♯127 谷底の迷い人



 命は助けられました。

 けれどもそれで、言う事に従うかどうかは別。


 最深部? 行くわきゃない。


 危険がいっぱい手ぐすね引いて待ってるって分かってて、何故そこに行かなきゃならんのか。


 断固として拒否します。


 最深部には向かわなくても、とりあえずこの谷底からは脱出しないと帰るにも帰れない。

 賢者もどうせだったら助けるついでに、上まで連れて行ってくれれば良いのに。


 切り立った岩壁はどれだけ見上げても登れそうにはない。


 仕方がないので、抜け出せる場所を探して谷底をチロチロと流れる小川に沿って歩き出す。

 流れに沿って歩いていけば、多分どこかに繋がってるだろうし、谷底から這い上がれる場所があるかもしれない。


 丸一日かけて辿り着いた先が行き止まりでなければ。


 うがーっ!


 な・ん・じゃ・そりゃーっ!


 まさかどっこにも岩壁の切れ目が無く、さらに小川の行き着く場所が大岩の下から地面に潜っていくだなんて。


 ありえない……。


 結局まるっと二日を無駄にして元の場所まで戻り、今度は上流に向かって歩き出す羽目になってしまった。


 谷底から抜け出せません。

 出られません。

 嘘でしょ、マジかい、マジですか……。


 これ、上流に向かっても行き止まりだったらどうしよう。


 幸いにしてこの二日間はトレントにも迷宮トロルにも遭遇して無い。結構な高さを落ちてきた自覚はあるので、それもまた不思議ではないとも思うのだけれど、何にも出会わない事が逆に不安にもなってくる。


 崖上に戻れるんだろうか、私。


 見上げる空はどこまでも深く、青い。


 そういえば井の中の蛙って、大海は知らなくても空の青さだけは誰よりも知ってるんだっけか。


 ……。


 ……。


 ゴハン食べたい。


 魔法で何とか餓死は避けられてるけど、お腹が空きまくってる事実を打ち消す事な出来ない。


 この三日間で口にしたのはオルオレーナさんに貰った香草スープだけという事実。


 ……オルオレーナさんは無事だろうか。

 魔王様達も心配してるだろうな。


 空腹を抱え、谷底を小川に沿って上流を目指す。

 目玉ぐるぐるのふらふらで、フラエモン状態。


 とりあえず、ゴハン食べたい。


 今なら迷宮トロルだろうとトレントだろうと、目の前に現れたら齧りつく自信がある。


 ……トレントって木だよね。

 実が成ったりしないんだろうか。


 甘いかな、酸っぱいかな……。

 甘いといいな……。


 阿呆な妄想に願望を乗せて歩き続ける。

 ふと我に返り、激しく落ち込む。


「いや、食べるなよ魔物の実を……」


 がぅ。


 魔法で補助してても疲れるものは疲れる。

 いささか疲労がたまり過ぎていると自覚して、その場にストンっとしゃがみ込み、バタッと背中から岩肌へと身を仰け反らせた。


「疲れたーっ、ハラ減ったーっ」


 代わり映えのしない景色。

 一向に好転しない状況。


 一体何がどうしてこんな事になったんだか。


 原因はあの性悪賢者で間違い無いんだけど。

 何だかあちこちがチラチラと気にかかる。


 ──私は私の愛し子達を守りたい。


 最奥の賢者、イワナガ。

 あれは一体、どういう意味だったんだろうか。


 性格ひねくれて尊大で、自分勝手で強引な人だとは思うのだけれど、それほど悪い人だとも思えない。

 助けてくれたからというのも確かにあるけど、不意に見せるあの慈しみに満ちた感じが、何だか印象的で気にかかる。


 愛し子。……達か。


 チラリと見えたローブの奥のシルエットは、人間の形には見えなかった。

 どちらかと言うと、獣人的な鼻先の形をしていたようにも思える。猫科的な何かの動物のような……。


 猫科の獣人と言っても、虎人のばるるんしか思いつかないけど、ばるるんの鼻先の形ともまた違ってたし。


 ……うーん。


 正体が掴めん。


 正体が掴めないと言えば、あの全裸マッチョも何者なんだろうか。全身の筋肉を隆起させて炎蛇と殴り合ってた気がする。


 ただ者じゃないのは分かるんだけど、好んでお知り合いになりたいとも思えない。


 ……全裸だし。

 出来れば近づきたくない。


 ……変なのばっかりがいる森だよね。


 ……。


 ……。


 ……森。


 ふと頭の中で、別々だったキーワードが繋がったような気がして我に返る。


 迷宮化。


 ……確かそんなような事を言ってた気がする。


 ──この森は長い年月をかけて少しずつ、迷宮化が進んでいてな。


 ──こんな所で迷宮トロルと出会うとは思わなかったな。近くに闇の女神の迷宮でもあるんだろうか。


 片方は賢者で、片方はオルオレーナさんだった。

 確か迷宮で生まれる魔物はそれぞれに固定なんだとも言ってた気がする。


 もしかして、もしかすると。この『最果ての森』自体が、闇の女神の迷宮になりつつある?

 魔王城の地下迷宮みたいに?


