♯130 谷底に集いし者達
用意された着替えに袖を通す。
小屋の奥に戸締まりの出来る部屋があると言うので、申し訳なく思いつつも使わせてもらう事にした。
造りが荒く見えたのに、中は意外にしっかりと作ってあって、まずはそこに驚く。
何というか、そういう性格なのかもしれない。
それほど器用じゃないけれど、凝る所には凝ると言うか……。
実際、鳥もも肉の香草焼きも美味しかったし。
けど、部屋に入ってすぐに剣聖さんが用意してくれた着替えには、さらに大きく驚かされた。
黒く漆塗りと言われる技法で装飾された木箱の中に、大切そうにしまってあったその衣装は所謂『着物』だった。
意外と言えば意外。
このタイプの服はあまり人族の世界では広まっておらず、専ら魔の国の人達が好んで着ているのだと知ったのは魔王城に来てからだ。
リーンシェイドやベルアドネがいつもこのタイプの服を着ているのを側で見てるから、それなりに着方は分かるんだけど……。
まさかここでコレが出てくるとは思わなかった。
しっかりちゃんと、女物だし。
馴れてみると意外なもので、こっちの方が通気性と保温性に優れていて着心地が良かったりする。
用意された着物は上下に別れて着られるタイプのもので、下履きは厚手のズボンのような形なっていた。運動性という面ではシュルコーやチュニックに劣るかもとか思ったけど、これなら確かに、動きやすいかもしれない。
さらりとした肌触りの長袖の下着を着込み、上から厚手のチョッキのような袖無しの上着を重ね合わせる。
更に腰回りを覆う厚手の布を巻き付けて、腰ヒモをぐるりと回して前でぐいっと縛り付ける。
……何かベルアドネの着てるのと少しタイプが違うかもしんない。
何だろう、どちらかと言うとリーンシェイドが普段着ている装束により近いような?
淡い水色の地に、シンプルながらも艶やかな模様が白抜きで染め抜かれた上着をサワサワと撫でる。
手触りが心地よく、相当上等な物である事が分かる。
……正直、心苦しい所が無い訳でもない。
いくらお詫びの代わりにくれたといっても、上等過ぎるような気がしないでもないし、とても大切に保管されていた様子もうかがえる。
けど、やっぱり、……ねぇ。
こんな綺麗な服を目の当たりにしてしまうと、気持ちがフワフワとして袖を通してみたくなってしまうのも乙女心な訳で……。
私も一応は、乙女な訳で……。
……。
……。
正直、ちょっと嬉しい。
ごめんなさい、剣聖さん。
ありがとうございます。
申し訳なくも心の中で深々と頭を下げる。
……けど、少し疑問にも思う。
見た感じ一人暮らしの剣聖さんが、何でこんな上等な女物の着物を大切に持っていたのか。
普通に考えれば、奥さんか娘さんの物だったものを大事に取ってあったと言う事もありえる訳で……。
……。
……。
うーん。
やっぱり、良くないよね。
こんな上等なものを用意してくれた気持ちはとても嬉しいし、実際着てみて、もの凄く着心地は良いのだけれど。
逆に、こんなに良いものを貰う訳にもいかない。
「レフィア殿。着替えはもう済んだでござるか」
「あ、はい。済みましたけど……」
扉の向こう側から遠慮がちにかけられた声に、迷いながらも返事をする。
着替えて欲しいと頼まれはしたけど、出来れば他に無いか聞いてみるべきかもしれない。
うん。これは、上等に過ぎる。
「腹ごしらえにと食事の用意をしたでござるよ。よければレフィア殿も一緒にいかがでござるか」
ゴハンっ!
とっても魅惑的なお誘いに、思わずバンっと扉を勢い良く開けてしまった。
いや、だって……。
まだお腹が空いたままだったし。
扉の前に立っていた剣聖さんの目が一瞬軽く見開かれ、すぐに穏やかなものへと変わる。
「……よかったでござる。古いもので、どうかとも思いはしたのでござるが、杞憂でござった」
「あ、あの……。……はい。ありがとうございます」
剣聖さんの優しげな表情に戸惑ってしまう。
やっぱりこれは、誰か大切な人のもの何だね。
「でも、さすがに。こんな上等な物を頂く訳にもいきません。……出来れば他に何か無いでしょうか」
よし言えた。
大人な私、偉いっ!
