♯149 闘神闘気(魔王の憂鬱17)



「……ままならんな」


 薄ぼんやりとした洞窟の中に呆れ声が響く。

 闇色の大げさなロングローブを捻らせながら、賢者がそう、恨めしそうに呟いた。


「一体いつになったら、お前はそこから動けるようになるのだ?」


「……俺が知るか」


 短く言い捨ててやると、賢者は困ったように頭を振って腰に手を当て直した。ついでに大袈裟なため息をつく所が何とも憎らしい。


 こっちだって好きでやってる訳じゃねぇよ。


「まさか一週間、ここまで何も変わらんとは……」


「……なっ!?」


 賢者の言葉に素で驚く。


 ……一週間っ!?


 そんなに時間が経ってたのか!?


 何かだいぶ時間が経っているとは薄々感じてはいたが、……一週間。


 ……という事は何か?

 俺は一週間も同じポーズのまま寝る事も無く、こうしてここで突っ立ってるのか?


 ……。


 ……。


 ……マジでか。


「少し想定外だったな、これは。力押しで何とかなるものでも無い、もう少し頭を使ったらどうだ」


 ……。


 何かコイツも、最初に会った時に比べると印象がだいぶ変わったように思う。


 最初は、とんでもなく性格の悪いやな奴だとしか思わなかったが、考えてみたらその一週間の間コイツ、全く動けないままの俺に律儀に付き合ってたって事か。


 偉そうな所は変わらんが、何というか……。


「……いでっ!? いででででっ!?」


 って、痛い痛い痛いっ!?


 な、何だコイツっ、いきなり鼻の頭をつねってきやがった。何しやがるっ。


「今、『暇なヤツだな』とか思っておらなんだか?」


 ……。


 ……。


 何故バレる。


 沈黙を返事にしたまま目を逸らすと、ふんっと一息ついて、賢者はつまんだ指先を引っ込めた。


「……ったく、童かお前は。性格が少しひねくれ過ぎでは無いのか」


 お前もな。


 ……目線だけで反論したら睨まれた。


 ついっと、再び目を逸らして誤魔化す。

 だから、何故バレる。


 誤魔化しきれなかったのか、賢者の視線が外れなかった。目深に被ったフードの奥から、何だかまっすぐに見られてるような気がする。


 横目でちらっと様子を伺うと、まとう雰囲気をガラリとかえ、こっちをじぃーっと、まっすぐに見つめているようにも思えた。


「……お前は、聞かぬのだな」


「何をだよ」


「セルアザムが悪魔王と呼ばれていた時の事をだ。知らなかったのだろう? 何故、聞かぬ」


 心底不思議に思ってるのか、問いかける声音がひどく低いものになっている。


 悪魔王。


 セルアザムが初代魔王だったって事についてか。

 そりゃまぁ、……驚きはしたけどな。


 この目の前の賢者も、いけ好かないヤツではあるが、わざわざそんなしょーもない嘘をついて喜ぶようなヤツにも見えないし。……まぁ、本当の事なんだろうなとは思うが。


 何故と言われてもな……。


「俺は、セルアザムを信じてるからな」


「……ほぉ? 隠し事をされていたのに、か?」


 揶揄を込めて聞き返してきやがった。

 本当、性格ひねくれてんのはどっちなんだか。


「関係ねぇな。俺には親の記憶がほとんど無い。俺を育ててくれたのは、他ならないセルアザムだ。……今も一番近い所で、俺を支え続けていてくれている」


 実の親で無いからこそ、感謝の念も一際大きい。

 他の誰よりも、大きな恩を感じている。


 だからこそ……。


「そのセルアザムが俺に何も言わないのなら、それは、俺が知るべき事では無いんだろうさ。だったら何も聞く事はねぇよ。ただそれだけの事だ」


「……不安や不信は無いと?」


「ねぇな。伊達に義理の親子やってねぇよ。元々血の繋りも何もねぇんだ。そんな事で一々疑ってたら、とっくにどっかで破綻してるだろ」


 本当はある。無いハズねぇだろ。

 けどそんなもん、大した問題じゃ無い。


 多少の不安や不信があったとしても、それ以上に相手を信用出来るのであれば、わざわざ口にする程の事じゃないってだけだ。


「何も考えて無いだけとも言えるが……」


「うるせぇ、ほっとけ」


「ただまぁ、器の大きさと取る事も出来るな。どちらかと言えばその馬鹿さ加減は好ましい」


 何が嬉しいのか、賢者の声が微かな笑みを含む。


 とりあえず、馬鹿言うな。


「本来であればあの器の娘のように、自身で気付くのが一番良いのだがな。もうあまり時間も無い。……何より、お前の事が少し気に入った」


「そりゃどうも。俺はお前が気に入らんけどな」


「ふっ。勇ましい限りだが……」


 皮肉を込めた返事を鼻で笑いやがった。

 ……本当、気に食わねぇ。コイツ。


「まずその単純な頭で考えてみよ。この一週間、お前は何一つ飲まず食わずでいるのだ。……にも関わらず、飢えや渇きを覚えぬであろう?」


「……ないな。そう言えば、何でだ?」


 ……あれ?


