♯167 駆け抜ける銀星
「戦神アスラって、
思った事がするりと出てしまった。
だって、そうとしか思えないもの。
古き神々の一柱でありながら、光の女神に惚れて、姉妹神の味方にまわった戦神アスラ。
そこだけ見れば確かに、想いに一途な神様なんだとも思える。けど、姉神であるイワナガ様にまでそんな浮わついた事を言ってる辺り、……実際はどうなんだか。
戦神アスラ。
……マオリにも、その血が流れてるのかと思うと、ちょっと複雑な気分にもなる。
「お前も大概、不遜だな……」
イワナガ様も、微妙な表情をしてる。
戦神はともかく、マオリの浮気は許さないよ?
「だって戦神アスラって、コノハナサクヤに惚れてたんですよね。……他に好きな人がいるのに、そんな事を言う男の人なんて、どうかと思います」
神様同士だとまた違うのかもしれないけど。
少なくとも私は、そういうのはあんまり好きじゃない。
「……アスラは、アレに惚れてなどはいなかった」
一人で勝手に憤慨する私をよそに、イワナガ様がポソリと小さく呟いた。
「それこそがアレを、あそこまで狂わせてしまった要因だったのかもしれん」
「……はい?」
何か今、イワナガ様がとんでもない事を呟いた気がする。
……って言うか、……はい?
アレって、アレの事だよね?
戦神アスラは、アレには惚れてなかった?
……。
……。
マジで?
って、それじゃあ、何で……。
見返すイワナガ様の表情には、どこか寂しげな色が浮かんでいた。
「神である我らは死なぬ。……忘れぬ。だがそれは、我らを酷く苦しめもする」
肉体を失ったとしても、死ぬ事の無い存在。
在り続ける事を強要される、……神。
「時として我らは脆い。……ほんの些細な事でも、容易く狂ってしまう程にな」
それは、……誰の事なのか。
悔恨の情を深める瞳には、何が映っているのか。
イワナガ様はややうつむきながら、小さく息をついた。気持ちを切り替えようとしているのか、瞳を閉じて少しの間考え込んだ後、ゆっくりと、顔を上げる。
そこに感じる、目を逸らせないような気迫。
鳶色の瞳に凛とした意思が宿る。
「今更、何が出来るとも分からぬ。むしろ何も出来ぬやもしれん。……それでもお前には私が、まだ必要なのだな」
静かに語る言葉に、確かな覚悟を感じた。
「はい。必要です」
「……ならば行こう。お前の望むままに」
「お願いします」
優しく細められた瞳にはもう、憂いの色は見えなくなっていた。
思いが、重なる。
願いが、一つの形を受け入れる。
イワナガ様の意識が身体の奥を染めていく。
自分とは違う存在を、自身の中に感じる。
それはとても不思議な感覚だった。不思議で、ふわりとしていて朧気で、あやふやな感覚。けれどもそれはどこか、遠い日の安らぎに満ち足りていた。
遺跡の入口へ戻り、外に出る。
破壊されて崩れてしまっていた遺跡の入口は、まるで何事も無かったかのように元通りになっていた。
イワナガ様曰く、女神が一つ処に居続けると、そこはゆっくりと迷宮化が進むのだそうだ。なのでカグツチの封印のあったこの遺跡はすでに、ほとんど迷宮化してしまっているらしい。
迷宮は例え破壊されたとしても、すぐに自己再生して、元通りに戻ってしまうのだとか。
……言われてみれば魔王城の地下迷宮も、あれだけ崩れたのに元通りになっていた気がする。
知らんかった。
何か色々、……凄いんだね。
遺跡を後にして、絶壁に囲まれた周りをポカーンと仰ぎ見る。
そういやそうだった。
谷底の奥底だったね、……ここ。
ここから這い上がる為の場所を探しに来て、それでこの遺跡の入口に辿り着いたんだった。結局、這い上がれるような場所はなかったけど。
……。
……。
さて、どうしようか。
何だか、
多分これ、気の所為じゃない。
確実に、ふりだしに戻ってる。
ふと、遠くから何かが近づいて来るのが分かった。
銀色の馬体が、空から目の前に降り立つ。
「ぶるっひひーんっ!」
「バサシバジルっ!?」
すぐさま駆け寄り、首元に飛びかかるようにして抱きついた。しなやかな筋肉の弾力とぬくもりが、心地良い。
待っていてくれたんだ。
本っ気でありがたいっ!