「お気にめされなかったでござるか。それはとんだご無礼をつかまつった」
わっとっとっと……。
謝ろうとする剣聖さんを慌てて押し止める。
「い、いえ。とんでもないです。とても綺麗な服で、状態も良く保管してあったようなので、こんないい物を私なんかが貰う訳にもいかないと言うか……、その……」
服に文句など一切ありません。
私なんかに勿体なさ過ぎるだけにございます。
私の様子に、剣聖さんは少し困ったような顔を返した。
どこか寂しげな、切なそうな顔で首を振って答える。
「もしレフィアさんが気に入ってくれたのであれば、どうか是非、それを着てやって欲しいのでござる」
「でも、こんな……」
「拙者が未練をいつまでも引きずるが故に、今まで手許に置いてござったが……、着物とは着るべきものであって後生大事にしまいこむものではござらん。本来のあるべき役割のまま、受け取って欲しいのでござる」
「未練、……ですか?」
「拙者が生涯において唯一人、心惹かれた女性に贈ろうと用意したものでござったが……。結局贈れぬまま、その女性もすでに亡く、捨てるに捨てきれぬものでござった。なので、どうか……」
かえってペコリと頭を下げられてしまった。
これは……。
……。
……うーん。
「……なら、こうしましょうっ!」
パンっと両手を前で打ち鳴らして、剣聖さんの顔を上げさせてから努めて明るく切り出す。
「これでおしりの事は全部チャラと言う事でお願いします。……むしろ、それでも私の方が貰い過ぎな気もしますが、剣聖さんがそう言われるのなら、これでっ!」
「いや、されど、着替えて欲しいと頼んだのは拙者の方でござる故、そういう訳には……」
「いいえ、チャラでっ! でないと、今ここですぐにでも脱ぎ捨てます」
言葉のあや子さんなので本当に脱ぎはしないけど。
「なっ、いや、それはさすがにっ……」
「じゃあ、いいですね? それで」
「う、うむ。……そこまで言われるのであれば」
はいっ。チャラです。
不器用で真面目な人だなぁと思う。
どこか魔王様に通じる所があるかもしれない。
不器用で真面目で、それでいて少し頑固で。
……本当は、物凄く優しくて。
……。
……。
なのにこの人が、リーンシェイドのお母さんを殺した。
本人もそう言ってるのだから、間違い無いのだとは思うけれど、どうにも腑に落ちない。
多分何か理由が……、あるんだとは思う。
お話の中には出てこなかった何か他の理由が。
当時そこで、一体何があったんだろうか。
それにこの服。
これを贈ろうとしてた女性って……。
……。
……だよね、きっと。
うん。なのでこれはこれでおしまいっ。
いるいらないの押し問答を繰り返しても仕方がない。
むしろ今は、それより何よりどれよりも。
ゴ・ハ・ンっ!
剣聖さんの肩に両手を乗せ、さらにくるっと向きを変えて、着替えていた部屋からソソクサと遠ざかる。
気持ちはどんどん切り替えていしまっしょい。
じゃないとまた、いらぬ詮索をして無遠慮に剣聖さんを追い詰めてしまうかもしれない。
それはやっぱり、あまり良く無い事だとも思う訳でありまして。
気にはなるけど私なんかが踏み込んでいいものだとは決して思えない。
だからここらで切り替え切り替え。
先程の部屋まで戻り、そこでピタリと凍り付く。
……。
部屋の中はすでに片付けられ、すっかり元の通りになっていた。
……いや、そうじゃない。
大事なのは、そこじゃない。
待て、落ち着け。
落ち着くんだ、私。
テーブルの上には、作り直したのか、美味しそうな料理が所狭しと並べられている。
うん。実に美味しそうだ。
それは良い。それは良いんだ。うん。
美味しそうではあるんだけど、それより何よりも、テーブルの手前にちょこんと座ってこちらに背中を向ける存在に、思わず言葉を失って後ずさる。
ちょっ、なんで……。
ソイツはこちらに背を向け、隆々とした筋肉を際立たせながら堂々と座っていた。
……。
……。
全裸で。
喉元まで悲鳴が込み上げて来た時、聞き覚えのある声に名前を呼び止められる。
「あ、レフィアさんっ! 無事だったんだねーっ!」
筋肉マッチョの陰から、ひょっこりとオルオレーナさんが顔を覗かせた。
……って、オルオレーナさんっ!?
なんでこんな所に!?
ってか、何でソイツと一緒にっ!?
状況が上手く飲み込めないまま口をパクパクとさせて言葉を無くす私に、全裸の筋肉マッチョがゆっくりと振り返る。
こうして見ると無駄に背の大きい人だと分かる。
目の前にいる剣聖さんの身長がやや控え気味なのと相まって、余計に大きく見えるのかもしれない。
事実、オルオレーナさんがすっぽりと隠れていて、そこにいる事にすら気が付かなかった。
普通にでかくて威圧感が凄まじい。
振り返った筋肉マッチョが厳かに口を開く。
「ゼン殿。折り入って頼みがあるのである」
「いかがなされたのか、ル・ゴーシュ殿」
……って、剣聖さんの知り合いかいっ!
え? って言うか、知り合いなの?
この全裸の筋肉マッチョと?
剣聖さんが?
何故ここにオルオレーナさんがいるのかも疑問だし。
……はい? どういう、……事?
色々と疑問に頭を悩ませている私を他所に、全裸の筋肉マッチョは胸を張って剣聖さんに頼み込んだ。
「何か着るものを、所望したいのである」
全裸マッチョは剣聖さんに服を求めた。
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