♯117 左十字の紋章



 森の中を銀色の疾風が駆け抜ける。

 正直、考えが甘かった。


 ヤバい、これ。


「ぬぅおぉぉぉぉぉっ!?」

「ほぉーっ!?」


 白肌の木々が次々と、目の前に突如現れてはスレスレを物凄い速さでスライドしていく。


 あり得ないような反応速度で右に左にぐぃんぐいんと頭が揺さぶられれば、当然ぐるんぐるんと目も回りまくる。


 あぐぅおぉぉぉ……。


 ぶつかるような事は無いんだけど。

 このギリギリ感に肝がドン冷えする。


「おっふ!?」

「あだっ!?」

「あがだだだっ!?」


 障害物を避けるたびに、カーライルさんの悲鳴と低い打撃音が聞こえてるけど、大丈夫。バサシバジルはギリギリで避けてるし、声が聞こえてる間はカーライルさんも生きてる。


 ……と言うよりごめん。

 後ろを気にしてる余裕がないっ!


 ベルアドネと二人、バサシバジルのたてがみにしがみつくようにして必死に身を屈める。

 木々の間を行く銀色の馬体は、まさに風のような速さで駆け抜けていく。


 張り切ってくれている所で申し訳ないんだけど、もう振り落とされないようにしがみつくのでいっぱいいっぱいです。


「ぶるっひひーんっ!」


 バサシバジルが突然止まり、低い嘶きを上げる。

 後ろ足で馬体を支えるようにして四本の前足を高く掲げ、警戒の色を強く見せて立ち上がった。


 ってか、ここで急に立ち止まるとっ!


「おぶっ!?」


 振り落とされないようにさらにしっかりとしがみつくと、馬上にいた私とベルアドネの背中に、予想通りカーライルさんが飛んで来た。勢い良く飛んで来た身体に、二人揃ってぐしゃりと押し潰される。


 ……地味に痛い。


「……カーライルさん、重い」

「す、すいません」

「いつまで被さっとりやーすかっ!」

「……理不尽だ」

「ぶるるるっ!」


 低い嘶きに周囲を確認すると、案の定、さっきの炎の蛇が周りをぐるりと取り囲んでいた。予想ぐらいはしてたけど数が半端ない。囲まれているだけなのにその数が多すぎて、ヒリヒリと焼けつくような熱を全身に感じる。


「な、なんですかこの数はっ!?」

「山火事のど真ん中にいるみたいだがね」


 周りを取り囲む炎の蛇達が一斉にゆらりと鎌首をもたげ、こちらに向けて攻撃の意思を示した。


「バサシバジルっ!」

「ぶるるっひーんっ!」


 その名を呼べば、一際高い嘶きとともに地面から渦をまいてつむじ風が吹き荒れる。


 フライング気味に飛びかかってきた数匹を巻き込むようにして、冷気を含んだ風が辺り一面の炎の蛇を凍てつかせ、吹き飛ばした。


 やるじゃん。バサシバジル。


 キラキラと陽光を散らせながら、凍りついた炎蛇達が地面に落ちて砕けちっていく。


 これだけの数を一撃とか。

 こんな事まで出来るのね。


「ひっひーんっ!」


 どうだとばかりに胸を勝ち誇るその首筋を、よしよしと褒めるようにして撫でる。ゴロゴロと喉をならして喜ぶ姿がちょっと可愛い。


 喜び方が何か馬っぽくないけど。


「レフィア様っ!」


 数分遅れでリーンシェイド達が後ろから追い付いて来た。追いかけるつもりがいつの間にか追い抜いていたらしい。


 バサシバジルが何気に凄い。

 

