♯143 ……いいよ(剣聖の慟哭4)
王都の中でも閑地にほど近く、隣家も遠い竹林の中。木塀に囲まれた拙者の庵は、潜んで暮らすには都合の良い場所にござった。
リンフィレット殿が自身の秘密を打ち明けてくれたのは、すぐにでも町を離れる心積もりであったが為。
聞けば行くあてもなく、今後の見通しも通らぬとの事。なればこそ、せめてアドルファス殿の傷が癒え、多少なりとも今後の見通しを立てるべきであると説いたのでござる。
拙者も、一世一代の勇気と根性をふりしぼっての説得にござった。
リンフィレット殿の不安につけこんだと言えば、正にその通りでござる。それでも拙者にはそこで別れ、ただ背中を見送って己だけが日常に帰る事など、到底出来るものではなかったのでござる。
下心が全く無かったかと言えば、言うに及ばず。されど、不安に心身を削られているリンフィレット殿と二人のお子に、せめて何かしらの事をしたかった。そう真摯に心より思った事もまた、確かでござった。
リンフィレット殿も最初はキッパリと固辞したのでござるが、それでもと引き下がらぬ拙者の言に次第に折れてくれたのでござる。
ただ、そのまま居候では双方ともに居心地も悪かろうとの事。リンフィレット殿には滞在中、庵の世話をお願いすることに相成ったでござる。
きちんとした仕事にはちゃんとした報酬も当然の事。そこまで世話になる訳にはいかないと断り続けるリンフィレット殿にござったが、そこはそれとてこれはこれ。
拙者がリンフィレット殿を家守役として雇うという形で、最後には落ち着いたのでござる。
如何な相手よりも難敵にござった。
今までの一人身での暮らしとは違い、頭数が増えれば当然口の数も増えるもの。特に育ち盛りが二人もいるのであればそれなりのものも揃える必要がござる。
魔物退治で得た報酬で、懐具合を心配せずにいられたのは正に幸いにござった。
拙者は食料の買い出しを兼ね、顔馴染みや昔馴染みの所を方々訪ね歩いたのでござる。
今後の見通しとして、外を出歩けないリンフィレット殿に代わり、何かあてにならないかと探す為にござった。
親をして子の成長と幸せを何よりも願い、子にして、親を何よりも慕い思う。
『軽蔑して下さい。私は……、夫の仇を取る事よりもこの子達を守る事を、選んだんです』
唇を噛み締めて言う母御前の姿は、真実、強きもののように思えたのでござる。
拙者に何が言えようか。
剣に生き、剣を極めて剣に死す。
それこそが己の道と決めた拙者はあの時、自ら己の命と定めた剣を放り捨て、倒れ込むアドルファス殿をその腕に抱えたのでござる。
己の未熟さを痛感しつつも、不思議と後悔はござらん。
その拙者が、夫の仇討ちを捨て、子を思い、強くあらんとするリンフィレット殿に対して、何が言えようか。
何も言えはしないでござる。
何も言えぬまま、時間は過ぎていったのでござる。
やがてアドルファス殿の傷も癒え、暮らしぶりの中から少しずつ緊張が薄まっていった頃にござる。
人の暮らしに欠かせぬものと言えば昔から、衣食住とはよくも言うもの。住むべき場所があり、食を満たさば、次は着物の一つも贈りたくなるもの。
針子を呼んで仕立てる事も考えたのでござるが、素直に受け取ってくれるハズもなし。その事をチラリとリーンシェイド殿に相談したのでござれば、先に仕立て、有無を言わさず渡してしまえば良いとの知恵を、借りたのでござる。
アドルファス殿、リーンシェイド殿の助力を得て、リンフィレット殿の着物の寸法を得た拙者は、意気揚々と仕立てに出したのでござる。
リンフィレット殿の着物はどこか異国風にござる故、細かなデザインもまた、リーンシェイド殿の示す通りのものを用意するつもりにござった。
正直、浮かれていたのでござる。
不謹慎であるとは分かっていても、リンフィレット殿達と過ごす日々は、とても充実したものにござった。
一人身での暮らしが長かった為か、久しく忘れていた、誰かとともにある暮らしに、……浮かれきっていたのでござる。
仕立て屋から戻った時の事でござる。
庵の前で言い争う声が聞こえ、不審に思い、足を早めて駆けつけると、リンフィレット殿と誰か知らぬ男が何やらもめているようにもござった。
すぐさま間に入れば、拙者もそこそこな顔。相手も拙者を見ると、渋々ながらも後へと引いたのでござる。
男は、リンフィレット殿の春の客にござった。
「今はもうやってないって言ってんのに、しつこいんだ、アイツ。どこで嗅ぎ付けてきたんだか。……ごめんね、こんな事まで迷惑かけてしまって」
「リンフィレット殿に災禍無く何よりにござる。このような事、何程の事もござらん。春の商売の客にござったか……」
「んー。まぁね。今は何とか、身をひさぐ事無くあの子達を食わしてやれるからね。しないで済むなら出来るだけ、あの子達の側にいてやりたいし……」
それをせずとも良いようにと、拙者も敢えて振る舞った事も確かでござるが、庵に移って来て以来、リンフィレット殿は身売りを控えてござった。
それでも、なるべくその事に触れずにいた為、やはりどこか気恥ずかしくもなるものにござる。
「……剣聖さんのお情けに甘えて、ね。ありがとう。……ごめんね、私達なんかの為に。さーって、こりゃそうそう、夕餉の支度にも手が抜けないねっ!」
照れ臭そうに視線を外すリンフィレット殿は、夕暮れ時な事もあり、ほのかに赤らんでいるようにも見えたのでござる。
