♯155 許し得ぬ行為
力の余波がひび割れた空間に吹き乱れる。
ハラハラと舞う、実体の無い薄紅色の花びら。
胸焼けのする程に甘ったるい匂いがするのは、この花びらだ。
本人から香る匂いが一番強いけど、同じような匂いが、この花びらからも香っている。
ここに来てようやく実感する。
今目の前にいるのは、人では無いのだと。
目の前で人の姿を取っているのだけが本体じゃ無い。この周りで舞い踊る花びらもまた、その一部なのだと。
意識を向ければ、その実体の無い花びら一枚でさえも、途方も無い程に凝縮された力の塊なのだと分かる。
仮初めの姿なのだと。
目の前にいるのは仮初めの姿に過ぎない。
本当のコイツは、途方も無い程の力の塊なのだと。
人にあらざる力、そのもの。
向けられる圧力に抗うだけで、相当に厳しい。
その圧力が更に力を増していく。
薄紅色の髪をたおやかに揺らして微笑む、儚げな美しさをもった、美貌のバケモノ。
これが光の女神、……コノハナサクヤ。
こんなヤツに好き勝手されて、一体どれだけの人が傷ついたのか。それを思うと、悔しさが込み上げてくる。
すーっと、コノハナサクヤが目を細めた。
「言い付けを破って魔族と仲良くしようだなんて。……それでも、あの程度のおしおきで許してあげてもよかったのに」
「何の話をっ……」
言い方に何だか違和感を感じる。
わざとらしく悲しむ振りをする、その様子を訝しむ。
私の事を言ってるんじゃ……、ない?
なら、誰の事を……。
「なのにそれを拒むのだもの。ちゃんとしっかりやらないと駄目なのかしら。……本当に、愚かな者達だこと」
「だからっ、何をっ……」
まどろっこしさに苛立つ私に、じっとりと責めるような視線が向けられる。その視線の意味を一瞬量りかね、ふと思い当たる事柄に行き着く。
あってはならないが故に、すぐには思い至らず、一瞬、その意味が分からなかった。
「嘘……、でしょ……」
意味の無い問い掛けは、無言の肯定で返される。
その肯定に、頭を重たい鈍器で乱暴に殴られたかのような感覚を覚えた。
……ありえない。
あってはならない、……事だ。
誰もが必死に戦っていた。
救い上げようとした指の間から、零れ落ちる命。
懸命に食らい付いた二ヶ月。
皆で一丸となって勝ち得た希望の光。
それが……。
それが誰かの意思によって、無理矢理背負わされた惨劇だったなんて、あってはならない事のハズだ。
「土地守まで邪魔をするだなんて。あんな醜いモノ、ずっと忘れたままで良かったものを」
「……何で、何でそんな事を」
声が震えてしまっていた。
救えなかった命の面影が甦る。
忘れもしない16人の命の姿。
……。
……。
……トルテ。
「アリステアは潰すわ。……もう邪魔だもの」
つまらなさそうに言い捨てるコノハナサクヤに顔を上げ、力をこめて睨み付ける。
「ふざっけるなぁああっ!」
ありったけの怒りをこめて魔力をぶつける。
それは魔法なんて上等なものではなかった。
込み上げる怒りのままに、ただありったけの魔力を込めて、感情を相手にぶつける。……ただそれだけの行為。
……許せない。
コイツだけはっ、
全身全霊の思いを込めた魔力が、薄紅色の花びらの渦と激しくぶつかり合う。
力の余波がひび割れた空間内で暴れ狂う。
「させないっ! そんな事、絶対にさせないっ!」
「ふふっ。そんなに怒りに顔を歪ませて。……可愛らしい事」
荒れ狂う力の奔流の中にあって、コノハナサクヤはふわりと微笑むばかり。
……届かない。
どれだけ思いを込めても、このバケモノには欠片も届かない。
生まれて初めて、こんなにも誰かをただひたすらに憎く思うっ。
憎悪に意識が染められていく。
押し戻されても構わない。
届かなくたっていい。
沸き上がる魔力に思いをのせて、ぶつけ続ける。
弾き返された力が濁流のように暴れ、空間内のひび割れを激しく振動させる。
パキンッと乾いた音を響かせて、空間がまるでタイルのようにはがれ落ちていく。
はがれ落ちた向こう側に闇が広がる中で、私はただ、コノハナサクヤを睨み付け続けていた。
「ふふっ。私の器に相応しいだけの事はあるわ」
「うるさいっ! 言うなぁああっ!」
「好きになさい。結局は、同じ事なのだから」
「そんなのっ! 絶対させないっ!」
「ふふっ。慌てないで。ここに来た目的はもう済んでるの。貴女とは後でゆっくり遊んであげる。……アリステアを潰した、その後にね」
コノハナサクヤの姿が、花びらの渦の奥へと消えていく。
歪んだ凶貌が薄紅色の闇に紛れ、沈んでいく。
「待ちなさいっ! 行くなぁああっ!」
……遠い。
伸ばした指先が届かない。
思いも声も、感情でさえも届かない。
大量の花びらの渦巻く中へと姿を消し、現れた時と同様に力の余波だけを残し、残った花びら達だけが四散する。
ぶつけた怒りは、空間を蝕む闇の中へと吸い込まれていく。
コノハナサクヤは消えた。
深い、……闇の中へ。
「っああぁぁぁああああああああーっ!」
憤りで、気が狂いそうだった。
腹の底から雄叫びを上げ、苛立ちをぶつける。
「……はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
わなわなと震える両手を内側に抱え込み、踞る。
……させない。
あんなヤツの思い通りになんて、絶対にさせないっ!
