#112 怒鬼衝天(魔王の憂鬱12)
レフィアを泣かせてしまった。
俺からの求婚を受けると、そう言った。
顔を上げて胸を張って、はっきりとそう言ったアイツは、……泣いていた。
……。
……俺が泣かした、のか。
「泣くほど嫌だったのか。……アイツ」
「んなわきゃあるかいっ!」
茫然自失としながら執務室までたどり着く。
中に入った途端、大上段からスパーンッと頭をはたかれた。
「……シキ」
執務室でシキが待ち構えていた。
大きなハリセンを手に持ち仁王立ちのまま、すっかり片付いた執務室のど真ん中にいた。
……何でハリセン?
しばらく留守にしてた間に、執務室の主が交替してしまったかのような錯覚を覚える。
一見すると10歳くらいの童女にしか見えないが、これでも90過ぎの魔の国の重鎮だったりするんだよな、コイツ。
「今は公務外! シキちゃんでっ!」
「……シキちゃん、何故俺をはたく?」
幻魔大公シキ・ヒサカ。
四魔大公の一柱で、ヒサカ領を治めるベルアドネの実母。かつてこの国で起きた亡者の行進を押し止めたり、スンラに対して徹底交戦をし続けた豪の者でもある。
そのシキがハリセンを構え、まなじりを吊り上げてこちらを睨んでいた。
「どっかのとろくさいスカポンタンが、たーけた事ぬかしとりやーしたで、スパコーンとはたいてやったんだがね」
「えらい言われようだな……」
痛いかと言われれば別に痛くはないが。
ただちょっと、……びっくりした。
額をさすりながらふと思う。
考え事をしてたとは言え、頭をはたかれるなんて随分と久しぶりだなと。
「んで? 渡した蝶銀仮面はどーしやーした?」
「……やった」
トルテの弔いにと、勇者に渡してきた。
……そこまで言うと怒られそうなので黙っておく。
「っ簡単に人にあげやーすなっ!」
どっちにしろ怒られた。
……すまん。俺もほんの少しだけ後悔はしてる。
「どーりで。途中から連絡がとれんよーにならーして、何事かあったかのかとヤキモキしとったがね」
「……正直、すまんかった」
シキがこくんと小首を傾げる。
「何か、様子が変でやーすな。何かあらっせたんか?」
「……変、か?」
「とっても」
「……そうか」
……。
……。
スパコッーン!
「だからやめぃ! 辛気臭ーてかんわっ! すぐに俯かない! 下を見ない! 口を紡がない!」
今度は顔面をはたかれた。
鎧兜越しなので何とも無いけど、容赦ないな。
「さっきボソボソ呟いとった戯言と、何か関係があらっせやーすんか? ほれ、シキちゃんに相談してみやーせな」
「……シキちゃん」
「この歳でちゃん付けも、さすがに照れてまうがね」
……どうしろと。
「ほんで? 何があらーした」
そう、……だよな。
コイツもコイツで、だいぶ見た目詐欺みたいな所もあるが、生物学的にはメスで、9人の子持ちなんだよな。なにしろ、末の娘があのベルアドネなのだから。
人生の先輩として、聞いてみてもいいかもしれん。
「レフィアが、泣いたんだ」
「ほんで?」
「……どうしたらいいか分からん」
分からん。
何故、あそこで泣くんだ。
嬉しくて泣いたんじゃない事ぐらいは、……そりゃ分かるけど。
「かねてよりの求婚の返事を貰った。求婚を、受け入れると。……俺にもそれなりの立場があるから、覚悟を決めたと言うのは分かる。理解出来る。アイツにもそれなりの立場や責任が生じるから、覚悟はいるだろう。……だが、何故泣く?」
何故あそこで泣く必要がある?
「アリステアとの関係は今の所良好だ。もうしばらく時間をかければ、自由に行き来する事だって出来るだろう。クスハに頼めば一瞬だ。それでもやっぱり、マリエル村が恋しいからか? 故郷を偲んで? ……違う、そんな感じじゃなかった。もっとこう……」
あれは、どう言ったらいいのか。
もっとこう、……悔やむような涙だった。
まるで誰かと、決別するかのような……。
……決別?
誰かって何だ。誰かって誰だ?
自問自答して、はじめてその可能性に気づく。
まさか……。
「……実は他に、好きなヤツが、……いた?」
そんな雰囲気は全くなかったが、俺が気づかなかっただけで、実は他に、思いを寄せるヤツが……。いた?
考えたくはないが、一度浮かんでしまった不安に、どうしても考えが向かっていってしまう。
「求婚を受け入れたのは、……本意じゃなかった?」
スッパーンッ! と派手な音を立ててハリセンが飛ぶ。
「このっ、大たーけがっ! どこまでスカポンタンな事を言っとらーすか、おんしゃは!」
「……だ、だが、あれはそうとしか」
「その前に一つ。おんしゃ、レフィア殿にちゃんと名前と素顔を明かしやーしたんか?」
「……名前と、顔?」
……。
……。
……あっ。
「……忘れてた」
「こんのっ、どたーけがぁぁあああああっ!」
何度目かのハリセンの打ち下ろしをまともに食らう。
しまった。
今度こそアイツに自分がマオリだと告げようと、そう心に決めて時間まで取ったのに。トルテから力を借りてまで、あそこまでこぎ着けたのに。
……まだ、言ってなかった。
言わずに、戻ってきてしまった。
レフィアのはっきりとした返答と、その後の涙でいっぱいいっぱいになって、それどころでは無くなってしまっていた。
「おんしゃとレフィア殿の関係はセルアザム殿から聞いとらーす。おんしゃがまだ名を明かさぬ内に求婚を受け入れたんなら、その涙の原因は自ずと分かってきやーせるがな」
シキがハリセンでポンポンと自分の肩を叩く。
自ずと……、分かるもんなのか?