「……まさか馬如きに負けるとは。森の中の方が早いんじゃないのか? ソイツ」

「ふぶーっ! ふぶーっ!」

「魔王様だけには絶対負けたく無いって、そんな感じがヒシヒシと伝わってきますけど、……何でそんなに魔王様に拘るんだろう、この子」


 見てると何だか魔王様にだけ対抗心を燃やしてるような気もする。


 ……気の所為だろうか。


「……一度、競り負けて置いていかれたのがよっぽど悔しかったんだと思います」

「競り、……負けて? 何の話?」

「さ、さぁ! 何の話だかさっぱり分からんなーっ! リーンシェイドもそういう事をしれっと言うんじゃない。何の話だかさっぱり分からんがな!」


 露骨に怪しい。


 何でこうも挙動が落ち着かないんだろう。

 婚約したのを後悔させないで欲しい……。


「陛下っ、こちらで戦闘があったようです」


 周囲に炎の蛇が残っていない事を確認し、さらに奥を調べていたセルアザムさんが、その先にある木立の開けた場所を指し示す。


 近づくと、鼻をつく異臭がむわっと強くなる。

 野営の途中で襲われたのだろう。無惨な光景がその奥の野営地に広がっていた。


「こりゃ……、正視に耐えんがね」


 所々に散乱する焼け焦げた大量の荷物。

 木々はへし折られ、ブスブスと燻り続けている。

 地面はまばらに炭化し、あちこちに物言わぬ遺体となった者達が捨て置かれていた。


 ざっと見た感じだと20人程だろうか。

 思ったよりも数が多い事にまず疑問が浮かぶ。


「……にしても、酷い」


 近くに倒れていた人を抱き起こし、息をのむ。

 全身を真っ黒に炭化させて絶命している様子に、尋常ではない熱量で焼かれたのだろうと推し測れる。


 生身の部分がこれほど炭化しているのにも関わらず、身につけている衣服は多少焦げ付いてるだけに留まっていた。


 普通じゃありえない様子に異様さを感じる。


 横たわっている人達の全てが同じ感じだった。

 全員が手の施しようもない状態で絶命している。


 攻撃の意思を持って、特定のものだけを焼く炎。


 先程炎の蛇に襲われた時の状況を考えれば、この人達を焼き殺したのも、同じなのだと分かる。


 ……一つ間違えば、私もこうなっていたのかと思うと胸に重く落ちるものもある。


「……この人達を弔ってあげても、良いですか?」


 見ず知らずの他人ではあるけれど、このまま森の中で朽ちていくのを放っておくのも偲びない。


「そうしたいなら、して行けばいい。手伝おう」


 焼け焦げて地面が露出している場所に、魔王様が魔力弾をぶつけて大穴を穿ってくれた。

 遺体を一ヶ所に集めて、土を被せていく。


 遺体はすべて黒く炭化してしまっていたけど、着ているものから、様々な職種の人達がいたのだと分かる。


 長めのローブを羽織った人もいれば、動きやすそうな皮の軽鎧姿の人もいるし、鈑金の全身鎧の騎士らしき人や、戦闘には向かないだろう旅装のような人までいる。


 身につけたものは様々だけど、その誰もが衣服のどこかに同じ、紋章のようなものをつけているのが妙に気になった。


 左に中心のずれた、……十字?

 左十字の紋章。……なんだろう、これ。


「本神殿の者達のようです」


 左十字をじぃっと見つめて考え込んでいると、セルアザムさんがそっと答えをくれた。


「……本神殿、ですか?」

「左十字は女神教のシンボルにございます。この者達のように一重円の中にそのシンボルを描く事が許されているのは、本神殿に属する者達のみ。アラド山脈の麓にある女神教の総本山。リディア教皇のいるラダレスト本神殿の者達でまず間違いないかと思われます」


 ……物知りわっしょいなセルアザムさんに乾杯。

 よくそんな事までご存知で。

 やっぱり年の功ってヤツなんだろうか。


 初耳な固有名詞がつらつらと並んでしまわれた。

 正直、突然言われても頭に入ってこない。


 とりあえず、女神教の総本山の人達らしいというのは分かった。……うん。左十字、左十字。


 ……。


 ……女神教?


「その本神殿というのは、ここから近いんですか?」

「馬の足で二ヶ月、といった所でしょうか」

「……近くはないんですね」


 女神教という事は、聖女マリエル様達の聖女教とはあまり仲が良くない所だった気がする。

 こんな辺境の森で、何をしてたんだろう。


 少し気になる所ではある。


「こんな所で黒コゲになってりゃ、本山のエリートも形無しだな。……全滅した訳でもなさそうだが」


 魔王様が吐き捨てるように呟いた。

 どこか険のある皮肉に聞こえなくもない。

 聖女教アリステアの事を言う時はそうでもないのに。

 女神教には、……何か思う所でもあるんだろうか。


「散乱した荷物から見ますに、それなりの規模の一団であったのでしょう。おそらくは50名弱。一個中隊規模ではあったようです」

「突然襲われて逃げ遅れたか、……それとも囮として見棄てられたか。出来れば前者である方がマシなんだが、どうだかな」


 囮として見棄てる……。


 何だろう。何だか嫌なものが、ゾロリと背中を這うような感触を禁じえない。


 埋葬を終えた者達の冥福を祈る。

 こんな所で息絶えるなんて、さぞ無念だったろう。


 こういう時はどうするんだっけか。

 ……鎮魂? 浄化?


