♯126 イワナガ



「のわっ!?」


 前を走っていたオルオレーナさんが木の根っこに足を滑らせ、素っ頓狂な声を上げて派手にすっ転んだ。


 そのまま一段下の斜面へと滑り落ちていく。


「オルオレーナさんっ」


「……あたたたっ。まいったね、こりゃ」


 炎の蛇と怪しい筋肉ダルマから距離を取ろうとして、慣れないであろう悪路を急がせ過ぎてしまったかもしれない。


 みれば斜面はなだらかに遥か下の方まで続いている。

 こんな所で足を滑らせたら、勢いも止まらずそのまま下まで落ちていってしまう。


 差し出した手に掴まって、オルオレーナさんが斜面から申し訳なさそうに這い上がる。


「大丈夫ですか? 気をつけて下さいね」


「ははっ、どうにも格好悪い所を……」


 ぐっと体重を引っ張りあげた時、ぼごっと音を立てて足元の土がごっそりと崩れた。


「……へっ?」


 周りの景色がゆっくりと流れていく。

 不思議な浮遊感を感じて、変な声を出してしまった。


「……あれ?」


 引っ張りあげようとしていた腕から重さが消えて、ひどくゆっくりとした時間の中、私とオルオレーナさん以外の全ての天地がひっくり返っていく。


 ……。


 ……。


 ……誰か嘘だと言っておくれ。


「うそぉぉぉおおおおおーっ!?」


 オルオレーナさん。

 出来れば貴女以外の人で……。


 ぬぅおぉぉぉおおおおおっ!


 遥か下の方まで続く斜面に手を繋いだまま、二人して頭から飛び込んでいく。


 い・や・だぁーっ!


 一気にぐるんと天地が回転してしまう。

 手足を伸ばして踏ん張ろうとするけど、すでについた勢いと斜面の傾斜がそれをまったく許さない。


「いだっだだだっっだだっだだだっ!?」


 頭を打って肩を打って背中と腰を打って頭を打つ。

 物凄い勢いで天地が次々と入れ替わっていく中、身体中の至る所が打ち付けられる。


 痛いの確かに痛いんだけど、それより何よりどれよりも、転がる勢いが止まらない事で頭が一杯になる。


 あがががっががっ!?


 ヤバい。マジで止まれない。これ。

 ぐおっふ。


 ガンっっ!


「がふぅ……」


 勢い良く斜面を転がりきった先で、見るからにふっとい幹に、オルオレーナさんが顔面からぶちあたった。


 うわぁ。


 ……痛そう。


 勢いが弱まり、ゆっくりとした回転の中で見たその惨状に思わず眉をしかめる。


 切り立った崖っぷちに生えた大木に、オルオレーナさんが抱きつくようにしてへばりついているのが見える。


 あっぶねぇ。

 めっちゃヤバかった。


 ちょっとでもズレてたら、私がああやって幹にへばりついていた所だった。


 宙に投げ出されながらそんな事をふと思う。


 ……。


 ……。


 何で浮いてんだろ。私。


 見れば地面はそこで途切れていた。

 私の手の届かない目の前の辺りで。


「嘘でしょ……」


 地面の途切れた足元には、深い谷底が大きな口を開けている。


 上へ向かって空中に放り投げられた身体が、本来の重さを思い出し、ゆっくりと谷底を目指して加速する。


 地面がなければ落ちていく。

 それがどれだけ深い谷底だとしても。


 ……これはさすがに。


 落ちたら、死ぬ。


「ぬぅおおおおおぉぉぉっ!」


 駄目、絶対っ!


 一瞬遠くなりかけた意識を気合いでつなぎとめる。


 気を失ってる場合じゃない。

 こんな嘘みたいな死に方してたまるかっ!


 迷う間もなく魔法障壁を足元に作り出す。

 足場にしようと慌てていた所為で、今自分がどういう体制なのかをよく考えずに作り出してしまう。


 ……投げ出されたこの体制で足元に作ってどうすんだよ。


 ゴンっと、作り出した魔法障壁が向こう脛にぶちあたり砕けて割れる。


 うっぎゃーっ!


 いっ、てぇぇぇぇええええええっ!?


 違っぁーうっ! 縦じゃない。

 ここは横でしょっ! 横っ!


 急いで再び魔法障壁を平らにして構築し直す。


 ばごっんっ!


 構築した場所が近すぎて、魔法障壁を顔面で粉々に砕いてしまった。


「……あうっふ」


 強かに打ちつけた反動で、落下中の崖の壁面へと弾き飛ばされる。


 顔面が崩壊したかと思った。……痛い。

 目の前にせまった岩壁をつい反射的に思いっきり蹴り飛ばす。


 ……蹴り飛ばしたら駄目じゃん。


 うぉー!? マジでヤバい。

 いっそ気を失ってた方が楽だったかも。


 チラリと生きてきた思い出の数々に浸りそうになり、かぶりをふって弱気を押し避ける。


 こうなったら、幾つも魔法障壁を立てて落下速度を落としてやるっ!


 諦めてたまるかーっ!


 パリンッパリンッパリンッパリンッ!


「あがががががっがっがっっがっ!?」


 重ねた魔法障壁を頭突きでまとめて砕いていく。

 人間、足より頭の方が重いのね……。


 それでも落下は止まらない。

 頭のてっぺんが痛い……。


 焦って構築したから強度が足らないのか、私の頭が異様に硬いのか。出来れば前者であって欲しいとチラリと考えたりしてる内に、ゴツゴツとした地面の岩肌が目の前に迫る。


 乙女17の人生を、こんな誰も知らないような森の谷底で果てる事になろうとは……。


 最後に自棄っぱちでありったけの魔力をそのまんまぶつけてやろうと、身体の中にぐぐぐっと溜め込む。


 こんな所で潰れてたまるかっ!