ちょっと嬉しかったのでいつもよりも長めに、鼻頭と顎の下を優しくなでなでしておく。
(スヴァジルファリとは、……珍しい)
イワナガ様の声が、頭の中で聞こえる。
「私の可愛い愛馬の、バサシバジルですっ!」
「ふっふーっ! るるるるるーっ」
「ありがとね、待っていてくれたんだね。でかしたっ! 偉いっ!」
「ぶるっふーっ、ふふふーっ!」
(……よくなついておるようだな)
颯爽と銀色の馬体の上に跨がり、手綱を引っ張る。手綱から返ってくる反応に、ありあまった元気と喜びが伝わってきた。
自力で何とかするとは言ったものの、特に何か考えがあった訳でもない。だからこそ、バサシバジルが待っていてくれたのは地味にありがたい。
バサシバジルさえいれば何とか森を抜けて、魔王城まで戻る算段をつける事が出来る。
……。
……。
出来るんだろうけど、何だろう。
何か忘れてるような気もする。……何だっけ。
(最初に会った時もすぐ側にいたのは知っていたが、まさかここまで手懐けていようとは)
イワナガ様の言葉に感嘆の念が籠る。
感情が、ダイレクトに伝わってくる。
同じ身体の中にいて、言葉が直接頭の中に聞こえてくる所為なんだろうか。……これはこれで、意志の疎通がしやすくていいかもしんない。
なんたって、優しいひねくれ者だもんね。
イワナガ様は。
(本当に、……何者なのだろうな、お前は)
「どうしたんですか、藪から棒に」
愉快そうな気持ちが伝わってきて、何だかこっちまで楽しい気分になってくる。
今は顔は見えないけど、アレだね、きっと目を細めて優しげな表情をしているのだと、分かる。
多分きっと、そうなのだと感じる。
(銀色の神馬に跨がり、救いを求める者には構わず手を差しのべ、希望を繋ぐ。思いや願いを紡いでいく。……そういう者を普通は、勇者か英雄と呼ぶのであろう)
「大袈裟に過ぎます……。なんですかそれは」
いきなり何を言い出すかと思えば……。
随分とまた、突拍子も無い事を。
……勇者だ英雄だ?
そもそもそんなん、柄じゃない。
(自覚は無いのか? それともやはり聖女として……)
「止めて下さい。そんなんじゃないです」
英雄だなんてとんでもない。
勇者様や聖女様なら、他にちゃんといる。
私は私であって、他の何者でもありはしない。
何者かになった覚えもない。
「私は……」
私は多分……。
敢えて言うなら。ただ一人、マオリの……。
「魔王の嫁、……です」
……になる
けどそれが、自分で選んだ自分の道だから。
それが多分、一番しっくりくるのかもしれない。
(ふふっ、ふははっ、ふははははははっ)
「……笑い過ぎです」
(すまぬ。つい、な。……そうか、魔王の嫁か。そうだな、確かにそうだ。その通りだ)
嫌な感じでは無い。
イワナガ様は本当に愉快そうに、何度も繰り返しそう呟いた。それはとても楽しげで、どこかこそばゆくもなる。
愉快そうに納得するイワナガ様を感じながら、バサシバジルの手綱を握る。
銀色の馬体が、走り出す。
マオリの背中を追いかける為に。
交わした約束を守る為に。
一条の銀星となって、駆け抜ける。
……。
……。
いや、ちょっと待って。
駆け抜ける?
バサシバジルは得意気に私を背に乗せて、高く、空高くへと一足飛びで空中を駆け出した。
いや、待って。
なんで、バサシバジルが空を……。
大空のど真ん中で響き渡った珍妙奇天烈な悲鳴は、誰の元にも、届く事は無かった。
──第四章「最奥の賢者」終
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