「あの娘の中にある、『マオリ』殿への思いを絶ち切らしやーしたんだがね。……健気な娘でやーすな」
「……思いを、絶ち切る? どーいう事だ? 何故そんな事をする必要がある?」
ふいに出た言葉だった。
ふと疑問に思った事を口に出した瞬間、シキの様子がスゥーッと変わった。
どこか呆れ、同情するような表情から、冷たい、いすくめるかのような様子へと、変わる。
「度しがたい……。それでそのまま、泣いてるレフィア殿を置いて戻ってきやっせたんか」
「おい、……シキ」
剣呑な雰囲気を漂わせるシキに身構える。
目の前の変異に気をとられていると、突然、背後に凍てつくような殺気の塊が膨れ上がった。
「……なっ!?」
慌てて横に飛ぶ。刹那の間も開けず、執務室の扉が大きな音とともに粉々にはじけて砕け散った。
『鬼』が、冷たい殺気を赤く漂わせて、燻る白煙の中にゆらりと立っている。
「……リーンシェイド?」
一瞬自分の目を疑ったが、間違いなくリーンシェイドだ。何故か殺気をほとばしらせ、純白の姫夜叉モードに変異している。
殺気を向けられているのは、……俺?
輪郭がぶれ、白い影が目前にせまる。
「なっ!? 待てっ! こらっ!?」
訳が分からないが、とりあえず避ける。
姫夜叉モードの俊敏さは相当ヤバい。
必死に身を捩って避けられたものの、避けるだけで精一杯だった。近くにあった応接用のソファーが砕け散る。
……おい。マジか。
「敵わぬまでも、せめて一太刀」
なんだそりゃ!?
さらに迫る追撃を、何とか紙一重でかわす。
久しぶりの全身鎧で身体が重い。全身鎧ってこんなに重かったっけか。
繰り出される掌底打ちを外へいなす。
いなされた勢いに逆らわず、リーンシェイドの身体がぐるりと回転しながら沈み込み、反対側から抉り込むような肘打ちが飛んでくる。
半身をずらしてその肘を避けると、避けた方向へまっすぐに突き刺すような中段蹴りがさらに伸びてくる。
足運びが追い付かず距離を取ってかわすと、反動をつけた払い抜けが顔面を直接狙って、すぐ目の前までせまっていた。
必死で身体を起こすと、鼻先を冷ややかな殺気がかすめていく。
……コイツ、本気か?
以前よりも体捌きが上達してやがる。
いつの間にこんな……。
……って、今はそーじゃねぇ!
「乱心したかっ!?」
「乱心ではございませんっ!」
何とかかわせてはいるものの、それぞれの動作の練度が高く、まともに輪郭さえも把握出来ない程の速さに翻弄される。
確実に息の根を止めに来てないか? これ。
何がどうなってやがる。
リーンシェイドは屈んだ姿勢をさらに低く構え、踏み込み鋭く仕掛けてくる。
避けようした瞬間に身体が引っ張られ、コンマ何秒かで反応が遅れた。
「……なっ、おいっ!?」
慌てて大きくのけぞり、身体2つ分の距離を取る。
今のは少しやばかった。
驚いてシキを見ると、シキは感心したようにこちらを見ていた。
「リーンシェイドも中々良い動きをしやーせるでな、ほんの少し手伝ったたるがね」
「痛み入ります」
「痛み入りますじゃねーだろ! 何のつもりだお前ら!」
さっきのはシキの傀儡か。
ただでさえギリギリだってのに。
余計な妨害してんじゃねーよっ!
何かマジでヤバい気がしてきた。
「何事でございましょうか」
「セルアザム! クスハ!」
破壊された入口から二人が姿を見せる。
物騒な物音に駆けつけてくれたか、ありがたい。
シキとリーンシェイドから注意を逸らさぬよう、セルアザム達の方へとにじりよる。
「何だか分からんが、突然二人が……」
「……何故、レフィア様が泣かねばならないのですか」
セルアザム達に助けを求めようとした所で、リーンシェイドが絞り出すように問いかけてきた。
レフィアの名前に、ピクリと反応してしまう。
「何故あのように泣き崩れるレフィア様を放っておいたまま、何も言わずに一人にされたのですっ!」
絞り出すように悲痛な叫びを上げ、リーンシェイドが再び飛びかかってきた。
……コイツ、もしかして。
レフィアの事で?
「そのへたれた根性を、性根から叩き直してやるがね!」
「ちょっ、だから待て! お前ら!」
シキの妨害を受けながらも、どうにかスレスレでリーンシェイドの攻撃をいなしきり、さらに距離を取る。
だからっ! 殺気を込めすぎだお前ら!
心強い味方を二人、背後に背負いながらどうにか前の二人をなだめようとして、嫌な悪寒に手足がすくむ。
すぐ後ろで、新たに静かな殺気が沸き上がる。
「……そうですか。レフィアさんを泣かせたまま、逃げてきたのですね」
「……おい、クスハ?」
凍りついた微笑みを浮かべながら、クスハの表皮が木の皮のようなゴツゴツしたものへと変化していく。
精霊転身で樹精へと変わっていくのだろう。
それは分かる。……分かるんだが。
何故そこで俺を見る?
衣服の裾から、腕回り程もある蔦が顔を出す。
身の危険を感じて咄嗟に飛び上がると、何本もの蔦がうねりを上げて、先程まで立っていた足元を強襲した。
「2対1ではいささか分が悪そうなので」
そっと微笑むクスハだが目が笑ってない。
分が悪いって何だ。
殺気立つ三人を前に、嫌な汗が背中を伝う。
……これはちょっと、ヤバいかもしれん。
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