 確かに、一週間位であれば飲まず食わずでも死ぬ事は無い。人族と違い、俺達の身体はそういう面においての耐久性は高い。


 ……だが、死ぬ事は無くても腹は減る。


 ……。


 ……。


 そう言えば、まったく腹が減ってない。


「便意も無かろう?」


「すました口調でクソしたいかどうか聞いてんじゃねぇ。……確かにねぇけど」


「眠気も感じないのでは無いか?」


「……ないな」


「おかしいとは思わんのか? それを」


 ……。


 ……。


 ……あれ?


 何でだ? 何で腹も減らなきゃ眠くもならないんだ?


 ……あれ?


「……今初めて気付いたという顔だな、それは」


 ……。


 心底呆れている感じに、返答がしずらい。

 正直、動けない事に苛立つまま、他に何も考えてなかった。……忌々しい事に。


 一呼吸置き、賢者が側から離れて岩壁の際へと進む。

 岩壁には、ぼんやりと光るコケやキノコがまばらに生えてはいるが、賢者は足下にある赤い花の元でしゃがみこんだ。


 赤いユリのような花だが、知っているユリに比べると幾分大きいようにも見える。


 賢者はその赤いユリのような花に触れ、優しく愛しそうに花弁を撫でた。


「この花はユリの原種でイナエリアと言う。現実の世界ではすでに絶えて久しい花だ」


「……そこに生えてんじゃねーか」


「世界の記憶がこの花に、在りし日の姿を与えているに過ぎん。世界の記憶からこの花が消えてしまえば、この仮初めの姿もまた、ここから消えてしまうだろう」


「……どういう、事だ?」


 その赤い花から、名残りを惜しむように指先を離して、賢者はゆっくりと立ち上がった。


「ここは間の空間。肉体はその意味を失い、魂が仮初めの姿を保つ場所。精神世界と物質世界の境界。この世の最奥の地」


 振り返りながらまっすぐにこちらを見る。

 視線に圧力を感じるというのはこういう事だろうか。賢者のまとう雰囲気が重くなったような気がした。


 音も無く近づいてくる様子をただじっと、見つめる。


「今のお前は、身体から切り離された魂だけの状態にある。四肢を動かそうとも動かす身体はそこには無い。……故に、動く事が出来ぬのだ」


 ……何だ、そりゃ。


 魂だけの存在?

 身体から切り離された?


「……いつの間にそんな」


「最初からだな。ここでは幻魔のように自ら魂と身体を切り離す事に慣れた者か、己を強く固持している者のみが、自由に動く事が出来る。……まぁ、初見でそれを見抜いたあの器の娘は出来すぎではあるが、これだけここにいても全く気付かないお前も、逆の意味で突き抜けてはいるな」


 ……うるせぇ。


 魂と身体が切り離された空間。

 精神と肉体との間の世界。


「……俺の身体は今どうなってる?」


「仮死状態になってるだけだ。案ずるな。セルアザム達がしっかりと面倒をみておる」


「……力まかせに振りほどこうにも、そもそもその身体と切り離されてるんなら動くハズもねぇってか」


 思考を切り替えてみる。

 身体を動かすんじゃない。

 魂を動かす。


 ……。


 ……。


 魂を動かすって何だ?