 んな馬鹿な……。


 ……。


 ……。


 でも、多分。そういう事なんだろうとも思う。

 闇の女神の迷宮。迷宮トロル。……炎の蛇。


 ある特定の場所が長い年月をかけて迷宮化する?


 ……何で?

 そんな事があるんだろうか。


 村にいた頃に聞いた話では、迷宮はある日突然パカッと口を開けて生まれるもんだって言ってた気がする。

 人里近くに迷宮が生まれると危ないからって、生れたての迷宮を専門に探索して潰す職業の人もいるのだとか。


 森の迷宮化。

 考えてみれば、そんなの初めて聞く現象だ。


 何で森が迷宮化してしまうんだろうか。

 森を迷宮化する何かがあるから?


 ……どこに?


 ……。


 ……。


「最深部に封印された『カグツチ』?」


 うっわぁーっ。


 何て言うか、……うっわぁーっ。


 空腹に加えてさらに頭が重くなる。

 なんじゃ、そりゃ……。


 一体どんだけ危ない場所なんだ、最深部。


 そんな所、絶対近づきたくない。

 近付いてたまるもんですか。

 

 森が迷宮化してるのなら尚更、とっととこんな危険が危ない森からおさらばしなくては。

 来るんじゃなかった、こんな所。


 よっ、と気合いを入れ直して立ち上がる。


 現状で分かる事なんてほとんどない。

 あの賢者がどういう人で何を考えてたとしても、とりあえずこの谷底から這い上がらないと何も出来やしない。


 一縷の望みを託して上流へと歩き出す。


 どうか岩壁が途切れてますように……。


 空腹と不安を抱えてフラフラと歩き続ける。

 一心不乱にフラフラと。

 誰が上手い事を言えと。


 ……別に上手くないか。


 駄目だ。

 頭も上手く回らない。

 ハラ減りの所為だよコンチクショー。


 岩壁もまったく登れそうな所がある気配も無いし、何だか美味しそうなゴハンの臭いまでしてくるし。

 ……大概限界近いな、私も。


 特に臭いの幻覚が生々しい。

 一歩ずつ近付くにつれて、ますます強くなる。

 最初はほのかに香る程度だったのが、段々と煮炊きの臭いのように思えて、何かの香草の香りだと気づく。


 あー、食べたいな……。香草焼き。

 鶏もも肉が一番好きだけど、川魚も捨てがたい。

 あっつあっつの肉汁したたる一片を口に含んで、ガッツガッツと貪り食べたい。


 くそぅ……。


 ヨダレがこぼれ落ちそうなってくる。

 幻覚までもが私を追いつめてくるのか……。


 がるるるるるっ。


 がるるっ。


 ……がる?


 臭いに導かれるように足を早め、辿り着いたその先に一軒の小屋が立っていた。

 いつの間にか谷底から出られた訳では無い。

 高い岩壁に囲まれた谷底に、一軒の小屋がある。


 一瞬自分の目を疑うけど、間違いない。

 ……小屋だ。


 美味しそうな臭いはその小屋から漂って来ていた。


「幻覚じゃ……、無かった?」


 どうしてこんな所に小屋があるのか。

 美味しそうな臭いがすると言う事は、誰かがそれを作ってるのかもしれない。こんな所に誰が……。


 沸き上がる疑問は尽きないけれど、どんな疑問よりも大きく頭の中を占めるただ一つの感情があった。

 その感情の為に、思考がパァーッと霧散する。


 それすなわち。……歓喜。


「食べ物だぁぁぁあああああーっ!」


 全力で小屋へと駆け寄り、勢いをつけて扉を開け放つ。

 小屋の中に人影は見当たらず、部屋の真ん中の小さなテーブルの上には暖かな料理が数品並べられていた。


 ごめんなさい。

 自分で自分が抑えられません。

 しかも大好きな鶏もも肉の香草焼きです。

 抑えられる訳がない。


 視界にターゲットをロックオンした瞬間に、無言でテーブルの上の香草焼きにかぶりついた。


 ……。


 ……。


 ……美味しい。


 程よく火の通った柔らかな肉が、頬の中で肉汁をあふれさせて噛み千切られていく。ピリリとした辛さと香ばしい刺激が肉の脂と仲良く手を繋いでフォーリンラブなワルツでワッショイ。


 食べるって、素晴らしい。

 人生の喜びとは食にあり!


 ……だからと言って、三日ぶりの食事に気を取られ、背後に迫る殺気に気づくのが遅れてしまったのは言い訳かもしれない。


 突如激しく立ち上がる殺気に反応が遅れた。

 鶏肉を両手で抱えてかぶりついたまま振り返る。


 殺気の主は身を屈め、死角になった下方から迫ってきた。


 ……やばっ。避けきれないっ!?


 掴まえようとする両手の平がぐぐっと目前に迫る。

 両手はふさがり、背後にはテーブルがあって距離も取れない。


 ぐっ、と覚悟を決めた瞬間。


 伸びてきた両手に両胸を鷲掴みにされた。


 ……。


 ……。


 ……おい。


「チチにござるかーっ!?」


 背の低い髭面のおっさんが、私の両胸を鷲掴みにしながら歓喜の叫びをあげた。


 混乱で目の前が真っ白になる。

 なんだ……、これは。





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