♯129 谷底の隠遁者



 剣聖ゼン・モンド。


 剣に生き、道を極めた孤高の武人。


 その常人離れした逸話の数々は語るに足らず、詩人が紡ぐサーガから子供むけのお伽噺まで数限りない。


 金色オーガとの決戦。

 川辺の巨人退治。

 巨大牛蜘蛛との死闘。


 その半分が盛りに盛った作り話だったとしても、強さに憧れる子供達の間では勇者とその人気を二分する。


 特に鈴森御前との戦いは知る人も多い。


 かく言う私も一時期、憧れを抱いていた事があるのもまた事実な訳で……。


 物語の中の剣聖は総じて、長身痩躯の寡黙な武人と描かれる事が多い。


 チラリと目の前のおっさんの様子を伺い見る。


 背は確かに小さいがひ弱には見えず、今は肩を丸めて小さくなってはいるけど、鍛え抜かれたであろう強靭な体つきが伺える。


 髪の毛と髭は伸びるにまかせた感じでボワボワしていて、外見からでは年齢を推し測れそうにもない。

 ゲジゲジのワイルドな眉毛は申し訳なさそうに垂れ下がり、小さく円らな目は所在無さげに視線が定まらない。


 大きな団子っ鼻といい、何かドワーフっぽい。


 特に嫌いな風貌と言う訳では無いんだけど、何と言うかこう……。


 話の中のイメージとだいぶ違う。


 さりげない所作仕草から、相当に強い人なんだろうなぁというのは確かに感じられるんだけど……。


 ……。


 ……。


 本当に本物なんだろうか。

 もし本物なのだとしたら、是非とも聞いておきたい事がある。


 じぃーっと観察するように様子を見つめる。


 剣聖を名乗るおっさんは、私の視線から逃れるように身体を縮こませた。


 ……何故逃げる。


「本当に、あの、剣聖ゼンなんですか?」


 そう言えば剣聖ゼンは最後、自らを鍛える為に人知れず姿を消したと聞いた事もある。


 何でこんな所にいるのかは知らないけれど、それならそれで、本人だったとしてもおかしくはないとも思うけど……。


 さっきからオドオドと落ち着かない様子なのを見てると、本当に本人なのかどうか疑わしくもなる。


「あ、あの、と言うのがどれを指しているのかは分からぬが、かつて剣聖の称号は賜った事がござる」


 うーん。


「金色オーガとの決戦とか」


「アル中のオーガの事でござるな。お酒の飲み過ぎで足腰も立たぬ様子でござった。金箔入りの酒が特に好みで、酔い潰れた隙に倒した事がござる」


「川辺の巨人退治とか……」


「川で溺れて流されていったヒルジャイアントの事でござろうか。出会った時はもう駄目かと覚悟もいたしたでござるが、運良く川へと足を滑らせてくれたでござるよ。正に九死に一生を得た心持ちにござった」


「巨大牛蜘蛛との死闘……」


「……あれは、今思い出しても辛い戦いであったでござるよ。逃げても逃げても、どこまでもしつこく追いかけてくるので、必死で逃げ続けていたでござる。途中で空腹からか目を回して谷底に自ら落ちていくまで、生きた心地がまったくしなかったでござる」


 ……。


 ……。


 おい。


 遠い日の憧れが音を立てて崩れていくようで、重くなった気のする頭を両手で抱え込む。


 ほとんど盛り話かいっ!


 何かごめん。

 逆に目の前にいるのが本物に思えてきた。


 脱力したまま、さらに付け加える。


「鈴森御前を倒したのは?」


 それまでどこか懐かしさに目を細めていた剣聖の表情が、急にビクッと強張った。


 グッと唇を噛みしめ、背中をいっそう丸くする。


「……リンフィレット殿を殺めたのは、確かに拙者でござる」


 しぼりだすように答えた剣聖の声からは、さっきまでのどこか呑気な雰囲気が消えていた。


「……リンフィレット?」


 突然出てきた聞き覚えの無い名前に一瞬戸惑うけど、すぐに、鈴森御前というのが号からついた名前である事に思い至る。


 姫夜叉には号があると、リーンシェイドは言っていた。

 多分『鈴影』が、リーンシェイドの号なのだとしたら、『鈴森』がお母さんの号なのだろう。


 リーンシェイドが号と名を持っているのなら、当然お母さんだってその二つを持っている訳で、その鈴森御前の名が……。


 ……リンフィレット。


 ……。


 ……。


 冷えた感覚が胸に込み上げてくる。

 言葉にならない直感が、確かにそうだと告げた。


 この人、本物だ。


 本物の、……剣聖、ゼン・モンド。


 この人が、アドルファスとリーンシェイドのお母さんを……。


 ……。


 殺した?


 脇腹の傷痕がズキリと痛んだ気がした。

 この脇腹を貫いた凶刀は、姫夜叉の頭蓋骨を組み込んだものだった。


 ──はは様は私達の目の前で、人間に首をもぎ取られました。


 魔王城の地下遺跡で聞いた言葉が脳裏をよぎる。

 その時のリーンシェイドの表情とともに。


 沸き上がる感情をぐっと堪える。


「……何故、鈴森御前を、……殺したんですか?」


 今にも飛びかかって問い詰めそうになるのを何とか押さえ込み、一番聞きたかった事を問い掛ける。


 剣聖と鈴森御前の話はよく知っている。

 鈴森御前の役で、村祭りの時にも寸劇をやった。


 あの時はただのお伽噺でしかなかったけれど。

 今は、……違う。


 あの話の元になった事実があった事も。

 あの話がそっくりそのまま事実で無い事も知ってしまった。


 夜な夜な男を誑かして食い殺す鬼女?


