんな美醜。


 イワナガ様に戸惑いが生まれる。

 驚き、戸惑い、何かを考え込むかのように、表情を緩めた。


「……同じ事を以前にも一度、言われた事がある」


 懐かしむように、けれどどこか寂しげにポツリと、イワナガ様が呟いた。


「物好きなヤツだと、あの時は心半分で聞き流したのだがな……。まさか再び、私に面と向かって同じ事を言ってのける者がいようとは。……不思議なものだ」


 鳶色の瞳に慈しみの色が重なる。

 深く澄んだ、優しい蜂蜜のような色が重なる。


「アイツは、……アスラはお前のように言葉を並べるような事はせなんだがな。ぶっきらぼうにそう、お前と同じ事を私に向かって言い放ちおった」


 アスラ……。


 戦神アスラの事だろうか?

 神話の時代の思い出かな?


 もしそうなら、戦神アスラも分かってんじゃん。

 さすが姉妹神に味方しただけの事は……。


 ……。


 ……。


 あれ?


 戦神アスラって確か、、古き神々を裏切ったんじゃなかったっけ?


 ……。


 ……。


 あれ?





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