 うーん。『鎮魂』の術式は知らないし、『浄化』も何だか少し違う気がする。

 綺麗にしても意味ないよね?


 こういう時はあれだ。『祝福』だ。

 困った時には『祝福』を使えば何とかなる。

 多分聖女様もそう言ってた気がする。

 聞いた覚えもないけど、きっと大丈夫。


 手を組んで祈りを捧げる。


 聖女様直伝の祝福の術式を組み上げて、祈りと魔力を練り上げていく。


 心残りもいっぱいあっただろうに。

 無念に口惜しさに悔しさもあるだろうけど。


 どうか、安らかにありますように。

 苦しみから救われますように。


 心静かにあれ、……と。


 聖女様の元での修行の成果か、構築した『祝福』は穏やかな光の束となって具現化する。


 ……よし。力のセーブも出来てる。

 そう何度も何度もやらかしたりはしませんともさ。


 結構それなりに、優秀な生徒かもしれない。

 教わった事も教わってない事も、ちゃーんとまとめてドンと来い。


 埋葬した遺体の上へと、淡い光が降り注ぐ。


 そして、時間が止まった。


 ……。


 ……。


 ……は?


 突然の出来事に、思考が混乱する。

 時間が、……止まった?


 一切の音が消えて、静寂に包まれる。


 風にそよぐ木々の葉や枝々も、そこから地面に落ちる木漏れ日の影、焼け焦げた箇所から燻る煙も降り注ぐ光の粒子も、何もかもがピタッと止まってしまった。


 この場の空間そのものもが凍りついたように、全てがありえない状態で静止している。


 ちょっ、ちょっと待って。

 ……何が起きたんだ? これ。


 いや、私じゃない。

 いくら何でも時間なんて止められない。

 これは私の所為じゃない。私は悪くない。


 ……よね?


 ふいに、ぞわりと背後に重く冷たい圧迫感が生まれる。分厚い何かを押し当てられたかのような圧力に、困惑したまま息が詰まる。

 振り返ろうとして、身体が全く動かない事に気がつく。


 ……嘘。


 何? ……これ。


「厄介な気配を感じて見に来てみれば……」


 背後から声が聞こえた。

 落ち着いた低い声だけど、……女の人の声だ。

 まるで老婆のようにかすれ気味にも聞こえるけど、妙齢の女性のように艶やかな印象も受ける。


 背中に感じる気配が近づいてくる。


 ……誰?

 何が起きてるの?


「ここで『祝福』を使うか。皮肉にも程がある」


 時間が止まったままの静寂の中で、声の主は忌々しそうにそう呟くと、動けないままの私のすぐ背後で立ち止まった。


 ……今、皮肉って言った気がする。

 あまねく命に安らぎを願う『祝福』が?

 それって、どういう……。


 浮かんだ疑問について思いをめぐらせていると、突然、首の後ろをガッと掴まれた。掴まれた場所が酷く冷たい。感じからすると、やっぱり女の人の手のよう思えるけど……。


 ──あぐっ!?


 声にならない悲鳴が喉の奥にこみあげる。


 まるで身体の中に直接手を入れられ、内臓を直接捏ねくり回されたかのような酷い不快感に意識が飛びそうになった。


 正直、めちゃくちゃ気持ち悪いっ!

 何っ!? 何されたのっ、今っ!?


「……器か。すでに印も刻まれているようだな」


 文句の一つも言えない事に腹立たしさが募る。


 一体何がどうなってこんな事になってんの!?

 状況に理解が全く追い付かない。


 首筋を掴んだ手から身を逃そうと足掻くけど、声も出なければ身動き一つとれない。

 意識だけがかろうじて空回りしまくる。


 時間が止まった空間って反則じゃね?

 公平平等を声高に私は叫びたい。


 掴まれた手にぐっと力がこもる。


 ……何か知らないけど嫌な予感がする。

 こういう時の予感ほどタチの悪いものは無い。


「……いっそここで殺してしまうか」


 声の主は酷く平淡に、そう呟いた。


 ……。


 ……マジで?





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