穏やかにはにかみながら、静かにその生を終えた一人の少年の顔が、頭から離れない。
最期を看取った、あの瞬間の思いが甦る。
……トルテっ。
「あんな……っ、あんなヤツの所為でっ!」
ドサッと倒れ込む音を背中に聞いて、弾けたように振り返る。
「……イワナガ様っ!?」
慌てて倒れ伏すイワナガ様に駆け寄り、遠慮に躊躇する事もなく、身体を抱え起こす。
力なく起き上がろうとする身体はとても細く、容易く折れてしまいそうな程に軽く感じられた。
微かな抵抗を受けたけど、ごめんなさい、今はとても配慮に気を回す余裕がない。
「……少し力を使い過ぎただけだ。アレの言う通り、以前程の力は失ったが、対抗しない訳にはいかぬのでな」
「イワナガ様が、……闇の女神だったんですね」
「……失望させてしまったな。お前達に力を貸そうにも、もうそれ程の力など残ってもおらぬのだ。……すまん」
よろつきながらも支えを拒み、立ち上がる。
それでもやっぱり捲れない鉄壁のフードが、その意思とプライドの高さを象徴しているようにも思えた。
「急がねばならん。封印の解けたカグツチはあの娘を取り込み、制御も効かぬままに暴れ始めるだろう」
「……封印が解けたって、なんで」
「この空間そのものが封印になっていたのだ。アレに真っ先に割られてしまったがな。このままでは地上にいるアスラの子らが危ない」
……アスラの子。魔王様達っ!?
遺跡に入る直前の事を思い返す。
赤い魔法陣から、次々と沸いて出てきた異様な光景。
あれは、空間を飛べるんだ。
だったら直に、地上へ出る事も出来る?
地上には魔王様やリーンシェイド達が……っ。
「どうすればっ!?」
「今すぐにでも元の場所にお前を送る。カグツチは取り込んだ生体核の情念を糧に、炎灼の大禍を形造る。その片鱗はお前も森の中で散々に見たであろう」
炎の蛇。森の異物。
封印が効いている状態でも相当厄介だったのに。
もしあれが、本来の姿を取り戻したのだとしたら、一体どんな事に……。
「この奥にある本体をどうにかせねば、あれはどうにもならん。カグツチの本体を、止めるのだ」
「なら、今すぐにでもっ……」
焦る気持ちのままに詰め寄る私をそっと、イワナガ様が押し止める。
何をっと思った瞬間、柔らかな暖かみに全身が覆われたような感覚を覚えた。
「……これは?」
見ればほのかに、発光してるようにも見える。
「試しを済ませたのであればその証しに、報いを与えねばならん。……そう大したものでは無いがな。形を成す為の加護を与えておく」
「……えっと、ここまで来た事のお駄賃、ですか?」
なんだか子供の頃のおつかいを彷彿させる。
……同じようなもんか。
なんだかイワナガ様って、どこかお母さんっぽい。
そう思って顔を上げると、イワナガ様は少し呆れた様子で、困ったようにこちらを見ていた。
「……身も蓋もない言い方をするでない。曲がりなりにも女神の加護だ。子供の駄賃とは違う」
……怒られてしまった。
ごめんなさい。
「でも、形を成す為のって、どういう事ですか?」
「もう一人、お前の力に成りたそうにしている者がおったのでな。いらぬ世話かもしれぬが、後はお前次第だ」
「……ごめんなさい。よく意味がっ、うおっ!?」
それはどういう事なのかと聞き直そうとして、突然、周りが真っ暗になる。
まるで何かに引っ張り上げられているかのように、身体がどこかへと運ばれていく。
「頼るようですまぬ。命無きものには、直接手を出す事が叶わぬのだ」
「……イワナガ様?」
遠ざかる闇に紛れて、イワナガ様の声が霞みがかって耳に届く。
「……カグツチをどうか、頼む」
その声が、本当に申し訳なさそうで、ついほっこりとしてしまうのは……、多分それが私の性分だからかもしれない。
あんなに偉そうにしてたのに。
上から目線で、嫌なヤツだとしか思わなかったのに。
ぶっきら棒で、もったいぶった言い方ばかり。
なのにそんなに、申し訳なさそうに。
素直じゃないんだなぁと思う。
どこか魔王様と通じる所があるんじゃないだろうか。
「はいっ!」
出来るかどうかはやってみないと分からないけど。
遠ざかる闇の中で私は、力強く答えを返した。
どこか素直じゃない、優しい方の女神に向かって。
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