気丈に振る舞ってはいても、肩の線のか細き事。触れれば容易く手折れそうな華奢な背中に、リンフィレット殿が一人の女性である事を強く意識させられたのでござる。
宵闇が迫る夕暮れ時。
そのうなじの眩き白さに拙者は、猛烈な嫉妬を感じたのでござる。
リンフィレット殿の亡き夫にではござらん。春をひさいでいた時の、見も知らぬ男共にでござる。
先程の男はリンフィレット殿を抱いたのでござる。
一対の男女として。一夜を共に。
そう思えば思う程に、強く、激しく。
どれほどの男がこの肩を抱いたのか。
この背中を、この女性を、どのように撫でたのか。
肌を重ね。情念を滾らせ。
一体、どれ程の男に身を委ねて来たのか。
醜い嫉妬は、容易く衝動に変わったのでござる。
「っ!? 剣聖、……さん?」
気付けば拙者はリンフィレット殿を後ろから、強く情念のままに抱き締めていたのでござる。
滾る思いは真に身勝手なもの。
身をほのかに強張らせつつも、強い抵抗を示さないリンフィレット殿に対して、拙者は、愚にもつかない言い訳で頭の中がいっぱいにござった。
そういう商売をしていたのなら、拙者がそれを求めても構わぬでござろう。
どこの誰とも知れぬ者でも抱いたのだ、これだけ世話をしている拙者が抱けぬ謂われも無い。
同じ屋根の下で暮らしていればそういう事もあろう。
成熟した大人同士であればさもありなん。
金と情念では無い。拙者は心より……。
肌に触れたい。
抱き締めたい。
貪りたい。沈みたい。溶け込みたい。
今までに無い程に、頭と全身に強い熱を感じていたのでござる。
その熱の衝動を押さえきれぬまま、後ろから抱き締める拙者の腕にリンフィレット殿はそっと手を添え、身体から力を抜いたのでござる。
「……いいよ。……剣聖さんなら」
受け入れてくれた。
身を委ねてくれた。
か細く、今にも消え入りそうな声ではござったが、リンフィレット殿が拙者を受け入れてくれたのでござる。
しゃにむにござった。
滾る衝動を遮るものは無し。止めるものも無し。
拙者はそのままリンフィレット殿を竹林の中で押し倒し、勢いのままに覆い被さったのでござる。
猛る情念のまま、むしゃぶりつこうと。
身体を開き、欲情をぶつけようとして……。
「……仕方ない、よね。やっぱり。生娘って訳でもないしさ。勿体ぶる訳でも無いけど。こんな事でしか返せなくて、……ごめんね」
……。
……。
我に返ったのでござる。
申し訳なさそうに。寂しそうに覚悟を決めたリンフィレット殿の表情に拙者は、自分を取り戻したのでござる。
拙者は、何をしようとしていたのか。
行為は元よりも、その考えにござる。
亡き夫を偲び、子を思う彼女の弱味につけこんで、拙者は何と愚かな、身勝手極まり無い事を考えていたのでござろうか。
恋慕を募らせ、恋焦がれ、母の思いに触れ。
なればこそ、あやふやな関係をこそ享受したというのに。
拙者は……。何を。
滾る嫉妬から情念を盛らせ、粗暴な欲情のままに強引に組みしき、……それを当然と押し付けようとしていたのでござる。
浮かれていたのでござる。
言い訳のしようない程に、浮かれていたのでござる。
熱に火照った頭が急速に冷え、代わりに、自己嫌悪と激しい後悔でいっぱいいっぱいにござった。
何も弁解の申し開きをする事も出来ず、拙者はただ、会わす顔も無いままにその場から走り去ったのでござる。
数日後。
出来上がった仕立てを受け取りはしたものの、あれ以来、ちゃんと話せないままにござれば、どのようにして渡せば良いのか。
浮かれていた自分はとうに消え、せめてこの仕立てた着物だけでも受け取って貰えればと、そう思案にもくれるもの。
実際には、杞憂にござった。
仕立てを受け取り、庵に戻ってみればそこにはすでに、誰もいなかったのでござる。
庵の中は、藻抜けの殻にござった。
挨拶も無く出立する。
普段のリンフィレット殿からしてみれば、些か、らしくもないとも思ったのでござるが、拙者のした事を思えばそれもまた当然かとも。……そう、納得も出来たのでござる。
庵に一人残り、手元にあるは真新しい仕立てたばかりの着物。
拙者は着物を前に座り込み、己を恥じ、愚行を悔やみ、むせび泣く資格さえ無いと必死で堪えていたのでござる。
幾何の刻をそのように過ごしていたでござろうか。
辺りも暗くなり、ひんやりと静まり返った庵に、その者は慌てて飛び込んで来たのでござる。
「け、剣聖さんっ! 頼むっ! いるかっ!」
普段あまり来客の無い庵にござれば、その慌てぶりからしても余程の事でござろう。乱暴に木戸を開けて飛び込んで来た者に振り返れば、冒険者ギルドの馴染みにござった。
「……如何されたか」
己の声の落ち込みように酷く驚きもしたでござるが、努めて感情を圧し殺して用を問うたのでござる。
「お、鬼だっ! 鬼が町に潜んでやがったっ! 今総出で追い立てちゃいるが、俺達じゃかなわねぇっ! 手を貸してくれっ!」
「……鬼に、ござるか」
「あぁ、しかも大物だっ!」
次いで聞かされた言葉に、拙者は自らの過ちを悟り、目の前が真っ白になったのでござる。
「ありゃ間違いないっ! 前に他の国で騒ぎになってた『鈴森御前』だっ! 姫夜叉がこの国に、潜んでやがったんだっ!」
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