 地面との激突の瞬間に備え、タイミングを見計らう。


 3……。


 2……。


 1……。


 ……。


 ……。


「……あれ?」


 気づけばもう目と鼻の先に地面が迫り、……迫ったままの距離から動かなくなってしまっていた。


 違う。


 動かなくなってるのは私の方だ。

 空中に浮いたままの状態で、落下が止まっている。

 私だけじゃない。


 見れば世界そのものの時間が止まっていた。


 ……。


 これ、もしかして。


「器の娘と言えどその高さから落ちれば死ぬであろうな」


 ジャリッジャリと小石を踏みながら声が近づいてきた。

 とても聞き覚えのある声に苛立ちが甦る。


「最後の瞬間まで意識を失わなんだのは褒めてやっても良いが、そもそも落ちる前に何とかせよ。愚か者が」


 逆さまに宙吊りになった状態で、どこからともなく現れた黒いローブを睨み付ける。


 最奥の賢者。

 性懲りもなくまた出てきやがった。

 やっぱりお前か、この空間は。


 すぐ側まで歩み寄ってきた賢者は、斜に構えて腕を組み、フードの奥から私を見下ろした。


「いつまでそうしておる。動けるのであろう? さっさと降りたらどうだ」


 ……コンニャロメ。


 溜め込んでいた魔力で全身を包み、意識を内側へと潜らせる。感覚的なもので上手く説明は出来ないけれど、意識と身体を一端断ち切るような感覚に近い。

 ぐるりと身体の表と裏を、そっくりそのままひっくり返すようなものだろうか。


 身体に自由が戻り、くるっと回って地面に足をつけた。

 足の裏から感じる重みに安堵する。


 ……正直、助かった。


 けど、これって。


「……どういうつもりなの? 私を殺したいとか言ってクセに助けるなんて」


 警戒の色を強めて賢者の動向に意識を集中する。

 何考えてるか分からないヤツほどタチが悪い。


「約定でな。いよいよ危なくなったので少し手助けしてやったに過ぎん。安心されてもつまらんのでそのまま警戒は緩めぬようにな」


 約定? そりゃまたなんじゃらほい。

 相変わらず訳の分からない事を言う。


「私を殺したいんじゃなかったの? 賢者さん」


「……勘違いしてもらっては困るな」


 ふぅっと、賢者は疲れたように息を吐くと、組んでいた腕をほどいて両手を腰に添えた。


「勘違い?」


「特に殺したいという訳では無い。そうする事が何よりも効率的なればこそ、そうすると言っているだけだ」


 結局それは同じ事なのでは無いのだろうか。

 何考えてんだろう、この人。


「結局、賢者さんは一体何が……」


「その賢者というのは好きではない。よせ」


「じゃあ、性悪ひねくれ乱暴者の真っ黒ローブの変態さんは一体何がしたいの?」


「……お前も相当クセが強いな」


 ……ちっ。


 呆れているようではあるけど怒った様子ではない。

 何だかプライドが高そうなので、煽れば逆上していらん事もいる事も喋ってくれればと狙ったのに。


 意外に煽り耐性高いでやんの。残念。


「ふむ……」


 さてどうやって嫌がらせしてやろうかと悩んでいると、賢者は顎を手で押さえて何やら考え込みはじめた。


 うーん。


 嫌がらせの前に助けて貰ったお礼を言うべきだろうか。


 あのままいけばぺしゃんこに潰れていた可能性の方が高い。一応、命の恩人でもある訳で……。


 納得いかない所も多々あるけど。


「助けてくれた事にはお礼を言います。賢者さん」


「イワナガだ」


 ……はい?


 助けて貰ったお礼に被せるようにして、賢者が私の言葉を止める。


「賢者と呼ぶのはよせ。代わりに名を呼ぶ事を許す」


「イワナガさん……、って言うんですか」


「そこは『様』をつけよ。……と言いたい所だか好きにすれば良い」


 そう言う賢者の声音には、どこか優しさが含まれているよにも感じられた。魔王様達に向けられていた慈しみにも似ている。


 何がどうした。


 来た道を戻るのか、賢者が背中を見せる。


 ……って、あれ?

 本当に私をただ助ける為だけに来てくれたの?


「お前を殺してしまうのが一番だと思う事には、今も変わりは無い。それだけは忘れぬようにな」


「イワナガ『様』は、一体何がしたいんですか?」


 そのまま消えてしまいそうな背中に、あえて『様』付けで問いかけてみる。


 もちろん、皮肉をたっぷりと込めて。


 賢者は私の声に足を止め、軽く振り返った。


「私は私の愛し子達を守りたい。ただそれだけだ」


「……愛し子?」


 賢者の姿が滲むようにして消え、空間が元に戻る。


 軽く振り返った際にチラリと見えた鼻のシルエットは、人のそれとはかけ離れたもののように見えた。


 最奥の賢者、イワナガ。


 本当に、どういう人なんだろうか。


 ……。


 ……。


 周りの状況を冷静に確認する。


 上は遥かに高い絶壁。

 谷底の岩場に佇み、周りは岩壁。


「……空が綺麗だなあ」


 ……ここからどうやって帰ればいいんだ?






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