 さっぱり意味が分からねぇ。


「自身の中にある魔力に集中し、その中に意識を委ねてみろ」


「意識を、委ねる……」


 自分の中にある魔力に意識を向ける。

 セルアザムから教わった基本中の基本だ。


 気を静め、内から沸き上がる力を感じとる。


 その中に意識を委ね……。


「……あ、出来た」


 言われた通りに意識を自分の魔力の中へ委ねると、途端にすーっと、身体を縛り付けていた見えない何かから、解放されたような感覚を受けた。


 顔の前に両掌を持ち上げて、ニギニギしてみる。


 ……今まで動けなかったのが嘘みたいに、簡単に身体が動けるようになっていた。


「一週間も身体から切り離されていれば相当の負荷にもなろう。ここまで時間をかけたのだ、出来て貰わねば困る」


「……何か一々言い方にトゲがあるのな、お前」


 自由になった身体をあちこち動かしながら、相変わらず太々しい態度の賢者に険を含ませる。


「その状態で闘神闘気を練ってみるがいい」


 ……お構い無しかい。


 まるで師弟関係のようで面白くは無いが、それで何が起きるのかという好奇心に逆らえず、闘神闘気を練り上げる。


 いつもの様に魔力から変換して、身体に……。


「……何だ、これ」


 身体にまとわせようとして、その変化に気付く。

 筋力を強化する為に身体にまとわせていた闘神闘気が、まるで吸い込まれるように身体の中へと入っていく。


 ややこしい気もするが、賢者の言う通りなら今の俺は魂だけの状態な訳で、いつものように闘神闘気で身体を満たそうとしてもその肉体が無い訳で……。


 ……。


 これ、闘神闘気を魂に直接まとってるのか?


 魂だけの身体にするりと馴染んでいく様子からすると、むしろこっちの方が無理が無いように思える。

 今まで肉体強化していると思っていたのは、闘神闘気を魂そのものにまとうのを阻害していただけ、……なのか?


 闘神闘気を取り込んだ身体から、今までに無い程の内包する力を感じる。


「理解したようだな」


 戸惑う俺の様子を賢者が確認する。


「そもそも闘神闘気とは身体強化の為のものではない。かつて戦神アスラが格上の神々と戦う際、自らの存在力を高める為に編み出したものだ。肉体では無く、己の魂にまとう事こそが本来の使い方だ。覚えておくがいい」


「……何でそんな事を知ってんだ。まさか、……お前も」


 闘神闘気はアスラ神族のみが使える秘技中の秘技だ。

 その事を知ってるだけでもありえない位なのに、俺ですら知らないような事をそこまで知ってるコイツは。


 ……まさか。

 コイツも、アスラ神族なのか?


 無意識に期待を込めて見返す俺に、賢者はそっとかぶりを振る。


「悪いが、アスラの子はもうこの世には一人として残っておらん。……お前を除いてな。同族の生き残りかもしれぬという期待に添えず、すまん」


 ……。


 違う……、のか。


 ……そうか。


「すまん、勝手に勘違いしただけだ。……忘れてくれ」


 そう、……だよな。

 俺の同族はすでにみんな、……スンラに。


 ……。


 ……。


 そうだ。スンラっ!


「……スンラはまだ生きている。確かにお前はそう言ったよな。……どこだ」


 俺の同族を殺し尽くし、両親を殺し、魔の国の至る所に深い爪痕を残していきやがったスンラ。


 そのスンラが、……まだ生きている。


「……教えてやる約定だったな。そんなに知りたいか」


「当たり前だっ! アイツだけはっ、アイツだけは何があろうと俺が殺す。……絶対にだ」


 知らず籠る怒りを隠せず、語気が荒くなる。


「ならばあの器の娘を守り通せ。スンラはまだ手の届かぬ場所におるが、必ず、あの娘の前に出てくる事になるだろう」


「器の娘……。スンラが、レフィアの前に?」


 思ってもみない名前に意表を突かれる。


 ……何故、スンラがレフィアに?

 スンラとレフィアに、何の関係が……。


「それはどういうっ……、って、おいっ!」


「……残念だが、時間のようだ」


 更に問いつめようとした時、突然周りの景色が大きく歪み始めた。身体の感覚が朧気になり、さっきまで目の前にいたハズの賢者の声が遠く聞こえる。


「待てっ! まだお前には聞きたい事がっ!」


 何かに引っ張られるような、吸い込まれていくような感覚の中で、必死に声を張り上げる。


「……今しばらく、お前と言葉を交わしていたかったのだがな。これからここに来る者に、まだお前を会わせる訳にはいかん」


 賢者の声が、姿が。急速に遠ざかっていく。

 まるでどこかに落ちて行くような感覚の中、視界が、暗い闇の中に包まれていく。


「……会えてよかった。アスラの子よ」


「待てっ! 賢者っ! 会わせるって何だ! どういう事か教えやがれっこのっ!」


 ただどこかに落ちていく、真っ暗闇の中で必死に叫ぶが、その声は届かないまま、賢者の声も聞こえなくなる。


 ふと、何かとすれ違った気がした。


 懐かしくて、暖かくて、……眩しい気配。


 この感じ。


 ……この感覚は、まさか。


 ……。


 ……。


「……レフィア?」


 真っ暗闇の中で俺は、さっきまでいた最奥の空間へと入っていくレフィアの後ろ姿を、幻視していた。





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