 アドルファスとリーンシェイドのお母さんが、そんな事をする訳がない。


 そんなの、ありえない。


 それにその時一緒にいたハズのアドルファスの事は話の中に一切出てこず、リーンシェイドだけが鈴影姫として登場するのは、……何故なのか。

 

 本当はそこで、何があったのか。

 何故リーンシェイドのお母さんは、殺されねばならなかったのか。


 知りたい事はいくつもある。


 私の問い掛けに、剣聖はさらに身体を強張らせた。


「リンフィレット殿が、……それを望んだのでござる」


「……どういう事ですか? それ」


 ぐぐっと身体が前のめりになるのを止められない。

 剣聖はさらに拳を強く握りしめて、顔を上げた。


「リンフィレット殿は自ら、拙者に殺められる事を望んだのでござる。まっことに強く、やさしく、美しい御仁にござった」


 真摯な眼差しが真っ直ぐに向けられる。


 真正面から真っ直ぐに向かい合うと、さすがに剣聖と呼ばれるだけの威圧を感じずにはいられない。

 けど、顔を赤くして肩を小刻みに震わせている様子に、無遠慮に踏み込み過ぎてしまったと我に返る。


 ……。


 ……。


 初対面の人に何問い詰めてんだ、私は……。


 ため息を一つ落として、ポカンと自分の頭を叩いた。

 目の前の人物が本物の剣聖だと実感して、思わず好奇心の赴くままに身を乗り出してしまった。


 ……反省。


「よしっ、反省おしまいっ!」


「……はい?」


 リーンシェイドやお母さんの事もめっちゃ気になるけど、今はそれより何よりも優先すべき事があるハズだ。

 こんな所で自分の好奇心を満たす為に、他人の過去に土足踏み込んで良い場合ではない。


 うん。


「剣聖さん。ゼンさんが剣聖さんなのは分かりました。それで、一つ教えて欲しい事があるんですけど、良いですか?」


「せ、拙者に分かる事であれば……」


 さっきの初遭遇の印象が最悪最低だった所為で胡散臭く思えてしまったけれど、見た目に反して、剣聖さんの人柄に少し安心を感じる。


 何と言うか、不器用そうだけど、決して悪い人には見えない。


「この谷底から上へ這い上がれる場所を、どこか知りませんか?」


「ここから上へ、でござるか?」


 とりあえず、谷底へと落ちてきた経緯をかいつまんで説明する。


 最奥の賢者や魔王様達の事は……、今は伏せておいた方が無難な気がしたので、ちょこちょこっと誤魔化しながら。


「ふうーむ。炎の蛇でござるか」


 一通りの説明を終えると、剣聖さんは軽く首をひねって考え込む。


 ここに住み着いているようなので、この辺りの事に詳しそうにも見えるんだけど、……どうだろうか。


 剣聖さんは一つ頷くと顔を上げて何かを言いかけて、……顔を真っ赤にしてまた目を逸らしてしまった。


 ポリポリと後ろ頭をかいて無言になってしまう。


 ……。


 ……どした?


「あー、そ、その、あれでござる」


「何でござるか?」


 ボソボソと喋る声が聞きづらいので、ずいずいずいっと剣聖さんの近くへと寄っていく。


 近づいた分だけ、剣聖さんがしどろもどろに視線をぐるぐると回し始める。


 ぐーるぐる?


「せ、拙者も、人との関わりを断って久しく、その……、落ち着かないと言うか、……目のやり場に困ると言うか」


 何だか知らないけど剣聖さん、ごにょごにょと小声で呟きながらついには横を向いて、両手で顔を覆ってしまった。


 ……。


 ……。


 おーい。


 よく聞こえなかったのでさらに近づくと、ビクッと反応してますます小さく縮こまってしまった。


 え? 何、これ。


「……強すぎるでござる」


「強すぎるって……」


 まさか……。


 剣聖さんがここまで縮こまってしまう程の何かが、この谷底の奥に?


 確かにここは人智未踏の最果ての森。

 想像を絶するような何かがあったとしても……。


「若い女子が……」


「若い女子が?」


「素肌に薄布一枚でいる姿は、刺激が強すぎるでござる……」


 ……。


 言われてそっと、自分の姿をかえりみる。


 落とした視線の先には、汗と泥で汚れたブラウスが身体にぴったりと張り付いていた。


 ガバッと胸元を両手で隠して、ズザザザッと剣聖さんから一気に距離を取る。


 ……あぅ。


 特に見えてる訳ではないので、言われなければ特に気にする程の事でもなかったんだけど……。


 こういうのは不思議なもので、そう指摘されてしまうと途端に何故か、ノーブラブラウスの自分の姿が恥ずかしく思えてきてしまう。


 恥ずかしがってる場合じゃないのは分かってるけど、一応は私も乙女だったりする訳で……。


 ……どうしよう。困った。


 一人で羞恥に身悶えしていると、顔を背けたままの剣聖さんから一つの提案がなされた。


「……お詫び代わりに着替えを用意するので、そちらに着替えて欲しいのでござる。このままでは、目のやり場に困るというか、どうにも落ち着かないと言うか……」


 着替えって……。

 剣聖さんの一人暮らしなのに?


 当然の疑問もあるけれど、どちらにしろ、このままの姿で居続ける事も出来れば避けたい。


 背に腹は代えられない。

 頭を下げて、剣聖さんの提案を受け入れた。


「……よろしく、お願いします」





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